「言いたいことはー置いといてー!蘭丸に捧げるジャージャー!」
置いとくな。普通にMIXに入れ。と思いながら叫ぶ。
もうこんな生活を続けてどれくらい経っただろうか。
限界メンズ地下アイドルを追い始めて8ヶ月が経った。アイドルグループ「OverDriveAddict」は今日も例に漏れずユーフェスの中盤くらいの20分枠を貰っており、上手1番の立ち位置を無事に交渉し、最前に入った私は水色の単色キンブレ2本を肩のあたりで振りながらライブを見ていた。(どうでもいいがユーフェスとは対バンイベントシリーズ”今夜もYOUのフェス”の略であり、タイムテーブル発表が異常に遅いことでメン地下のオタク間には知られている)
OverDriveAddict、通称織田。運営兼リーダーの信長さんの名字に由来しているらしい。又聞きなので知らんけど。
動員数はワンマンの招待込みで渋谷Freedomがまあまあ埋まるくらい。
……今日の会場は広い。白金高輪SELENE b2の最前は明らかに端のほうが埋まりきっておらず、そしていつものことであるが水色のペンライトを振っているのは私しかいなかった。
でしょうねー。
蘭丸くんと私とアイドルの話をしようと思う。
「今日私の斜め後ろで白振ってた在宅誰? あーほんとイライラする死ね、無理、終わり」
物販列で猛烈にキレているのは丹羽長秀のTOだった。TO、つまりトップオタである。彼女は丹羽長秀との繋がりが運営にバレて一度出禁をくらい、丹羽長秀も1ヶ月の謹慎処分になったが、なぜか出禁を解除されて現場に戻ってきたという猛者である。一応おまいつ(おまえいつもいんなの略で、毎回毎回現場に来ている暇人のことを指す)の間では、彼女なのではないかという結論に至っている。しかしなぜオタクを続けているのかは謎だ。
「蘭丸くんは今日も平和だったー」
自虐気味に私が言うことで場の空気をどうにかしようと試みる。
「でしょうね」
明智光秀のオタクがMaison de FLEURのカバーがついた携帯をいじりながら返答した。
「電波入んなくない? ここ」
「私Wi-Fiのパスワード知ってるから繋がるよ」
「え? 何でよ教えてよ」
「えっとね、ちょっと待って」
彼女は元地下アイドルだったが運営がクソすぎて「学業優先」という理由でアイドルを辞め、現在は単なるオタクをしている。白金高輪SELENE b2といえば電波が繋がらないことでオタクに多大なる不評を買っている箱だ。私がパスワードを打ち込むと、微妙すぎる弱さではあるものの電波通信が復活した。
「今日何枚撮る?」
「そもそも物販何分あるの」
「90分だって」
「丹羽さあ、30枚買ったら撮り切れると思う?」
「いやー丹羽は無理じゃない? 蘭丸くんはいけるけど。推し変する?」
「しないわ」
「それはそう。私も30かな……誰も回す人いないか……今日も」
地下のロビーは冷房が効いていて涼しい。1枚1000円のチェキを何枚買うかの算段を財布を覗き込みながら必死につけていた。
「そもそもさ、金ないんだって」
「いやそれはそう」
明智光秀のオタクがすかさず返答をする。これはこの場にいる全員が思っているであろうことだ。
「来週名古屋なのに今週6現場って鬼かよ」
OverDriveAddictは現場数が多いので、他のグループのオタクからはドSと呼ばれている。全通している身からするとドSというよりもはや鬼畜の域であるが、なんか、慣れてくると大丈夫になってくる、ということも特になく普通に辛い。
蘭丸くんと私の出会いは今年の冬に遡る。柴田勝家のオタクの友達にたまたま誘われたライブを観て、可愛い子だな、と思った。ゴシック調の衣装に、ふわふわ揺れるポニーテール。そしてすらりと伸びた白くて長い脚。幼いのに綺麗に整った顔。その時はいわゆる「軽率」だった。特に通う気もないけど、軽い気持ちでメンバーカラーのペンライトを振ったりするオタクのこと。友達は1曲目の最中、声を張り上げて「ねえ、どの子が一番タイプ!?」と私に訊いてきた。
「短パンのポニテ!」
「だろうなと思った!」
「何色?」
「水色!」
12色マルチカラーのキンブレのスイッチをかちかちと数回押して、2本の光る棒を水色にセットし、適当に振る。友達に写真を見せられたとき、可愛い男の子がタイプという自覚があった私は「短パンポニテかな」と呟いていた。蘭丸くんのことを当初は「短パンポニテ」と呼んでいたのもなかなかウケる話だが、とにかく私は初めてライブを観た時に水色を振ったのだった。
そのとき蘭丸くんと目が合った瞬間のことは未だに忘れられない。
私が持つペンライトを見て、ぱあっと表情が明るくなった。私は動揺する。もっと……もっと冷たい雰囲気の子なのかと思っていた。笑うと、こんなに子供っぽくて、くしゃっとした表情を見せるなんて。私は蘭丸くんのことをずっと見ていた。
「はい! まっさらホワイトブルー担当森蘭丸ですよろしくお願いしまーす」
MCで初めて森蘭丸という名前を知った。ホワイトブルーって何だ? と初めて思ったのもその時。これは今でも思っている。
渋谷ストリームホールのロビーは広い。真冬で、外は寒くて、再入場する気にはならなかった。物販が始まる。友達から説明をあれこれされる。織田は5枚ループ上限で、初回は1枚チェキ券無料で、蘭丸くんオタクいないから狙い目だよとか。まともに耳には入ってこなかった。無意味に緊張していた。
「はじめましてー」
最初は3枚出し。蘭丸くんのレーンにいるのは私だけだった。隣では柴田勝家と友達が愉快そうに会話していた。蘭丸くんの顔が綺麗すぎる。私は硬直する。
「あ、はじめまして……」
「水色振っててくれましたよね? 僕、すっごく嬉しくって! レスしたの気づきました?」
怒涛の攻撃。チェキペアの銀髪の男が「はい撮るぞー」と気怠そうに言ってくる。
「じゃあ、ぎゅってしてもいいですか?」
「え? あ、はい」
間抜けな返事しかできない。顔と顔の距離が近い。死ぬ。死ぬ~と思いながらも、蘭丸くんは私に「水色振ってくれて本当に嬉しい」旨を連呼していた。そんなに嬉しかったのか……。
「蘭丸くん可愛いなぁ……」
何かがおかしい。
翌々日の現場にもなぜか私は足を運んでいた。蘭丸くんが可愛すぎて、もう頭から蘭丸くんの笑顔が、話す高い声が、握ってくれた手の感触が離れないのだ。こう書くと限界ドルオタおじさんみたいでマジでキモいな。でも昨日話したら高校生って言ってたし犯罪だしかなり死にたいな……。
SEでライブは始まる。最前列にまた私が立っているのを見つけたとき、蘭丸くんは私と目が合うや否や、私が普段の生活で見ることは絶対にないような、途方もなくきらきらした笑顔を私に向けてくる。ウッ……。
物販で私はチェキ券を30枚買った。
5枚出しでしめて6ループである。
3万円が一瞬にして紙束になった瞬間であった。貨幣価値。儚い。
「また来てくれたんですね! 僕本当に嬉しくて、もう本当に嬉しくて~!」
蘭丸くんはにこにこにこにこ終始過剰なくらいの笑顔を私に向けてくる。でも次の瞬間、突然、私と蘭丸くんの、物語の幕が切って落とされたんだけど、それは今となってはどうでもよくて、まあ一つのきっかけにすぎなかったんだけど、
「昨日、僕泣いてたんです。ひとりも水色を振ってくれる人がいなくて。物販も出ずにずっと楽屋で泣いてました」
――蘭丸くん昨日物販休んでたから今日ライブ出ないのかと思ってた
友達が何気なく零した言葉がフラッシュバックする。
「あなたがいると水色のペンライトがフロアにあってすごく嬉しいです。昨日なんか悲しくて、水色にバーカウンターが光ってたからそこに向かってレスしてたんですよ! ふふ、笑っちゃいますよね」
「じゃあ私が全通すれば蘭丸くんはもう泣かない?」
そう言ったときは冗談のつもりだった。
「本当ですか?」
蘭丸くんがただでさえ近い顔の距離をさらに詰めてくる。
「……あなたがいてくれたら。僕はアイドルを、続けられるのかもしれません」
この気持ちは、同情? 私がいないと水色のペンライトが無くて蘭丸くんが病むから? そんな動機でずるずるともう8ヶ月も、ライブに通い続けているのはほんと、何なんだろう。
蘭丸くんが病んで泣くのは可哀想だから、全部のライブで水色を振るし物販もできるだけ回す。必要とされてるんだか、されてないんだか。よく解んないや。私じゃなくてもいいのにな。
私が死んだら蘭丸くんは悲しんでくれるのかな。ちょっとは悲しむかもしれないけど、別のオタクがついたらすぐ忘れるんだろうな。うーん、悲しい。