●その2
さて光の量によって「天才と秀才と凡人」を分けてみたシーンを紹介しましたが、天才や秀才の前ですっかり抑圧されていじけちゃってる小山内くんについてもう少し触れてみたいと思います。
小山内くんは凡人といっても、パプリカが「あなた、もっと利口だったでしょ!」と言っているくらいに頭はいいんです。どのくらい頭がいいかというと、自分は天才の仲間には入れない、ということがちゃーーんと正しく理解できるくらいに頭がいい。
仲間に入りたいのに、入れないことを自覚している。なかなか切ないものです。
たとえば、そういう構図は小山内の登場シーンからすでに表れている。
最初にイカれた島のパレードの夢をモニタしている敦子と時田の元に、小山内が入ってくる。
「千葉先生、所長の診療記録です」
といって小山内が“敦子に”ディスクを差し出すと、当然のように“時田が受け取る”。
「ありがとう」と敦子。
小山内くんは、このディスクを持ってくる間に一所懸命考えた推理を口にする。
「きっと所長はセラピーマシンで患者を治療中に……」
そこへ“時田が割り込んで”、
「DCミニで侵入された。そしてきづかぬうちにこの夢を識閾下に投射された」
時田がその言葉尻でハッと気がついて。
「でも…そのためには…」(時田アップ)
「犯人も、この悪夢を見続けることになる」(敦子アップ)
「捨て身なテロだなぁ」(時田アップ)
「テロは捨て身ですよ」と小山内が何とか話題の“仲間に入ろうとする”、と。
時田と敦子の交互のアップは、「二人だけの密度が高い世界に入っている」といったような意味合いで、小山内は閉め出されているわけです。
敦子に渡すはずのディスクは当然の顔で時田が受け取り、しかも敦子が「ありがとう」と言っているのだから、小山内から見れば「敦子-時田」は一心同体みたいなもので、しかも一所懸命考えた推理だって、時田にとっては当たり前みたいな応対をされてしまう。
きっと小山内くんは毎日研究所でこんな状況におかれていたことでしょう。
小山内くんブルー。
そりゃあ、青い蝶々になっちゃいますよ(笑)
別に悲しみのブルーが小山内くんを青い蝶に染め上げたわけではありませんが、小山内くんは夢の世界では青い蝶として象徴されていました。
同様に乾は植物、氷室は日本人形、時田は黄色いロボット、敦子はパプリカでした。
今回の手引きは、夢の世界での象徴を少しばかり紹介して終わりたいと思います。
たしかシナリオに入る前から、夢の世界における各キャラクターの象徴物を決めようということで、完成品でも見られる通りの象徴イメージに決めておきました。上記の通りです。
これはほとんど「分かりやすさ」のためといっても良いです。
敦子が夢の世界に入るときにはパプリカに変身するのだから、他のキャラクターにもそれに準ずるものがあった方がイメージが分かりやすかろう、という訳です。
乾は車椅子で移動が不自由ということもあるし科学の暴走に反対する立場だから自然と結びつく「植物」、特に自意識が肥大しているから「巨木」。
小山内はかなりナルシスティックに自分を美しいと思っているし、乾=植物から離れられないという意味もあって「蝶」、美しい蝶といえばモルフォなので「青い蝶」。
時田は天才的であると同時にそれは破壊にも繋がるほど威力があり、さらにそれが子供じみた人格システムの上で動いているので「オモチャのロボット」。
氷室の場合はちょっと別で、原作において印象的に出てくる「日本人形」と結びつけたいという意図が先にあって、そのリンクを図るために氷室のマンションで「女の子の着物を着せられたオカッパ頭の子供の氷室」という写真を登場させました。多分子供時代、田舎の爺さんか婆さんに面白半分に着物を着せられたことがあって、それ以後自身に女の子のイメージを投影することになった……とか何とか(笑)
『パプリカ』制作中、資料として、というよりはほとんど私の趣味として「モルフォ蝶」の標本が欲しいな、と思っていたものの結局買えずじまいでしたが、『パプリカ』完成後に手に入れてしまいました。実物はびっくりするくらいに美しいですね。お値段はけっこうしますが。
本篇では単に青い蝶々という解釈で画面に登場させてしまいましたが、角度によって青色も随分と変化して見えるばかりでなく、光線次第でキラリと反射して光るんですね。
画像の資料ではこういう質感は分からなかったので、失敗だったかもしれません。
ただ、色指定する前に見ておけば良かった、とも思う一方で、こんなものをもし再現しようとしていたらCG班は泣きが入ったかもしれません(笑)
「小山内-青い蝶」の結びつきで印象に残るのは、「変態監禁王子様」のシーンかと思われます。コンテ上は「小山内の秘密の部屋」という呼称でした。
何で秘密の部屋かというと、画面上では分からないんですが、出入り口がない部屋なんです。一応、設定上はね。
小山内の心的世界の誰にも明かしてない秘密の部分なんだ、と。
乾にもそういう面は見せたことがなかったので、小山内も安心していたはずなんですがニョッキリ乾が出て来たものだから、それだけでも動揺した、と。でも乾に言わせれば「私に隠し事など、あり得ぬ」というわけです。
この秘密の部屋に『パプリカ』は蝶の姿で捕らわれているわけですが、パプリカが貼り付けられている展翅板(標本を作るために固定する板)は実際のものに比べると変です。対象が人間と蝶では大きさが違うのはもちろんなんですが、実際の展翅板は真ん中が溝になっていて、ここに蝶の胴体部分が入り、両脇の板に羽を広げて展翅テープを渡してピンで固定します。つまり蝶は下向きに固定される。標本なんだから当然そうなります。
しかし。バタフライ・パプリカを下向きに固定してしまったら意味ないじゃん(笑)
それはそれで面白いかもしれないし、背中を裂いて敦子を取り出すというのも悪くないんですが、パプリカの顔が見えないんじゃ演出としてはかなり困る。ということでいい加減な展翅板、というか展翅台をでっち上げてしまいました。
登場する展翅台は、秘密の部屋のムードとは異質なほど重そうで黒い。もちろん小山内のダークサイドを意味しておりますが、この台にはバタフライ・パプリカを留めるために開けられたにしてはあまりに数多いピンの跡が穿たれています。つまり犠牲になったのはパプリカが初めてじゃない、ってことを暗にお伝えしたかったわけです。
何せ「変態監禁王子様」ですから。
パプリカが思い切り「変態監禁王子様」というセリフを口にしておりますが、こういうセリフを平気で書くのは監督です。制作当時、随分と監禁事件がニュースになっていましたからね。
メディアの反応を見ていた感じでは事件としての大きさ、ということももちろんあるんでしょうけど、どちらかというと視聴者の「私も他人を監禁してみたい」という潜在的な興味に駆動されて扱いが膨張していたような気がします。
とりわけ、加害者の容貌と呼び名で話題になった王子様。
小山内に通じる部分がたくさんありそうな気がして林原さんに…いやパプリカに言わせてみました。
ただ、小山内がパプリカを捕らえて監禁する、というイメージは別に世相に応えたものでは全然なく、ある映画がイメージソースになっています。
「蝶の標本」、捕らえた女性を「監禁」といえば、ちょっと古手の映画ファンならご存じかと思いますが、『コレクター』です。モーガン・フリーマンとアシュレイ・ジャッドが出てる方じゃありません。こちらも監禁ものでしたが、原題が「KISS THE GIRL」で、私が言っているのは同じ邦題でも内容が違う、古い方の『コレクター』(THE COLLECTOR/1965・米/監督ウイリアム・ワイラー)。私が最初に見たのは、多分小学生の頃。テレビで見たと思いますが、とても怖かったのを覚えています。
『パプリカ』制作中にDVDを買って見返しましたが、さすがに怖くはなかったものの、主演のテレンス・スタンプの神経質な演技がたいへん印象的でした。内容的には蝶の収集癖のある若い男が、蝶と同様に若い女性を捕らえてきて地下室に監禁して……というもの。巨匠ワイラーの佳作ということになりましょうが、私は好きな映画です。あ、私を変態監禁アニメ監督とか言わないように。
先に記したように「夢の世界での象徴物」は、演出的な分かりやすさと、上記の結びつき以外は特にイメージはなかったのですが、自分では分からないところに面白いことを発見してくれる方もおられるものです。
以前から、日本大学の心理学博士・横田正夫先生と懇意にさせていただいております。先生はアニメーションに興味がおありで、アニメーションを心理学的な見地から解釈されて論文をお書きになっている方です。
川本喜八郎監督、宮崎駿監督、高畑勲監督、りんたろう監督など作家ごとにその仕事を検証し「アニメーション作家とライフサイクル」というテーマで書かれた論文はたいへん興味深いものです。
ありがたいことに「今 敏のアニメーション」も研究対象にしていただいており、時折その成果である論文を拝読し、自分と自分の仕事の意味を知るヒントや次回作への刺激などにさせてもらっています。
『パプリカ』についてもコンテ段階で目を通していただいたようで、興味深い指摘を賜りました。最後に先生の論文「今敏監督のアニメーション作品にみるこころの表現」から、先の「夢の世界での象徴物」に関する部分を引用させてもらって終わりたいと思います。
「乾は、足が不自由であるが故に、木や植物との関連が深い場所にいるように好んで描かれ、彼の夢の中では自身を木としてイメージする。小山内は、夢の中で自身を蝶とイメージし、巨木としてイメージされる乾の周りで飛び回り、蝶の標本で壁を覆いつくした部屋を夢の中の隠れ家にしている。また氷室は、夢の中で自身を人形としてイメージしている。このように乾、小山内、氷室の3者は夢の中で動きの乏しい物を表象し、停滞が暗示される。
それに対し、パプリカは千葉敦子の夢の中の姿であり、刑事の粉川は夢の中でも自身を演じ、DCミニの開発者時田は夢の中で動き回るロボットとして表象される。つまり、動き回るものが停滞するものと明確に対比される。ただアニメーション「パプリカ」の特徴は、動き回るものと停滞するものがそれぞれ複数存在し、いずれも同一組織内の存在(刑事の粉川は例外であるが)であるということである。すなわち「パーフェクトブルー」で未麻が、ひとりで停滞するものに挑んだこととは異なり、「パプリカ」では仲間と連合して停滞するものたちに立ち向かう。今敏のアニメーションは、自身の個人的な体験を入れ子にしていることを述べてきたが、パプリカと連合した勢力は、同様に今敏がアニメーション制作において、連合して活動する仲間を持っていることを示し、組織として、立ち向かいうるような状況ができていることを暗示する。」
う~ん、そうなのか。そうなって行くんだろうか。
そうなってないような気もするんだが。
ちなみに横田正夫先生は今年長年の研究の成果を一冊の本としてまとめて出版なさいました。
『アニメーションの臨床心理学』横田正夫/誠信書房¥3800
上で引用した論文は収録されていませんが、「第5章 アニメーション作家とライフサイクル」の中で「第4節 今 敏-『妄想代理人』」として取り上げていただいております。
興味のある方は是非読んでみてください。
ということで「第六の手引き」はこれで終わりです。
では。
|
コメント(3)
蝶の解説面白いです、自分も原色図鑑等読み漁りました、色々事情があって見に行けないので富山での公開を希望しています。
2007/1/18(木) 午前 3:53 [ aru*ado*006 ]
手引きを読んだ後、再度劇場に足を運び 楽しませて頂いています。 小山内の夢での象徴である青い蝶がパプリカのサントラでも 平沢先生の夢の象徴であるような描かれ方をしていますね。
2007/1/18(木) 午後 11:00 [ 能勢 ]
明日、パプリカを観に行きます!いや、これが初めてじゃあありません。ちゃんと公開直後に観に行きました。この手引は良い復習になりましたよ(笑)!明日の舞台挨拶も楽しみです!
2007/1/25(木) 午前 0:37 [ mameneko_mumu ]