花鳥風月
晴れ。
わんわんが無事に見つかり、胸をなで下ろした。
病院に帰るなり、何だかトンデモナイ時間だけど「薬取りに来た」。
普段ならボロクソ言う所だけれど、文句も言わずに渡したよ。
この3日間、馬鹿みたいに歩き回った所為で、両脚の股関節が激痛、左足首は例の如く捻挫状態、太腿もパンパン…しばらく車イスの老人をやっています。
明日から、平常通り診療いたします。
拝。
今回の顛末とか、反省とか愚痴とか。
「ごめんな!わんわん!おまえを!あきらめる!」
叫んだ…。
もう手詰まりで、行く所が無かった。
思ったよりも声は大きく、山々に木霊した。
まだ、そういう場所があるのかと思い、山道をウロウロしながら辿り着いた貯水池というのは、既に前日に、やはり何となく車を走らせていて餌合子を鳴らしていた場所だった。
もう、何処を探せば良いのか…。
五里霧中、暗夜行路、訳が分からない。
詰んだなと思った。
叫んだ後、涙が出て来た。
それでも、消化試合でも、まだ体が動く内は探す。
そういうものだ。
朝、起きた時、フラつきと呂律が回らないというのを体験した。
昨日と一昨日、わんわんを探して歩き回ったらそうなった。
発信器の付いていないハリスホークを、どうやって探したのかって?
昨年のイベントから、移動距離が半径で1.5キロから2キロというのが分かっていた。
残念ながら、遮蔽物が問題となって、どっちに、どんな風に鷹が舞っていったかが分からない(おそらく、遮蔽物が無ければ、いくら強風とはいえ鷹の方で戻って来たのだろう。もちろん、こちらでも逃げ込んだ藪なりを見ていれば見逃さない)。
地図上、半径1.5キロから2キロの範囲で、ロストポイントを中心に風下に向かって扇形を書き、そこを、車で移動しながら駐車出来る所を探しては止め、後は歩いて、公園を、空き家を、あるいは枝振りの良い庭木の植えてある家の庭に向かって、入って行って、あるいは覗き込んで餌合子を鳴らす。
いちおう、都市部でも住宅街の中にポカリと農地が残っていたり──それは水田だったり畑地だったり、果樹園だったりした──学校や企業の敷地に整備された林だったり、半径がキロ単位の範囲となると、かなり色々な鷹が逃げ込めるシチュエーションが存在した。
絶対にソコに鷹が居る確信がある訳ではないから、餌合子を鳴らすだけ。
──とはいうものの、立派な不審者なので、何かあったら頭くらいは下げる。
先に、警察に遺失物の届出は済ませておいた。
順序が逆だと、妙な感じになるから(もちろん、警察が、こんな不審者みたいな行為を認める訳もないのだが)。
いちおう断っておくと、ロストポイントとというのは、当地に引っ越して以来鷹狩りに使っていた場所で、のべにして14回の猟期を通じて利用があり、獲物を獲ったり、捕れなくても普通に鷹を拳に呼び戻したり、不具合が発生した事の無い場所ではある。
わんわん先生、実に16回目の猟期で初めてやらかした痛恨のポカ──これについては、ちょっと後で述べさせてください。
それまで、限定的だった狩り場の向こうを想像する必要の無い状態が続いていた。
あちこち、車で巡って、歩いてみて分かる事とは?
まず、車を止める場所が無い。
私は、北海道が長かったので、ああいう土地は冬の雪対策で道が広く、しかも明治以降に作られた都市は入り組んだ道や行き止まりがとても少ない。
片や、本州の歴史のある町というのは、それは昔の城下町の成れの果てだったりするので、狭い道は多いし、真っ直ぐな道は少ない、そして行き止まりの道が多い──一気に敵が流れ込んできたりしない為に、でしたっけ?。
仕方がないから車を止めたら、そこから歩く。
地図を片手に、区画毎に、色々塗りつぶして歩く。
もちろん、最初に塗りつぶされたのは、元々狩り場にしていた河川沿いの家々の区画です。
歩いてみて気付いたのですが、都市部と言っても、私の住む限界集落も間近な田舎と変わらず、空き家が多い、そして古いマンションや学校なども含めて、よく壊している。
五月蠅いんですね。
こんな所に鷹が逃げ込むはずもなく、どっかに移動した可能性だけは間違いない──しかし、家々が古いという事は、隠れる場所に使われている可能性がある庭木がよく生長しているので、片っ端から全部チェックして歩きます。
いつの間にか──昔、私が引っ越してきたばかりの頃は、自分の住む集落と違い、割と静かで落ち付いた町感があったのですが、どうも違う。
とにかく、何処かで重機が動いている。
そして、家々には見過ごす事の出来ない木がある。
そして、その家なり、木の生えている場所は、見渡す限り一面に存在する。
“町”というのは、そういう場所です。
でした。
改めて、骨身に染みるほど自覚させられました。
以前は感じられなかった騒々しさと共に。
“絶対にココにはいない”、その確信を得たら、次の場所次の場所へと移動を繰り返し、当日(ロスト直後:どちらかと言えば、ただ闇雲に歩き回っただけ)、翌日(地図を持ち出してきて、前日巡った場所の残りを穴埋めしながら捜索範囲を広げていく)──足が動く内にドンドン地図を塗り潰していきます。
今朝は、起きると頭痛や吐き気の類がしていた程です。
これを繰り返していく内に(近くには居ないという確信を得る)、自分も鷹の眼になって、俯瞰して周りの景色を見れる様になっていく──うん、これだけ騒々しい場所は駄目だ、逃げ込むとしたら…?
何となく気になりだしたのは、町が終わる先にある山です。
もうそれだけでロストポイントから1.5キロ以上離れている、だけど2キロではない。
実際に行ってみると、他の場所に比べると微妙にカラスが騒ぐものの(カラスは猛禽類を嫌うので、鷹を呼ぼうとする行為自体にも拒絶反応を示して騒ぐ)、人間が居る。
大勢。
今日は行事なのか、引率の先生が中学生だかを大声でどなっています。
ああ、こっちの麓にはコートがあって、バスケットボールがボンボン…あれ、やっている人達は気にならないかもしれないけれど、結構な反響音が周囲に響きますよね。
とにかく大勢、とにかく五月蠅い。
色々駄目。
こんな所に鷹が居るかも微妙だし、呼べる訳がない。
延々書いておりますが、これは、“居ない”、“居るはずがない”、“呼べない”場所が、町には無数にあって、なまじ昔から獲物を獲っていたという理由で、確かにその場所限定であれば鷹は使えるし、獲物は獲れるのですが、“この場所の向こうの景色を見せてやるぜ!”──そんな事態に成ってみれば、最悪の場所で鷹を使っていた事に気付く(気付け)という事が、痛む足の様に実感出来たという話です。
自分が回った全ての場所に鷹は居るはずがない──残るは、侵入が許されない自衛隊の射撃場であったり工場であったりという場所だけ。
これは、発信機の電波がそこから出ているはずだ(!)という事態に成っても、手も足も出せないのは同じ。
そして、山。
これも、登山道すら無い山を登って鷹を呼ぶのは常人のなせる技ではない。
探すべき場所は扇形の中には無い、残るはその先だ──。
ただし、山への道というのは、いざとなると車道であってすら限定的で、目的の斜面の真正面に立つ事すら侭ならない。
そして結局、地図を頼りに件の“世界の中心で、哀をさけんだ”場所に、前日同様に辿り着いてしまい──絶望を感じました。
もう探せない。探せる訳がない。
それでも、地図を頼りに、(泣きべそをかきながら)さらに反対側のルートから斜面に近付き、見える角度が変われば鷹から見えるかもしれない──×。
重機が動いている。
引き返す。
そろそろと、それでも山のかなり上の方からゆっくり麓の方に下りていきます。
山の斜面、傾斜地とはいえ、周囲は家ばっかしです。
満足に車を止める場所もありません。
それでも、“ここは?”という場所があれば無理をしてでも、一瞬でも車を止め餌合子を鳴らす。
あきらめて、別のルートを探そうとこの辺りで最も交通量の多い県道まで戻りかけた所で、前方の方、電柱か交差点でカラスが、やっぱり微妙なレベルで騒いでいる。
さっき、餌合子を鳴らした関係で、また、からかいにでも来たのだろうか?
車は県道に入った、右折──“念の為、確認しよう”と思った。
電線の上のカラスの群れ。
みんな黒い、太陽光眩しい。
分からん。
信号はちょっと向こう。
交通量、あり。
そうこうしている内に車は近づいていき、カラスが散っていく。
いちおう、その先に木立がある。
ああ、やっぱり関係ないか──。
そこに、車がわずかに停めれるスペースがある。
と言うか、警察来たら文句言われそうな場所に、ゴリ押ししたら車が入る。
──“駄目で元々、試せ”。
そう思った。
逡巡の後、無理矢理車を突っ込ませ、餌合子を取り出してカラスの群れに近付いて行く。
餌合子を鳴らすと、木立の中の数も不明なカラスどもが散っていく。
1、2、3…なんだ、やっぱり結局1羽も残らないではないか。
念の為、呼んだ。
「わんわん!居ないのか!」
頭上の木立の中から、落下傘降下部隊みたいに、わんわんが降ってきた。
それが、本日正午の出来事だった。
これがロストというものだと、つくづく思いました。
回収こそ出来ましたが、問題の場所──普段だったら絶対に車を止めようと思わないわずかな空間に、後続車がゾロゾロいる状態で突っ込ませて鷹を呼ぶ。
私は僥倖を得る事が出来ましたが、色々な意味で普通は諦めます。
本当に運だけで、強運とか豪運とか、そんな感じで鷹と再会を果たす。
普通はあり得ません。
本来、この様な体験をしない為に、鷹には発信器を付けてから飛ばすべきです。
ロストポイントからは交通量のある国道を越え、家々を全部ぶっ飛ばして山を一つ越え、直線距離でも4.2キロ離れていました。
帰宅後、足に見つかった刺傷と裂傷の治療の為に抗菌薬を、当日の朝に初霜が降り低温暴露があったのでイソクスブリンを予防的に内服させた。
傷の乾燥対策に、ハンドクリームの使用を忘れずに。
単純にホコリとかが原因かもしれないけれど、瞼の下にむくみまで見つかって──今日は暖かい場所でぐっすり休ませます。
昨年も似た様なイベントを発生させて、わんわんをロストさせています(野生の猛禽類に、“持って行かれた”)。
わんわんが衰えたとは思わないし、思いたくない。
私自身が、何故か危機意識の様な物を感じる力が、衰えている様なのです。
面倒くさがってみたり、根拠もなく“やれる”と思ってみたり?
今年の春、5月で、いわゆる予定手術である避妊手術や去勢手術の受け入れを中止しました。
原因は、私の老眼です。
高齢医者の運転と同じで、その内に事故なぞ起こす前に思い切りよく辞めてしまったというのがその事情です。
わんわんも、発信器なぞ使わないでこれまでやってきた鷹でしたが、ここいらで発信器を付けて使うのか、部分的に引退(実猟に使わない)を真剣に検討してみようと思います。
いえ、問題のロストポイントですが、その昔は町中にポッカリ穴が開いた様に農地になっておりまして見晴らしが良く、そこに鴨が居るという、良好な狩り場でした。
ところが、次第に周囲の開発が進み、今では車こそ止められるし、鴨も居るのですが、周囲がどうなっているのかもう分からない、切り立った周囲に囲まれた箱庭の様な状態に変化してしまっています。
10年以上鷹の方で生きておりますと、むしろそんな光景に戸惑わせ、驚かせてしまったのは──私であったかと、反省する事しきりです。
やはり、10年ひと昔と申しますが、あまり鷹狩りという感じの時代でもなくなってきましたね。
“ようやく会えた!”
“ああ…会えた。会えたぞ!”
“なんか白いもやが地面から…霧?”
“放射冷却現象だ。初霜だな…。”