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怒りのコップがあふれそう

「幼い頃に養父から受けた性虐待。実の母にも救ってもらえなかったことで私の心の中にある”怒りのコップ”はすでに満杯なんです」
こう話すのは、漫画家のヤマダカナンさん(42)。
つらい性虐待の体験を漫画で描くことで、そんな自分自身と向き合ってきました。

千葉放送局 虐待取材班:杉山 加奈

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母になる不安や悩み 背景には性虐待が

ヤマダカナンさんが3年前に出版したエッセイ漫画「母になるのがおそろしい」。
幼い頃に虐待を受けた経験や、母になることへの不安や悩みがつまびらかにつづられています。

母親に対する父親のDVが原因で、両親は1歳の時に離婚。
ヤマダさんが8歳の時、母親は当時働いていたスナックの客と再婚しました。
それから一緒に生活するようになったこの養父から性虐待を受け、ヤマダさんは強いショックを受けたといいます。

「小学校4年の時に母親がいない夜に養父が部屋に入ってきて、上に乗られて、キスをされたり、舌を入れられたり、腰を押しつけられたりされて。それ以上のことはされなかったですが、抵抗はおろか、声をあげられるはずもなく、ただ固まって思考停止してしまったのを覚えています」

養父のことを黒い影で表現したヤマダさん。
このシーンを描いたときにはペンを持つ手が震えたといいます。

「すごく冷や汗がでてきて、動悸どうきがして、胃が痛くなって。このシーンは早く終わらせたくて、すごくはやく描き終えました」

 

母に虐待を告白… “選ばれなかった” 絶望

意を決して養父からの性虐待を母親に告白。すると母親は一度はヤマダさんを連れて家を出てくれました。
ところが…
「これで養父から逃れられる」と思ったヤマダさんの期待はあっさりと裏切られました。
数日後、母親が養父との間に子どもを妊娠していることがわかり、養父のもとに戻ることになってしまったのです。

この時、どんな心境だったのか。
ヤマダさんは漫画の中で、絶望という言葉を使っていますが、実際には思考が停止していたといいます。そして、「母に選ばれなかった」と思ったヤマダさんは初めて「死にたい」と考え、走っている車に飛び込むことまで想像したといいます。

 

虐待への「怒り」 描く原動力に

自分は誰からも必要とされていないのではないか、そう考えて10代の頃には漫画を描くことに没頭しました。
そして、20歳の時に夢だった漫画家としてデビュー。女性誌や青年誌などで数多くの作品を世に送り出しました。
漫画を描き続ける原動力は幼い頃に受けた虐待への「怒り」だったというヤマダさん。次のように話しています。

「つらいことから逃げるために漫画にのめり込みました。『悲しさ』や『むなしさ』、『死にたい気持ち』を『怒り』に変換させることでしか私は生きられませんでした。『怒りのパワー』で漫画を描いてきたので、ある意味『怒り』に感謝しています」

 

わいてこない母としての感情 過去と向き合わねば

虐待をテーマにした漫画を描くことはなかったヤマダさん。
長らくフタをしてきた”虐待を受けた過去”を描くきっかけとなる出来事がありました。

妊娠と出産です。
ヤマダさんはもともと子どもを産むことには後ろ向きだったといいます。
それでも「子どもがほしい」という夫の思いに応えたいと、不妊治療を受けて妊娠しました。しかし、エコーに映る子どもを見ても、それまで想像していたような「母性」の感情はわいてきませんでした。虐待という体験にフタをしたまま長い時間が経過していたため、母親になっても大丈夫だろうと思っていたヤマダさんは、母親になれるのだろうかと悩み、焦りが募ったといいます。

お腹がどんどん大きくなってもヤマダさんの気持ちには変化はあらわれません。
ほかの妊婦たちがいとおしそうにお腹をさする姿。
不安と焦りは大きくなるばかりでした。

「なぜ私には母性がないのか」
「幼い頃の母親との関係が原因で、子どもを育てる自信が持てないのではないか」

自分自身と向き合うために、ヤマダさんは虐待を受けた過去を描こうと決意しました。

その後、無事に長男を出産したヤマダさん。
しばらくは『我が子がかわいい』という気持ちが持てず、母親としての責任感だけで子育てをしていたといいます。
そんな悩みも漫画には率直に描きました。
つらい作業でしたが、それが自分の生い立ちを見つめ直し、気持ちを整理することにつながったといいます。

漫画を描くために、母親にも直接会って話を聞きました。
このとき、母親も幼少期につらい家庭環境で暮らしていたこと。そして愛情に飢えていたことをはじめて知りました。

「母親は寂しい気持ちを乗り越えられずに子どもを産んだため、その子どもだった私も寂しかったのではないか。私はちゃんと寂しさに向き合わなければならない」

ヤマダさんはそう考えるようになっていったといいます。

漫画を描きながら自分と向き合う毎日。
ヤマダさんは日に日に成長していく子どもの姿に触れていくうちに次第に、子どもへの愛情を感じるようになっていきました。

 

あふれそうな“怒りのコップ”

それでも、ふとした時に、「今度は自分が虐待をしてしまうのではないか」と不安になることがあるといいます。
子どもがわがままを言ったときにすぐに怒鳴どなってしまう自分。
幼い頃に受けた虐待の『悲しさ』とか『寂しさ』を全部『怒り』にしてしまっている。
だから私の心の中の”怒りのコップ”はすでに満杯状態なんだ。

「怒り」は漫画を描く原動力になりましたが、子育てをするときには「怒り」が邪魔をする。そう心の内を語っています。

「子育てをしていると 恵まれている自分の息子たちを見て、よかったと思うと同時に腹が立ちます。子どもが泣くと泣きやませられない自分に腹が立ち、お前はダメな母親だ、必要ないと言われている気分になり、とめられない怒りがわいてくる」

 

子育てを邪魔する“怒り”を減らすために

「コップいっぱいになった怒り」を減らしていかなければ、自分も虐待しかねない。そう考えたヤマダさんは虐待を受けた経験のある人や支援者が集まる勉強会や講演会に参加して、自分の経験を語るようになりました。

ほかの人が受けた虐待の話を聞き、自分の経験を思い出すと決して我が子には同じ経験をさせてはいけないと実感するというヤマダさん。
自分自身の経験も語り、聞いている人が共感してくれたり、助けてくれたりしたときに、怒りのコップがだんだん減っていくような気がするといいます。

ヤマダさんは、虐待を受けた経験があることで親になれるのかどうかと不安になっている人に伝えたいと次のように語ってくれました。

「虐待を受けた過去があっても、なんとか育てられるぞと。母性がなくても責任感があればいい、自分のように、やっていけると伝えたい」

そして取材の最後に、今この時間にも、虐待を受けている子どもたちがいることを気にかけてほしいと語りました。

「苦しい思いをしている小学生、中学生がいると思う。多くの人がそういう子どもが身近にいるかもしれないということを気にかけてもらえればいいなと。そして自分ができる支援がないかと考えてもらうだけでも虐待は少しずつ減っていくと思う」


虐待を受けた過去と向き合いながらこれからも子育てを続けるヤマダさん。
漫画の最後をこう結んでいます。

 


 

千葉放送局 虐待取材班
杉山 加奈

入局2年目。
警察・司法担当として事件事故や虐待、DV問題などを取材。