「点と線」著者の最初の長編推理小説であり、松本清張ブームを巻き起こした作品であり、「ゼロの焦点」とともに、清張初期の推理小説の代表作だが、基本は時刻表トリックを使ったアリバイ崩しのどちらかといえば、地味な作品であり、いまの若い人にとっては刺激が弱すぎるだろうか。近くの図書館の棚からも、清張の本が随分外されているから、私より下の世代は、もう清張は読まないのだろうか。
それでもテレビドラマではいまだに松本清張作品は、価値あるものらしく、「わるいやつら」「黒革の手帖」「霧の旗」などは何度も映像化されているし、ケーブルテレビなどでは目玉番組の一つとして特集をが組まれたりしていて、旧作がどこかの局で毎日のように放送されている。これもジジババ限定の狙いで組まれているのか。
「点と線」も、ビートたけしの主演で2007年にテレビドラマ化されており、これがけっこう評判になったから、記憶に残っておられる方も多いのではないだろうか。
今回、この作品がケーブルテレビで放映されることを知って、あまり期待せずに見始めたのだが、これが最初から思いもかけぬ新鮮さで迫ってきた。
福岡市香椎の海岸で発見された男女の情死体が足元から映されて、女の顔を上を蟹が這っている。香椎海岸の寒々とした光景。こんな寂しいところで心中するだろうか、という鳥飼刑事(加藤嘉)の疑問がストレートに伝わってくる。事件の鍵となる二つの駅、国鉄香椎海岸駅と西鉄香椎海岸駅も、東京駅のプラットホームも、当たり前だが、小説そのままで、公開当時は、さらに現実感があったのではないだろうか( 「点と線」が雑誌『旅』に連載されたのは1957年2月号から1958年1月号で1958年2月に光文社から単行本が刊行されている。この映画の公開は1958年11月)。
原作は、かつて2回ほど読んでいるので、時間とともに、ストーリーそのものより、ついつい俳優のことや、今とは違う風俗など、の細かいところに目が言ってしまう(たとえば、とにかく誰もがどこでもよくタバコを吸うこと、茶色のパッケージは「しんせい」?「いこい」?どちらなのだろうか、とか)。
見ていてボルテージがだんだん下がってきたのは、主演の三原警部補(南廣)が大きな声を出しているだけで、浮いている感じが鼻についてきたからかもしれない。他の刑事役が、志村喬や河野秋武など、達者な演技をしているので、主演が稚拙に見えてがっかりしてくる(どうやら、新人だったらしい)。
下がったボルテージが再び上がるのは、高峰三枝子が登場してからである。この時、40歳になるのだが、華やかだが、儚げでもあり、際立った美しさで画面を占領する。もっと年齢の高くなってからの映画しか見たことがなかったから、この女優の美しさに見とれてしまった。
途中までは快調なのだが、だんだん乱暴になってきて、特に安田(山形勲)の印象が原作と随分違うし、三原(南廣)より係長(志村喬)の方が、目立ってきて最後の場面も、三原と鳥飼の両方が居合わすというのは説明不足でちょっと無理がある。それでもよく見ると、三島雅夫とか月丘千秋とか、私でも知っている懐かしい俳優が出てきて、それなりに楽しんで見られた。
松本清張の推理小説は社会派といわれるが、トリックも実はなかなかのものではないかと思う。私は、本格派といわれるような推理小説は、今はほとんど読まないし詳しくもないが、アクロバットのようなトリックは、その時は感心しても、いくつも読むと飽きてしまう。この作品のトリックは、交通事情が激変しているから、今はもう不可能だが、当時はこれまでの作品にない、なかなか新鮮なものだったのではないかと思う。官庁の収賄が事件の背景になっていることも含めて、その後の社会派推理小説はやはりこの作品からというのも頷ける気がする。
この年、野村芳太郎監督の秀作「張込み」を始め松本清張原作の映画は5本公開されている。清張ブームは始まりからすごかったようだ。
「点と線」1958年公開 85分 小林恒夫監督 東映
後記
作家の栄枯盛衰は、私が思っているよりずっと激しい。清張だけではなく、太郎、次郎、三郎などと呼ばれた人気作家、司馬遼太郎、新田次郎、城山三郎などの本も、図書館の棚のスペースは本当に少なくなっている。まあ、本は、古本も含めて、どうしても読みたくなれば、ネットで買える時代だから嘆くことはないのかもしれないが、結構、寂しいものがある。
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