【八州通商録 全』
明治30年12月刊 田中芳四郎編纂 芳流館編纂所
潤滑な商業取引の手引きとして刊行された商工人名録で、東京府・神奈川県・埼玉県・千葉県
・茨城県・栃木県・群馬県の市町村の有力商工業者の一覧です。タイトルに使われている「八州」
はいわゆる関八州(対象エリアの八つの旧国名、武蔵・相模・下房・上総・安房・常陸・下野・上
野)のこと。情報が乏しく交通や通信も不便であった時代、どこの町にどんな業者がいるのかが一
目でわかるこのような名鑑は重宝だったと思われます。
序文には発行目的とともに刊行までの紆余曲折が記してあります。資金面など様々な障害にぶつ
かるのですが、旧知の知人の援助により見通しがたち、武州川越町へ赴いて周辺地域の豪商へ掲載
勧誘をすると半月で300人余りが賛助してくれて刊行へのはずみがついたと書かれてあります。
川越町の掲載業者数は86。川越大火から数年しか経っておらず、町は復興途中だったと思いますが
有力商家のほとんどが名を連ねているようで、当時の川越町の商業の一片を知る手がかりとなる資
料のひとつでしょう。
川越町ノ部の一部分 文字の大きい業者はおそらく協賛費を多く払ったのだと思われます。
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埼玉資料
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上尾市にあった「上尾会館」のビラです。調べている時間がなくて映画館の詳細は不明です。1980年代まであった「上尾プリンス」と関係あるのかどうか?
わら半紙に近い粗悪な紙に文字だけの簡素なビラですが、上映作品の目玉「浮草物語」は小津安二郎作品です。この作品は昭和9年の封切り。ビラの上部に「賀正」とあるので上尾会館では昭和10年新春の上映だったと推定されます。旅芸人一座の物語で出演は坂本武・飯田蝶子・八雲理恵子・坪内美子・突貫小僧など。私は未見の作品ですが、ビラの出演者名に上原謙と桑野通子の名前があるのにあれっ?出演していたっけと思い、小津関係の書籍の作品一覧やYouTubeにアップされている同作品のオープニング部分を見て出演者名を確認したのですが、この二人は出ていません。単なるミス??
左側に「川越出張」とあるのは、これも詳細不明ですがもしかすると川越の映画館から弁士が出張したのかもしれません。坂戸の映画館へ出張した記録は残っています。 「浮草物語」は現存フィルムは無声ですが、封切り当時の作品はサウンド版(音楽・音響のみ録音)だったそうです。
ちなみに「浮草物語」は昭和34年に小津監督によって「浮草」のタイトルで再映画化されました。こちらは私も名画座で見ています。有名な豪雨の中の中村雁治郎と京マチ子の口喧嘩場面はもちろんのこと、頼まれて川口浩を誘惑して本気になってしまう若尾文子の健気さ、ラストの夜汽車場面の余韻が印象に残っています。
その「浮草」のラストシーンをどうぞ
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■酒井天外編纂の熊谷市街図
酒井天外(さかいてんがい 1875-1942)は本名を惣七といい、熊谷の郷土史家として活躍した人です。
酒井天外編著「熊谷みやげ」と題されたこの地図は、大正2年に発行されたものです。上の画像は地図を包んだ「たとう」で、デザイン画は熊谷中学校の生徒の図案が採用されています。荒川大橋と熊谷寺、しゃちほこを載せた櫻雲閣(熊谷大火で焼失)をあしらったものと思われます。
発行は国民新聞社熊谷支局と日下わらぢ屋(中身の地図の奥付には「印刷日下伊兵衛となっている) わらぢ屋は大阪の地図製作販売会社。近年まで市街地図や道路地図で有名でしたが、業界の激しい競争に勝てず倒産していまいました。戦前の地図にはわらぢ屋の名をよく見かけますが、埼玉県の戦前都市地図を手掛けているのは珍しいのではないかと思います。
色刷りの市街図のまわりには、熊谷名所写真と熊谷ガイドを配した構成になっています。
熊谷遊覧の手引きとともに、熊谷を外に紹介するために発刊を決意したもので、写真は市内中村写真館の提供。
官公庁学校から主なる会社、人力馬力の運賃まで掲載の利便さ。川越よりも旅館が多いのは、やはり街道筋の大きい町ならではなのでしょう。川越も戦前から市街地図が各種発行されていますが、ここまで気の利いた、そして見た目も優れた地図は残念ながらありません。
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