では昨日の続きです。
●「有象無象」その2
パレードの有象無象にはアドバルーンの他にたくさんのものたちが出て来ます。
最初にパレードが登場するのは「紙吹雪が舞う中、冷蔵庫と郵便ポストなどを先鋒にして家電製品などが歩いてくる」というカット166。コンテのキャプションにはこう書いています。
「あまりに無差別に物を構成するのも難儀でしょうから、この一団は家電や家具などを中心に、日常生活に近い物たちと考えてください。」
そうなんです。色々なものを描くのは、描写そのものももちろん大変ですが、描くべきものを考えるのが結構大変なんです。脈絡のないものを散りばめても画面としての収束力みたいなものに欠けるので、ある程度まとまったイメージにしたい。またあまりに大きさがバラバラだと画面をまとめにくいし見づらいですし、サイズがあんまり小さいと画面映えがしない。かといって似通ったものばかり並べてもゴチャゴチャとした密度感に欠ける。さらには、描かれたものが何なのか分かるようでないと、さぞやお客さんもつまらないだろうから、ただの箱だとか円筒形を描くわけにもいかない。
アニメーションの場合、絵を単純化せざるを得ないですし、多くのものに質感を貼るのは作業的に大変に過ぎるので、たとえばステレオのスピーカーとかゴミ箱を描いたところで「ただの箱」にしか見えないので選択から外すことになる。
そうやって考えて行くと意外に描くものが限られてくるんです。
『パプリカ』の場合は私が絵コンテの段階でパレードで描くべきものの大半は絵にしたつもりですが、その際、闇雲にものを選ぶのが大変なので、カットごとにある程度イメージをまとめて考えやすくしました。そのよすがが「この一団は家電や家具などを中心に、日常生活に近い物たち」といった考え方です。
家具家電のカットの次が「カエルたちの楽団が浮かれたように行進の後から、招き猫や狸の置物などなどが続く」カット。こちらは「動物やそれに準ずる作り物を中心に」という考え方。
次が「解剖人体模型やマネキン、鬼やロボットなどなど人間に近い作り物たちを中心とした一団」のカット。
「動物やそれに準ずる作り物」とか「人間に近い作り物」は、よく遊園地とかテーマパークなんかで見かけられるものですよね。特にバブル華やかなりし頃に、雨後の竹の子よろしく日本全国各地に醜悪なテーマパークがたくさん作られました。そしてその多くが、いまや野ざらしの廃墟となって打ち捨てられている。もの悲しくもたいへん滑稽な廃墟。そうした捨てられたテーマパークの忘れられた作りものたちが隊列をなして帰ってくる、というイメージです。
その次が先のアドバルーンなども登場するカットで、少し引きサイズでパレードのアオリ。コンテのキャプションにはこうあります。
「(有象無象は)基本的には「何でもあり」なんですが、ここは「宗教的祭礼的なもの」「戦争にまつわるもの」などを中心に構成してください。紙吹雪、あります。ちなみに紙吹雪がどこから降ってくるのかは謎です。気にしちゃいけません。」
「宗教的祭礼的なもの」「戦争にまつわるもの」と並置しているあたりがささやかな皮肉ですな。西洋の鎧兜や日本の甲冑、鳥居と大仏と自由の女神などなど。
和洋折衷であれこれ描いたつもりだったんですが、海外の取材では何度か指摘されました。
「あのパレードはたいへん和風に見えた」
ま、地金が出てしまうあたりです。自分の中に無いものは出てこない、と。
見るには楽しいパレードも描く方はまったくもって大変でしたが、この一連のシーンを始め、『パプリカ』のパレードシーンの大半は三原三千夫さんという大変上手なアニメーターが担当してくれたので監督も作画監督もずいぶん楽をさせてもらいました。彼のプロフィールはここにありますので興味のある方はお立ち寄り下さい。
http://www.madhouse.co.jp/column/mhpf/mhpf_no025.html
後半のシーンで現実に現れたパレードが街の人々を巻き込んで行くあたりも三原さんが担当してくれて、非情に愉快なショータイムになっておりますが、それはまた後の「手引き」で触れたいと思います。
そうそう、一つ肝心なことを紹介し忘れていました。
パレードは何せ「やってくるもの」です。やってくる以上その道筋を考えなくてはなりません。
まずどこから来るのかですが、これはもう決まっています。パレードの初登場シーンが砂漠なんですから、出発点は砂漠の向こうにあるという、そう、あのガンダーラです。ゴダイゴの話はしなくていいよ別に、というツッコミは無しにしていただくとして、まぁ、ね、その、ほら……捨てられたものたちのパレードなんですから、ね? ゴミ捨て場から来るっちゃあ身も蓋もないんで…ま、無意識の彼方かな……多分。
最初に登場するのが「砂漠」、次が「密林」、その次が「大きな吊り橋」、その次が「氷室の夢の街」、そして最後が「現実の街」。こういう順番になっております。
一応、監督のイメージとしては、人間の社会からの距離で考えていたわけです。人間の街を最も作りにくいと思われる砂漠から密林を抜けて、(自然と人間界を繋ぐ)橋を渡って人間の街にやってくる、と。
橋を渡っているシーンで遠くに都市が見えたりするのは、パレードが都市に向かっている、というちょっとした伏線です。
じゃあ「橋」の次に出てくる「氷室の夢の街」というのは何だ?といわれると、これは氷室による「バーチャル」空間みたいなイメージでしょうか(まぁ、夢自体がバーチャル空間みたいなものなんですが)。
砂漠や密林や橋といってもこれは夢の世界にあるもので、ここから直接現実には出て来にくいように思えた。それで、バーチャル空間としての街を挟むことで「バーチャルな街/現実の街」という反転によって現実に出てこられるのではないか、といった少々苦しい解釈でした。
イメージとしては次のような感じ。
(現実の世界) 街
--------------=↑=--
(夢の世界) 砂漠→密林→橋→街(バーチャル)
「= =」がいわば小山内の死がきっかけで開いてしまった「穴」。
理想をいえば、「橋」と「(バーチャルな)街」の間に「田舎の村」とかを挟むといっそう分かりやすかったんでしょうけどね。尺や構成にその余地がありませんでした。
ははあ……本篇制作でそういう余地が足りなかったせいで、こうやってダラダラとネタバラシのテキストを書いてしまうのかもしれません。
すいません。次回はもう少しコンパクトにまとめたいと思っている……のは今だけかもしれません。では。
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コメント(1)
私はパプリカのチラシと予告編目当てにまったく関係ない映画を見に行きました。(笑・その映画も楽しめたのでよかったのですが。)「時かけ」を観に新宿まで行ったので(汗・夏休みだったから。。。)これでチラシは千葉ver.パプリカver.共にゲットです。予告編も大画面で見ると違いますね!ますます楽しみになってしまいました!!2月公開なので待ち遠しいです!! 監督の手引きにまったく関係ない内容ですみませんでした。
2006/12/27(水) 午後 10:21 [ ぱる ]