「やっぱ豊臣は売れてんなあ」
売れてんなあといってもメン地下の対バンでトリを務めている程度なのでそれが「売れている」のかは解らないのだが……、疲労しきった私は「アイドルのストレスをアイドルで癒す」という謎の悪循環に突入しつつあった。
その昔、OverDriveAddictに所属していたメンバー、豊臣秀吉が運営兼リーダーである織田信長と揉めた為にメンバー4人を引き連れて脱退、分裂した末に新規設立したグループがGolden+。初期は織田と共演NGだったが、最近になってまた同じ対バンに組み込まれるようになった。私は5人時代の織田しか知らないので、初めて彼らを見たのはこの前の新宿BLAZEだった。
最初に出てきた感想は「金かかってんなー……」。いや決して織田にお金がかかっていないというわけでもないが、とにかく豊臣はやることが派手だ。ワンマンで赤坂BLITZを抑える。招待特典の要員で遊びに行った時、度肝を抜かれた。特効を惜しげもなく使う、ステージ上に火炎放射をしたり、噴水を持ち込んだり、メンバーが宙吊りになったり。地上アイドルと見紛うような豪華な演出で、豊臣は順調にオタクの数を増やしていった。
「半兵衛くんかわいー……」
男の子なのにめちゃくちゃ可愛い容姿を持つ、ミスiDセミファイナリストの竹中半兵衛。なんで戸籍上男なのにセミファイナリストまで進出したんだ。謎。メンバーカラーはピンク。私はいつしか、対バンで織田と豊臣が被ったとき、息抜きに半兵衛くんの物販へ行くようになっていた。
「豊臣はほんとに凄いね、いつ見ても派手で」
リーダーの秀吉さんの衣装をはじめ、メンバーの衣装の派手さはメン地下の中でも郡を抜いている。なんか……光り輝いているのだ。どういう構造なのかはよく解らないが。
「派手だよね~、秀吉様の考えることって本当にすごいよね~!」
「お金かかってそー……」
「うんうん。三成は今日も見積もりの書類を見ながら困惑してたな~」
石田三成さんが事実上の運営スタッフも兼任しているらしいが、噂によるとリーダーの秀吉さんの暴走に毎度かなり頭を悩ませているらしい。どうやらその噂は本当であるらしいことを最近察しつつある。
「最近どう~? 蘭丸は元気?」
「うーん、最近喧嘩ばっかで。もう他界しようかなぁ……」
半兵衛くんはいつも私の愚痴を聞いてくれる。私が半兵衛くんのところに軽率しに行っているのも、蘭丸くんは快く思っていない。
「『僕のことなんかもう嫌いなんですか?』って、泣かれたり。営業にしてもさあ、面倒くさいなぁって」
「営業じゃないと思うけどなぁ~、蘭丸ってそういうとこあるよね」
「私もイライラして怒鳴っちゃったりして、お互いしんどくなって。最初はすごく物販も楽しかったはずなのに、なんで辛くなっちゃうんだろうね。悲しいなあ」
「そんなの想像つかないや、僕のところに来てくれるときはすごく楽しそうだし」
「半兵衛くんとの物販は楽しいよ? ……もう半兵衛くん推そうかな~、はは……ははは」
お時間でーす、という声かけで「じゃあ、またね」と言って半兵衛くんからチェキを受け取ると床に置いたJILL by JILL STUARTのリュックを引っ張り上げてその場を離れる。半兵衛くんはにこにこしながら手を振ってくれた。……気が重い。
織田の物販に戻ると、蘭丸くんが露骨に不機嫌そうにしながら隅の方で座って携帯をいじっていた。怖っ。「っあー…………」声にならない声のようなものを出しながら財布と携帯を持って荷物の溜め場所になっている物販机のすぐ脇にリュックを放ると、横から明智光秀のオタクの「やってんね~」という声がした。
「やばい。キレてんのかも」
「大変だね。蘭丸くん最近無事じゃなくない? 病み営?」
「もう私はあの人がどこを目指してんのか解んないよ……」
チェキ券を財布から5枚取り出して列に並ぶ。「長秀以外! 長秀以外でお待ちのお客様ー!」織田物販列の風物詩となったチェキスタの叫び声が響き渡る。”長秀以外でお待ちのお客様”、夏の季語。前に並んでいるのは約5人。誰も手を挙げない。え? 全員丹羽長秀? ウケる……。マジか。
順番はすぐにやってきた。今日のチェキペアは勝家さん。平和なやつである。
「僕を置いてどこに行ってたんですか……」
「蘭丸くんには関係ないじゃん」
「関係あります! 貴方がいないと、僕、しんどくてッ」
……冷たい返しをしてしまったからだろうか。蘭丸くんはグズり始めた。
「ごめん、ごめんって……軽率しちゃ駄目なの?」
「僕は嫌だって、ずっと言ってるじゃないですかぁ……」
面倒くさ。というのが露骨に表情に出ていたのだろうか、勝家さんは私と目が合うと「大変だなぁ」というか「可哀想に」というかとにかくそういう表情をした。別に勝家さんにも毎回物販を埋めてくれるオタクがいるわけじゃないけどこの人は別にしんどくなったりしていない。オタクに喚き散らしたりしない。蘭丸くんが子供なのだろうか。というか子供なんだと思う。ああ。またしんどくなってきた。
「……お金払って物販来てるのに、そんな風にグズられたりするんだったら楽しくない、面倒くさい、! もういい、帰る」
私の怒鳴り声がロビーに響いた。蘭丸くんは相変わらず俯いている。
「ちょ、待てよまだ撮ってねえ」
「チェキ、要らないんで大丈夫です」
勝家さんは慌てたようにして私を引き止めたけど、蘭丸くんは一言も発さなかった。いつも一緒につるんでいるオタクがざわつきながらこちらの方を見ている。いつものことなので気に留めているわけではないけど、「今日もやってんな」みたいな感じ? まあ、そうだよね。私たちはいつもこう。なんでだろう。悲しい。
気づくと私もぼろぼろ泣いていた。蘭丸くんは機嫌を直してくれないし、お金払ってるのに物販は楽しくないし、なんで、なんでなのかな、しんど。本当、もう嫌だ。
「もう帰る」
「ほんとに?」
なんだかんだ言っても物販は最後まで回してきたけど、もう耐えられる気がしなかった。明智光秀のオタクは驚いた顔でこちらを見つめている。
「半兵衛くんに軽率してたのキレられて泣かれるし、意味分かんない。精神年齢低すぎ。クソガキ。鬱陶しい」
リュックを背負いながら思いつく限りの罵倒を並べ立てる。……何でこうなっちゃったんだろう。
働く気も失せたので家に帰ってベッドに寝転がり、冷房の風に当たる。涼しい。携帯を見ると、通知が山のように届いている。おまいつのグループラインが動いていた。
『蘭丸くん帰っちゃったよ』
私しかオタクがいないのが悪いんだろ。帰れ帰れ。と思ったが一人でとぼとぼと家路につく蘭丸くんのことを想像して、ちょっと可哀想だな、と思ってしまった。
……蘭丸くんに対する「可哀想だな」って感情。ひとりもオタクがいないから、同情で推し始めた彼。顔も綺麗だし、パフォーマンスも上手いのに、なんでオタクつかないんだろう。私にはよく解らない。私が推し始めた理由が同情だから。
もう知らない。ツイート通知が来るのも鬱陶しくなってきた。蘭丸くんのツイッターに飛んで、「@ranmaru0x0さんをブロック」をタップする。チェキまとめは半兵衛くんの分だけ作った。嫌がらせみたいでちょっと性格が悪いなと思ったけど、それだけ蘭丸くんに対してイラついていたんだと思う。なんで5000円払って泣かれなきゃいけないんだろ。
そのまま無理やり寝た。起きたら深夜の2時で、グループラインは相変わらず元気に動いていて、蘭丸くんの病みツイとたぬきのスクショで大いに盛り上がっていた。
『自分のオタクにブロックされてたときの絶望感^-^』
たぬきは私が蘭丸くんをブロックしたという話で大いに盛り上がっていた。盛り上がるな。蘭丸くんも私のことをツイートするな。
……LINEの通知で埋もれていたけど、インスタグラムの通知を見ると誰かからメッセージが来ていた。 一方的に送るだけだった蘭丸くんのアカウント宛のDM欄。
『ごめんなさい』
『一度だけ会って』
全身の血の気が引くような感覚に襲われた。
翌日のライブは干した。翌々日がちょうどオフだった。新宿や渋谷だとオタクがいる、という理由で蘭丸くんとの待ち合わせは結局、蘭丸くんの家の最寄りという微妙すぎる場所になった。家に連れ込む気満々なのでは、という嫌な予感がしたけど、結果としてその通りだった。あーあ、って私は溜め息をつく。
高校を春に卒業した蘭丸くんは一人暮らしを始めた。
私のことを必死に引き留めるのには、織田は完全歩合なので私がいなくなったら収入が無くなるという現実的な理由もあるんだろう。と改札前でぼんやり考えていたら、髪を下ろして眼鏡をかけた蘭丸くんが目の前に現れた。
盲目なところがあるから、オフの蘭丸くんってかわいー……と一瞬気を取られてしまう。
「ぼーっとしてどうしたんですか? 行きますよ?」
「あ、うん」
私の手を引いて蘭丸くんが歩き始める。今日の蘭丸くんは元気そうだ。この前物販で泣いていたのと同一人物だとは思えない。不思議な子。
「ここ、春から住んでるんです」
家に行くなんて一言も聞いてないのに……。いくらオタクだからって部屋に上げても良いんだろうか。危機感とは。まあまあ綺麗なマンションの3階にエレベーターで上り、蘭丸くんがパンダのチャームのついた鍵でドアを開けると「どうぞー」と私を部屋に通した。
ワンルームで、部屋にはハンガーラックと小さなテーブルとベッド。
カーテンは黒で、冷房は付けっぱなしになっていた。反射的に部屋を見回す。女の子がいた形跡は見当たらない。
「……彼女とかいないの?」
「いないですよ。あ、その辺適当に座っちゃってください」
私に2Lペットボトルから注いだ午後の紅茶をマグカップで出してくれた蘭丸くんは、私の隣にクッションを置いて座ると「……あの」と話を切り出した。
「この前、怒っちゃったりしてごめんなさい」
「うん……。私もごめんね、大きい声出して」
「僕、貴方が居ないとアイドル続けられないんです。……いなくなっちゃうんじゃないかと思うと不安で、動悸がおさまらなくて、倒れそうになって、だから折角チェキ撮りに来てくれてるのに当たっちゃって……ッ、」
膝を抱えて苦しそうにする蘭丸くんの頭を、私はいつもそうするように撫でた。蘭丸くんはパニックになると過呼吸を起こしそうになる癖がある。落ち着いて、大丈夫、大丈夫、と声をかけながら背中を優しく叩くと、蘭丸くんはまた深呼吸をして話し始めた。
「お願いです。……無理はしてほしくないから、枚数は撮らなくてもいいです、毎回5枚でいいです、だから居てください、僕のこと見捨てないでください……ッ」
「わかった、大丈夫、大丈夫だよ、蘭丸くんの側からいなくならないよ」
「……本当ですか? ……僕が助けてって言ったら、こうやって、大丈夫だよって、言ってくれますか……?」
……また悪いことになるのを解っているはずなのに、そこで拒絶ができなかった。うん、と頷くと蘭丸くんは安心したような表情になって私に抱きついてくる。柔らかくて、それでいて骨張った感触。他界しようって確かに思ったはずなのに、どうして、何でこんなことに。
それ以来蘭丸くんは夜中だろうと昼間だろうと、不安でパニックに襲われると私に「助けて」と連絡をしてくるようになった。私は何をしていようとそこに駆けつけなきゃいけなくなって、深夜にタクシーで5000円の距離を飛ばしていくこともあった。蘭丸くんはいつも電話を繋いだ先で、泣き喚いて、私が他界しようとしたことを責めて、不安に溺れていた。自殺をほのめかす夜もあった。
「貴方が僕にこんな思いをさせるなら、うゔ、もうアイドルなんて、あの時辞めてれば良かった、ッ、ゔ……」
「ごめんね、ごめんね、全部私のせいだよね……」
やがて私は「帰らないで」と懇願する蘭丸くんに引き留められるようにして狭いワンルームで半同棲生活を送るようになった。蘭丸くんが私のことを責めて、ストレスが発散できて、アイドルが続けられるなら、もうそれで良かった。お金も直接渡すようになった。ライブには行っていたけど、もう何のために行っているのかよく解らなかった。
たぬきには誰がどこで知ったのか、「蘭丸とーーは同棲してる」と書き込まれるようになった。近所のコンビニやスーパーで目撃されているのか、現場に向かう時は必然的に蘭丸くんの方が家を出るのが早いから一緒にいることはないのに、……何でそんなことが書かれるのか。
考えてみれば妙かもしれない。先月までは私が物販に来ないだけでグズっていた蘭丸くんが、急に5枚だけで帰る私に落ち着いた接し方をするようになったから。
それでも炎上しないのは蘭丸くんにオタクがいないからだった。興味があるのもせいぜい織田の他のオタクくらい。どうでもいいんだろう。それよりは他のメンバーの繋がりバレのほうが火力がある。
半兵衛くんのところにチェキを撮りにいくことも無くなった。蘭丸くんがそのチェキを見つけた時にどんな反応をするかわからなくて、怖いから。
丹羽長秀のTOと一緒に、代アニLIVEステーションから新宿駅まで歩く帰り道、ふと彼女は切り出した。新宿の夜道はどんな時間帯でも明るい。ネオンが光っている。
「蘭丸くんと同棲してんじゃん」
「……うん」
自然すぎる話の始まり方だったので私は恐怖を覚えた。
「何で知ってるの」
「いや……言ってた。蘭丸が最近妙に落ち着いてるから変だって。女関係だろうって」
「……そっか……」
「付き合ってるの?」
「わかんない。都合よく子守りさせられてるだけなのかも」
「子守りって」
彼女は少し笑った。
「本当にそんな感じなの。パニクった蘭丸くんを私が落ち着かせて、ご飯作ってあげて。……長秀さんはまだ落ち着いてそうで良いよね」
「んー、まあたまにキレたりはあるけど子守りレベルまではいかないかな、さすがに」
「蘭丸くんのこと殺して私も死のうかな」
あはは、と乾いた笑い声を上げた。思いつめていた。夏が終わろうとしていた。私が蘭丸くんと円満に別れる方法は思い浮かばなかった。かといって私が蘭丸くんと心の底から別れたいと思っているのかといえば、そうでもないのかもしれなかった。蘭丸くんのこと大好き、って思う時もあるし、一緒にいてくれるし、私のことを頼ってくれている、と思う時もある。嬉しいはずなのに鬱陶しいってたまに思ってしまうのはなんでだろう。
スカートのポケットからチェキを取り出して眺めた。最近は物販のときに喧嘩することもなくなった。もっとも家で喧嘩しているだけなんだけど……。「アイドル」の蘭丸くんは可愛かった。笑顔で、きらきらしていて、幼くて。