●その2
パプリカはモローの絵に飛び込んで、スフィンクスに変容します。
ここで舞台裏のこぼれ話を一つ。モローのあの絵をご存じの方はお分かりかと思うのですが(これです。http://www.antaios.net/museum/sphinks004.jpg/以下のページでは問題の絵の他にもモローの色々なスフィンクスが見られます。http://www.antaios.net/museum/sphinks.htm)、獅子の身体に大きな翼を生やし胸から上が人間の女性になっております。つまりスフィンクスは乳房を露出しておるわけです。
さて、困った(笑)
『パプリカ』劇中世界のリアリズムに即すとなると、パプリカはモロー描くところのスフィンクスに変容する以上、顔以外はなるべく元の絵に準じないといけない。しかしそうなると、いかにスフィンクス姿とはいえ、本作のヒロインが「乳ボーン!」……もとい「乳丸出し」になるわけです。
「別にいいか、丸出しでも。デビュー作でヒロインの毛まで丸出しにした監督なんだしな」
と、一時は考えたのですが、矢のような反対に遭いました。
「ダメに決まってます」
という女性スタッフのにべもない一撃によってスフィンクス・パプリカの両の胸は「毛皮」が被っている次第です。
パプリカに続いて、今度は絵のオイディプスの顔が小山内に変容して言葉を発する。
「あなたにスフィンクスは似合わない」
飛び退いたスフィンクス・パプリカが応じて、
「昼は賢い研究員、夜は理事長の素敵なしもべ、それは何?」
「言うな!いくつもの顔がある、それが人間だ!」
「理事長に支配されたあなたには、オイディプスがとってもお似合いよ!」
冒頭で紹介したバージョンの謎々では「ある時は~ある時は~」となっておりましたが、違うバージョンではこんなのもあります。
「朝は四つ足、昼は二本足、夜は三つ足で歩くものは何か?」
なのでスフィンクス・パプリカがかける謎は「昼は賢い研究員、夜は理事長の~」となっております。
また「理事長に支配された小山内にはオイディプスがよく似合う」という意味は、先のエディプスコンプレックスの説明でお分かりいただけると思います。
オイディプス・小山内に槍で羽を射抜かれたスフィンクス・パプリカが川に落ちて人魚の姿に変容して逃走します。このあたりからのイメージの変容と展開はめまぐるしいものですが、しかし絵コンテ執筆の際はほとんど匍匐前進並みの速度でしか進みませんでした。
とにかく絵を描いて一つずつ次をどうするかを考えなくてはならない。
先ほども紹介したように、まず「どんな絵に逃げ込むか」を呻吟して捻り出したものの、そこからどう展開するか、何に変容するかは絵を描いてみないと分からない。
羽が傷ついて落下……いかに夢の中といっても地面に落下したら助かる感じがしないな……モローの絵の中にはもうヒントはないし……この絵の中に描かれていなくても、絵の中にあってもおかしくないものは……あ、川か。川、水……あ、人魚!
こんな具合に上手く連想が繋がるわけではなくて、あれこれと連想が袋小路の枝道に入り込んでは引き返し…という繰り返しです。
では次に人魚からどうするか。そろそろ御大・乾にもお出まし願わなくてはいけない。
この時、ヒントになったのが自分がかつて見た夢です。
インタビューや舞台挨拶などでも紹介したことがあるので、御存知の方もおられるかもしれませんが、こんな夢です。
友人とどこかに遊びに行った帰り、JR国立駅(実際の駅とは全然違う)から電車に乗ろうとするが、駅前のロータリーにある円形の噴水からダイビングをしてから帰ろう、ということになる。
「駅前でダイビングできるなんて便利でいいよな」
などと言いつつ、ウェットスーツと水中眼鏡、フィンだけで素もぐりをする。
噴水の縁石に腰掛けてから勢いよくドボーンと飛び込むと、噴水のプールの底はそのまま海に繋がっていて、どんどんと私は潜って行く。息は全然苦しくない。
気持ちよく随分深く深く潜って行く。
と、突然、真っ黒に見える海底がせり上がってくる。
私は瞬時にそれが何かに気づく。
「無意識だ!」
私は大慌てで水面目指して泳ぎ上がり……その途中で目が覚める。
当時の現実の状況を覚えてないのでどういう意味あいなのか、さっぱり見当がつきませんが、無意識の海底が迫って来たときはとても怖かったことを覚えています。
このイメージを思い出して、マッコウクジラ・乾に繋がりました。
海中を逃げるマーメイド・パプリカを真俯瞰で捉えたカットで、海底から黒いシルエットが現れたかと思うとそれは乾の顔をしたクジラで、パプリカを一息に呑み込む。
さて今度はどうしようか。
しかし、ここはすぐにイメージが繋がりました。クジラに呑み込まれた危機から抜け出すといえば「ピノキオ」しかありません。
ピノキオ・パプリカはクジラの潮吹き穴から吐き出され、空を飛んで街に落下。ふたたびパプリカは孫悟空の姿に戻って全力で夢の罠から逃走しようとする、と。
さて、演出としてはここで困ったことが一つ。
この夢に侵入する際、パプリカは上空から落下してきており、パプリカが「きん斗雲」に乗って上空へ逃げてしまえば、何となく「脱出できるような感じ」がしてしまいます。別に夢の中なんだから、そんなに空間的なことにこだわる必要があるわけでもないのでしょうが、映画の世界観としてこだわらざるを得ないところです。そういうルールでここまで作ってきているわけですから。
なので、ここは孫悟空パプリカが空高く逃げられないような配慮をしておきたい。ということで出てきたのが、「電線」です。
空を飛んで逃げる孫悟空パプリカの上方を、張り巡らされた電線が阻む(カット数も少なかったので、ちょっと分かりにくかったかもしれません)。
実はこのパターンの夢を私は実際に何度か見たことがあります。
私は多分、大空高く飛ぶ夢は見たことがないと思うのですが、飛ぶ夢は何度も見たことがあります。せいぜい建物3~4階の高さでしょうか。円盤状のものに乗っていたり、凧で飛んだりとなにがしかのアイテムによって飛ぶのですが、障害によってある高さ以上飛び上がれず、焦りを覚える、というパターンです。
障害は電線だったり、アーケードの天井だったり、凧の糸の長さに限定される、などでしょうか。
この手の夢はよくあるパターンらしく、なんでも言語の発達と関連しているらしい、と読んだ記憶があります。それまで獲得してきた言葉では上手く言い表せないもどかしさのようなものが、こういった飛翔の障害といった形で出てくるのかもしれません。つまり言葉の大空を自由に飛べない、といったようなこと。
何の本で読んだのか、思い出せないので確たることは言えませんが。
ということで「第五の手引き」はこれで終わりです。
では。
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