●「不可解な言葉」その2
いよいよ2006年も今日一日となりました。
みなさん新年を迎える準備はお済みでしょうか。私はさしたる準備もできないまま今年も終わりそうです。
皆様は今年いかが過ごされたでしょうか。
私は『パプリカ』本篇制作にプロモーションにとめまぐるしくよく働いた一年でした。
イタリアやスペイン、フランス、あるいは東京、横浜、名古屋、京都、大阪、福岡、札幌など国内外各地でたいへん美味しいものと出合うことが出来て、とても良い一年となりました。お世話になった方々にこの場を借りて感謝の言葉を述べたいと思います。
「どうもごちそうさまでした」
そして何と言っても『パプリカ』を観に劇場に足を運んで下さった多くの皆様、またこれから観に行かれる予定の皆様にも心の底から感謝いたします。
「どうもありがとうございます」
さらに、この公式ブログに連載中の「手引き」をお読みになった上で、一度と仰らずに二度三度と劇場に足をお運びいただけると尚のこと幸いです。
1月1日~3日までの三日間、「テアトル新宿」「テアトル梅田」「シネマート心斎橋」では『パプリカ』ご来場の方々に、先着で非売品グッズ(クリアファイルかペン)をプレゼント、ということになっているようです。
http://blogs.yahoo.co.jp/paprika_movie/9834750.html
クリアファイルは質も良く、シャープペンシルとボールペンが一緒になったペンも便利で私も重宝して使っております。
今年『パプリカ』を応援して下さった皆様、本当にありがとうございました。
来年も是非よろしくお願いいたします。
では、良いお年をお迎え下さい。
ということで「手引き」の続きです。
今回は「全体としては何となく分かるんだけど、個々の言葉の意味はよく分からない」というタイプ。夢の中に出てくる人形が発するのはこちらでしょう。こちらの方は、文脈としてよく分からないけれど、言葉の意味としてはとりあえず筋が通っています。
所長の島がイカれた後、島が夢に見ているパレードの様子をモニタしていると日本人形の声が聞こえてくるシーンでのセリフを引用してみます。
「真昼の空のお日様が、夜毎の闇を照らします。
夜が夢みる昼なのに、光が夢みる闇なのに
何も知らないお日様は、闇を葬り影を焼き
いずれは自ら焼き尽くす」
このあたりで人形の顔が氷室に変わって、
「夜に花咲く木の下闇は、月夜の民が憩う場所
真昼の人は通せんぼ!ケケケケケケ……」
全体としては「手を出すとひどいことになるぞ」といった警告のニュアンスは伝わっていたかと思いますが、すでに『パプリカ』を御覧になった方であれば、こうして文字で読むとかなり意味が分かるのではないかと思います。
要するに、科学の光(真昼の空のお日様)で夢の世界(夜毎の闇)を無自覚に(何も知らない)照らし出せば夢の世界を壊すことになるし(闇を葬り影を焼き)、おまえたちの身の破滅(いずれは自ら焼き尽くす)に繋がるぞ、と。
氷室の背後には小山内がいて、小山内の背後には乾がいるわけですから、これはつまり乾が言っていた「夢にじかに触れることは暴力にさえ繋がる」というセリフの通りです。
氷室や人形たちのセリフはすべて共同脚本の水上静資氏の手になるもので、日本人が好む七五調で上手く不気味にして心地よいものに仕上げてもらいました。
水上さんには『妄想代理人』の「夢告」(予告のことです)でも、素晴らしいセリフを作ってもらいました。
唯一、一話につく二話の「夢告」は私が考えたもので、ご存じない方のために紹介しておきます。
そも、月の影でウサギがピョン。
黒いウサギの赤い目は水平線に何を見る?
陸(おか)に上がったおさかなが牛に踏まれてモォ大変。
蝶が舞い飛ぶ竜宮城は遙か彼方の夢のあと。
沈む陽や牛に引かれて善光寺。
黄金(こがね)の狐がほくそ笑む。さて。
全然予告になってないじゃないか、という話もありますが、これはこれで実はきちんと意味が通っているんです。そのあたりの解説やなぜこんな奇妙な言葉遊びを思いついたのかという経緯も含めて、私のウェブサイトの「“妄想”の産物」、妄想の七「夢にキャッチ」でネタバラシをしているので、興味のある方はお立ち寄り下さい。
http://www.asahi-net.or.jp/~xw7s-kn/paranoia/mousou007.html
次に紹介する不可解な言葉はロボットになってしまった時田のセリフ。粉川の夢の中、映画館でパプリカと粉川が話しているところにパレードが流れ込んでくるシーンです。ここでの時田のセリフは自分で考えておいて言うのもなんですがけっこう気に入ってます。
「シナプスに咲く恍惚は
パプリカ印の乳脂肪!
5%が鉄則!!」
「安全保証の補陀落渡海(ふだらくとかい)は
カニも夢みる非線形!
いざ行かん!」
気に入っている言葉は何といっても「補陀落渡海」。「ふだらくとかい」と読みますが、どのくらいの割合の人がこの言葉をご存じなんでしょうか。知らない方も多かろうと思ったんですが、意味のはまり方も響きも気に入っていたので、「知らない人がいても良し」と思ってわざと使ってみました。
広辞苑から引用します。
ふだらく‐とかい【補陀落渡海】
補陀落を目指して小舟で単身海を渡ろうとすること。中世、熊野灘や足摺岬から試みられた。
ではその「補陀落」も尋ねてみましょう。
ふだらく【補陀落・普陀落】
観世音菩薩が住む山。南海上にあるという。日本では和歌山県那智山などに擬する。補陀落山ふだらくせん。補陀落浄土。
現代人から見れば、要するに「補陀落渡海」ってのは「一人で船に乗って天国を目指す無謀な旅」みたいなものです。当時の人がどれほど強い思いとかリアリティがあったかどうかはともかく、辿り着けるわけもない旅です。そりゃそうですよね、国土地理院発行の地図上にはないんだから、「補陀落」なんてお浄土は。
つまりは端から死ぬと分かっているような(当時の人はそう思ってないでしょうけど)無謀きわまりない船旅なわけで、「安全保証の補陀落渡海」なんていうのはあり得ないわけですよ。ね?
だからこれも矛盾を孕む一文なんです。
でも、いいですよね、安全が保証されたお浄土への旅なんて。そんなものがあれば私だって行ってみたい。さながらネズミの国のアトラクションの一つみたいなもんです。
さて、では「安全保証の補陀落渡海」というのはどういう風に表されるか、というと直後に出て来ます。
時田ロボはパプリカの制止を振り切って映画館のスクリーンに突っ込んでその向こうに消えるわけです。遅れたパプリカがそこに手を突っ込んで引き抜くと、気持ちの悪い白い液体が両の腕にべっとりとまとわりついてくる。シナリオ段階では黒くてドロッとしたものをイメージしていたのですが、コンテ時に「白くてドロッとしたもの」にイメージを変更しました。
「白くてドロッとしたもの」というと、およそ想像がつく人も多いと思うのでそれ以上具体的には言及しませんが、つまりは「自己満足の世界」である、と。
ということは、本来生命の危険と引き換えにするような「補陀落渡海」のようなことでさえ、「安全保証」されたコンビニエントな自己満足に堕してしまっている、という現代のイメージを重ねているわけです。誰も知らなかったろうけど(笑)
そういう意味で見返してみると「シナプスに咲く恍惚はパプリカ印の乳脂肪!5%が鉄則!!」という言葉には、「脳内に濃厚な自慰的満足を咲かせてばかりいる」というイメージが重なっており、これもまたあながち訳の分からないことではないように思えてきますよね。
そういうことを背後に忍ばせておりました。後付じゃありませんからね(笑)
話は映画後半までジャンプしますが、時田ロボは後半でもなかなか良いことを言っております。
時田「魂の肥満はダイエット要らず!進め超人どこまでも!ハッ!」
敦子「時田君!目を覚まして!私よ!」
時田「おお!有史以来の待ち人、その笛の音はニューロンの癒し!」
敦子「そう!思い出して!私よ!時田君の好きな敦子!あっちゃん!」
時田「かぐわしき脂肪分は至上のランチ!」
言いつつ、のけぞるように敦子をさらに持ち上げて、パクリと呑み込んで
ゴクンと嚥下する。
時田「……ややスパイスに不足……欠如はパプリカ?」
クライマックスで時田ロボットが後々まで絡んでくる理由がなかなか浮かばなくて、呻吟を重ねてようやく出て来たのが時田ロボットが敦子を食べてしまう、というアイディアとこのセリフ。
「欠如はパプリカ?」
このアイディアが出たときは本当に感謝しました。
「ありがとう!オレ!」
説明するまでもありませんが、イカれていても時田は自分が欲しいものを誰よりもちゃんと分かっていた、ということでしょう。もっと言えば、イカれているからこそよく分かっていることもある、と。
で、この考え方も別に目新しいものではなくて、イカれた人にイノセントを求めるパターンの一つに過ぎませんが、私の場合はこのパターンのイメージソースになっている映画はこれ。
『まぼろしの市街戦』(LE ROI DU COEUR)監督フィリップ・ド・ブロカ/1967・仏
傑作です。是非見てください。
『ぴあ シネマクラブ』からあらすじを一応引用しておきます。
「第一次世界大戦中のパリ北方の村、ドイツ軍の仕掛けた時限爆弾を撤去する任務を負った伝令兵ブランピックが、その村にやって来ると、村人たちは皆避難していて、残っているのは動物と精神病院の狂人ばかりだった……」
ね?面白そうでしょ?
話が横へ暴走して申し訳ありませんが、最後にもう一つ余談。
『パプリカ』のプロモーションでパリを訪れたときのこと。『パプリカ』をフランスで共同配給する会社のプロデューサーがフィリップ・ド・ブロカ監督の遺作となる作品を担当した、ということでブロカの話題で盛り上がったんです。私は『リオの男』、特に『まぼろしの市街戦』が大好きだったので、ブロカの本国フランスでそんな話題になるだけで感激だったんです。
で、そのプロデューサーは言うわけですよ。
「ブロカ本人も自作では『まぼろしの市街戦』が一番好きだと言っていた」(もちろんフランス語で、私は通訳を介して聞いたのですが)、と。
私は涙が出ましたよ、ホントに。
しかもその日は私の誕生日でして、プレゼントとして私の生まれ年である1963年物のコニャックをいただきました。この素晴らしい贈り物にも感涙。
いやぁ、映画を作っていると、こういう楽しみに出会えることもあるんですねぇ……良かった、ホントに。
では。
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コメント(3)
パプリカ印の乳脂肪! 5%が鉄則!! P-MODELのヘルスエンジェルの歌詞っぽいですね。
2007/1/9(火) 午後 0:46 [ ham*za*i20*3jp ]
まさにその通りです。 「シナプスに咲く」なんて言葉の選び方も、“解凍後”のそっち系(笑)
2007/1/9(火) 午後 1:15 [ KON ]
そうだったんですか! よもや時田ロボットはネオテニーのbig bodyなんてことはないですよね? いや,白虎野(の娘)の出だしのリフが「のこりギリギリ」に聞こえてしょうがなかったり,捨てられたものの夢は「回収船」はもちろん,「heaven」や「カウボーイとインディアン」につながってしまったり,妄想が膨らむばかりです。
2007/1/10(水) 午前 10:42 [ ham*za*i20*3jp ]