お好み焼きの味の決め手となる「ソース」。戒律で酒や豚肉などを口にできないイスラム教徒も安心して使えるハラル対応の商品をオタフクソース(広島市西区)が開発し、お好み焼きとともに東南アジアで支持を広げている。マレーシア工場で生産されたソースの売り上げは年間1億円に届く勢いだ。本場・広島の味は、世界の味になるのか。【中島昭浩】
汗と涙のハラル認証取得
「ハラル対応のソース作りは、材料探しから始まった」。開発の中心になった吉広空さん(35)は振り返る。
1952年からお好み焼き用ソースを製造するオタフクソースが海外進出したのは約20年前。お好み焼きの作り方を広めながらソースを輸出し、2013年には中国・青島と米ロサンゼルスで工場を稼働した。どこの国でも手に入りやすい小麦粉やキャベツにそれぞれの土地の食材を加えて作れるため、お好み焼きをメインメニューにする飲食店は海外に約330軒あるという。
だが、マレーシアの人口の6割を占めるなどイスラム教徒が多い東南アジアに打って出るには課題があった。野菜と果実をベースに20種類の香辛料をブレンドするお好み焼き用ソースには、かすかな香りづけのためのアルコールや味に厚みを持たせる肉エキスも使われている。どうすれば宗教の壁を越えることができるのか。現地工場の稼働を半年後に控えた16年2月、吉広さんの挑戦が始まった。
コストを抑えるため、原材料はマレーシアで入手できるものに限られる。現地と日本を月に1回以上往復し、材料の調達と試作、試食を繰り返した。試した材料は50種類。肉エキスの代わりにカツオとカキのうまみ成分を使い、アルコール成分が含まれていないかを厳密にチェックした。ソースの甘みとコクを出すためのデーツ(ナツメヤシ)は使い勝手の良さを重視し、日本で使っているのとは違う果汁タイプに決めた。甘みに奥行きを持たせるためブラウンシュガーも加えた。「日本のソースに近く、現地人が好む全体的に濃いめでかつ甘口」のソースが完成したのは、工場が稼働する1カ月前だった。
爆発的売れ行き
基準が厳しいことで知られるマレーシアの政府機関による原材料や製造工程の審査を経て17年3月、イスラム教徒が安心して食べられることを示す「ハラル認証」を取得した。17年夏に開かれた現地日本人会主催の盆踊り大会で、オタフクソースが「ハラル」と掲げたお好み焼き店を出すと評判を呼び、ソースは飲食店で現地料理の揚げ物にも使われるようになった。
マレーシア工場で生産できるお好みソースは年間約31万リットル(18年)と日本国内の100分の1だが、イスラム教徒が多いインドネシアやブルネイにも輸出され、今年9月までの1年間の売り上げは前年同期の1・6倍の9280万円に達した。国際事業本部長の宮田裕也さん(50)は「需要に供給が追いつかない状態です」。二つ目の工場をつくる計画もある。
9月までの海外の年間売上高は21億円で、全体に占める割合は8%に過ぎない。飲食店向けの業務用だけでなく、家庭向けの販路拡大を見据えてお好み焼きの作り方を指南する教室も開いており、宮田さんは「お好み焼きを世界で食べられるボーダーレスフードにしたい」と話している。
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2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会は9日、パラリンピック開閉会式に出演する400人超の「キャスト」を公募すると発表した。対象は来年4月1日時点で6歳以上。10日正午から来年1月10日午後11時59分まで公式サイトで受け付け、組織委による審査を経て3月下旬に合格者へ通知する。共生社会の実現をコンセプトに、組織委は障害のある人の応募を呼び掛けている。
募集は、主役となる個人の「リーディングキャスト」(5~10人)▽個人やグループでダンスなど特技を披露する「オリジナルキャスト」(約20人)▽集団でのパフォーマンスを担う「マスキャスト」(400人規模)――の3種類。書類と動画で行う1次審査と、面接などの2次審査を経て合格者を決める。
審査委員を務めるクリエーティブディレクターの佐々木宏さん(65)は「ライバルは五輪の開閉会式。パラリンピックでしかできない、『パラリンピックならこんなものだろう』という想像を裏切る式にしたい」と意気込みを語った。
また、ともに演出家のケラリーノ・サンドロヴィッチさん(56)が開会式、小林賢太郎さん(46)が閉会式の演出を担当することも発表された。【芳賀竜也】
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現在開かれている臨時国会については政府・与党は会期を延長せず、予定通り9日に閉会する方針です。一方、野党は40日間の延長を求めています。
野党の会期延長要求は異例
国会は政府提出法案がどれだけ成立するかが焦点です。野党にとっては政府提出法案を成立させないことが得点になります。
会期を延長すれば法案が成立しやすくなるので、通常は野党は延長には反対する立場をとります。一方で政府・与党が会期を延長することは珍しくありません。
今回のように野党が延長を求めるのは異例のことです。
年末年始で忘れてもらいたい?
理由はいうまでもなく、桜を見る会をめぐる攻防です。
国会が閉会してしまえば、野党は安倍晋三首相や閣僚に対して質疑をし、追及する機会を失います。関係者を参考人などで国会に呼ぶこともできなくなります。
「閉会中審査」といって国会閉会中にも委員会審議を行うことはできますが、政府・与党はなかなか応じません。
「桜を見る会」をめぐっては政府・与党は防戦一方です。野党が国会を延長したい理由の裏返しで、政権は一刻も早く国会を閉じたいのです。
そして年末年始を越せば、年が変わって「世間の雰囲気も変わる」ことを期待しているのです。(政治プレミア編集部)
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8日午後6時55分ごろ、さいたま市桜区道場2の団地の一室で、この部屋に住む安保王子(あんぼ・きみこ)さん(24)と息子の大翔(はると)ちゃん(3)が血を流して倒れているのを埼玉県警浦和西署員が見つけた。2人は上半身に複数の刺し傷や切り傷があり、搬送先の病院で死亡が確認された。署員が部屋に駆けつけた際、包丁を突きつけたとして、同居する無職の兄、安保友佐(ともすけ)容疑者(25)を公務執行妨害容疑で現行犯逮捕。安保容疑者は2人の死亡について関与を認めるような話をしており、殺害した疑いでも捜査している。
安保容疑者は2人と兄、母親の5人暮らしで、兄と母親は外出中だった。
同署によると、同日午後6時10分ごろ、団地の住民から「(近くの部屋から)赤ちゃんの泣き声が聞こえる」と110番があった。署員が駆けつけたところ、部屋から出てきた安保容疑者が包丁を突きつけたため取り押さえた。安保容疑者の着衣には血痕がついており、両手にけがをしていたという。その後、署員が室内を調べて2人を見つけた。【鈴木拓也】
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福岡市のNGO「ペシャワール会」現地代表で医師の中村哲さん(73)の遺体を乗せた旅客機は9日午前、羽田空港から福岡空港に到着し、妻尚子さん(66)と長女秋子さん(39)らと共に古里に戻った。中村さんの遺体はアフガニスタンの首都カブールからアラブ首長国連邦のドバイを経由し、8日夕、成田空港に帰国、同日中に羽田空港に移動していた。
福岡空港で記者会見したペシャワール会の村上優(まさる)会長(70)は「中村先生が亡くなられた喪失感が圧倒的で、悲しいの一言に尽きる」と声を詰まらせた。その上で「中村先生が実践してきたすべての事業を継続し、彼が望んだすべてを引き継ぐ」と述べ、会としてアフガニスタンでの人道支援活動を今後も続ける考えを改めて強調した。
一方、空港展望デッキには中村さんの写真や花束を手にした九州在住のアフガニスタン人ら約40人が集まり、遺体を出迎えた。中村さんが造った用水路や作業風景の写真が張り付けられた横断幕には「守れなくて申し訳ない」「あなたは私たちのヒーローです」といったメッセージも書かれていた。佐賀県多久市のハジール・ジハンさん(46)は「私たちも心が苦しいと伝えたくて声をかけた。中村さんを殺した人は人間ではない。(中村さん)ごめんなさい」と悲しんだ。
国内在住のアフガニスタン人は、成田空港に遺体が到着した8日も約60人が同空港ロビーに集まった。日本に住んで約20年になる茨城県坂東市の自動車関連業、メンザイ・サレ・ムハマドさん(48)は「先生のおかげで多くのアフガン人が助けられた。先生みたいな人はいない」と感謝の思いを繰り返した。
成田空港の駐機場でひつぎに黙とうをささげたバシール・モハバット駐日大使は取材に「守れなくて、こういう結果になって残念で、お悔やみ申し上げます。アフガン人はみんな中村先生のことを愛していたのでみんな泣いている。アフガン人それぞれの心に英雄として永遠に残るでしょう」と話した。
遺体は福岡県警大牟田署に移送され、10日に久留米大で司法解剖される予定。11日に福岡市中央区で合同葬が開かれる。【石井尚、中村宰和】
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8日午後9時20分ごろ、浜松市浜北区染地台1の住宅から「家族が刃物で刺されたようだ」と110番があった。静岡県警浜北署によると、この家に住む会社役員、中田強太さん(38)が自宅敷地内で男に刃物で刺され、約1時間後に搬送先の病院で死亡した。男は乗用車で逃走したとの目撃情報があり、県警は殺人事件として緊急配備し、行方を追っている。
県警によると、中田さんが自宅を訪ねて来た男に応対しようと外に出たところ、刺されたという。現場には血の付いた刃物が残されていた。
現場は東名高速道路浜松インターチェンジから北西に約5キロの住宅街。【福沢光一、池田由莉矢】
イタリア・トリノで行われたフィギュアスケートのジュニア・グランプリ(GP)ファイナルで、男子ショートプログラム(SP)3位の佐藤駿(埼玉栄高)がフリーで177・86点、合計255・11点をマークし、逆転優勝を果たした。日本選手の優勝は、2005年の小塚崇彦、09年の羽生結弦(ANA)、14年の宇野昌磨(トヨタ自動車)に続いて4人目。アクセルに次いで難易度の高いルッツを含む2種類の4回転3本を跳んで、栄冠を手にした。
7日のフリーの演技後、取材を受けていた佐藤に指導する日下匡力コーチが駆け寄った。「やった、駿。かっこいいぞ、お前」。SP首位で最終滑走のロシア選手が2位となり、佐藤が逆転での王者に輝いた瞬間だった。
「ロミオとジュリエット」が流れる中、演技冒頭で今夏から練習に取り組んだ4回転ルッツを難なく着氷すると、4回転―3回転のトーループ、4回転トーループもミスなく決めて流れに乗った。目標は表彰台だったが、一番高いところへ上り、「驚いています」と照れくさそうに笑った。
仙台市出身の15歳で、尊敬するスケーターはもちろん同郷の羽生だ。幼稚園の頃に羽生からペンダントをもらい、試合の時も大事に身に着けている。表彰式前には羽生から「ペンダント、今でも着けてくれていたんだね」と話しかけられたという。
日下コーチは「練習から足に負担のかかるような無駄なジャンプは跳ばない。考えて練習ができる子」と評価する。取材には恥ずかしそうに答えるが、氷の上に立てば性格はがらりと変わる。
技術点98・22点はジュニアの中では群を抜き、シニアでも実力者たちに迫る数字だ。「将来の夢は五輪での金メダル」と語る日本の新星は、18日に開幕する全日本選手権で一気に上位を狙う。【トリノ倉沢仁志】
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台風19号の影響で大部分が不通となった第三セクターの三陸鉄道(岩手県宮古市)が、2011年3月の東日本大震災による津波で壊滅的打撃を受けて以来の危機にあえいでいる。三陸鉄道では「釜石と盛の間は通常通りに戻り、洋風こたつ列車などの企画列車も走らせるので、ぜひ足を運んでほしい」と呼びかけている。【米田堅持】
全線不通ではない
「台風被害で、動かないというイメージがあるのか、観光客などがさっぱり……」と冨手淳・旅客営業部副部長は頭を抱える。
台風19号は、ラグビー・ワールドカップ(W杯)日本大会で盛り上がる岩手県釜石市などを直撃。10月13日に釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアムで開催予定だったカナダ―ナミビア戦が中止になり、盛り上がりを期待した地元に文字通り水を差した。
三陸鉄道も3月に旧JR山田線の宮古-釜石間(55.4キロ)が移管されて、全長163キロの日本一長い第三セクターのリアス線として新たな出発をしたばかりで、ラグビーW杯を契機に復興をアピールするはずだった。
しかし、台風19号の影響で77カ所で線路が土砂や岩で埋まったり、レールを支える路盤が流出したりするなど、約7割の区間で運行不能となり、復旧費用は20億円とみられている。ツアーなどの予約キャンセルは10月だけで約1000万円にのぼり、代行バスの費用も1日あたり約70万円かかっており、苦しい状態だ。
11月28日に津軽石―宮古(9.2キロ)が復旧し、現在は田野畑-田老(22.9キロ)と津軽石-陸中山田(17.3キロ)で、年内復旧に向けて工事を進めている。また、被害のひどかった久慈-田野畑(35.4キロ)と陸中山田-釜石(28.9キロ)の工事が行われており、20年3月の全線復旧をめざしている。
旧南リアス線区間では洋風こたつ列車に初日の出号
三陸鉄道も運行できる区間での集客をするため、被害を受けなかった旧南リアス線区間の釜石-盛(36.6キロ)で洋風こたつ列車を14日から週末に走らせる。そのため、台風被災当時は宮古にあったレトロ車両2両を盛岡、花巻を経由する迂回(うかい)ルートで釜石へ回送した。
震災では津波で3両が使用不能となったが、台風19号では車両が無事で、旅客や社員の被害もなかった。
「ありがたいことに義援金もこれまでに2600万円あまりが寄せられた」という冨手さん。ただ、三陸鉄道がいちばん欲しているのは旅客だ。冨手さんは「毎月、被災した区間も順次復旧している。元旦には令和最初の初日の出を見る『三鉄初日の出号』も走らせる。ホームページで時刻表を確認して、ぜひ乗りに来てほしい」と、改めて乗車を呼びかけている。
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皇后雅子さまは9日、56歳の誕生日を迎えられ、宮内庁を通じて文書で感想を公表した。療養生活が続くなか皇位継承に伴う儀式など東京都内や地方で臨んだ行事を振り返り、「各地で出会ったたくさんの笑顔は、かけがえのない思い出として心に残り、大きな支えになってくれるものと思います」と感謝の気持ちをつづった。
皇后さまは、天皇陛下の即位関連儀式を終えたばかりの心境を「無事に(陛下と)ご一緒させていただけたことに安堵(あんど)し、うれしく思う」と明かした。一般参賀(5月4日)では約14万人から祝福され、約12万人が都心の沿道に詰めかけた祝賀パレード(11月10日)では涙を拭う場面もあった。「多くの国民から、思いがけないほど本当に温かいお祝いを頂いた」と感謝した。
国民の気持ちの背景に上皇ご夫妻の歩みがあるとして、「国民と苦楽を共にされ、長きにわたって国民に寄り添われ、お務めを果たされたことによるところが大きい」との思いを記した。
文書では、台風19号などの被害を案じ、プラスチックゴミなど環境問題や子供の虐待問題、世界の紛争や内戦に「心が痛む」とした。アフガニスタンで医師の中村哲さんが命を落としたことにも「とても残念でした」と言及した。
皇后さまの療養生活は2003年12月から続く。「健康の一層の快復に努めながら、陛下とご一緒に、国民の幸せに力を尽くしていくよう努力したい」と皇后としての思いをつづった。
医師団は例年通り「体調には波がある」としたうえで「過剰な期待を持たれるとかえって逆効果となり得る」との見解を示した。
皇后さまは9日、陛下とともに皇居などで開かれる誕生日行事に臨む。【和田武士、高島博之】
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皇后雅子さまが56歳の誕生日に合わせて、宮内庁を通じて発表した感想の全文は次の通り。
今年は、30年以上にわたる平成の御代(みよ)の終わりに上皇陛下がご退位になり、5月初めに天皇陛下がご即位になって、新しく令和の御代になりました。誕生日を迎えますのにあたり、時代の節目となった今年を振り返りますと、深い感慨に包まれます。
年の初めから、上皇陛下のご即位30年、上皇、上皇后両陛下ご結婚60年をお祝いするさまざまな行事や、退位礼正殿の儀をはじめ、上皇陛下のご退位に関わるさまざまな行事がございましたが、平成最後のお務めの一つ一つを、それまでとお変わりなく、お心を込めて大切にお務めになるお姿が深く心に残っております。
5月1日の天皇陛下のご即位以降、ご即位に伴う一連の行事を陛下がご無事にお済ませになり、私も、陛下のお力添えを頂きながら、一つ一つの行事に無事にご一緒させていただくことができましたことに安堵(あんど)し、うれしく思っております。上皇、上皇后両陛下には、ご在位中から、陛下のご即位関連行事をはじめ、お代替わりが円滑に進むようにとのお心遣いとお導きを賜りましたことに深く感謝申し上げます。また、さまざまな行事の準備にご尽力いただいた方々に厚く御礼を申し上げます。
天皇陛下のご即位以来、5月の皇居での一般参賀や、11月の国民祭典、祝賀御列の儀などの折に、多くの国民の皆様から、思いがけないほど本当に温かいお祝いを頂きましたことに、心から感謝しております。また、この7カ月の間に、地方への訪問、都内での行事などを通して、国民の皆様と接する中で、多くの方々から温かいお気持ちを寄せていただいたことをうれしく、またありがたく思いながら過ごしてまいりました。日本国内各地で出会ったたくさんの笑顔は、私にとりましてかけがえのない思い出として心に残り、これからの歩みを進めていく上で、大きな支えになってくれるものと思います。
同時に、このような国民の皆様の温かいお気持ちは、平成の御代の間、上皇、上皇后両陛下が国民と苦楽を共にされながら、長きにわたって国民に寄り添われ、ご立派にお務めを果たされたことによるところが大きいものと深く感謝しております。そして、これからの日々、陛下とご一緒に、国民の皆様の幸せを常に願いながら、寄り添っていくことができましたらという思いを新たにしてまいりました。
そのような中にあって、10月の台風19号など、今年は幾つもの災害が重なり、日本国内の広い範囲が大きな被害に見舞われたことは大変残念なことでした。犠牲になられた方も多く、深く心が痛みます。ご遺族のお悲しみはいかばかりかと思いを寄せ、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。また、被災された方も大勢おられ、寒さが募る中、さまざまなご苦労が絶えないことと案じております。今後、復旧が順調に進み、被災された方々に安心できる生活が一日も早く戻ることを心から願っております。
近年、日本のみならず、世界各地でも水害や山火事などの自然災害が多く発生しており、地球温暖化や気候変動などの問題が現実のこととなりつつあることが案じられます。また、日本では、気候関連の災害の他にも、南海トラフ地震や首都直下地震などの大地震も予測されており、さまざまな面から防災対策を進めていくことがますます大切になってきているように思われます。
プラスチックゴミなど多くの環境問題や、日本国内の貧困や子供の虐待などの問題、また、世界で紛争や内戦が続いていることなどにも心が痛みます。このことに関連して、アフガニスタンで長年にわたり医療活動やかんがい施設の整備などを行い、復興の支援をされてきた中村哲氏が、最近現地で命を落とされたこともとても残念なことでした。人々が安心して暮らせる平和な世界が実現することを願ってやみません。
一方、今年を振り返りますと、さまざまな明るい出来事もありました。特に最近では、日本で初めて開催されたラグビー・ワールドカップ2019日本大会で、「ワンチーム」として活躍した日本選手をはじめ、各国選手による世界トップレベルの試合に日本中が沸き、試合が開催された各地で各国選手団と地元の方々との心温まる交流が広がるなど、とても良い大会になったことをうれしく思いました。また、東日本大震災で被災した(岩手県)釜石市でこの大会の試合が行われたことも喜ばしいことでしたが、その釜石市が残念ながら台風19号の被害を受けた時には、試合が中止になったカナダの選手団が泥の除去作業などのボランティア活動をされ、ナミビアの選手団は合宿地の宮古市で交流会を開き被災者らを励まされたことも心に残る出来事でした。
学術の分野では、吉野彰さんがノーベル化学賞を受賞されました。日本の研究者の方々の研究の成果が広く世界に認められ、ノーベル賞受賞が近年続いていることを喜ばしく思っております。
来年は、いよいよオリンピック・パラリンピック競技大会が東京で開催されますが、ラグビー・ワールドカップ2019日本大会のように、スポーツの素晴らしさを目の当たりにすることができるのみならず、多様な背景を持つ世界の人々がお互いを尊重し合い、友好を深める良い機会になるとともに、東日本大震災の被災地にとっても大きな力になるような大会になることを願いたいと思います。
愛子は、早いもので今年高校3年生になり、先日18歳の誕生日を迎えました。残り少ない高校生活の中で、勉強のみならず、運動会や文化祭などの学校行事にもお友達と一緒に楽しく取り組んでいます。これから高校を卒業しますと、今まで以上に、さまざまな経験を積み重ねながら視野を広げていく時期になると思いますが、これからも感謝と思いやりの気持ちを大切にしながら、いろいろな方からたくさんのことを学び、心豊かに過ごしていってほしいと願っています。
天皇陛下には、ご即位されて以来、皇居宮殿での儀式などにとてもお忙しい毎日をお過ごしでいらっしゃいます。顧みますと、上皇陛下には、80代半ばを迎えられていた今年4月まで、このように重いご公務を毎年欠かさずお務めになっていらっしゃいましたことに深い敬意の念を新たにいたします。また、上皇后陛下には、平成の御代の間、皇后としてのお務めを果たされながら、上皇陛下を常におそばでお助けになり、上皇陛下のお力になってこられました。上皇后陛下には、今年ご手術をお受けになり、ご案じ申し上げましたが、上皇、上皇后両陛下には、これからもくれぐれもお体を大切になさり、永くお元気にお過ごしになりますよう、心よりお祈り申し上げます。そして、ご譲位後も私たちの歩みを温かくお見守りいただいてきましたことに深く感謝申し上げます。
天皇陛下には、お忙しい中でもいつも私の体調をお気遣いくださいますことに心より感謝申し上げます。私も、天皇陛下のお務めの重さを常に心にとどめ、陛下をおそばでお助けできますように健康の一層の快復に努めながら、皇后としての務めを果たし、陛下とご一緒に、国民の幸せに力を尽くしていくことができますよう努力してまいりたいと思っております。
この機会に、特に今年、国民の皆様からお寄せいただいた格別の温かい祝福のお気持ちに、重ねまして厚く御礼申し上げます。
皇后雅子さまの誕生日に公表された医師団見解
皇后陛下におかれましては、これまで東宮職医師団が説明してまいりました基本的な考え方を踏まえながら、引き続きご治療を継続していただいております。
本年は、上皇陛下のご退位、そして天皇陛下のご即位という特別な年となった中で、即位礼正殿の儀や大嘗祭(だいじょうさい)をはじめ、神宮に親謁(しんえつ)の儀などを含む、ご即位に伴う全ての諸行事のほか、6月の愛知県行幸啓、9月の秋田県、新潟県、茨城県行幸啓と、4度の地方行幸啓をお務めになりました。また、アメリカ合衆国大統領ご夫妻やフランス国大統領ご夫妻をはじめ外国賓客をお迎えする行事をお務めになったほか、全国赤十字大会にご臨席になるなど、多くの行事に取り組まれました。これは、さまざまな工夫を重ねられながらご体調を整えられるなど、皇后陛下のご努力によるところが大きいと考えております。
また、皇后陛下には、学習院女子高等科で楽しく充実した学校生活を送っておられる愛子内親王殿下を、母親として温かく見守られ、支えていらっしゃいます。
皇后陛下には、こうしたご活動を一つ一つ着実に積み重ねていらっしゃることがご自信となり、それがご活動の幅の広がりにつながってきていると拝察し、医師団としても望ましいことと考えております。加えて、ご活動に当たり、例えば、祝賀御列の儀や地方ご訪問の際に、直接おふれあいになる方々からの温かい声や反応に元気づけられておられるようにもお見受けいたします。
一方で、東宮職医師団がこれまでまいりましたように、皇后陛下には、依然としてご快復の途上にあり、ご体調には波がおありです。そのため、大きい行事の後や行事が続かれた場合には、お疲れがしばらく残られることもあります。本年は、天皇陛下のご即位に伴う諸行事を中心に、特に強い責任感を持ってお務めに取り組んでこられましたが、これをもって過剰な期待を持たれることは、今後のご快復にとって、かえって逆効果となり得ることをご理解いただければと思います。これもまた、かねてから皆さまにお伝えしているところではありますが、私的な部分でもご活動の幅を広げていっていただくことが大切だと考えております。
皇后陛下には、これまで同様、周囲の方々の理解と支援をお受けになりながらご治療を続けていただくことが大切ですので、引き続き温かくお見守りいただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
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プロ野球・巨人や米大リーグ・レッドソックスで活躍し、今年5月に現役を引退した上原浩治さん(44)の引退パーティーが8日、大阪市内のホテルで開かれた。大学関係者から指導者として母校への復帰を熱望されたが、上原さんは「今は何をやりたいかが分からない。本当に何も決まっていない」と話した。
パーティーは母校・大体大硬式野球部OB会(藤瀬史朗会長)が主催し、同校OBや野球部員ら約230人が集まった。上原さんは大学時代を振り返り、「『こんなに練習しないのか』とびっくりして自分で練習した。チームメートを誘って練習したから、チーム全体で強くなれた」と懐かしんだ。
大阪府寝屋川市出身の上原さんは東海大仰星(現東海大大阪仰星)高から1浪し大体大に進学。阪神大学野球リーグで140キロ台後半の直球とスライダーを武器に活躍し、1試合21奪三振、通算36勝、13完封のリーグ記録はいまだ破られていない。【伝田賢史】