109年の歴史に幕「宇高航路」瀬戸大橋開通後30年存続 なぜいま「休止やむなし」なのか

岡山県の宇野港と香川県の高松港を結ぶ「宇高航路」が、109年の歴史に幕を閉じます。瀬戸大橋の開通後も、多いときには24時間体制で運航されるほどでしたが、それから30年が経過したいま、なぜその役割を終えようとしているのでしょうか。

瀬戸大橋開通後も「3社競争・24時間体制」だった宇高航路

 宇野港(岡山県玉野市)と高松港(高松市)を結ぶ四国急行フェリーの「宇高航路」が、2019年12月15日(日)の運航をもって休止されます。瀬戸大橋の開通から約30年、一時は24時間体制で運航されていたフェリーは、いまや1日5往復に激減し、静かに最後を迎えようとしています。なぜ瀬戸大橋開通後も30年の長きにわたって運航を保ち、いまその役割を終えようとしているのでしょうか。

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四国急行フェリーの「第一しょうどしま丸」(2019年11月、宮武和多哉撮影)。

 宇高航路そのものの開設は、109年前にさかのぼります。1910(明治43)年、現在のJR宇野線の開通にともない国が開設し、1988(昭和63)年の瀬戸大橋開通まで、本州と四国を結ぶ「鉄道連絡船」としての役割を担いました。かつては多くの特急列車などが宇野駅に乗り入れ、船に連絡し、また高松駅からの列車に連絡していたのです。船から列車の座席を確保するために乗客が繰り広げた「高松ダッシュ」、あるいはその反対の「宇野ダッシュ」は、四国の旅の名物イベントでもありました。

 旧国鉄の連絡船に並行する民間航路のひとつとして1956(昭和31)年に開設されたのが、現在の四国急行フェリーの航路です。1988(昭和63)年に瀬戸大橋が開通し、本州と四国が橋で結ばれた後も、重要な交通手段であり続けました。

 国鉄からJRへ引き継がれた連絡船は廃止されますが、その後も民間のフェリーによる競合は続き、最盛期には3社(四国フェリー〈のちに四国急行フェリー〉、日通フェリー〈のちに本四フェリー〉、宇高国道フェリー)がそれぞれ20分から30分間隔、24時間体制で運航していました。高松港は3社の乗り場がそれぞれ巨大な電飾看板などで飾られ、種々のアナウンスや誘導の声が飛び交い、静まり返る時間帯がないほど慌ただしい場所だったのです。

【写真】かつてあった「宇高うどんフェリー」とは

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コメント

1件のコメント

  1. 先ずは本四橋が自動車専用と言う辺りから診ないとダメだよね
    記事に記されてるように大橋を使えない特定重機や125cc以下の原付二種に原付
    大の虫を生かすに小の虫を殺すのはいかがなものかと思うけどね
    何かと高松港を高速道路へのアクセスで量る風潮もあるけど、実際に関西方面から岡山を経て2号国道から宇野港に向かうほうが私自身は運転の疲労は感じないし、高松なら早島方面から瀬戸大橋を経て坂出から高松に引き返すほうが面倒に感じるしね
    確かに小豆島経由や他の離島経由の選択もあろうが宇高航路の価値はそんなところではないし少し自治体も鈍感すぎるのではないかな?
    春先に宇野からの一番船に車を載せて高松に渡ったけどトラックも乗用車も徒歩客もそこそこ乗ってたし私の5m超の車も5m未満の料金で載せてくれたりで今時こんな親切な乗り物が殺がれてしまうのは残念だね
    今一つこの航路を廃止にする理由が粗削りすぎて互いに関わる県や市に関わる自治体の鈍足と言うか?そこまで手の施しようのない匙を投げるような航路でもないと思うのだが視野が狭いってのはこんなもんだろ