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 昨日は我が家代々の菩提寺である『高圓寺』の藤祭りの手伝いに行った。
 檀家を四地区に分けてあり坂下組の面々約二十名が集まった。そのなかでの顔ぶれでは私が最年少だった。年長者は昭和初期の方々だ。

 私は昔話を聞くのが好きだが今回新たに判明した事

 私が小学生の頃、真間川の側の空き地に小屋をつくり川で行水、洗濯をして汚い身なりで食べ物を物乞いしている浮浪者のことを『国分のサブ』と記憶していたが、実際は『アサジロウ』のことだった。
 宮久保在住の子供にとって『国分のサブ』とはとても怖い存在だった。
 
 親の言う事を聞かなかったりグズっていたり泣き止まなかったりしていると、「国分のサブにくれちゃうよ」と親に脅されてきた子供が宮久保では多くいた。しかし実際に何が怖いかといえば実害は無く風体が異様だったことだろう。ただ怖いという印象だけが一人歩きしていたのかもしれない。勇気ある子供はわざわざからかいに行って逆に追いかけられたのもいた。そんなこんなで
子供の頃のいろいろな記憶が頭を駆け巡ったが年長者の話を聞くと、サブの実家は○○だとか、各家庭を訪問する際には「東京電力です」と声をかけて家の人が出て来てから食べ物を乞うようなこともしていたそうだ。結構頭が良かったそうだ。
 
 私の記憶から国分のサブとアサジロウを分離するのは今ではもう不可能だ。ただ子供にとっての怖い存在が通学路途上にあり毎日その小屋の前を通って通学していたが何か問題が発生したということは聞かなかった。子供心にあの様にはなりたくない、なってはいけないと多くの小学生は思っただろう。

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知ってます。国分サブ、家にも来ました。親が10円あげてました。たまにお金より食べるものを、と言われておにぎりをあげてました。懐かしいです。私は昭和32年生まれです。ところで須和田のチーコも知っていますよね?

2012/10/9(火) 午後 9:13 [ 市川菅野小 ]

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ヒットしてw(°O°)wしました。うちもおにぎりをあげてました。松戸市柿木ダイです!

2012/11/15(木) 午後 1:27 [ フィッシュ ]


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