CHIBA CITYはなぜ世界的な「特区」となりえるのか?:千葉市長・熊谷俊人インタヴュー
国家戦略特区でいくつもの取り組みを進めている千葉市だが、幕張新都心で今年開催されたリサーチプロジェクト「METACITY」のキックオフカンファレンスでは、仮想の「WIRED特区」の可能性を市長・熊谷俊人と『WIRED』日本版編集長・松島倫明が議論した。テクノロジーやアートはいかに「特区」をアップデートできるのか? 熊谷へのインタヴューからは、千葉市が特区をもつことの世界的ポテンシャルが浮かび上がった。
TEXT BY MICHIAKI MATSUSHIMA
PHOTOGRAPHS BY KOUTAROU WASHIZAKI
TARO HAMA@E-KAMAKURA/GETTY IMAGES
──千葉市として全国の市政をけん引するかたちで先進的な取り組みを続けてこられてきて、国家戦略特区もつくられています。こうした特区をもつことの意味、さらにはコンセプトとしての「特区」に期待することをお聞かせ下さい。
幕張新都心は、まだアジアでコンヴェンションなんてできていない時代に、日本にアジア最大級のコンヴェンションホールをつくるんだといってドーンとつくったわけですね。そういう意味で、世界の最先端がここに来るんだと。世界のあらゆるものが日本で最初にここで感じられるという場所として、幕張新都心をつくったと思っています。
──そこがすでに特区だったんですね。
そう、当時で言う特区だと思うんです。だから、われわれは常に特区であり続けるということが、幕張新都心に課せられた役割だし、国際空港と東京の間に位置しているという意味で、それは日本にとっても価値のあるポジショニングだと思います。だからこそ、テクノロジーやアートも含めた世界の潮流、さらにはそれを生かした都市の姿なども、ぜひ提示していきたいと思います。
熊谷俊人|TOSHIHITO KUMAGAI
千葉市長。1978年生まれ、神戸市出身。2001年早稲田大学政治経済学部卒業、NTTコミュニケーションズ入社。2007年5月から2年間、千葉市議会議員を務め、2009年6月に千葉市長選挙に立候補し当選。当時全国最年少市長(31歳)、政令指定都市では歴代最年少市長となる。現在3期目。娘・息子・妻と4人家族。趣味は登山、詩吟、歴史。
──テクノロジーですとか、あるいはアートみたいなものが都市運営においていかにして市民の人々に寄与できるのか、ご自身のテクノロジー観、あるいはアート観というものをお聞かせいただけますか?
わたしは、日本がいま、テクノロジーに対してものすごくネガティヴな感じがするんです。例えば人工知能について語るとき、よくみなさんが口にするのは、どちらかというと脅威論が多くて。仕事を奪うとか。
──テクノロジーに血が通ってない印象があります。
常にそうなんです。学校とかPTAとか教育とか、あらゆる会合で枕詞のように出るのは、「ITが進んだことで子どもの環境が変わってしまい、いままでになかった課題が浮き彫りになった」といった、ITの進展によって社会が常に課題に直面しているといったものばかりなわけです。例えばLINEによっていじめが出て、とかね。
わたしからすると、それってツールだから、むしろLINEによって顕在化されただけだと思うんだけれども、まるで人間そのものが変わってしまった、それも悪い方向に、といった具合です。これはちょっとジブリに失礼なんですけれども、わたしは「ジブリズム」と言っているんです。つまり、儒教とジブリって共通していて、昔のほうがいいという思想です。
テクノロジーへの空虚な危機感
テクノロジーの弊害みたいなものに対して、日本はこの20〜30年、ものすごくネガティヴになってしまったと思うんです。でも、そんな人たちもスマートフォンを使っているし、テクノロジーの恩恵にあずかっているのに、口ではテクノロジーに危機感を募らせている。結果的にどうなったかというと、日本発じゃないテクノロジーに染まりきった生活になっていて、自分たちでテクノロジーの潮流がつくれていない状況だと思うんです。
わたしはそれは克服したい。やはりテクノロジーには当然いい面も負の面もあるけれども、社会はそれによって進んできたし、それがない生活というのは考えられないし、みんな受け入れているわけですから。だから、その先を切り拓いていくような社会であってほしいと思っているので、わたしはテクノロジーに関しては基本的にウェルカムです。
その上で、例えば学校にスマートフォンを持っていくか否かも、ゼロか100かの議論ばかりしているけれど、スマートフォンを調べれば、親がカスタマイズをいっぱいできるんです。わたしは自分の子どもにスマートフォンをもたせていて、GPSを使える、LINEはわたしにだけできる、写真は使える、でもブラウザーは使えないとか、細かくカスタマイズしています。
つまり、そういうことも含めてちゃんとテクノロジーを知っていれば、その負の部分をどうコントロールするかもわかるはずなのに、最初からテクノロジーにネガティヴだから、そこすら越えられてない感じがしています。われわれは街として、テクノロジーに関してはまず積極的にコミットしていこうよと。その上でいいところを引き出していくし、悪いところはコントロールしていく、というのがわたしのテクノロジーに対する考え方です。
行政のアートの認識は遅れている
それからアートに関して言えば、少なくとも行政という立場からは、アートに対しては自己表現だとわたしは思っているんです。自己を表現するということは自己肯定感を高めるための最高の手法だと思うんです。誰だって自分の描いた絵が「これいいね」と言ってもらえれば、ものすごく充実感を得られる。音であれ、絵であれ、踊りであれ、自分の思いも含めてあらゆるかたちで自分を表現するわけじゃないですか。どんな人でもそのときの自分が表現したいものを表現できる、それが受け入れられる社会というのは、最高にハッピーになると思うわけです。
しかし、行政のアートの認識ってすごく遅いんです。例えば、「METACITY」のようなものを行政的にアートだと認定するのってすごくあとですよね。常に20年から30年ぐらい遅いんです。例えば映画『ボヘミアン・ラプソディ』は、たぶん10年前だと日本ではヒットしないわけです。クイーンがいわゆるアートに属することがようやく認められ始めてきた段階だからこそ、このブレイクだと思っていて。
でも、クイーンはどう考えたって歴史に残るミュージシャンじゃないですか。でも、行政とかはまだ追いついてないですよね。行政が税金でクイーンの世界を支援するといったら、まだ問題になるかもしれない。日本はまだ、吹奏楽、クラシックと、せいぜいジャズまで来ましたという程度なわけです。
──まだ60年代、70年代。
別に最先端の話を言っているわけじゃないんです。世間の普通のアートの潮流からしても、やはり1、2世代遅れている。そうすると、結局いまの潮流のアートをやっている人たちは、社会から認められているとはなかなか感じにくいわけです。わたしはその最先端を行政が行く必要はないと思っています。でも、もう明らかにこれはアートとして、ちゃんと文化として残るものだと言えるときには、社会として「これ、いいよね」「この表現手法を子どもたちはどんどんやればいいじゃない」といって、表現する場も与えていきたいなと思っているので。


