「4K放送って暗くて見栄えがしないけど、それはテレビの性能が足りないから」
そんな説がひとり歩きして、技術的背景を知らない方々からも"暗いから見送りね"なんて話がいろいろなところから聞こえてきます。調整にもよりますが、BS放送とBS4K放送で同じものを流していることが多い民放キー局の番組は確かに暗く観えるんです。
しかし、これはテレビの性能が不足しているからではありません。"放送局自身が暗い映像を流しているから"暗く映ってしまうだけなのです。
このあたりの詳しい解説はオーディオ&ビジュアル専門の情報サイト「AV Watch」と、私のYouTubeチャンネルでお伝えしたのですが、専門的な話が多かったため、今回はもうすこし噛み砕いて別角度から解説したいと思います。
そもそもHDRとはなんぞや?
4K放送は高精細で圧縮ノイズが少ないことが利点とされますが、実は画質面でもっとも大きく印象を向上させる要素は別にあります。それが「HDR(High Dynamic Range)」。明暗差を従来よりも広く表現できる技術で、ハイダイナミックレンジの略です。フルHDから4Kになると描写するための画素が4倍になり精細度も上がりますが、HDRはひとつひとつの画素に載せる"絵の具"が増えると考えれば解りやすいでしょう。より多くの色が表現可能になるため、リアリティが大きく向上します。
ハイがあるということは、ローダイナミックレンジはあるの? と思うかもしれませんが、これはLDRではなく「SDR(Standard Dynamic Range)」と言います。スタンダード、つまり標準ということですが、そもそも標準って何でしょう?
実はSDRは「ブラウン管の標準的な特性」をもとに決められています。最近ではブラウン管を知らない人もいるでしょう。蛍光体に電子ビームを当てて光らせるアナログ機器です。アナログ機器なので飽和特性(最大輝度上限に近付くと応答が悪くなること)もあって、信号入力の強さに対して自然に輝度がロールオフ(徐々に輝度上昇が落ちていくこと)します。
上記の図で言うと青の領域がSDRで、真っ暗な環境で最大100nits(明るさの単位)に調整された業務用モニターで画作りをしていました(現在はその特性を真似た機器で調整します)。
ブラウン管テレビが主流だった時期、あるいは液晶やプラズマの性能が低かった時代には、特に問題ありませんでしたが、液晶テレビのバックライトが進化し、もっと高い輝度が出せるようになると、"ブラウン管の特性を元にしたダイナミックレンジ"のままでは、表示デバイス(液晶、現在ならOLEDも)の性能を引き出せません。
そこで、ブラウン管の性能に縛られた過去を清算して、最新ディスプレイの性能を活かせるようにダイナミックレンジを拡げようということになりました。これがHDRです。
"とりあえず全部入れておこう!"がHDRの基本コンセプト
アナログテレビの時代では表示デバイスがブラウン管しか想定されていませんでしたが、その後、液晶時代がやってきて、プラズマも途中活躍し、現在はOLEDも実用化されています。表示デバイスに合わせて映像の規格を決めるのはナンセンスですよね。そこで、HDRの規格では「ダイナミックレンジの情報を全部入れておこう」を基本コンセプトにしました。全部入れておき、「表示するディスプレイの性能に合わせ、装置側で調整して表示する」のです。
人間の眼は0〜1万nitsまでのダイナミックレンジを捕らえられるとされています。実際には絞り機構である「虹彩(アイリス)」が10倍までこれを拡張するため、10万nitsまでのレンジがありますが、網膜が同時に捕らえるダイナミックレンジということで、HDRの映像規格では最大1万nitsまでを記録できます。情報を失ったら再現できないため、全部入れとけや!ということですな。
しかしなんの目安もないのでは、作品を作る側は画作りをまとめられません。映画などの作品ではなおさら。そのため、おおよそ1000nitsぐらいを最大値とするディスプレイでの再現を目安に映像を作ろうね、という緩やかな決めごとがあります。
これが「1000nitsないと4Kテレビとして失格」論の元になっている数字だと思います。この緩やかなルールはUHDブルーレイが規格策定される課程でUHDアライアンスが示したもの。まぁ一応の業界ルールではあります。このあたりは、業界標準として使われていた業務用マスターモニターとなるソニー「BVM-X300」が1000nitsまできちんと表示できたから、という理由もあります。
......が、実際には1000nitsを超える情報も入っており、まさに「目安としてエンジニアが確認している明るさ」という以上の意味はありません。
ということで上に掲載したグラフで言えば、緑、黄色、赤の領域も含め、情報としてはすべて記録できているのですが、デバイスの方式やグレードによって表現できる明るさの範囲が異なります。
300〜400nitsぐらいが実力値のディスプレイなら、緑色の領域までを表現でき、1000nitsぐらいの実力値があるなら黄色の領域まで表現可能。まだ見ぬ未来の方式では(意味があるかどうかはわかりませんが)赤い領域まで表示できるようになるかもしれません。
実際の映像はどのように収録されているの?
では、画面全部を1000nitsにしてしまえばいいじゃないと思う人もいるかもしれませんが、それだと凄まじい明るさで目が眩んでしまいます。また、画面全部を1000nitsで収録するということも、現実的にはあり得ません。1000nitsはあくまで映像を作る際の目安であって、どのように素材を表示するかは、周囲の環境に合わせて検討すべきことです。たとえばドルビーシネマ対応映画館ではHDR作品が楽しめますが最大で108nits。通常の映画上映だと明るめのデジタルシネマ対応映画館で48nitsですから2倍以上の明るさではあるものの、テレビの値と比べたらかなり暗いですよね。
これは画面が大きく全体の光量が多くなることに加え、映画館が真っ暗だからです。真っ暗な中で人間は絞りである虹彩を開くので、少ない光でも明るく感じます。もちろん、映画館に合わせて映像が作られていることもあります。ようするに、HDR映像を楽しむためには必ずしも1000nitsが必要ではないということです。
続いてUHDブルーレイに目を向けてみます。こちらは1000nitsを目安に映像が作られているものの、被写体の多くは上に掲載したグラフの青い領域で描かれており、明部の描写でも200nits(緑の領域)ぐらいまでで描かれます。家庭向けテレビでの再現も確認しながら制作されているため、問題がおきることはありません。
HDRの典型的なコンテンツとしてよくテストに使っている「ハドソン川の奇跡」という映画があります。この中でトム・ハンクスがニューヨークのタイムズスクエア周辺をランニングするシーン、そこに出てくる電子サイネージの多くは1000nitsを超えた収録になっていますが、OLEDを含む多くの高級テレビではしっかりとサイネージのコンテンツまで見通せ、さらには画質的な暗さもありません。
これは部屋を暗くして観ることが多い映画モードならではだからですが、画面サイズがマスターモニターより大きいためより強く明るさを感じるからでもあります。
低価格テレビではサイネージのディテールまでを表現できませんが、そもそものトム・ハンクス自身はより低い輝度で表現されているので、まったく問題なく描写されます。主な被写体は正しく描写されるのですから、おかしな表示にはならないのです。
民放のHLGが通常のHDRと異なる事情
上記のHDRコンテンツは、どれも輝度を絶対値で表現します。あらかじめグレーディングという工程で、どのぐらいの明るさで表現するのかを決めて出荷しているからです。▲HLGの輝度分布
しかし放送用コンテンツの場合は、HDRに対応していないテレビにも対応するため、HLG(Hybrid Log-Gamma、ハイブリッドログガンマ)という規格でHDRを表現します。HLGは75%の位置にSDRでいうところの白を置き、それよりも明るい情報をHDRとして乗せます。HLGの放送をそのままSDRテレビで表示しても、ちょっとした明るさ調整で問題無く観えるように特性を決めたもので、NHKとBBCが共同で策定した標準規格です。
HLGはあくまでも「HDR放送をSDRテレビでも問題なく観えるよう工夫したもの」だと考えてください。スポーツ中継などの生放送で細かな画の調整ができない場合でも、SDR、HDR両方のテレビで楽しめるのですから、放送用としては適していると言えます。
問題はSDR番組を放送する際の扱いです。
NHKは4K、8Kの放送において、SDR番組とHDR番組、それぞれに合わせて放送フラグで指示を出していますから、問題ありません。しかし民放の4K放送は常にHDR(HLG)に固定されています。CMも本編も、そのほとんどはSDR。CMは地上波やBS放送用に制作されるためSDRになりますし、番組本編もBSとBS4Kで同じものが同時放送されていることがほとんどなので、ダイナミックレンジはSDRとなるわけです。
したがってSDRで送出すれば、NHKと同じく問題は起きません。ところが民放のBS4Kでは標準仕様として、すべての映像をHLGで放送することになっているそうです。コンテンツはSDRなのですから矛盾が発生するため、SDR信号をHLGに変換して放送することになります。
ここで原点に立ち返りましょう。
▲SDRの輝度分布
SDRの全白はHLGの輝度75%に相当するわけですから、変換すれば25%分の明るさが使われないことになります。これはグラフでも明らかで、70〜75%の間に明部がスッポリ収まっていることがわかります。
テレビ受像機は、あくまでもHLGコンテンツだと思い、100%の明るさまでの情報を表示パネルに割り付けるため、明るい部分25%をまるまる使わずに映像を表現しようとします。
HLG規格測定の原点に立ち返れば問題は解決する
HLGは表現できる明暗差のカーブを工夫することにより放送時の運用性を高めることが目的であって、SDRコンテンツを放送するために使われるべきものではありません。SDRコンテンツなのであれば、テレビ受像機に「これはSDRですよ」と知らせなければ、パネル性能を活かした表示にはできないのですから。スポンサーの広告料で運営されている民放のビジネスモデルを考えても、CMが暗く表示されるのは問題でしょう。SDRはSDRとして放送するか、あるいはHLGで正しく観えるようにマッピングを工夫するほか民放のBS4Kが本来の明るさで表示される道はないでしょう。
来年には東京オリンピックも控えていることもあり、こうした問題はあらかじめ解決しておいて欲しいものです。放送局側が対策を行えば、UHDブルーレイやHDR対応の各種ネット映像配信サービスと同じように、そのテレビの能力を活かした表示が行えます。実際、それはNHKの放送を観ればわかるはずです。
対処療法的には、番組情報とのマッチングを取って、本来はSDRの番組がHLGで放送されているだけなのか、それとも本当にHLGなのかをネット上の番組情報サービスとの連動で判別し、正しく表示するということも不可能ではありません。しかし、そうした価値を生み出さない不毛手法を採用するぐらいならば、民放各社がダイナミックレンジに合わせ、SDRはSDRとして放送すればすべて解決。
以上!
......なのですが、もちろん、今後はHDRでCMが制作される可能性もゼロではないですし、番組制作もNHK並にHDRが多用されることがあるかもしれません。その場合、SDRとの切り替えがスムースにいかない可能性も考えられますが、アナログ時代と今は違います(過去には画面モード切替でCMの最初の部分が乱れる問題が出る場合もあった)。少なくとも筆者は、SDRとHDRの切り替えで暗転するなどの問題は経験していません。
あとは民放側がコンテンツごと(CMごと)の切り替えを許容できれば問題ないはず。今後、事態が好転することを望みます。