地底世界を中心に未知の世界にまつわる情報を紹介
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三瓶小豆原埋没林公園 巨大地底林で感動しました。
おおよそ4000年前の森です。
ここは、縄文時代の森が、三瓶火山の噴火による火山灰に埋もれて、そのまま地底に閉ざされていた古代杉の地底林です。
地下展示室内部に入ると、大きな円筒形状の地下空間が現れます。
感動です!
上から覗くと、結構高さがあります。
下に見える地面が約4000年前の大地です。
先ほどまで立っていた入り口は、火山灰が体積して出来た現在の大地です。
埋没年代 3500年-3700年前
太い木は、ほとんどがスギとの事です。
スギ以外にも、トチノキ、ケヤキ、カシの仲間、ニレの仲間も生えていたそうです。
太い木は、現在の地面よりもはるかに上まで枝が伸びていたでしょうから、80メートル位の高さの木々が沢山生えていた森なのでしょう。
直径1メートル以上のまっすぐ上に伸びた杉の木が、迫力満点です。
40年近く前、雑誌で「チベットの洞窟の中で、宇宙人が残していった何かデータが記録された円盤状で虹色に光を反射するものが発見された。現代の科学では解読不能」という記事を見た記憶があるのですが、
そのような記事を読まれた記憶のある方、いらっしゃいませんか。 今となると、それは現在のCDやDVのようなもので、現在の科学レベルだと解読できるかもしれないと思うのですが、当時はそのままどこかの国家施設や博物館か運ばれ保管されたままであると記事の中に書かれていたと思います。その後、どうなったのか 時々思い出しては、もどかしく思っています。
時期的に見てドロパ族の花崗岩円盤ですかね?
発見されたのはチベットじゃなくて中国・四川省ですが
古代のCDとか言われてる物です。
と、これだけ書くとすごい物の様に見えますが、
その後の中国側の追跡調査では、内部に電気回路など存在せず、
ただの石である事が発覚し、
上記の様な子供のミイラも捏造された物である事が判明してます。
そしてこの円盤は中国の歴史家ならすぐピーンと来るのですが、
古代中国で使われていた「壁」という物でして、
身分の高い王族とかが身につけるアクセサリーでした。
現に戦国時代には有名な「和氏の壁」を巡って秦王と
趙の名臣、藺相如が争ったエピソードがあります。
(下の画像が壁。中央の穴はぶら下げる為の紐を通す為のもの)
なので王族の墓とかからは結構な頻度で発掘される為、
中国では珍しくもなく(日本の埴輪みたいなもの)
誰も注目しなかったのですが、たまたま発掘チームに参加してた
中国の歴史に詳しくないロシアやアメリカのメンバーが
「これは古代のCDに違いない!」と本国でバカ騒ぎを始めたので、
慌てて中国サイドが調査して、捏造と分かった…というのが真相です。
まぁ有体に言えば、
アメリカ人が埴輪を見て「古代日本には巨大ロボットがいた」と
言ったような話です。
文化の違いとやらは時にバカバカしい騒ぎを起こすもんです。
ちなみにこの円盤、大した歴史的価値もなかったらしく、
ほとんど捨てられてしまったようです。
地底世界の存在説。
ジュール・ヴェルヌが1864年に発表した古典的なSF小説・冒険小説『地底旅行』
ジュール・ヴェルヌは秘密結社の高位階者で東方騎士団に関係していた。
彼の空想科学小説は事実に基づいたものである。
(ジュール・ヴェルヌの暗号という本も出ている)
例えば彼は火星の2つの月を、それらが発見される1877年以前に小説に描いている。
『地底旅行』は事実をもとに描いている。
デービィッドアイク著「大いなる秘密」上巻より
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南極にあるナチスのUFO基地?
ナチス軍は1938年、南極大陸を探検し、大規模な調査を行い、4000メートル級の山脈を発見。内陸部に雪の降らない地域と、温水湖を見つけた。そして南極大陸の一部を「ドイツの領土」と宣言したそうで、そこの地下にUFOの秘密基地を設置したと言われている。
http://blogs.yahoo.co.jp/p65_3_fairy/34578050.html
地底世界は存在していた! ~バード少将の場合~
1947年2月、米海軍リチャード=E=バード少将は、第68機動部隊を編成して北極上空を飛んでいた。
目的は、北極の調査。
しかし、急に天候が乱れ初め、やがて視界ゼロの状態に陥ると同時に高度が下がった。
すると、突然視界が開け、地上の光景が見えるようになった。
しかし、そこでバード少将が目撃したのは実に驚くべき光景だった!
眼下には、緑の原野や森林、川、湖、さらには山脈までもが広がっていたのである!
さらに、温度計が23度まで上昇。
しかも、地上の原野の上には、マンモスらしき動物が歩いていたのである!
バード少将は当初、新大陸を発見したのではないかと喜んだ。
しかし、ここは北極。こんな光景は在り得ない。
では、バード少将が見た光景は一体何だったのか。 ただの幻覚だったのだろうか。
いや、そうではない。
確かに、緑の大地は存在したのである。
では、どこに―――?
そう、地球内部にである!!
バード少将は、北極で、地球内部へ通じる穴を発見したのである。
しかし、物語はこれで終わりではなかった。
バード少将はその後、他の地域にも地球内部へ通じる穴があるはずだと考え、世界各地を探検。
そして、ついに南米ジャングルの中に深さ1000メートルほどもある大穴を発見した。
バード少将はヒマラヤのシェルパを雇い、ロープをつたって底へと降下。
穴の底にはジャングルが広がっており、奇妙な動物たちが生息していた。
さらに、200人もの人間が穴の底に住んでいた。
肌は極めて白く、ある程度の文明を築き上げていた。
バード少将は、この民族全員が長い槍を持っていたことから、彼らをランス族と名付けた。
ランス族はバード少将を快く受け入れ、1年間ほど穴の底で暮らすことになった。
また、1956年にもバード少将は南極を調査している。その際、再び地球内部へ通じる穴を発見。
しかし、その情報が洩れるのを恐れた政府は、バード少将を監禁。
厳重な監視下に置かれ、その事実の発表は抑えられた。
そして―――バード少将は1957年3月11日に死去。
南極探検から1年後のことであった・・・。
そして、1964年。アメリカの哲学者レイモンド=W=バーナード博士によって本が発表された。
バード少将の死後、バードの飛行記録を読んだ夫人は次のように語っている。
「バードはその後、地下で千年以上に渡って存在し続けてきた巨大な地下世界の代表者とコンタクトした。地下世界の住人は姿はほとんど人間と似ているものの、地上の人間よりも外観的にも、内面的にも美しいという印象を持っていた。地下世界では戦争がなく、新しいエネルギー源を持っており、食料や光に困ることはない。地下世界の人々は地上世界の人々と何度かコンタクトを取ろうとしたにも関わらず、全て拒絶され、その度に彼らの航空機は撃墜された。もし、いつか地上世界の人々が自滅するような事があった場合にのみ、手を差し伸べる事を決め、地上との接触を絶った」。
「地底人はバード氏に彼らの文明の全てを見せ、パイロットと共に再び、飛行機に乗って穴を通り、地上までエスコートした。帰り道、バードは知らぬ間に2750kmも飛行していた事に気づいた。その後、当局はバード氏を厳密な管理下に置き、生涯決してその事を誰にも話さないよう指示をし、バードは不遇のうちにその生涯を終えたのである。」
http://read01.seesaa.net/article/134668109.html
地底人とコンタクトしたと噂される
リチャード・バード海軍少将(1888~1957)の
飛行記録を読んだという人の証言がある。信憑性のほどはわからない。
「バードは地下の世界の代表者とコンタクトした。
地下の住人は地上の人間に似ているが、
見た目も内面も地上の人間より美しいという印象を持った。
地下世界は新しいエネルギーを有しており、
光も食料にも不自由はない。
地上の人間は何度か地下世界とコンタクトしようとして撃墜されている。
地下の住人は地上の人間が自滅するときには手を差しのべるが
それ以外の接触を拒絶する」
この接触がおこなわれたということになっているのは1947年の南極で、
そのとき南極ではアメリカ海軍の大規模な極地探検プロジェクト
「ハイジャンプ作戦」が遂行されておりバード少将はその指揮官だった。
選抜された数千人の兵士と13隻の軍艦、ヘリコプター、
水上飛行機、水陸両用の戦車までを動員して南極に乗り込んだが
航空機の墜落や消失などのトラブルがつづき
さらにバード少将本人の行方不明という事件まで起こって
早めに切り上げられている。
ハイジャンプ作戦は南極沿岸の航空写真を広範囲に撮影し
科学的な意義では成功をおさめたことになっているが
公式記録に記載された人命や航空機の損失以外のことが
あったのではないかと推測されている
地球の中は空洞になっていて、北極にある水のトンネルを通って、親子は地底世界に迷い込んだという。
地底には中心に「地底の太陽」が存在している。
船の前と後ろには空が広がっているものの、上空にも海があるのだ。いや、上空だけではない。右にも左にも、海の壁のようなものがある。まるで水の中のトンネルを航行しているかのようだ。
この奇妙な風景は数日間続いた。そしてやっといつもの風景・・つまりちゃんと水平線だけが見える普段の海にもどった。いや、でもやっぱり何か違う。上に見える太陽が妙に赤いし、海自体も何か変だ。今まで航行してきた海とは明らかに異質のものを感じる。
違和感を感じながらも船を操縦していると、やがて目の前に巨大な船が現れた。探検家 フリチョフ・ヤンセンは助けを求めようと近づいて行ったのだが、その船の乗組員たちを見てびっくりした。
彼らは全員身長が4メートル以上もあるのだ。親子はとっさに身構えて戦闘に備えたが、意外にも巨人たちは親切であった。
巨人たちは極めて友好的に接してきて、これから我々の国に案内しようという。巨人たちの言葉は聞きなれないものであったが、サンスクリット語に似た言葉で、かすかに理解は出来た。この後、探検家 フリチョフ・ヤンセンが連れていかれたのはイェフという町だった。
巨人たちは高度な文明を持ち、見たことのないような機械が数多く存在していた。建物は黄金で色どられ、何もかもが巨大だった。農作物も豊富で、リンゴは人間の頭ほどの大きさがあった。
巨人たちはみんな陽気で優しく、平均寿命は800歳前後だという。探検家 フリチョフ・ヤンセンはこの国の王から滞在の許可をもらい、この後2年ほどこの国で過ごすことになる。
空洞地球と地底人と宇宙人と古代文明
アメリカの元CIA職員で、ロシアに亡命したスノーデン氏が『地球のマントルに我々よりはるかに知的な生命が存在する』と語ったとされ、地殻の下層に位置するマントルにいる知的生命体、つまり地底人の存在を証言したとされて、最近になって地底人について話題になっているようです
取り上げて欲しいテーマについてのアンケートでありましたので今日は地球空洞説と地底人について書いてみます
古来より地底には地下世界が存在すると様々な神話や伝承で世界各地で言われています
ギリシャ神話の冥府・ハーデスや、日本神話でイザナミの黄泉の国、宗教でも地獄は地下の深いところに存在するとよく語られています
こうした古代の地獄と呼ばれるネガティブな世界が、地の底に存在するとする説があります
これは実際には、霊的に別次元に存在する、不調和な霊域のことをあらわしていて、この世の地下に存在するわけではありませんが、昔の人は別次元と言っても理解できませんので、地面の下にそうした世界が存在すると理解したのでしょう
このように、霊的世界のことをあらわしているので、実際に地下世界がこの世に存在するかと言うとまた別問題となります
今述べたように、霊的世界について、地下世界として表現されたのが、地底人の話のもとの一つです
別な理由として、古代において、人類が地下に都市を築いて文明を形作っていたことがあります
このブログでも過去に述べたことがありますが、日本でも地下に都市を作っていた時代があると見えます
世界的にも、カッパドキアの地下都市等があり、古代にはそうした地下生活をおこなっていた人々がいることがわかります
このように古代において存在していた地下都市の伝承が、地底人の説のもうひとつの根拠となっているでしょう
さらにもう一つあります
それは地球に飛来した宇宙人のうちの一部が、地下に居住空間をつくって、秘密基地のように存在しているということがあります
地球に飛来した宇宙人は、たえず宇宙船で生活しているのでなく、ベースキャンプを設営して地球を観測しています
そのキャンプの一つが、月面であったり、地球の地下であったりします
過去にこうした宇宙人の秘密基地に訪問された人がいて、地底人伝説が出てきたのではないかと思えます
以上見てきたように、ひとつは霊的世界の話し、二つ目は古代の地下都市の伝承、三つ目は宇宙人の秘密基地、この三つが地底人についての話の元であろうと思います
いわゆる地底に自然な空洞があって、そこで進化した高等生命が存在するということではないでしょう
トート文献[エメラルド・タブレット]にも地下に住む神々の記述があります。まずは、地底からひょっこり現れた人々について紹介しましょう。
ノルウェーなどの北欧系の金髪碧眼種族は、アイヌ人同様に蒙古斑が出ない人種で、地球では少数派です。また、金髪碧眼から、アヌンナキ(二ビル星人、プレアデス星人、琴座星人)の子孫であることは間違い有りません。従って、バビロン信仰の主流が流れ込んだ北欧や英国に、地底人信仰が残っていても不思議ではありません。
キリスト教が流入する以前の北ヨーロッパでは、地下に住む巨人族や小人族が信仰されていました。北欧神話では、「神々の黄昏」を生き延びるの地下世界の巨人族の一統だと伝えられていたから、人々の信仰も当然のように地下世界の巨人族へと向けられていました。
「神々の黄昏」とは、北欧神話の最終戦争のことです。この戦いで巨人族や魔族はことごとく滅びるとされています。つまり、神々が地球の覇権をかけて最終戦争を行うという意味だとすれば、この思想が最後の審判の原型なのかも知れないのです。
それでは、参考文献から地底人の特徴を列記した後、検討してみたいと思います。
1.人間ではない緑の子供
1811年6月、スカンジナビア半島の、ノルウェーとロシアとフィンランドの国境が交錯するあたりにネイディンという小さな漁村があります。ネイディン川の滝の裏側には洞窟があり、そこは地下世界に通じていて、決して足を踏み入れてはならないとされていたそうです。
ところが、村のイワノフが釣りをしているときに、この洞窟から声がしたため、入ってみると、子供達が居たといいます。そこで、声をかけてみたところ、子供達はびっくりして、洞窟の奥へ逃げ出したが、イワノフと正面からぶつかった子供が一人居た。よく見ると人間の子供ではなく、びっくりしたイワノフは、手近な石を取り上げ、子供を殴打した。見かねて、懸命に看護したが二日後に死亡した。
二ヶ月ほどして、ロシア正教の大主教の使いが来て「ここで尊きお方が亡くなられたことは明らかになった。来年より毎年夏至の日に、大主教がお越しになり、死に行く神の儀式と復活の儀式を執り行われる。」と告げた。以後毎年儀式が行われているそうです。
不思議なことに、「死に行く神の儀式」と「復活の儀式」は、古代北欧の異教儀礼であり、ロシア正教の儀礼ではない。
■子供の特徴は、下記の通り。
a.真っ赤な目、濃い緑色の肌。
b.髪の毛は黒いが、頭頂部だけがはげている。
c.身長は一メートルくらい。
d.手足の指が異常に長い。爪のない長い指。
e.黒くてぴかぴか光る服を着ている。
2.地下に住む巨人
1829年、ノルウェーの漁師が、北極で嵐に巻き込まれトンネルを抜けて地下世界に迷い込んでしまった。そこには、巨人が住んでおり、親切にされ一年を過ごした後、巨人に別れを告げトンネルを抜けると、そこは南極だったという。
■巨人の特長は、下記の通り。
f.身長四メートルの巨人。(大きさからは旧約聖書に出てくる2番目に大きな巨人)
g.平均寿命は八百才。
h.信仰は太陽信仰。
i.巨人世界の太陽は、まるで霞がかかったように鈍く輝いていた。
3.緑の子供
12世紀、イギリスのサーフォークの寺院の近くの洞窟に、突然全身緑色の男の子と女の子が現れました。
■特徴は、下記の通り。
j.頭から爪の先まですっかり緑色。
k.最初は何も食べなかったが、豆を食べるようになり、ついにはパンも食べるようになった。
l.その頃には、肌の色も、すっかり普通の人間と同じになっていたという。
m.私たちは聖マルティンの治める国から来ました。
その国がどこにあるかは覚えていません。
私たちが住んでいた国では太陽は昇らず、明るい日光もありません。
この国の日の出前、あるいは日没後のような薄日がさすばかりでした。
n.男の子は早々に亡くなったが、
女の子は成長してノーフォークのリン王に嫁いだと伝えられている。
4.地底人と巨人の検討とまとめ
これら、地底人に対する記述を読んでいると、地底人には様々な種族が居ると推測されますが、薄暗い太陽と、緑の体という共通点があります。
緑の体に赤い目のような人類とは違う特徴は、ドゴン族に出てくる神・始祖ノンモとまったく同じ特徴です。つまり、緑の子供はノンモ系の末裔の知的生命体なのかも知れない。日本で言えば、河童にそっくりです。
そして、地上生活にも慣れることができた人類型地底人だと、イギリス人と変わりないことから、肌の色は白に、髪の毛は金髪に、赤い目は碧眼に変わったのかもしれません。逆に、日光が薄暗く、圧力の大きな環境で、金髪碧眼の人が生活すると、緑の子のように変化するのだと思います。
この変化はなにも不思議なことではなく、日本人が土壌にカルシウムの多い欧米で生活すると、黒の髪の毛が茶色っぽくなります。そこで、黒髪黒目の日本人が地底で生活した場合を、検討してみましょう。
落葉する植物の葉は、春から夏にかけては緑で、秋になれば赤く紅葉します。これは、夏の日光は赤外線寄りの電磁波が多く、冬は赤外線よりも紫外線寄りの電磁波が多くなります。このように、季節に応じた日光の電磁波の変化を、植物は効率的に利用できるように、紅葉することが分かっています。だとすれば、赤い目は、地底世界には紫外線が多いことを意味しています。薄暗いことからメラニン色素はほとんどなく、紫外線を反射しやすいように肌は緑から青色気味でしょう。さらに、植物の光合成がそんなに活発ではないでしょうから、地底の食物で生き抜くには、光合成を行う菌との共生が必要なのでしょう。これらの考察から、肌は緑、髪は茶、目は暗い赤のように、変化するのではないでしょうか。
このように肯定的に考えれば、地底人の存在は否定できません。
似たような話として、バーミューダ海域で、航空機や船が渦を巻いた円筒状の白い雲の中に入り込んでしまうと、計器類が狂ってしまう。しかし、トンネルを抜けると、全く違った世界に入り込んでしまうということが、いろいろな本に体験談として、紹介されています。この体験と、地底国へ迷い込んだ体験は、不思議なことに良く似ています。
結局、海底基地や地底基地などから、重力波が吸放出されると、水蒸気と電荷が集められ雲が発生してしまい、磁場や重力が狂ってしまう。そして、この雲に捕らえられると、海底基地や地下基地の内部に捕捉されてしまい、地底人に助けられるのでは、ないでしょうか。
別世界へ迷い込んでしまった人た飛行機や舟の乗員の話だと、この別世界は非常に広いのです。地下基地や巨大宇宙船だとしても、飛行機で飛べるほどには広くはないと思います。もし地下や海底にこのように広い基地が有れば、地震波の伝搬の様子を調べることにより、既に発見されているはずです。従って、多くは三次元フォログラフィーのようなバーチャルリアリティの世界を見せられているのではないでしょうか。
補足.破られた地球防衛システム(ツングースカ爆発)
1908年、ツングースカ爆発の時に現れた火の玉は爆発するまでに、二度も進路を変更したことが目撃され、しかも爆発の後で何者かが飛び去っるところが目撃されている。だとすれば、この火の玉は制御可能な人工兵器だったに違いありません。
また、ツングースカの近くの「死の谷」の内部には、死霊の地と呼ばれる人間でない種族が住んでおり、「竜王の口」があるといいます。
また、死の谷には、「鍋」や「キノコのような建物」が散在していて、岩盤をくりぬいて作られた深い穴に設置されている。そして必要に応じて地上に出現するという。目撃者によれば、このキノコの天辺が開いて、ピカピカ光る黒い服を着た人間が出てきたとのことです。これは、緑の子もピカピカ光る服を着ていることが共通しています。そして、ユミットの住居もまた、昼は地下に隠れていて、夜になると地上に出てくるといいますから、同じ建築思想なのでしょう。だとすれば、ユミット(プレアデス星人)は地底人と親類だということになります。
それではなぜ、UFOはツングースカを爆撃したのでしょうか。
ツングースカの近辺に、地下基地があるのだと推測する研究者がいます。敵UFOの飛来に伴い、ツングースカにある地球防衛システムが作動しているので、この防御システムを破壊することで、地球への侵入を容易にする目的だったのかもしれません。いずれにしても、宇宙人同士の戦いであった可能性が大で、太古の神々の戦いにこの兵器が使われ、神々の黄昏ではこのような兵器が使われることになるのでしょうか?
関連して、火星にあるという太陽系防御システムはスイッチが切られてしまったといいます。おそらく、同じ宇宙人がこのような兵器での攻撃にも耐えられるように地下に強固な防衛システムを築いた可能性があります。
補足.マンハッタン計画Ⅱ
1831年、ベルギーは、オランダから独立した。当時の市長は2000年までにブリューセルを世界の首都にすると宣言した。
荒廃していたブリューセルを再建した時、地下にある暗黒都市ブリューゼル(暗黒とは地上に比べ暗いという意味です)をそっくりそのまままねたという。
1900年代、当時の市長は暗黒都市ブリューゼルを脅威と感じ、地下に向かって核攻撃を行うことを計画したが。1989年に市長が謎の誘拐にあい、その後中止された。この直後の1989年から東欧は自由化へ、1990年には東西ドイツの統合、1991年にはソ連崩壊へ一挙に時代が流れていった。もしかしたら、この中止と旧ソ連県の崩壊が関連していると考えられないだろうか。
5.知られざるフリーメーソン
フリーメーソンでは有る程度上位に昇進すると、メーソンの信仰する最高神は、JAH=BUL=ONだと知らせれるそうです。
JAH=ヤハウェまたはエホバ。
BUL=バール。古代カナンの豊穣の神。
ON=オシリス。古代エジプトの黄泉の国の神。
結局、唯一神であるキリスト教と、両立することは不可能です。しかし、フリーメーソン入会当初は、キリスト教の神をはじめすべての神を自由に信仰して良いことになっています。最終的には、イエスはフリーメーソンの信仰する最高神の一分岐と見なされているに過ぎません。
当初フリーメーソンに入会する人は、信仰が自由なので、キリスト教と両立すると思いこみ、気軽に入会してしまいます。このため、イングランドとウェールズだけで、最盛期は60万人を上回るといわれています。
そこで、ローマカソリック教会は、フリーメーソンとの関係を再検討し、信徒がフリーメーソンの会員たることを一律に禁じるものではないとしてしまった。従って、カトリックの間にメーソンが増加しても別に不思議ではない状況ができあり、結局キリスト教の聖衣をまとった悪魔が、どうどうと神の僕として、何も知らない人々を導くことができるようになったのです。
6.十字架を背負った神の子達
ニムロデ夫婦と子のニヌス(タンムズ)は、エジプト神話オシリス・イシスと子のホルスにそっくりで、同じくヨセフ夫婦・子のイエスにも似ています。
ギリシャのカドモス,アドニス,バッカス、メキシコのケツアコルト、神ミトラなどの「神の子」は処女から生まれ、人々の罪を贖うために死ぬ運命を背負っていた。
これは、ノンモがドゴン族に殺された経緯を、何度も繰り返しているのだと考えられます。つまり、人類を救うために死ぬ「救い主たる神」という概念は古代からのものだったのです。
キリスト教以前の多くの神々の誕生日がなぜ12月25五日となっているのか。12月21日~22日、北半球では冬至となり、太陽の力は一年の内で最低になるので、象徴的として太陽は「死んだ」ということになります。そして12月25日頃までに太陽は、その力の絶頂点である夏に向かって再び輝き出すため、それゆえに古代人達は、太陽は12月25日に「生まれる」と考えていました。
ホルスはエジプト版「神の子たる太陽神」であり、バビロンのタンムズから派生したホルスは後に、イエスの雛形となったと考えられます。
イエス ホルス
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世の光であった 同左
道であり真理であり命であった 真理であり命であった
良き羊飼い 同左
子羊であった 同左
処女マリアの子 処女イシスの子
誕生は星によって予兆された 同左
十二人の弟子が居た 十二人の追従者が居た
明けの明星 同左
キリスト クルスト
山上でサタンに誘惑された 山上でセトに誘惑された
死から復活まで三日 同左
ミトラもディオニュソスもともに、象徴的な太陽神であり、12月25日生まれ、我々の罪を贖うために死んだと言われており、処女から生まれたという。
一方、十字架については、古代バビロニア人は彼らに文明をもたらした水神(エンキ)の紋章として十字型のマークを使っていた。クリシュナはイエスのように十字架に磔にされた姿で描写されていることもある。ケツァコルトは、十字架を背負って海から上がってきたとされています。
つまり、人類は神を殺したことを思い出させ、人類を完全に支配するために悪魔は何度も人類の救世主を出現させていたのです。
第4章 第4世界 完全なる世界に向けて
第四の世界 完全なる世界
「分かれる前に、いっておかなければならないことがある」ソツクナングは、第四の世界の岸辺に立っている人々に向かって言った。
「この第四の世界の名はツワカキ、つまり完全な世界である。その理由はいずれわかるだろう。かつての世界ほど美しくも、楽でもない。高いところや低いところ、熱と寒さ、美しいところや荒れたところがある。あなた方に選びとれる全てのものがここにある。」
「あなた方が何を選ぶかが、創造の計画を今度こそ遂行できるか、あるいはいつの日かふたたび世界を滅ぼすかを決定するのだ。さあ、あなた方は分かれて違った道を進み、地の全てを創造主のために所有せよ。あなた方のどの集団も、星のあとに従うように。星が停止した場所があなた方の定住する場所である。行きなさい。あなた方は善霊から助けを得るだろう。あなた方の扉を開けたままにして、私が語ったことをいつも覚えておくようにしなさい」
こうして、彼は姿を消した。
人々が岸辺から離れ、内陸へと入っていくと、低い風の音がまたきこえてきた。辺りを見渡すと、ハンサムな男が目に入った。
「あなたですか。音を立てたのは?」男はこう答えた。「そうだ。あなた方が道を探せるよう、私が音を立てたのだ。私がわからないか。マサウだ。この陸地の守護者、世話役である」
人々は、マサウを知っていた。彼は第三の世界の世話人の長だったのだが、やや尊大になり、創造主の御前で謙虚さを失ってしまったのである。霊であるため、彼は死ぬことができなかった。そこで、タイオワは彼をその役目から外し、死と地底世界の神としたのだった。この地底での仕事は地上ほど楽しいものではなかった。そこで、第三の世界が滅びたときに、タイオワは彼にもう一度チャンスを与え、次の第四の世界の世話人に抜擢したのである。
この世界で出会った最初の存在だったため、人々はマサウを尊んだ。「この陸地に住むことを許可してくださいますか?」と彼らは尋ねた。
「よろしい。大地の所有者としてあなた方を許可しよう」
「指導者になっていただけますか?」
「それはできない。私より偉大なお方が、あなた方にはたすべき計画を与えているのだ。
前の世界が海中に没したときに、この新しい陸が突き上げられて地球の背骨となった。あなた方がいるのは、その西側斜面だ。しかし、まだ移住は始まっていない。あなた方はまだ、星を追って定住する場所に辿り着く旅を始めていないのだ。私が指導者になる前にそれを終えていなくてはならない。
しかし、あなた方がまた悪しき道に戻るならば、私は大地をとり上げてしまうだろう。私が世話役で守護者だからである。北に行くと、寒さと氷に出会うだろう。そこは、この陸の裏門にあたる。この裏門を通って入ってくる者たちは、私の許可を得ていない者たちだ。さあ、行って私の許可によって土地を求めなさい」
マサウが消え去ると、人々は集団に分かれて移民を始めた。
「また会おう」と彼らは互いに呼びかけ合った。
われらが第四の世界は、こうして始まった。その名はツワカキ【完全な世界】方角は北、色はシクヤングプ【黄白色】。主なるものは、木ではジュニパー、鳥ではフタロウ、動物ではピューマ、また混ざり合った鉱物シクヤパラがあった。
内部が空洞?UMAに地底湖、地球には隠された謎がいっぱい!
■黄泉の国?それとも古代文明?
私達人間は、電気を主とした近代文明を築き上げ、いよいよ夢物語とされてきた宇宙進出の目処が立って来ましたね。
しかし、まだまだ地球に残された謎は多く、それを解明すべく地球に住み続けたいと考えている人はいるんじゃないでしょうか?
そう、それはアトラスシリーズでマッパーがマップを全部埋めなくちゃ気が済まないのと同じように、或いはFF・ドラクエシリーズでダンジョンにある隠された宝箱を全て回収しなくちゃ気になっちゃうのと同じくらいに、私も地球に残された謎を解明しなくちゃ気が済まないタイプなんです!
・・・・・・ちょっと違うか?まぁいいや。
例を挙げますと、『口裂け女』や『くねくね』などの身近に知られているオカルトホラーから、古代文明の一つと提唱されている『空中都市』や『海中都市』と言ったミステリーまで、宇宙に進出せずとも、まだまだ地球には解明されていない浪漫がたーっぷり残されているんですよ。
ニューネッシー
その正体は未だに不明。
ニンゲン
南極で撮影された『南極のニンゲン』と呼ばれるUMA。
妖怪の一つ『海坊主』ではとも噂されています。
そうした浪漫の一つ、『地球空洞説』がアメリカの極秘情報をリークして世界の注目を浴びた元CIA職員のエドワード・スノーデン氏により、再び話題に上がっていました。
地球空洞説は文字通り、地球の中身がスッカラカンの空洞でできているといった説の一つです。
この説を支持する理由の一つが、過去に唱えられた『アガルタ文明』と呼ばれる高度な文明、または異世界とも呼ばれている理想郷で、内部は空洞となっており、その入り口は理想の仏教国『シャンバラ』にあるとも言われています。
地球空洞説2
英語だらけでよくわからんでしたまる
私達が住まう日本においても、過去の伝承を纏めた書物『古事記』に、地下世界は死んだ人々の住まう『黄泉の国』として記されていますしね。
太古の日本には『黄泉路』が存在し、黄泉比良坂(よもつひらさか)で、葦原中国とつながっているとされる。
イザナギは死んだ妻・イザナミを追ってこの道を通り、根の堅州国(ねのかたすくに)に入ったという。
また、過去にはアポロ11号によって撮影された地球が、空洞だったことからも現在に続くまで地球空洞説が途切れないのが理由の一つでは無いでしょうか。
地球空洞説
1966年にアポロ11号によって撮影された地球。
黒い窪みが空洞になっている証拠だとか。
■地球にはまだまだ謎が。
最も、今では地球が『コア』と呼ばれる内核を中心に構成されている事は、皆さん周知の事だとは思います。
地球コア
御覧の通り。
地球の内部は殆どが溶岩でできています。
しかーし!しかしである!
科学的に証明されたとしても、それでも私達の一歩下には途方も無い空洞が広がっているのではと、夢を持った人々がいるんです。
実際、アマゾン川の地下に『地底湖』と呼ばれる広大な湖が広がっていたことが分かったのは、一昨年の2011年。
その広さはアマゾン川を遙かに凌ぐ大きさだと言われているのに、一昨年まで誰もが知らなかったんです!
アマゾン地底湖
アマゾン川の上空写真。
これよりも広大な地底湖が広がっているとは・・・・・・。
また、創作物ではありますが、児童向けファンタジー小説である『デルトラ・クエスト』にも殆どが地底湖で出来た地底世界の章がありましたし、有名な怪物や神話生物を生み出した『クトゥルフ神話』においても、地底には別世界が広がっていると地下空洞説を仄めかす文がちらほら見えます。
アマゾンの地下で凄い物が見つかる
【リオデジャネイロ共同】アマゾン川の地下に別の“大河”―。ブラジル国立天文台の研究グループは26日までに、アマゾン地域の地下約4キロにアマゾン川より幅の広い全長約6千キロの地下水脈が流れていることが分かったと発表した。
アマゾン地方の地下には大量の水の存在が指摘されていたが、アマゾン川を上回る巨大な水流の存在が確認されたことは、未解明の謎が多いアマゾン地域を知る上で貴重な成果と言えそうだ。
同グループは研究者の名から地下水流を「ハムザ川」と命名。ハムザ川は幅200~400キロで、アマゾン川河口付近の倍以上。
シャンバラは実在した! 謎の地底都市探検レポート
ヒットラーが、その存在を信じて探し回ったという伝説の地底都市シャンバラは実在した。これは、シャンバラからの初のレポートとなる。なおこれを暴露することにより当局の怒りを買うことになるかもしれない。当局にマークされることを覚悟の上、お読みいただきたい!
筆者がたっている場所は、南米某国のシャンバラへとつながる洞窟の入り口。周囲から隔絶されたアマゾンのジャングルの奥深くにひっそりと口を開いている。入り口付近には、アトランティスの遺跡が散乱しているが、いまだその存在は一般には知られていない。
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巨大な洞窟を進んでいくと、約一週間でシャンバラ王国の国境へと到達した。右に見える建物群は、シャンバラ国境を警備する国境の町。警備を行っているのは、チベット僧! チベットのポタラ宮から送られた何千人もの僧侶が、国境警備にあたっている。
奥の方には、シャンバラにエネルギーを供給しているテスラコイルが発生した巨大な放電が見えている。ここからは、警備のチベット僧に付き添われての探検となる。自由な行動は許されていない。
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この装置は、テスラコイルが発生したエネルギーを加速させる加速器で、地底の川の一部に沿って建設されている。地底では太陽エネルギーが使えないので、すべてのエネルギーは、この装置に頼っている。つまりシャンバラを征服するには、ここを攻撃すればいいのだ。今回この加速器に近づくことが許されたのは、幸運というほかない。
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ついに、シャンバラの王宮に着いた。壮麗な地下空間に建てられた巨大な建物だ。だが、どこかで見たことがあるとは思わないだろうか? そう! チベットのラサにあるポタラ宮殿は、このシャンバラの王宮をモデルに作られているのだ。だから、どこかで見たような親近感がわくのである。
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次に案内されたのは、シャンバラの離宮である。離宮は地底の湖の真ん中に建てられている。一説では、フランスにこの離宮をまねたお城があるそうだ。この離宮は、通常キリスト教徒の修道院として使われているそうだ。少ないながら、シャンバラには迫害を逃れて地底に移り住んだキリスト教徒が存在するらしい。離宮には、シャンバラ王が、年三カ月だけ滞在するという。
この町は、シャンバラの中にある地底人の居住区。身長20センチ前後の地底人が住んでいる。地底人は、太古からシャンバラに住んでいる。人間と似ているが、非常に小さい。地底人にも種類があり、人間と同サイズの緑色の地底人も存在するらしい。
地底人は、たまに地上に出てきて目撃されることがある。中南米で目撃例が多いのは、シャンバラへの入り口が存在するせいだ。南米に存在する小さな人間のミイラは、実は地底人だったのだ。
地底のシャンバラには、いたるところに地底湖がある。地底湖には、生物発光を行う夜光虫が数多く生息し、波打ち際で銀河のように発光する現象がみられる。そして、古代から続く建物が数多く建っている。建物群の中には、すでに廃墟と化した建物も多い。高度な文明にもかかわらず、シャンバラは、地上の人間のせいで、衰退に向かっているという。
…ということで、神秘の地底都市シャンバラ探検は終わった。帰りは、元来た道のりを戻るのは遠いため、国境の町より、チベットのポタラ宮へと続くエレベーターに乗車! 信じるか信じないか、それはあなた次第です!
地底湖から恐竜の骨も…ブラジルの「シャパーダ・ジアマンチーナ」が鳥肌が立つほど美しい
ブラジルの北東部ノルデルチ地方に位置する「シャパーダ・ジアマンチーナ国立公園」。広大な国立公園には、美しい滝や冒険心をくすぐる洞窟など見どころがとにかく多いようだ。この国立公園の広さ、なんと約15,000平方km!ちなみに東京都は約2200平方km。東京の7倍以上の大きさって…。
広大な国立公園の眺望。断崖絶壁の巨大な山塊と、それを覆う緑の草木。昔は氷河に包まれていたが、雨や風に侵食されたことでこの景観が作られたのだとか。
国立公園の南にはブラソンと呼ばれる断崖に挟まれた川が流れている。
フマーニャの滝。川の底が見えない薄暗さが不気味。
そして洞窟
観光用にちゃんと手すりのついた階段がある。鍾乳洞が美しい。
青の洞窟。上からは無数に氷柱石が伸びている。
そして圧巻は、洞窟内のアズール湖。光が射し込んで綺麗な水色になっている。調査により湖底からマンモスや恐竜の骨が発見されたというから、なんともロマンを感じてしまう。ここでダイビングをしてみたい…!
シュノーケリングが可能らしいが、少し恐ろさを感じる。
光が射しこんでいないと結構暗い。
写真で見る限り、日本であまり知られていないのが不思議なほど。最近では「一度は行ってみたい、世界の絶景…」系の記事が流行っているが、調べた限りその中でもほとんど紹介されたことがないようだった。
ぼく自身、一度ブラジルに旅行で行ったことがあるのだが、そのときにはリオデジャネイロとマナウス(アマゾン)にしか行かなかった。日程的には結構余裕があったので、その時にここの存在を知っていれば…!と今更ながら思ってしまう。やはり、ガイドブックだけでなく色んな人・媒体から情報を得て、行く場所を決めるべきかもしれない。アクセスもそんなに悪くはないようなので、次南米に行くときには「シャパーダ・ジアマンチーナ国立公園」は外せない。
大地の分断は数日で起き得るという発表(エチオピアの地溝)
エチオピアの2005年にできた裂け目の写真。相当な規模なのですが、これが「数日でできた」ものだと思われます。自然はすごいですねえ。
アメリカの WebBot プロジェクトが配布していて、日本ではヤスの備忘録のヤスさんが翻訳して配布して下さっている ALTAレポートというものは何度かふれたことがあります。
予測の方法が「人々の集合無意識と元型」ということで、まあオカルトの範疇ではありますので、こちらではそれほど詳しく取り上げたことがないのですが、関連してちょっと驚く記事がありましたので書いておきます。
前提としては、2009年7月20日に配信されたALTAレポート「来るべき未来の形」0巻1号の中にあるこの記述です。
2013年以降になると、アフリカ大陸が2つに分裂する。これはアメリカ大陸が南北に分離する前兆となる。しかし、今の段階ではこのデータの信頼性は乏しい。もう少し時間が立つとより具体的なデータが明らかになると思われる。
これを最初に読んだ時には「いくらなんでもそれはなあ」と思っていたのですが、昨日、GIGAZINE経由で知った「進行しているひとつの事実」を知って驚いたのであります。
記事は、
≫ アフリカの砂漠に新しい海が誕生しつつある(GIGAZINE)
元論文は、英語ですが、米ロチェスター大学が発表した論文です。
この GIGAZINE の「アフリカの砂漠に新しい海が誕生しつつある」というタイトルそのものがこの論文の内容を表しているのですが、要するに、エチオピアにある地溝を研究している中で、「アフリカ大陸が数日間で2つに分断する可能性」が発表されたということです。
エチオピアにかつてできた亀裂を研究して、データを収集したアディスアベバ大学の教授の研究によると、その亀裂は、
亀裂は長期間にわたる複数の小さな地震の積み重ねで開いたのではなく、わずか数日間のうちに長さ56kmにわたる亀裂が開いたということが判明しました。
とのこと。
つまり、今後起きる巨大な亀裂も同じように「数日間で起きる」可能性があるということが書かれてあります。
大陸の分断というのは何万年にもわたる地殻の変動により起こるというより、「数日で起きてしまう可能性がある」ということが発表されたものといってもいいかと思います。
私たちはずっと、「ダイナミックな大地の形の変動というのは数万年、あるいは数十万年かけて起きてきたのだ」と教わってきて、また、そう信じてきたのですが、もちろん少しずつ地球の形が変化していっていることは事実ですが、もっともダイナミックな変動は、極端にいえば「一瞬」で起きるものかもしれないということなのかもしれません。
すごい発表だと思いました。
地球というのは思っていた以上にダイナミックだし、その変化は別にゆったりしているわけではないのかもしれないのです。
Ethiopia-1.jpg
▲ 将来、海になると考えられている場所。エチオピアの北部です。これがどの程度の規模で裂けていくのかはわからないですが、「アフリカ大陸の分断」というようなことが論文などでふれられています。
私は以前、「深さ10kmの地震」というものを調べていて、それがやけに海嶺に多いという事実があって、海嶺のことを調べていたことがあったのですが(それまで「海嶺」なんて言葉自体知らなかったです)、海嶺というのはもともとマグマの活動によってできたものらしいですが、上のアディスアベバ大学の教授の話として、
「海嶺がこれと似たような断層へのマグマの貫入によって形成されるということはわかっていましたが、このように長い地溝が一気に開くことがあるというのは知られていませんでした」
とあり、つまり、海嶺や、あるいは地上の巨大な亀裂なども過去に「あっという間に」できたものなのかもしれないですね。今さかんに海嶺の深さ10kmで地震が発生し続けているのも、地球規模の変動と関係がある可能性もあるのかもしれません。
地球ってのは「数日で」全体的な形を変えちゃうのものかもしれないです。
こわいような気もしますが、どこかワクワクする話でもあります。
いずれにしても、何人かの地質研究者などがアフリカ大陸分裂の可能性について語っているのは事実のようです。しかし、これは考えてみれば、アラビアプレート独自の問題というわけでもないように思います。つまり、今、世界のプレート上では非常に多くの地震が起きていますが、ここに海底火山などの噴火なども頻発するようですと、いよいよ「全地球的な地殻変動」というものも起こり得るのかもしれません。
私個人では起きると考えていますが、それを恐怖と感じるのなら、「起こらない」と考えるのもいいかと思います。
地球(と宇宙)が自分で変動していくことに関しては、さすがに起きた場合でも人間にはどうにもしようがないですので、心配しても意味がないでしょうし、基本的には人間は楽しく生きていくべきだと考えます。
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中国地下に巨大な海
中国大陸の地下に巨大な海が存在する
2月28日付 の「Live Science」に、米科学者が地球の内部に巨大な"海洋"を発見したというニュース が掲載された。
それによると、地球内部を精密調査している科学者たちは、東アジアが位置する地球の内部に、少なくとも北極海に相当する巨大な海洋が存在する証拠を発見したという。地球の深層部にこのような発見がなされたのは、これが最初である。
これを発見したのはセントルイスにあるワシントン州立大学の地震学者、マイケル・ワイセッションと彼の元教え子で、現在はカリフォルニア大学サンディエゴ校の研究者であるジェシー・ローレンスの2人である。
2人は、地震波が東アジア一帯で、極端に弱まること に疑問を感じ、その要因を突き詰めていった結果、中国大陸の地下に巨大な地殻の空間を発見し、地震波の減衰の様子から、その空間が水に満たされていることを突き止めたものである。
問題は地震波の減衰が首都北京の地下周辺が最も大きいとされている点である。 どうやら、北京を中心とした広大なエリアが巨大水槽の上に位置しているようである。それは、もしもマグニチュード9を超す巨大地震が発生したら中国大陸は海底に没する可能性を示唆しており、その詳細な場所や地殻の厚さなどが発表されたら物議を醸すことは間違いなさそうである。
2人は近々発行される「AmericanGeophysical Union」の論文の中で、その詳細を発表する予定だという。
(ここに以前、多くの地底人がいて、水が浸入してきて、みんなが居住を放棄したのでは。
中国にはほとんど地震が起こらない部分がある。その部分では。)
2007/03/05
東アジアの地下に広大な海?を発見
Yahoo! Science経由で見つけた NewsLiveScience.com のニュース(2/28)から。Huge 'Ocean' Discovered Inside Earth
Scientists scanning the deep interior of Earth have found evidence of a vast water reservoir beneath eastern Asia that is at least the volume of the Arctic Ocean.
The discovery marks the first time such a large body of water has found in the planet’s deep mantle.
東アジアの地下の下部マントルの中に北極海の体積に相当する規模の膨大な量の水が貯えられていることがわかったとのこと。
The pair analyzed more than 600,000 seismograms - records of waves generated by earthquakes traveling through the Earth - collected from instruments scattered around the planet.
They noticed a region beneath Asia where seismic waves appeared to dampen, or “attenuate,” and also slow down slightly. “Water slows the speed of waves a little,” Wysession explained. “Lots of damping and a little slowing match the predictions for water very well.”
これは、過去に観測された60万個以上の地震波を解析することで明らかとなったもので、アジア地方の地下で地震波の減衰や減速が観測され、これは水が存在するという仮説を裏付けるものと考えられるらしい。
“That is exactly what we show here,” Wysession said. “Water inside the rock goes down with the sinking slab and it’s quite cold, but it heats up the deeper it goes, and the rock eventually becomes unstable and loses its water.”
The water then rises up into the overlying region, which becomes saturated with water. “It would still look like solid rock to you,” Wysession told LiveScience. “You would have to put it in the lab to find the water in it.”
Although they appear solid, the composition of some ocean floor rocks is up to 15 percent water. “The water molecules are actually stuck in the mineral structure of the rock,” Wysession explained. “As you heat this up, it eventually dehydrates. It’s like taking clay and firing it to get all the water out.”
The researchers estimate that up to 0.1 percent of the rock sinking down into the Earth’s mantle in that part of the world is water, which works out to about an Arctic Ocean’s worth of water.
地下に沈み込む岩石内の水分は、沈み込むと共に加熱され、やがて蒸発するものの、その一部は上層の岩石内に飽和状態で含まれることになるようだ。その量は局所的には15%にもなるようだ。アジア地区でマントル内に沈んでいく岩石中の水分は平均して0.1%程度と推定され、それが北極海と同等量の水分になるということらしい。
実際に、どの部分に水分が多く観測されたのかが、この絵でわかる。この図で赤い部分が異常に柔らかい領域で多量の水分を含むらしい。その中心はちょうど中国の北京の辺りとなるようだ。ちょっとわかりにくいが、日本の地下はむしろ平均よりも硬い(水分が少ない)領域となっているようだ。
地球内部の水分については、愛媛大学地球深部ダイナミクス研究センターの地球内部に水は存在するのか?に解説が載っている。これは、高圧実験により、マントル(上部マントルと下部マントルの境界のマントル遷移層)内に存在するカンラン石が数%の水分を含有しうることを明らかにしたもので、地殻が沈み込むときに海水が同伴してマントルまで運ばれることにより、マントルは結構な水分を含むのではないか、と推定している。
一方、こちらの研究成果では、さらに下部マントルにも相当量の水分が存在しえることを実験で明らかにしており、その水分は地球初期の水と推定しているようだ。
いずれにしても、地下に大量の水が存在しそうなことは従来から予想されていたが、今回の発表は、その大量の水分が地球のどこに存在するかを具体的に明らかにしたという点がポイントとなるようだ。マントル対流の際の地殻の沈み込みに同伴して海水が持ち込まれるのなら、海溝付近で水分量が多くなっても良さそうなものだが、あまりプレート境界の位置と水分の分布が一致していないように見える。 一方、この水が地球初期のものだとしても、中国内陸部の地下で水分が多いのを説明するのは難しそうだ。。
マントル内の水については、海水のマントルへの逆流や塩分地獄、そしてマントルの水5などに詳しい。
地球内部に水は存在するのか?
水は地球のかけがえのない成分ですが,地球内部にも存在するのでしょうか。 存在するとしたらどこで,またその存在量はどのくらいでしょうか。また,その 水はマントルダイナミクスにどのような影響を与えているのでしょうか。私たち の研究室では、マントル鉱物の高圧含水条件下での実験から,このような疑問を 解明しつつあります。
図1 地球は水の惑星といわれ,その存在によって地球の表層環境は他の惑星とは異な る独自の進化をし,現在の緑豊かな表層環境を作り出しました。その地球の重要な 揮発性成分の1つである水は,地球内部でも重要な成分の1つであり,その進化に 多大に影響を及ぼしてきたと考えられています。
地球内部に水が持ち込まれるプロセスを考えてみると,まず,(1) 46億年前の 地球形成期に存在した「マグマオーシャン」への水蒸気の溶解(図1),さらには それ以降では(2)プレートテクトニクスにより、 低温で密度が高い故に沈み込む海洋地殻に
図2 よる含水相の地球内部への運搬が考えらます(図2)。
地球内部は地殻、マントル、液体の外核、固体の内核と、大きく4つの境界に分 けられますが、 更にマントルは地震波速度が急変する410km,660kmを境に上部から 上部マントル、マントル遷移層、 下部マントルと分けられています(図3)。 この 境界はマントルの約60% を占めているカンラン石
図3 (本ホームページ:地球超深部 からの手紙、図1参照) の高圧相転移によるものと考えられています。 この現象は、 炭(炭素)が高圧下ではダイヤモンド に変わってしまうのと同じ現象です。最近 の 地震波トモグラフィー(本ホームページ:地球深部の 写真をとる、参照)では 沈み込む海 洋地殻は これらの境界を突っ切って、下部マントルまで向かっ ていく 様子も観察されています。
今まではカンラン石の高圧相には水は含めないと考 えられていました。なぜなら、これらの相が 安定な地球内部の条件では、温度 は1400~1500度であり、非常に高温であるからです。しかし、我々は、これら の相にかなりの水が含まれうることを高温高圧合成実験から明らかにしました。
合成した試料は電子顕微鏡、及び二次イオン質量分析計を駆使して、化学組成、含水量を決定しました[1]。 これによると、化学組成と含水量にある関係があることが明らかになりました(図4)。 このことはMgの入っていた場所がHに置き換わりうることを意味しています。この研究に より、カンラン石の高圧相には最大約3wt%の水を結晶構造中に含みうることが明らかに なりました。
図4 この相は410kmから660kmにわたるマントル遷移層で安定です。したがって, マントル遷移層に存在できる水の量は最大海水の約5倍の質量になります。このように, マントル遷移層は地球内部の重要な水の貯蔵庫となりうることを示しています。我々は, 下部マントルで安定なカンラン石の高圧相中の水の量も調べましたが,その量は 0.05wt%で非常に少ない結果となりました[2]。すなわち,マントル中で大量に水を保 持できる場所は,低温である沈み込む海洋地殻以外ではマントル遷移層のみとなります。
このようにマントル遷移層は地球内部の重要な水の貯蔵庫と考えられます。最近, 過去の広域変成帯の温度圧力履歴の年代変化(地温勾配の変化)と玄武岩の状態図 を組み合わせることにより,7.5億年前から地下30kmでの温度が600℃を下回るこ とから,マントル に海水が逆流をはじめたという説が提案されました[3]。いずれにせよ,現在では, 沈み込む海洋地殻の温度分布とその中に存在する含水相の安定領域を考慮に入れれ ば,海洋地殻の沈み込みにより地球内部のマントル遷移層にまで水が運搬されてい ることが示せ,マントル遷移層は含水化していることが考えられます。この水は、 地球内部のダイナミクスに大きく影響を及ぼしていると考えられ、今後はこのこと を解明していくことが重要な課題となります。
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水資源と世界の食料生産
―イスラムの膨張と水資源―
農業と水とは、切っても切れない関係にある。農業とは植物を育てて食料を生産する産業であるが、いうまでもなく水がなければ植物は育たない。一方、食料を消費する人間の数は増え続けている。2000年の世界人口は60億人であったが、2050年には90億人になるとされる。人口が増えれば必要な食料も増えるが、地球には増加する人口を支えるに十分な水が存在するのであろうか。食料の多くを海外に依存するわが国にとって、世界の水事情を正確に把握しておくことは重要な課題である。しかしながら、これまで世界の水問題を食料生産との関連で論じたものは、ほとんどないように思う。ここでは、世界の水資源と食料生産の関係について、マクロな視点から検討してみたい。
1.農業と灌漑
表1 灌漑面積が全栽培面積に占める割合 農業と水の関係を考えるとき、世界の農業は天水農業と灌漑農業に分けることができる。ここで、天水農業とは雨水に依存した農業である。日本では水稲の栽培が盛んであるが、水稲作に灌漑は欠かせない。適切な水管理ができなければ、安定的にコメを作ることは困難である。このため、狭い国土に多くの人口を抱えるわが国では、有史以来、営々と灌漑施設の整備と拡充が行われてきた。日本では灌漑面積の全栽培面積に対する割合である灌漑率は81%{灌漑率はFAOデータに示される灌漑面積を総作付面積で除すことにより求めた}(03年、FAO)にもなる。ところが、東南アジアでは未だに雨期になると籾をまき、水稲を栽培しているところがある。このような水田は天水田と呼ばれるが、水の供給は天候まかせであることから、毎年一定の収穫をあげることは難しく、また、水管理が十分にできないことから収量も低い。日本人は水稲を中心に農業を見るから、天水田の連想から天水農業は遅れた農業との印象を抱きがちである。しかしながら、広く世界を見るとき、天水農業を遅れた農業と見なすことはできない。
世界の農業はきわめて多様であり、一まとめに論じることは難しい。ただ、あまり細かく分けても、却って全体像の把握が困難になる。ここでは世界を20の地域に分けて検討してみたい。表1には20に分けた地域ごとの灌漑率を示すが、先進地域である西ヨーロッパや北アメリカの灌漑率は必ずしも高くない。北アメリカの灌漑率は18%、西ヨーロッパは13%に過ぎない。その北アメリカで05年において4億1700万トン、西ヨーロッパでも1億4300万トンの穀物が生産されている。これは1人当たりの生産量として北アメリカでは1261kg、西ヨーロッパでは574kg(05年、FAO)に相当する。天水農業でも、十分な食料が生産できているわけである。
北アメリカや西ヨーロッパでは主に小麦やトウモロコシが栽培されている。小麦とトウモロコシはコメと並んで3大穀物と称されるが、それは水田ではなく畑で栽培される。トウモロコシで年間800mm程度、小麦では500mm程度の降雨があれば栽培が可能であり、むしろ小麦の場合には降雨量が多いことは生育の妨げになる。
このような理由から、北アメリカやヨーロッパの灌漑率は低いものになっている。先に東南アジアには天水田が存在することに言及したが、このことにより東南アジアの灌漑率は17%と低い。この地域には、開発途上国が多くて灌漑設備の建設が遅れているためであるが、一方で降雨量が多いために、天水田でもある程度の収穫が得られ、加えて水田面積当たりの人口が日本や韓国などに比べて比較的少ないので、天水田でも十分な食料が得られたという事情もある。
一方、水稲作をほとんど行っていない西アジアと旧ソ連(アジア)における灌漑率が高くなっている。穀物としては主に小麦が栽培されているが、小麦は降雨量が少ない地域でも栽培できるため、両地域に好適な作物であるが、その必要最小限の降雨量すら得られないところが多い。そのようなところでは、灌漑水により小麦が生産されている。
2.水資源と取水量
表2 水資源と灌漑
表2に各地域の水資源量と取水量を示す。ここで、水資源量とは各地域で毎年新たに使用することができる淡水の量である。取水された水は家庭や工場、また農業に使われることになる。地域により若干の違いはあるものの、世界全体を見れば水資源の約7割は農業に使われている。
世界には4万1204km3もの水資源があるが、これは東京ドーム3300万杯にも相当する。現在、人類が利用しているのはこのわずか7%に過ぎない。世界全体を考えるとき、地球にはまだまだ十分な水資源があるといってよいだろう。取水率(取水量/水資源量)では東南アジア、オセアニア、太平洋諸島、北ヨーロッパ、旧ソ連(ヨーロッパ)、西アフリカ、中央アフリカ、南アメリカでは2%以下にすぎない。西アフリカや中央アフリカでは人口爆発が懸念されているが、表2に示すほどの水資源があれば、その絶対量が問題になることはない。
一方、東アジア、南アジア、西ヨーロッパ、南ヨーロッパ、東ヨーロッパでは取水率は15~28%になっている。これらの地域は人口密度が高く、また長い歴史を有していることから、有史以来、少しずつ水資源の利用が拡大したのであろう。ただ、これらの地域では人口爆発が収まりつつあることから、今後、中国北部やインド南部において部分的に水不足が問題になることはあっても、現在の取水率からして、全体として水不足が深刻化することはないものと考える。
3.イスラム人口の増大と水危機
表3 イスラム人口の膨張
すでに水不足であり、今後、ますます悪化するであろう地域がある。それは、取水率が153%の北アフリカ、57%の旧ソ連(アジア)、49%の西アジアである。北アフリカの取水率が100%を超えているのは、水資源量の多くを域外に依存していることによる。たとえば、ナイル川の水源は東アフリカにある。
この3地域には砂漠が広がり、またイスラム教徒が多く住んでいる。表3に示すように、1950年において1億3700万人に過ぎなかった3地域の合計人口は2000年に4億7200万人、2050年には8億9200万人と1950年比の6.5倍にもなると予測されている。とりわけ、西アジアの増加が著しい。因みに、同じ期間に世界の人口は3.6倍にしか増えない。
これは大きな目で見れば、16世紀頃からヨーロッパのキリスト教徒に敗れ続けてきたイスラム教徒が、石油の産出により自信を取り戻し、復権運動を行っている過程との見方もあるようだ。しかしながら、もともと砂漠が広がり水資源の少ない地域での人口急増は、この地域における水供給、ひいては食料生産を不安定なものにしている。表1に示したように、この地域の灌漑率は高いが、それに必要な水資源が十分に存在しているとはいえない。有名な環境問題に、旧ソ連(アジア)に所属するカザフスタンとウズベキスタンに跨るアラル海の縮小問題があるが、これはアラル海に流入する河川から灌漑用水を過剰に取水したことにより生じた。
4.地下水を用いた穀物生産
サウジアラビアにおける穀物生産の現代史は、西アジアに位置する「砂漠の国」での食料増産がいかに困難なものであるかを教えてくれる。FAOの統計は1961年にまでしか遡れないが、この年の1人当たり穀物消費量は159kgであった。穀物消費量には直接食べる分と飼料に回す分が含まれるが、この量では家畜飼料に回す分はほとんどない。因みに、同年の日本では266kgである。
しかしながら、石油輸出により所得が向上すると穀物消費量は増加し、84年には747kgと西ヨーロッパ並みになった。穀物が家畜飼料として大量に使われるようになったためである。この増加は主に輸入により賄われ、最大800万トンに迫る年もあった。しかし、自給率低下に不安を感じるのはどこの国も同じなようで、サウジアラビアでは豊富な石油収入により地下水を汲み上げる設備を整備し、穀物を増産した。その結果、90年の生産量は400万トンを突破し、穀物をほぼ自給できるようになった。しかし、この状態は長く続かなかった。穀物を生産するために汲み上げていた井戸の水が枯渇したためである。
これにより90年代中ごろから生産量が急減し、それ以後は200万トン台に低迷し、穀物輸入量は再び増加して700万トン前後にも達することになった。ただ、人口が増加している割には、穀物輸入量は増加していない。これはサウジアラビアの食肉供給が、穀物飼料を輸入しての国内生産から食肉を直接輸入する方法に移行しつつあるためである。
地下水の枯渇が一国の農業生産を左右するような現象は、広く世界に存在するのであろうか。地下水を汲み上げて行う農業としては、アメリカのロッキー山脈の東側に存在するオガララ帯水層の化石地下水を利用した農業が有名であるが、ここでは、その農業がアメリカ農業全体に占める役割について検討してみよう。
同国は世界の穀物の約16%を生産し、世界最大の穀物輸出国である。この化石地下水の枯渇により穀物生産が低下すれば、日本の食料供給にも大きな影響を与えることになる。
オガララ帯水層に関連する州はサウスダコタ、ネブラスカ、ワイオミング、コロラド、カンザス、オクラホマ、ニューメキシコ、テキサスの8州である。アメリカの07年のトウモロコシ生産量は3億3300万トン、小麦が5200万トンであった。同年の8州合計の生産量はトウモロコシが3900万トン、小麦が1900万トンであったが、全米に比べ8州では小麦が多く生産されているといえる。これは小麦の生産が、西部の8州のような乾燥した地域に向くためである。
つまり、オガララ帯水層に関連する8州で、全米で生産される穀物の15%が生産されているわけである。ただ、この8州で生産される穀物の全てが化石地下水で生産されているわけではない。現在、8州の合計で約520万ヘクタールほどが化石地下水により灌漑されているとされるが、これは全米の現在の栽培面積の約5%に過ぎない。アメリカの農業はサウジアラビアとは異なり、その全体が化石地下水に大きく依存しているわけではなく、最大の穀倉地帯は五大湖の南側に広がり、この地域では主に天水に依存した農業が行われている。
アメリカの穀物栽培面積は19世紀から20世紀前半にかけて増加したが、その後は徐々に減少している。これは農業技術の発達により単収が増加し、これまで栽培してきた全ての農地で生産を行うと、生産が過剰になるためである。ピーク時(9500万ha前後)と現在の栽培面積の差は4000万haにもなるが、これはオガララ帯水層により灌漑が行われている面積の約8倍に相当する。
オガララ帯水層の化石地下水を利用しなくとも、全米としてみれば十分な穀物の生産が可能である。化石地下水を利用した農業が行われている8州は、東部やカリフォルニア州などにくらべて経済発展が遅れている。その遅れた州で営まれている農業の保護という観点から、化石地下水を利用した農業が維持されているということが、この問題の本質であろう。
紙幅の関係で詳細は記述できないが、アメリカだけでなく南アメリカにも膨大な食料生産余力がある。一方、サウジアラビアなど西アジアでは人口の急増に食料生産が追いつかない。さらに、このような地域で無理に農業生産を上げようとすると、アラル海の縮小やサウジアラビアの地下水枯渇のような環境問題が新たに引き起こされる。
地球上の人口と水資源は極めて偏在している。人類は21世紀において、地球のどこで食料を生産すれば環境に悪影響を及ぼすことなく生産が可能か、地球資源の有効利用を真剣に検討する時期にきている。
化石水
リビアの砂漠の中には、巨大な「化石水」の地底湖があることがわかった。
化石ができた太古の時代から地面に溜まっていたから、化石水と呼ぶという。
この化石水を利用して、とんでもないプロジェクトをリビア政府は考え、
そして実現している。
砂漠の中にある地底湖に深井戸を掘り、
そこから全長1900キロのパイプラインを地中海側に引いて、
海岸部から砂漠を農地化しているのだ。
あるところから、ないところに引く・・・
単純な発想だが、計画が壮大だからすごい。
そして、実行してしまうところが、なおすごい。
さすがカダフィを率いる国の考えることは違う。
井戸の世界観
世界の民俗目次を見る
典型的な中国の村は真ん中に井戸をもち、それを中心に集落が形成される。井戸は飲み水を供給するとともに、洗濯なども行われる社交場である。ドイツの農村も村井戸を中心に共同体の生活が営まれており、一村に多くの井戸のある場合、それを中心に井戸仲間が形成される。こうした井戸がもつ人々の生活への重要性は他の地域でも当てはまるが、西アジアから北アフリカにかけての乾燥地帯ではいっそう顕著である。ここでは、井戸は掘った集団や個人の所有に帰し相続の対象となっている。イスラム教徒の集落も多くは中心に井戸をもち、その近くにモスクが建てられる。イスラム教徒は、モスクで礼拝するにあたって、人体のあらゆる穴を清めることが必要とされる。井戸の水はその清めの力をもつ。特定の井戸の水がこうした宗教的、神秘的力をもつことは、他の地域にもみられる。インドネシアのバリ島では、ある寺院の中にある井戸は、神聖な水をたたえており、病気治癒に効果があるとされている。
古代ギリシアでは、聖なる井戸に供え物を投げ込むことによって占いを行う風習があった。供え物が沈むと神の好意が受けられるとし、そうでないと悪い兆しと判断された。スラブ人の間には、聖ジョージの日の明け方、娘が井戸を見つめ、水面に未来の夫の映るのを待つという風習があった。さらに、井戸の神が多産や治病の神として崇(あが)められることも、ヨーロッパの民俗に広くみられる。アイルランドのある井戸は、聖人の力で聖化され、身体障害を治す力があるといわれ、夏至の夜に多くの信者が集まる。
他方、地底に向けて掘られた井戸は、地下の国への入口とも観念され、水の精霊や水怪の住む所と考えられた。フィン人の間では、井戸の雄牛とよばれる水怪が井底に住むといわれ、子供が井戸に近づくとこれに引きずり込まれるなどと伝える。この俗信は、ユーラシアの東西に広がる水神と牛馬とを結ぶ観念に由来するとされる。
オーストラリアの地下洞窟の地底湖で「エイリアンスライム」の集団が発見される!!独立した生態系を維持!!
オーストラリアの砂漠地帯「ナラボー平原」にある地下洞窟の地底湖で、「エイリアンスライム」という微生物の群生が発見されました。この生物は、太陽からエネルギーを得ている地上生物の生態系には属しておらず、暗闇の中で独立した生態系を維持していました。
地球上のほとんどの生物は、太陽光をエネルギー源とした生態系に属しています。光合成によって成長した植物を動物が食べ、その動物の死骸を細菌が分解するといった食物連鎖が起こっています。
ところがWeebubbie洞窟に生息するこのアンモニア酸化細菌の「エイリアンスライム」は、それらの生態系とは完全に独立しており、暗闇の中でアンモニアを酸化させることでエネルギーを得ているといいます。またこの奇妙な生物は、その起源が海にあると考えられています。
この洞窟の地底湖は、ダイビングスポットとして知られる有名なポイント。地球上には、まだまだ人間の知らない生き物がいるみたいですね。
全ての生き物を石化させるエチオピアのナトロン湖がスゴイ!!これは完全に石像!!
アフリカ・タンザニア連合共和国北部のアルーシャ州ロリオンド県にある強アルカリ塩湖「ナトロン湖」では、生物たちが湖の水に触れると石化するという不思議な現象が起こります。
ナトロン湖は、降雨量によって大きさが変動しますが、最大で長さ57km、幅22 kmとなります。水深は浅く3mに満たない非常に浅い湖です。湖の南端から東方にゲライ山、南端から南方にオルドイニョ・レンガイがあります。中央ケニア高地に2万3207km2の大きな集水域を持ち、主な流入河川は北から国境線を越えて流れ込むエワソ・ンギロ川と北西から流入するPeninj川です。また、湖の底や周辺から噴き出す、熱くソーダ分に富んだ湧水も湖水を養っています。流出口は地表・地下ともに無く、水の損失は蒸発のみによって起こります。
気温が高く雨量が少ない気候ということで、水分が蒸発して塩性の土地から継続して塩分が流入するため、湖水の塩分濃度は極めて高くなっています。ナトロン湖の塩水は少なくとも8%の塩化ナトリウムを含んでいます。
ナトロン湖の水温は高いときには60℃、アルカリ性はアンモニアと同程度のpH 9~10.5に達します。また大量の炭酸水素ナトリウムを含んでおり、この特異な性質によって湖に落ちた生物は腐らずに石灰化して石のようにそのままの姿で固まってしまいます。
これらの写真を撮影したニック・ブラントさんによると、石化した生き物たちは湖から拾い上げてそのままの姿で設置したものだといいます。
オーストラリア沖に生息しているウスイロイルカが新種と判明!!DNA解析で明らかに!!
オーストラリア北部の海域に生息するウスイロイルカが、新種であることが分かったと、米野生生物保護協会が29日付の「Molecular Ecology」誌に発表しました。大型哺乳類で新種が発見されるのは非常に珍しいですね。
ウスイロイルカは背びれの下にあるこぶが特徴で、大西洋からインド洋、太平洋まで広く分布し、これまで3種に分類されていました。しかし今回の調査で、研究者チームは180個の骨格標本や235個の組織サンプルを採取し、DNAなどを調べました。
その結果、オーストラリア沖のウスイロイルカは従来の3種に分類されない別の種とされるべき、との結論に至ったとしています。
クトゥルフ神話~オーストラリアの超巨大地底湖について
★先日の記事でオースタラリアに「イスの偉大なる種族」の都市の廃墟について書きましたが、現実にあるもので変わったものについて書きます。
ひとつは「エアーズロック」です。皆さんご存知と思いますが、巨大な1枚岩です。 オーストラリアのほぼ中央にあります。先日のブログの地図の右のピンク色の部分です。高さ約348メートル、周囲約9.4キロの巨大な一枚岩 で約6億年前からあるようです。(2億3000万年前からとも言われています)もし6億年程前からあるとしたら「イスの偉大なる種族」が地球に来たときには、すでに「エアーズロック」はあったことになります。
そしてもうひとつのものこそ今日のタイトルにもなってます、超巨大地底湖です。大鑽井盆地(だいさんせいぼんち)のあたりを中心に存在し、面積はオーストラリアの国土面積の約25%だそうです。(TVでやってました)オーストラリアは日本の面積の約20倍ですので、この地底湖は日本の約5倍超です。すごいですね。日本の国土の5倍の地底湖ですよ、信じられませんが事実です。なんでもオーストラリアは昔2つの島がぶつかりできたということらしく、そのときの海が地底に残ったらしいのですが・・・巨大すぎます。その関係で大鑽井盆地には50年に一度地底から水が湧き出し地上に湖をつくってしまう地域があるとのこと。詳しくは以下アドレスで確認できます。又他にこの超地底湖の情報がありましたらコメント等頂ければ幸いです。書店でも調べたのですが、詳しい情報収集が出来ませんでした。これってTRPGのシナリオやストーリーのアイデアとしては面白いと思います。自分も機会があれば書いてみたいですね。
地球最大の地底海とオパールの関係 。。。
ブラックオパール
日本の22倍の面積を持つ広大なオーストラリアの大地。
でも、オパールが採掘されるのは、ある限られたエリアだけです。
そこには、オーストラリア大陸の歴史と地底海が関係しています。
グレートアーデシアン盆地
ご存知オーストラリアです。
この地図で右側中央の青く塗られている部分、この地域を“Great Artesian Basin (大鑽井盆地)”と呼びます。
この地質構造、簡単に言ってしまうと、「地下に大量の水分を持った場所」くらいの意味。
つまりこのオーストラリア大陸の23%、日本列島5個分くらいの面積を持った広大な海がその下に眠っているエリアなのです。
オパール博士と呼ばせていただきます。
「ぜんぜんわからん。。。」
そんな方のために、上の地図に少し手を加えてみると、
大鑽井盆地とオパール産地
赤字で主要なオパールの産地を書き込んでみました。
オパールの産地とこの地底海、不思議と重なってませんか?
それもなぜかその縁の方に重なっているような。
この地球最大の地底海と古の“エロマンガ海”
これがオパールの誕生に深く関わっているのです。
森の中に隠れた名所 クサマ村のセノーテ巡り
カルスト地形のユカタン半島にはセノーテが多く点在しています。その中でも有名なイッキル・セノーテやグラン・セノーテなどは、整備が行き届いており、多くの観光客が訪れる一大観光地になっています。一方、このコースでご案内するクサマ・セノーテは、地元の人々にこそ知られていますが外国人観光客はあまり訪れることのない隠された秘境のため、喧騒を忘れ静寂の漂う神秘の泉を心ゆくまでお楽しみいただくことができます。また、このセノーテが湛える地下水は石灰岩の大地で濾過されており、言葉に表せない程に清く透き通っています。その澄みわたる泉に実際にプカプカと浮かび、頭上から差し込む陽の光を眺める時間は、至極の心地です。
トロッコ馬車でクサマ村のセノーテ巡り
澄み渡る泉の中へ
梯子をつたい、古代マヤの人々に冥界の入口と崇められた地底湖へ
幻想的な地底湖や地底河川。湖はほぼ完全な円形で、透明度がかなり高い。長い年月をかけて川に削られて長い迷宮、トンネル、洞窟が出来上がった。たとえばリオセクレトは、鍾乳石と石筍でできたジャングルだ。ガイドの話では、あまりの絶景に、ここを見るために世界の反対側からはるばるやって来る裕福な観光客もいるらしい。
11. グリーンランド
なぜこういう名前が付けられたのか不思議だが(ホワイトランドの方がふさわしいのでは?(笑))、厳密には、グリーンランドも北米大陸の一部だ。
【恐竜】絶滅せずに…実は形態を変えて地球に生存 生き残りをかけた恐竜たちのある試み[7/21]
隕石落下や火山噴火など、さまざまな説が唱えられている恐竜絶滅の原因。しかし恐竜は、いまもかたちを変えて生きてるかもしれない。
■空きニッチに適応する
かつて恐竜と呼ばれ、太古の大地を支配した大型生物の一部は、実は形態を変えて未だに地球に生存している。ただし現在の彼らは空をも支配する。そう、鳥類だ--。
オックスフォード大学とロイヤル・オンタリオ博物館の共同研究によると、恐竜から鳥類への進化成功の鍵は、体長を著しく小型化させることだった可能性がある。
地球上の生物は、形態的、または生態学的に、非常に幅広い多様性がある。これを説明するモデルのひとつに「適応放散」と呼ばれる現象があるが、この説によると、
多様性は生物が異なる環境の空きニッチに適応した結果、生まれたものなのだとされている。
「恐竜は絶滅したわけではない」と話すのは、オックスフォード大学の脊椎動物古生物学者であるロバート・ベンソン博士だ。
「現在、恐竜の子孫は10,000種という鳥類へと姿を変えて存在している。われわれは、鳥類と、すでに絶滅したティラノサウルスやトリケラトプス、
ステゴサウルスといった中生代の親類を比較し、進化の繋がりを理解したかったのです」
ベンソン率いる研究グループは、まず426種の恐竜の大腿骨の大きさから体重を推定。
この方法は非常に信頼性が高いといい、進化のラインにある恐竜たちがどのように体長を変化させてきたかを知ることが可能だ。
また、とある近縁種がそのサイズおいてかなり類似しているならば、おそらく進化は遅かった。
しかし、彼らの体長が大きく異なるならば、進化は速かったことがうかがえるという。
調査によると、2億2千万年前頃から全恐竜の体長に急速な変化が起こっていた。これは草食性などの空きニッチに適応するために、
恐竜のサイズの大小に変化が生じたためだとみられている。しかし急速だった変化はすぐに減速し、その後多くの恐竜は安定した形態を維持していたことが明らかになった。
■体のサイズをデザインする?
ただひとつの例外は、羽のあった恐竜「マニラプトル類」だけである。ベンソンの調査では、この恐竜の系統樹だけは、1億7千万年間に渡って急速な体長の変化速度を保ち続けた。
映画『ジュラシック・パーク』でお馴染みのヴェロキラプトルを含むマニラプトル類は、肉食、草食、雑食のみならず、体長も種類によって15グラムから3トンと、
幅広い形態をもつに至ったのだ。
しかし地球が突然中生代の歴史を閉じた6,500万年前、急激な環境の変化に順応できたのは、どちらの恐竜グループだっただろうか?
化石が語るように、長い氷河期が食料不足を引き起こしたとき、巨大な体躯を持つ多くの恐竜は環境の変化に素早く順できなかった。
結果的に巨大な恐竜は絶滅を余儀なくされたが、常に空きニッチを模索し続け適応してきたマニラプトル類は生き残った。
体のサイズを“デザイン”し、多くの場合小型化しながら、鳥類へと進化を遂げたのである。
分類学上、側系統群では鳥類は爬虫類の枝分かれの一部であり、現生種の遺伝子分析ではワニ目と最も近縁であるが、同様に恐竜の子孫であるワニ目は23種。
鳥類10,000種の多様性とは比較にならない。太古の昔からサイズの大小は変われど基本的には淡水域に潜み、肉食で、それ以上にニッチの拡大はないワニ目と比べ、
鳥類はありとあらゆる場所に存在し、食性もサイズもさまざまだ。
四肢の脊椎動物の中で最も種に富んでいる鳥類は、常にエコロジカルなニッチに応え、長い時間をかけて継続的なイノヴェイションを遂げることで進化していった、
実に汎用性に富んだ生物だと言えるだろう。
恐竜が鳥類へと進化を始めたころ、空きニッチを埋める重要な要因はサイズだった。
ベンソンも、鳥類への進化成功は、当時恐竜の小型化の下限であった1キログラムを下回ることだったと考えている。
環境変化による食物の種類や量が生物の体長に直接影響を及ぼす以上、これからもサイズは進化の重要なパラメーターとなるだろう。
かつて恐竜と呼ばれたマニラプトル類がひとときも変化を止めなかったように、鳥類は、今も進化を続けている。
地球空洞説(2) ~ その具体的な世界
20世紀初頭、ウィリアム・リードやマーシャル・ガードナーが唱えた地球空洞説は、「地球は厚さ1300kmの地殻だけで構成され、地球の内部はがらんどうである。」という説である。
この説を信じている人は現代では、まずいない。だがこの地球空洞説が、多くの人々に信じられている時代があったことは事実である。以下が、この説の主な内容である。
北極と南極には巨大な穴が開いており、ここが地底世界の入り口になっている。
そして地底の中には、「地底の太陽」がその中心に輝いている。よく極地で見られるオーロラは、この地底の太陽の光が、入り口である穴から漏れて地上の大気に反映したものである。
地底世界の気候は温暖で、地上と同じような生物が存在している。ヤンセン親子が出会った巨人族は、その生態系の中でも万物を支配している存在に当たる。
この世界では地上で絶滅してしまったマンモスがいまだに生息しており、以前、シベリアの永久凍土でマンモスの死体が大量に発見されたことがあったが、あれは地底のマンモスが穴から地上にさまよい出てしまい、そこで凍死したものである。(マンモスが温暖、または熱帯の生物であるというのは現在では通説になりつつある。)
そして地上の海と地底の海はつながっており、ヤンセン親子の船のように、この穴(水のトンネル)を通って地底世界へ到達することが出来る。
ただし、この穴は高い氷の壁に囲まれており、なおかついつも濃い霧がかかっているから簡単に発見することは出来ない。
だが、この氷壁の切れ目から入ることが出来れば、極めてスムーズに地底の海へと入ることが出来る。また、アメリカ空軍のバード少将のように空中から入ることも十分可能である。
カスピ海と黒海は紀元前5600年前頃までは同一の巨大淡水湖だったのですか?
「古代文明と気候大変動・・・
人類の運命を変えた二万年史」著者B・フェイガン 河出文庫
によるとエウクセイノス湖という湖だったとされています。その後、海面上昇により地中海と繋がって黒海が湖でなくなったとされています。
しかしこれでは黒海とカスピ海が分かれる理由がわかりません。どういうことでしょうか?
海面が今よりも高かった場合の地形を出せるサイトがあります。そこで現在よりも30メートルほど海面を上げると、黒海とカスピ海は同一水面で繋がります。
http://flood.firetree.net/?ll=45.5679,43.5059&z=10&m=30 (パソコンでないと見えないと思うので、分かりやすくもう少し海面を上げた画像を付けときます)
細かく見ると分かるのですが、海面をかなり上げても、地中海と黒海の海峡部であるボスポラス海峡あたりはほとんど水没しません。要するにこの部分が昔は巨大堤防になっていて、カスピ海と黒海が一緒になって大量の水を溜め込んでいたはずだ、その湖がエウクセイノス湖だ、という話です。
まあ、今日のカスピ海がどこにも流れ出してないのに別に溢れないのは、その分の水が蒸発しているからですが、大量に水が流れ込むと水位が上がることになります。
氷河期はウラル山脈とか、とにかくボルガ川の上流方面に大量の氷が貯め込まれていたはずです。で、氷河期が終わると、その分の氷が溶けた水が大量に流れ込んで来ることになります。
で、そのうちについに限界になって堤防が決壊して湖の水が地中海に溢れて入り込んだ、というのがこの話の眼目です。溢れたら当然、水位は海面まで下がり、黒海とカスピ海は分離します。
分離後はカスピ海近辺はまあまあ乾燥している土地だし、氷河からの供給も終わった後ですから、蒸発に水の供給が追いつかず、カスピ海の湖面は下がって、現在の海面下何十メートルというところまで下がっていることになります。
マルマラ海の海水が峠を越え、海面より低い淡水湖に乱入して黒海が誕生した
―洪水伝説の誕生がノアの方舟伝説を生んだ―
黒海のイラスト
〈ー黒海の特徴的な地理ー〉
●現在の黒海は、周りをロシア(北)、グルジア(東)、ウクライナ(西)、ブルガリア(西)、トルコ(南)に囲まれた内海である。
広さは約46.1万平方キロメートルで日本の本州ほどである。名前のとおり海面は黒く透明度は低い、明るい青色のエーゲ海から、黒海に入ると不気味なイメージを抱くようである、古代より黒海は不思議な海であった。
エーゲ海からダータネルス海峡をすぎマルマラ海に入る、次に狭いボスポラス海峡が見える、狭い所で幅は700メートルから4キロメートルである。この海峡に吊り橋が架けられたのは1973年(1074メートルの橋)と1988年(1090メートルの橋)である。イラストではボスポラス海峡をやや強調して広く描いてある。
●この二つの狭い海峡が、大洪水の舞台である。科学的立場から伝承の大洪水伝説を解明する近年の研究を紹介する。
1996年12月、ニューヨークタイムズに注目される記事が発表された。
『コロンビア大学の地質学者ウィリアム・ライアンとウォルター・ピットマンの二人の学者が黒海に起きた大洪水を研究していて、この数年には研究論文が発表される』という記事である。1998年に研究論文が発表された。
以下の文章は(「ノアの洪水」ウィリアム・ライアン ウォルター・ピットマン著 集英社刊 2003年)から大洪水の経過を紹介するものである。補強するために他の資料も併せて紹介している。
《黒海の歴史》
淡水湖の湖が大洪水により海とつながり黒海が誕生した。この時の洪水がノアの大洪水伝説となった。
●紀元前7600年前頃、
黒海とマルマラ海を分けていた堰が、海水面の高いエーゲ海の圧力に負けて大崩壊した。大量の海水が、大滝となって低い黒海に降り注いだ。その勢いは時速80キロメートルを越えるものだったらしい、流入した海水は淡水湖であった黒海を現在のような海水湖に替えてしまった。黒海の水面もおよそ55メートルほど急激に上昇した、元は現在の広さより20パーセントほど狭い湖だったらしい。突然の洪水は、水辺に住んでいた先史時代の人類に押し寄せた、人は水に追われ少しでも高いところに逃げた。足の遅い子供や老人・女性は村と共に溺れ死んだ。崩壊が昼間だったのか夜だったのかはわからないが、岡を越える不気味な音は、岡が崩壊する前から人々を不安な心理に落ちいらせていたに違いない。
エーゲ海から黒海までは約31キロメートルの狭い谷があり、そこを徐々に海水が越えてきたのである、海水が押し寄せる不気味な音はだんだんと近づいてきた。しかし当時の人々には、その音が何なのか分からなかった。
●逃げた人々は、今のヨーロッパやイラン・イラクの古代文明発祥地方面に逃げた。ギルガメッシュ神話にも洪水の伝説がある。これらから旧約聖書の「ノアの洪水」伝説に継承されていった。一般的な類推では、ノアの洪水の原因が分からなかったために、神の怒りによる大雨洪水を考えたのではないかと思う。
●本当の洪水原因……今から20.000年前、
大規模な氷河の融解が始まった。黒海は氷河から流れくる水により淡水化され、最後には淡水湖なった。そのころ、地中海の海面は今より数百メートルも低かった。黒海(淡水湖)からマルマラ海へ淡水が溢れ流れていたほどである。その証拠は、ボスポラス海峡の10.000年前の沈殿物に黒海から流れ出る淡水の跡が発見された事で証明される。黒海の沿岸から、低くなった海面により露呈した地面を渡り、人類がアフリカから黒海付近まで進出していたらしい。湖の水辺には、狩猟や簡単な農業も始まり定住していたのではないか。氷河時代の終わりと共に氷河から溶け出した淡水は海に流れ出し、徐々に海面を上昇させた。
●15.000年前、
氷河は完全に後退した。氷河期の終わりかと思われたが、12.500年から1000年間は氷河期(ヤンガー・ドライアス)が再び地球を支配した。雨が降らなくなり黒海の水面も水の蒸発により低下した。マルマラ湖への流失も止まり、黒海は孤立した淡水湖となった。人も寒さに耐えられず逃げ出した。
●7600年前、洪水伝説の誕生
地球に 暖かさが戻ると人々は湖の水辺に戻ってきた。しかし、ついに地中海(エーゲ海)の海面上昇が、黒海につながる渓谷に注ぎ始めた、ナイアガラ瀑布の200倍に当たる海水が勢いよく流れ込んだ。ほぼ一年にわたり、渓谷を轟音と共に海水は黒海を目差した。マルマラ海をいっぱいにすると、ボスポラス海峡の堰を越え、音を立てて注ぎ始めた。一気に湖の水面が上昇して人々の集落を押し流した、流れ込んだ海水は黒海の水面を55メートルほど上昇させた。日本の災害で報道される大規模な鉄砲水を想像すればよい。
生き残った人々は上記のように周辺各地に逃げ「洪水伝説」を創り語り継いでいった。この時に水没した沿岸の集落を探す試みもあるが、今だに発見されたという確実な報告はない。その後、海底のカメラ探査によると「淡水湖時代の岸辺に人の住んだ形跡が発見された」との報道もある。
●上記の説は間違いだという学者もいる
ウィリアム・ライアンとウォルター・ピットマンの説は間違いである。洪水伝説にはいまだに決着の付かない論争が続いている。
●不思議な黒海の自然
地中海から流入した海水は塩分濃度が濃く、淡水の黒海に混ざると塩分濃度の少ない海水となった。あとから流入した地中海の海水は底へ溜まり、軽い黒海海水は上になった。水深200メートル下は酸素のない無酸素層になり生物は生存できない。この無酸素層ができたのは海水が流入したボスポラス海峡のみであり、比重の関係で酸素が充分に混ざらないためと言われている。
●ボスポラス海峡は、幅700メートルから4キロメートル、水深30メートルから100メートル、長さ31キロメートルと狭い海峡である。
アガルタ・ネットワークの中で、加盟が認められているのは、他者を傷つけず、侵略しない、「光=愛」の原則に基づいた都市だけである。アガルタ・ネットワークに加盟する都市の中で、この時代のテクノロジーと理念をベースにしているのはテロスだけではない。「ラーマ」というインドの地下にある都市もその一つである。(インドのもともとの名前アラマAramaに由来)アラマ文化は、4~5万年前に、アジア、インド、中央ヨーロッパに広がって落ち着いた集団で、ウイグル人と呼ばれる彼らも、地下都市を造り、このネットワークに加盟している。チベットの首都からそれほど遠くないチベットの地下にあり、チベットのラマ教の僧院によって守られている「ションシ"Shonshi"」はウイグルの都市である。ゴビ砂漠の地下にある「シングラ"Shingla"」もまたウイグルの都市である。
マットグロッソ台地の下には、「ポシディッドPosedid」と呼ばれるアトランティスの都市がある。またその少し北の大西洋の下には、別のアトランティスの都市があり、他にいくつか小さな衛星都市もある。
失われた北極大陸の謎
学研『ムー』2008年11月号掲載
○かつて地球の7分の6は陸地だった?
地球の内部はどのようになっているのか? 我々の科学の教科書では、まるで確認済みの事実であるかのように、地球は中心に向かうに従い、地殻、マントル、核で構成されており、中心部は鉄やニッケルなどが高圧・高温で存在するものと教えている。しかし、これまで、地球の中心まで穴を掘って確認した人間は誰も存在していない。地球の内部構造はまったく確認されていないこともあり、現在でも地球空洞説を支持する人々は存在し、彼らの多くは次のように推測している。
地球は約800マイル(1マイル=約1.6km)の厚みを持った地殻を持ち、さらに奥深く掘り進むと、内部は空洞になっている。地球の中心部には小さな太陽が存在し、それは半径約3200マイルの広大な空洞部を昼夜問わず照らしている。そして、極付近では地球内部の空間へ出入可能な穴が開いている・・・・・。
地球は空洞になっていて、UFOは地球内部から飛来する説を支持してきた代表的な研究家にセオドア・フィッチ(戦後、数冊の本を記している)が居る。彼は、聖書やエノク書の記述を手掛かりに、地球空洞説を唱え、人類は地球内部のエデンの園から現れ出て、いつかその土地に戻ると信じていた。彼によると、かつての地球は現在とははるかに異なる世界だった。本稿では主にフィッチが注目した点を主に紹介することにしたい。
ノアの時代の洪水が起こる前、地球の7分の6が陸地で、7分の1が水であった(エスドラス第二書6:42 ――― 聖書外典)。凍った水の空が大気の上に存在し、全世界は一様に涼しい気温に恵まれていた(創世記1:7)。熱帯植物、樹木、動物、鳥は、赤道直下と同様に、北極・南極にも溢れていた。
「そして神はおおぞら(空気又は大気)を造って、おおぞらの下の(地上の)水とおおぞらの上の水(又は氷の層)とを分けられた。神はそのおおぞらを天と名づけられた・・・・・神はそのかわいた地を陸と名づけた」(創世記 1:7-8)
聖書によると、洪水の前、全世界は巨大なガラス温室のようで、穀物、果物、すべての野菜が完璧で、人々は1000年近く生きた。
空は常に美しく青いとヨブは語っている。嵐、竜巻、津波、雲もなかった。1650年間、雨も降らなかった。「霧がわきあがって土の全面を潤していた」(創世記 2:6)。
つまり、大洪水前の地球は、7分の1だけが海であった。そして、多くの水分は大気中に含まれており、霧が地球を覆っていた。その霧の水分が地上の大地を潤し、動植物を生かしていた。そして、太陽から一様な光を受けて、地球全体が穏やかで温暖な気候であったという。
ところが、ある時、大気中の水分が落ちてきた。天の氷が解けて落ちてくると、最初の虹が現れた(創世記 9:13)。
そして突然、地球は高熱と厳寒に支配された。赤道直下では暑くなり、北極や南極ではおそらくマイナス50度ぐらいに冷えた。北極と南極の開口部の周囲で、洪水の水は大量に凍り付いた。
今日、地表の75%は水で覆われている。つまり、厚い霧が洪水として地上に落ちてきてことで、当時よりも海水面をおよそ3マイル(約4.8キロメートル)上昇させたことになる。そして、フィッチの描く未来では、「氷の層が元の場所に戻れば、もはや海はなくなる」(ヨハネの黙示録 21:1)。 現在の海水面を3マイル押し下げた新しい地球においては、飲み込まれてしまった古代文明の遺物が、2億平方マイル以上のかわいた地とともに地上に姿を現すのかもしれない(注、現代の視点では、大気がそれだけ膨大な量の水分を保持し得たのか疑問は残り、他の要因も考えられそうだが、かつての環境が取り戻されれば、海水面の後退はあり得るのかもしれない)。
○エデンの園は地球内部にあった?
「エデン」という言葉は魅力的な地域や居住地、つまり楽園を意味する。エデンの園はエデン東部にあった(創世記 2:8)。
フィッチは、エデンの土地(楽園)は地球内部全体であったと主張した。
「アダムとイブは主に従わず、エデンの園から追放された。そして、主はケルビムと炎の剣で彼らを締め出した(創世記 3:24)」
聖なる天使や邪悪な天使が地球内部のエデンから締め出されたことについては何も語られていないが、実際には、サタン(悪魔)とその天使たちは天国から地上(on to the earth)ではなく地中(into the earth)へと追放されている。アダムが創造される前、悪魔の天使たちすべてはなおも地球内部の地獄(地の底)にいたと示す<底知れぬ所の穴(bottomless pit)>が七ヶ所で言及されている(ヨハネの黙示録 9:1-2-11; 11:7; 17:8; 20:1-3)。
地球は球体で絶えず回るため、地球内部を単に「底」とは呼べない。そのため、深さ(直径)6,400マイルの空間は底知れぬ所の穴と呼ばれるとフィッチは考えた。
聖書には堕天使は地底にいることを示す節がいくつかある。
「また私は、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた」(ヨハネの黙示録 5:13)
「神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄に引き渡し、さばきの時まで暗やみの穴の中に閉じ込めてしまわれた」(ペテロの第二の手紙 2:4)
「大いなる日のさばきのために、永遠の束縛をもって、暗やみの下に閉じ込められました」(ユダの手紙 6)
「天使」という言葉は使者や代理人を意味する。聖書は300ヶ所以上で天使のことを語る。彼らは数千歳に及ぶかもしれない。フィッチは、ケルビムやセラフィムを除いて、すべての天使は人間だったと考えた。なぜなら、彼らは人間のように作られ、話し、歩き、行動し、人間に似ていたからだ。彼らのいくらかは、偉大な知恵、力、権威をもった、強大な天上の存在である。人間と天使との間の唯一の違いは、自分自身を不可視にできるかどうかという能力にある。
○エノクは地球内部の楽園を見た
天使と言えば、「エノク書」を避けて通ることはできない。そこには、おびただしい数の天使に関する記述が見られるからだ。そして、彼らの住まう地中の様子もそこに克明に描かれている。
一般に「エノク書」は『旧約聖書』の偽典(正典・外典に含まれないキリスト教・ユダヤ教の書物の総称)とされるが、その十七章から六十五章を通して、我々は地球内部の美しさと壮大さを読み取れる。
エノクは物凄い深さの渓谷や、とてつもない高さの山脈のことを語る。地上の人々が目にするものよりも、背の高い木々、広大な河、豊かな色彩の花、種類の多い金属、貴重な石をエノクは見た。
「私はそこから地の中へ行き、祝福された場所を目にした。そこでは、花を咲かせた枝を付けた木々があった・・・・・そして、私は言った。『完全に木々で満たされた、この祝福された土地にどんな目的があるのか?』」
彼は言った。「私は(ある)山々の頂(いただき)を越えて・・・・・そして、<高潔の園>(エデンの園の元になる)に着いた。それらの木々の向こうでは、魅力的な芳香で、美しく、見事な巨木がたくさん見えた。
私は見た・・・・・知恵の木(善悪知る木)を。その木は、モミの木ほどの背丈で、葉はイナゴマメのものと似ていた。その果実はブドウの房のようで、とても美しい。その木の香りは遠くまで届いた」
そして、エノクとともにいた天使が言った。「これは知恵の木で、あなた方の父(アダム)と母(イブ)が・・・・・食べ、知恵を学び、開眼すると、自分たちが裸であることを悟り、その園から追放された。
私は地上にあるすべての山々よりも高くそびえ立つ七つの山を見た・・・・・七本の河を見た・・・・・他のすべてよりも大きかった。私は七つの大きな島を見た・・・・・大きな海に」
エノクは地上のいかなる山をも凌ぐ、巨大な山について語っている。山々の頂からほとばしる水が滝や霧の水煙を生み出しているとも彼は言っている。そして、彼は高い山々の頂に見られる草花と木々の美しさを描いている。地上の高い山々は雪で覆われている。
エノクは言った。「私は地球の果てまで行って(北極付近?)、大きな獣たちを見た。それぞれ他とは異なった。鳥たちも外見、美しさ、鳴き声が他とは異なるのが分かった・・・・・そして、私は地球の果てを見て・・・・・天国の入口が開いているのを見た」。おそらく彼は、大きな地球の開口部を内側から目にしたものとフィッチは分析する。
エノクは言った。「北と呼ばれる第四の方角(の内側)は三つの区域に分割されている。その最初の区域は人間が住むための場所である。二番目の区域には、海、深海、森、川が含まれ・・・・・三番目の区域には<高潔の園>が含まれている」
○北の果てに楽園が存在する?
地球内部がエデンの園(天国)であるのか、逆に地獄であるのか、あるいは 時代とともに変化してきたのか、過去の文献でははっきりしない。
イヌイット(エスキモー)が祖先から受け継いできた伝説には、「極北地域にはツニートと呼ばれる心優しい巨人が住んでいたが、自分たちの祖先を見たら、目から血を流して逃げた」というものがある。一方で、エスキモーに自分たちの先祖はどこから来たのかと尋ねれば、彼らは北の方角を指差す。一部のエスキモーたちは、非常に美しい楽園という、魔法の国を口にする。彼らは自分たちの背後には非常に長い歴史があると主張する。
エスキモーの伝説は、光を絶やさない、美しく壮大な土地を伝えている。つまり、夜もなければ、明るい日差しもない薄暗い世界である。彼らは穏やかな気候であると語る。大きな湖は決して凍らず、熱帯動物たちが群れをなして歩き回り、様々な色をした鳥たちが空を覆い、人々は幸福に暮らし、決して死ぬことなく、永遠に若さを維持できる国である。アイルランド人も、常に光が絶えず、夏のような気候の美しい国が北の向こうに存在するという伝説を持っている。
2008年6月3日、米科学誌サイエンス(電子版)は興味深い事実を発表した。コペンハーゲン大などの研究チームがグリーンランドの遺跡から見つかった毛髪のDNAを調べたところ、極北地域に最初に移住した人種は、現代のイヌイット(エスキモー)などとは異なることが判明した。そのため、既に極北で暮らしていた巨人たちを祖先が追い出したというイヌイットの伝説に真実味を付加する結果をもたらしたのだ。
○海水面が低かった時代の北極大陸
大洪水前、大気中に多量の水分が含まれ、地表面の7分の1しか水が存在しなかったとすれば、北極地域は陸地であった可能性がある。聖書やエノク書、北米エスキモーだけでなく、北欧における伝説からも、極北の地に楽園が存在するという話はいくつも存在した。その世界観は16世紀においても、なお健在だった。
(図1)
ゲラルドゥス・メルカトル(1512-1594)は、「メルカトル図法」で有名なフラマン人地理学者である。1569年、彼は30年以上に及ぶ調査の集大成として、世界地図を完成させたが、奇妙なことに、北極大陸が描かれていた(図①)。それは、彼の息子のルモルドが1587年に描いた世界地図でもはっきりと表れている(図②)。
北極大陸は、四つの海峡で仕切られたドーナツ型をしている。図①において、周囲の大陸に目を向けると、左側が北アメリカ大陸で、右側下部がヨーロッパである。北極を中心に正距方位図法で描かれた現代の地図と比較して、大きな違いは、やはり中心に存在する北極大陸だ。
航空機や人工衛星の存在しなかった当時、地図作成には探検と地道な測量という大変な努力が要求された。メルカトルは1538年に世界地図を描き始めたが、コロンブスがアメリカ大陸を発見した1492年から、まだまもない時期と言える。そのため、もちろん、世界各地を探検し、正確に測量した人々は当時は存在しなかった。南極大陸の発見ですら1818年のことであり、北極地方は探検する人々は極めて少なかったのが現実である。
では、メルカトルは個人の想像だけで北極大陸描いたのか? その答えはNOである。しかし、現実に探検した事実に基づいて描いたとも言えない。より正確に言えば、既に触れたように、過去から語り継がれてきたことや、当時の人々に受け入れられてきた共通の認識を元に北極地方を描いたというのが妥当と言えるだろう。
聖書の創世記において、「一つの川がエデンから流れ出て園を潤し、そこから分かれて四つの川となった」という記述がある。一般的には、その四つの川は、チグリス河、ユーフラテス河に加えて、インダス河、ナイル河(又は今では干上がってしまった川)であったとされる。
しかし、フィッチよりもはるか昔から、エデンの園は、地球内部に存在する温暖な楽園であると考えた人々もおり、その四つの川は、メルカトルが描いた北極大陸を四分割する川に相当すると想像した人々も居たと言えるだろう。そして、北極から地球内部へ通じる穴(極の開口部)に向かうにつれて、海抜が下がっていくことや、エノクが描写したように、高い山々が存在する内部の様子を暗示させるべく、北極大陸沿岸部が高い山脈で覆われたようにメルカトルは描いたのではなかろうか?
(図2)
○北の果てに幻の都市が存在する?
過去の文献における地球内部の様子は、筆者が翻訳したダイアン・ロビンス著『超シャンバラ』及び『空洞地球』(いずれも徳間書店刊)での内容だけでなく、地底内部を垣間見た探検家等の報告と酷似している。両極に存在するとされた開口部は、アメリカ軍による探索以降、近年では完全に閉鎖され、もはや確認できないという説も存在する。そのため、現在においてはまったく想像の域を出ないテーマと思われるが、一つだけ北の果てに存在した都市に関して触れておきたい。
イギリスの研究家ピパ・ブレイブルックは、イギリスのサセックス郡ブライトンのクレセントで暮らすW・サウスと交流を持っていた。彼女はサウスが戦時中に体験した話を次のように書いている。
「コーンウォールで暮らしていた時、私はムーア(芝で覆われたゴツゴツとした丘)の中心にある牧羊業者(W.サウス)の家を訪れた。紅茶を飲みながら、彼はドイツ海軍の俸給支払證票を見せて、戦前、彼自身がアラスカやカナダ北部の氷雪地帯の探検家であったことを私に明かした。ハドソン湾郡の(毛皮を取る)わな猟師たちと話をした時、彼はある地域の珍しい地図を見せられ、秘密の世界のことを聞いた。1939年、その情報を持ってカナダを後にして、彼はドイツに戻ると、新しい調査船である、1200トン級の長距離潜水艦で極秘任務を与えられた。
コーンウォールにいた間、私はしばしば彼を訪れ、近年では、その"氷の都市"(南極のレインボー・シティーと比較される)を見つける調査のために、彼に手紙を書いてきた。彼はそれに関して敢えて手紙では書きたくはなく、直接会わねば話せないことをほのめかした、極めて慎重な手紙を私に送ってきた」
この情報は、1980年代初頭にMr. UFOの愛称で有名なアメリカ人研究家のティモシー・グリーン・ベックリー氏が得た情報であるが、残念ながら、ブレイブルックはさらなる情報を引き出せなかった。だが、何年も諜報部員を務め、UFOに関連した暴露本などを数多く記しているX(ペンネーム)が、次のような興味深い主張を行っていたことに彼女は注目していた。
「北の<氷の都市(アイス・シティー)>の地区には、一つのポータル又はドアが存在し、それはカナダ北部かアラスカの山岳地帯の凍り付いた滝の下にある。そこには電子器械の備わった巨大な洞窟があり、超頭脳機械であるコンピューターによって作動する、ロボット機械で制御された巨大な貯蔵庫もある。そこにはまた、太陽光として利用される、太陽エネルギーを供給する球体がある。また、暖かい水源からなる巨大な湖で溢れている」
遠い昔、地球の気候は現在とは大きく異なり、海水面がはるかに低かったのが事実だとしたら、地球の両極の果てに「何か」が存在したことを見出すのは難しくなかった可能性があるかもしれないが、今となっては極めて困難だ。さらに、アメリカ、カナダ、ロシアのような国家や敗戦までのドイツが地下都市の存在を軍事機密として隠蔽するか、又は、地下都市の住人たちが高度なテクノロジーを駆使して、地上の人間たちによる踏査を許さないとすれば、現在の我々にそれを見つけ出すことはほぼ不可能と言える。しかし、地球の地下800マイルを実際に掘って確認できるテクノロジーを持たない我々には、秘密の地下都市が存在しないこともまた、証明できてはいないのだ。
【メキシコ】透明度はなんと100m!神秘の泉セノーテ・イキルはマヤ時代からの贈り物
メキシコにある神秘の泉とされる「セノーテ・イキル」透明度はなんと100mといわれています。実はこの泉は地底湖になっており、歴史はとても古くマヤ時代から信仰の対象とされていた神聖な泉です。真水を蓄えている貴重なセノーテ・イキル、透明度はもちろんですが、まるで蜘蛛の糸のように上から垂らされたツルにもご注目下さい。神秘的な風景がより一層感じられるのではないでしょうか?また、こちらの泉では泳ぐ事も可能となっており、飛び込み台や着替えのスペースもあります。
セノーテ・イキルってなに?
セノーテ・イキルは地底湖の事。
川がないメキシコのユカタン半島で降った雨は、石灰岩の大地を溶かし、やがて鍾乳洞となります。
そして雨水は地下で川となって、流れているのですが、その天井部分となっている地層が没落してできた井戸のような泉がセノーテ・イキルです。
真水を蓄えているセノーテ・イキルは貴重な水源でもあり、雨の神チャックが宿る聖なる泉として、マヤ時代から信仰されています。
天空からの蜘蛛の糸?セノーテ・イキル
そんなセノーテ・イキルはまさしく絶景。泉はもちろんですが、泉を目がけて垂れ下がってくるながーいツルは、まるで蜘蛛の糸を思わせるような、情緒が漂っています。
緑との井戸の調和ある景色
緑と井戸のような泉が、織りなす景色はまさしく神秘そのもの。上から射し込む光と、透明度の高い泉、岩肌から生えている緑の装いはここでしか見られないシュチエーション。
火星の地下にこのような天然の巨大な地下空間が
何故存在するのか私には理解できないのだ。
モーフィアスの誇らしげな説明は続く。
(続く)
沈黙20秒
「便利だね」という声を聞く。
??意味不明
「乾燥質だからここができたんだ」
「どういう意味ですか」
幾つか単語を聞き逃した。
巨大地下空洞が形成される仕組みについて教えて
くれているのだが私に受け取るだけの知識がない。
タリム盆地は砂泥層になっていて、その下にはこういう
空洞が造られやすいと彼は言っている。
本来ここは地底湖だったらしい。
その水はさらに深い地底へと流されていったという。
地下空洞を発見しコロニーを建設するまでに
20年かかったらしい。
「地球から2万人も移動したらわかってしまうでしょう?」
「ここへ来るのは簡単なのさ」
「あれを使えばね」
ゆったりとした軽い音楽が聞える。
リラックスするようにと言う意味かな。
さらに地下へと降りていく。
そこはコロニーを維持するための設備や装置類が
置かれているように思えた。
モーフィアスの云う「あれ」とはこの機械のことなのか。
ここには一機のマシンが置かれている。
円盤型の・・・。
「人間が体外離脱する時の仕組み
をこのマシンは持っている」
「肉体を持っている限り移動は
そう簡単にはいかない」
「火星に必要な資材はこれで搬送したのだ」
「これは現代の地球の科学ではない」
「原理的には簡単なものだ」
「実際には散々いろんな目にあったよ」
「どのようなことです」
「・・・8次元にいるんだよ」
「8次元!?何ですか、それは?」
答えはわからなかった。
変わりに奇妙な声が聞える。
湖しか走ってないという小さな
女の子のはしゃぐ声がするのだ。
???意味不明。
沈黙20秒
「・・・・・上手に」
という声が聞える。が聞き取りにくい。
醤油か?あるいは酒を持った髪の長い女性がキッチンと
いうより日本の古い古い時代の家屋の台所にいる。
畳を敷き詰めた部屋へといく。
全然場違いな光景!
非言語交信かな?
この女性についていく。
お尻の大きなグラマーな女性だ。
彼女は振り向き「悪かったね」といった。
褒めたつもりだったのだが。
沈黙20秒
彼女はこの酒を入れた瓶を私が
持っている角の瓶に注いだ。
これにはウイスキーが入っている。
何故か私はウイスキーを持っている。
ウイスキーに日本酒を入れるのか!
「そうだよ」
「ハイブリッドだよ」
「何の説明ですか、それは?」
沈黙10秒
ここに持ってきたCDに私は角ビンに入れられた
〈ハイブリッドの酒〉を注ぎ始めた。
何をしているのだろう?
CDに酒を注ぐ??
何故私はCDを持っているのだろう?
「これで再生して」と言って
私の頭の上の方にあるCDプレイヤーを指している。
「まっすぐ出ない」と言う変な声を聞く。
誰が喋っているのだろう。
沈黙20秒
黄色い鍵がアップライトピアノの横に挟まれている。
??意味不明のヴィジョン。
沈黙20秒
クリックアウト寸前だったが次第に意識が戻ってきた。
ヴィジョン変わる。
岩肌が剥き出しの通路があってそこを通ると
別の大きな地下空洞に出る。
このような大きな開けた空間が幾つもあるらしい。
この場所はしっかりと加工されている。
垂直に上に向かってのびている。
地上に出たところには透明のドームが
造られていて明るい。
ドームの円周に沿ってホールを囲むように人が立っており
その下には何層ものフロアーが広がった
大きな吹き抜けになっている。
ここに大勢の人達がいる。
人々は何故かみんなスキンヘッドだ。
「ここではどうしてもこうなる」
とモーフィアスの説明。
しかしよく見るといろんな人達がいるのだが。
「もうすでに遺伝子が変化し始めている」
「ここの変化は激しいんだよ」
「お前達に太陽系の秘密はわかるまいよ」
「ここに来るということの意味もわかってない」
「もう行け」
「お前と我々とは住むところが違うのさ」
「どう違うんです」
壁面には細かい三角形をモチーフにした美術品
あるいは単なる装飾なのかわからないが
壁一面に描かれている。
「先住民のものだよ」
「ヒンドゥータッチですね」
「ありがとう。モーフィアス」
CDはここで終わった。
《人類火星移住計画探索レビュー》
陰謀論の一つに地球支配者である特権階級は
人類滅亡に備えて二種類のノアの箱舟を建設
したという噂がかなり前からあります。
これが第3の選択と言われているものです。
二つの箱舟のうち一つは地球の地下へ、
もう一つは火星と月へ向かったというのです。
地球の地下にはシャンバラをはじめとして銀河連合
惑星連合の基地に混じって特権階級達の避難場所
としての基地があるようです。
すでに火星に人類が進出しているというのは
信じがたい、あり得ない話です。
ヘミシンクでも霊能力でも使って
あなた自身で確認してください。
史上初の有人による火星着陸はベル型の
宇宙船が使われていました。
そして宇宙船の推進装置にはロケットエンジン
以外の何かが使われていました。
私の見たベル型の宇宙船はナンセンスに思えましたが
昨日の夜たまたま読んでいた本にそれに、
そっくりなものが出て来たのでした。
インドの叙事詩マハーバーラタは地球の先史時代に
存在したと言う古代文明による核戦争を描いた
ものという説があります。
その中にヴィマーナという空飛ぶ兵器が出てくるのです。
幾つか用途によってタイプがあるのですが宇宙を航行
するヴィマーナは釣鐘型(ベル型)をしているのです。
ヴァイマーニカシャストラという古くからインドに
伝えられてきた本まであります。
ヴィマーナの構造、操縦システムについて書かれたものです。
戦前のナチスが研究していたというアダムスキー型の
UFOよりこちらの方が先に実現したのかもしれません。
砂漠の地下に海がある?渇水のタリム盆地に巨大な地下水源の可能性―中国
2015年9月14日、中国西部の新疆ウイグル自治区にあるタリム盆地は、平均年間降水量が100ミリに満たない「乾いた大地」だが、その地下には大きな「海」が眠っている可能性があることが分かった。中国メディア・テンセント(騰訊)が伝えた。
三方を山脈に囲まれ、乾いた風が吹き入れるタリム盆地は面積にして56万平方キロメートル、その大部分がタクラマカン砂漠で、中国国内でも最も干ばつが深刻な地区の一つだ。しかし最近になって、中国の研究者が巨大な地下水源の存在する可能性を指摘した。その大きさは米国の五大湖の10倍にもなるという。
地下水源の存在を発見した学者は、中国科学院新疆生態・地質研究所のイェン・リー教授。同教授はこの水源を「地下海洋」と表現している。その呼び名の通り、水には高濃度の塩分が含まれるため、飲用水としての供用は不可能だ。かといって、これが無用のものというわけではない。気候学上、砂漠は海や森林と同様に、人類が排出した二酸化炭素を吸収する作用がある。吸収した二酸化炭素を蓄積するのが、この地下水の存在だ。同教授らがタリム盆地のおよそ200カ所から採取した地下水と、盆地周辺の山脈から流れ出した雪解け水の二酸化炭素含有量を比較したところ、地下水からは「まるでコカコーラのように」豊富な二酸化炭素が検出された。
イェン教授による論文は近く、米国地球物理学連合発行の速報論文誌「ジオフィジカル・リサーチ・レターズ」で発表される予定。(翻訳・編集/愛玉)
14日、中国西部の新疆ウイグル自治区にあるタリム盆地は、平均年間降水量が100ミリに満たない「乾いた大地」だが、その地下には大きな「海」が眠っている可能性があることが分かった。写真は盆地の大部分を占めるタクラマカン砂漠。
「さまよえる湖」の謎を解いたヘディン:ロプ・ノールと楼蘭
ロプ・ノールの謎をめぐる論争
19世紀後半、東トルキスタン(タリム盆地)東部のロプ砂漠は、地球上に残された数少ない地理学的空白地帯として探検家の関心を集めていた。特に、そこにあるはずの湖「ロプ・ノール」[a]は注目の的だった。中国の文献には、タリム盆地の東側に大きな湖があることが記録されている。ところが、そんなに大きな湖であるにもかかわらず、それがどこにあるのか、当時は誰も知らなかったのである。湖がどこにあるのか、その謎を解けば地理学上の大発見だ ? このことが各国の探検家をロプ・ノールの探求に駆り立てた。
(1)
ロプ・ノールはどこにあるのか、という問題に関する論争には、実は長い歴史がある。ロシアのプルジェワルスキーは、初めてタリム河下流地方を探検し、ロプ・ノールの位置を論じた。彼は1876~77年にかけてタリム河の下流を調査し、その行き着く先にカラ・ブランとカラ・コシュンという二つの湖を発見した(地図(1))。そして、探検の途中では、タリム河から東の方向へ流れる支流を見なかったため、この二つの湖こそロプ・ノールにほかならないと考えた。
この説に対して、ドイツの地理学者リヒトホーフェン[b]は直ちに反論を加えた。第一に、中国の史書によればロプ・ノールは塩湖であったと考えられるにもかかわらず、プルジェワルスキーが発見した二つの湖はいずれも淡水湖であった。第二に、中国の古地図に記されたロプ・ノールの位置と比べて、二つの湖は南に400キロも隔たった位置にあった。つまりプルジェワルスキーが発見した二つの湖は記録と一致していない。ゆえにロプ・ノールとは別の湖である、というのがリヒトホーフェンの考えであった。
こうして、ロプ・ノールがどこにあるのかという謎は、コズロフ(プルジェワルスキーの弟子)やヘディン(リヒトホーフェンの弟子)を巻き込んだ、地理学上の一大論争に発展していった。
(2)
この論争を考える際に外せないのが、「楼蘭姑師、邑有城郭、臨塩沢」(『史記』大宛列伝(2))という記述である。ここにある「塩沢」、そして中国の史書に「?沢」「蒲昌海」「輔日海」「牢蘭海」などと記されるものは、いずれもロプ・ノールを指すと考えられる。そしてもう一つ、この記述に登場しているのが「楼蘭」である。シルクロードの古代都市「楼蘭」とは、中国の史書に西域諸国の一つとして記されている都市で、敦煌から西へのびる古代シルクロードが天山南路(西域北道)と西域南道に分岐する場所に位置したために、貿易上の重要な中継地点となっていた。ところが、6世紀以降に楼蘭一帯は広範囲にわたって無人化したため、当時はもう楼蘭がどこにあったのかさえわからなくなっており、その実態は全く不明のままだった。つまりこの地域には、謎の湖「ロプ・ノール」に加えて、謎の都市「楼蘭」という、もう一つの謎が残っていたのである。
これらの謎を解くためには、ぜひともロプ・ノールを発見する必要があった。さらに、もし楼蘭までも発見できれば、その都市が臨んでいる湖は「塩沢」、すなわちロプ・ノールであるから、同時に両方の謎が解けてしまうことになる。現にロプ・ノールを目指したヘディンは、1900年の探検で、まず古代の湖の痕跡を発見したあとに、砂漠の中から古代都市の遺跡を発見した。これが楼蘭遺跡(LA遺址)であると確定したことが決め手となって、ロプ・ノールの謎は解かれるにいたるのである。
楼蘭遺跡の発見とロプ・ノールの謎の解決
1900年、ヘディンはロプ砂漠を北から南へ縦断し、その縦断面図(高低図)を作製する計画を立てた。この断面図から湖らしい地形を探せば、ロプ・ノールの旧湖床が判明するのではないか、と考えたのである。実際に縦断してみると、そこにかつて湖があったことはすぐに明らかとなった。そこには夥しい数の螺貝の殻や厚い塩の層(塩皮殻)、枯れた白楊の林があったのである。ヘディン隊は、古代の湖床の上を進んでいった。
(3)
さらに進んでいくうちに、ヘディン隊は偶然、いくつかの廃址に遭遇し、そこに人々が生活していた痕跡を見出した。そして幸運は重なった。それはヘディンの従者の一人、ウイグル人のエルデク(3)が、この廃址にシャベルを置き忘れたことによるものだった。ヘディン隊はシャベルをこの一本しか所持しておらず、それはテントの設置に欠かせない非常に貴重なものであったから、彼は隊から離れて一人でシャベルを取りに引き返すことにした。その途中で彼は、仏塔を含む多数の住居址(仏塔周辺(4)、スタインによる平面図(5))を発見したのだ。結果的にはこれが楼蘭だった。
「思えば彼(エルデク)が円匙を忘れたのは、ただ幸運というよりほかなかった。もしこのことがなかったら、私がこの古代都市をもう一度訪れることも、また内陸アジアの古代史に、新しい、予想だにしなかった光を投ずることになった、あの偉大な発見をなすこともできなかったろう。」(『探検家としてのわが生涯』より)
(4) (5)
ヘディンは翌1901年、同じ遺跡で木簡や紙文書を多数発見して持ち帰った。ヘディンの帰国後、漢文やカロシュティー文字で書かれていた文書は、専門家によって次々に解読されていった。そして、これらの文書が中国(西晋)の駐屯軍が取り扱った私的・公的な記録や往復書簡であり、265~330年頃までの日付をもつこと、この文書が出土した場所は現地では「クロライナ」と呼ばれており、「楼蘭」はその音訳であったこと、などが判明した。つまりこの遺跡は、まぎれもなく古代都市「楼蘭」だったのである。となると、ヘディンが見た古代の湖床は、楼蘭に臨む湖、すなわちロプ・ノールということになる。
ロプ・ノールはどこにあるのか、楼蘭はどこにあるのか、という二つの謎は、こうして全面的な解決をみたのだった。
「さまよえる湖」説の提唱と鮮やかな実証
しかし、ここで新たな謎も浮かんできた。確かに古代にそこに湖があったことはわかった。しかしなぜ、今となっては湖に一滴も水が残っていないのだろうか。この謎を説明するために、ヘディンは大胆な仮説を提唱した。
ロプ砂漠を測量したヘディンは、北部の楼蘭遺跡と南部のカラ・コシュンとの間の高低差が、わずか2メートルしかないことに注目した。このような平坦な砂漠を流れる河川は、わずかな地表の変化にも反応して流路を変えるのではないだろうか。
そしてこのメカニズムによって、楼蘭が滅びた理由も説明できると考えた。楼蘭遺跡から出土した漢文文書の下限は330年頃であるから、楼蘭はそれから間もなく放棄されたと考えられる。その理由は、かつて楼蘭地方に流れ込んでいたタリム河の下流が、堆積作用の進行に伴って四世紀頃に流路を南へ変え、タリム盆地の東南部にあるカラ・ブラン、カラ・コシュンという二つの湖に流れ込むようになったからではないだろうか。楼蘭に水が流れてこなくなって湖が干上がれば、都市機能を維持していくことは困難である。こうして楼蘭は滅びたのだろう。
さらにヘディンは、カラ・ブラン、カラ・コシュンの二つの湖に堆積物が沈殿しつつある一方で、楼蘭遺跡付近は烈風による侵食が進んでいることにも気付いた。とすれば近い将来、以前とは反対のことが起こり、タリム河下流はかつての流れに再び戻り、湖もかつてのロプ・ノールの位置に出現するだろう。
このように考えを重ねていったヘディンは、タリム河とは約1500年周期で下流が南北に振れる川であり、ロプ・ノールとは川の流れの変動に伴って移動する湖であるという、大胆な仮説を提唱するようになった。彼はこの仮説を印象的に表現する言葉として、ロプ・ノールのことを「さまよえる湖」と呼んだ。
(6)
彼の予測は見事に的中した。1921年頃からタリム河下流は流れを変え始めた。それまで南東方向に曲流していたタリム河の下流が、東方向にのびる旧い河床に流れを戻し始めたのである(右側:枯れつつある南東方向への流路、左側:新しくできた東方への流路(6))。
この噂を耳にしたヘディンは、それを自分の目で確かめるため、再びロプ・ノールの地に向かった。「さまよえる湖」説を提唱してから30年以上経った1934年4月。自ら考え出した仮説が見事に実証された喜びをかみしめながら、ヘディンは新しくできた河[c]をカヌーで下っていった。
「私が34年前に幸いにも征服することのできたあの砂漠の中まで、この濁った川筋をたどっていくことを考えると、身の引き締まるような思いがすると言ってもよかった。私たちのカヌーは、道のない河床に印された私自身の駱駝の足跡の上を滑っていく。足跡が34年の歳月の間に、東から吹くきびしい春の嵐で掻き消されてしまっているのは間違いないが、それでも1900年3月に私のキャラバンが前進をつづけていったのは、まさにここであり、まぎれもなくこの同じ川の河床なのである。」(『さまよえる湖』より)
(7) (8)
ヘディンは、かつて砂漠の中を呻吟しつつ駱駝で旅した場所(1901年(7))を、今度は悠然とカヌーで下っていった(1934年(8))。そしてその先には、旧位置へ戻ってきたロプ・ノールが、満々と水を湛えて広がっていた(地図(9)、ヘディンによるスケッチ(10)、湖上のヘディン(11))。まさしく彼の仮説の通り、ロプ・ノールとは、注ぎ込む河川の流路によって移ろうという「さまよえる湖」だったのである[d]。
(9) (10) (11)
こうして、ロプ・ノールはどこにあるのか、という謎から始まった探求活動は、ロプ・ノールがどこにあるのかを明らかにしただけではなく、時代ごとに遷移する湖という新しい考え方を生み出すまでに発展していった。そして探求活動の副産物として、古代都市「楼蘭」の遺跡も発見され、その後のシルクロード研究の進展に大きく貢献することになった。
楼蘭4000年の歴史
では最後に、楼蘭がどのような歴史をもつのかについて簡単に整理してみたい。とはいえ、楼蘭にはまとまった形での歴史記述が存在しないため、楼蘭の歴史をたどることは簡単ではなく、中国史書や出土文書、遺物といった断片的資料を用いて推し量るほかない。
ロプ・ノール周辺からは、石器や彩色土器など先史時代の遺物が発見されており、数千年前からこの辺りに人類が住んでいたことが確認されている。またトカラ語の研究によって、今から三、四千年前に西アジアからインド・ヨーロッパ語族の人々がタリム盆地へ侵入してきたことも明らかにされている。しかし、いつ頃から楼蘭に王国が成立していたかについては全く不明である。
楼蘭がはじめて記録に現れるのは、紀元前176年のこと。匈奴の冒頓単于から前漢・孝文帝に送られた書簡のなかに、匈奴が滅ぼした国の一つとして楼蘭の名が登場する(『史記』匈奴列伝)。これによって少なくとも、それ以前には楼蘭という国が建てられ、かつ匈奴の支配下に入っていたことが知られる。その後、東西貿易の要に位置する楼蘭は、その利潤を狙う匈奴と漢の板ばさみにあい、その勢力争いに翻弄されることになる。
紀元前77年には国王安帰(あんき)が漢の派遣した傅介子(ふかいし)によって暗殺され、漢の後ろ盾による新王が即位するという事件が発生した。そして、漢によって国名は?善(ぜんぜん)に改められ、以後は漢の傀儡王国と化した(『漢書』西域伝)。漢の西域経営は、次の西晋、さらに前涼にも受け継がれていった。大谷探検隊が楼蘭(LK遺址)で発見した有名な「李柏文書」は、この前涼の西域長史李柏が328年に焉耆(えんき、カラシャール)王に送った手紙の草稿である。
中国側からの支配は断続的に続いた。五世紀には北魏が一時、中国人の王を楼蘭に立てて?善鎮とし、六世紀末には隋が?善郡を置いている。しかし五世紀以降、この地は吐谷渾(とよくこん)や蠕蠕(じゅじゅ、柔然)、丁零(ていれい、テュルク族)などの遊牧民の侵入をたびたび受けて疲弊していった。唐初の630年頃には、この地に残っていた?伏?(ぜんふくだ)に率いられた?善人が北方のハミ(伊州)に移住したという(『沙州伊州地志』伊州納職県の条)。これによって楼蘭の故地はほぼ無人化したらしく、644年にこの地方を通ってインドから帰国の途についた玄奘は、「城郭有れども人煙なし」と記している(『大唐西域記』巻五)。
こうした史書からたどれる歴史に加えて、ヘディンやスタインによって発見された文書からは、商業、交通、産物、農業、軍事組織、戦争などに関する楼蘭の歴史を調べることができる。例えば、徴税に手間取ったこと、外敵の侵入に脅えていることなど、楼蘭王国が直面していた現実が文書から伝わってくる。また漢文文書の中には、故郷から遠く離れて軍務につく肉親にあてた往復書簡も含まれている。
(12) (13)
楼蘭に生きた人々やその暮らしについては、墓地群から発見されたミイラ化した遺体や遺品(帽子(12)、刺繍(13)、ミイラを調査するヘディン(14))などが貴重な資料となっている。ヘディンが「楼蘭の王女」「砂漠の貴婦人」などと名づけた若い女性のミイラ(15)は、シルクロードの分岐点として栄えた楼蘭のかつての威光を物語るかのように、その身に色とりどりの絹をまとっていた。
(14) (15)
「王女の顔の肌は羊皮紙のように固くなっていたが、顔立ちや面差しは時の移ろいによって変わってはいなかった。王女は瞼を閉じて身を横たえていたが、瞼の下の眼球はほんの心持ちくぼんでいた。口もとには今なお笑みをたたえていた。その笑みは何千年の歳月にも消えることなく、その笑みによって謎の王女はますます魅力を増し、人の胸に訴えかけてくる。……「楼蘭の王女」は、二千年の眠りから掘り起こされ、星明りに照らされて今一度まどろんだのである。」(『さまよえる湖』より)
(16)
それから60年あまり、楼蘭をめぐる発掘は途絶え、ヘディンらが見つけた墓の正確な位置すら定かではなくなっていたが、近年になって小河墓遺跡(16)[e]、古墓溝遺跡、鉄板河遺跡から、ヨーロッパ系白色人種(コーカソイド)のミイラが相次いで発掘された。これらはC14法(放射性炭素計測法)の分析によれば、約3800年前に遡ると推定されている。つまりこれらの人々は、漢代に初めて歴史に現れた楼蘭王国よりも、さらに千数百年以上も前にこの地に住んでいたことになる。
楼蘭は想像以上に長い歴史をもつ場所であった。これらの人々はどのような背景をもち、どのような生活を送っていたのか。謎が解かれた「さまよえる湖」とは異なり、こちらは依然として謎のままである。
[a] スタインによれば、「ロプ・ノール」とはモンゴル語で「ロプの湖」を意味し、タリム河末端に形成される湿地の複合体を指す言葉として、中国やヨーロッパの地図製作者に採用されたという。
The Mongol name Lop-n?r, ‘lake of Lop’, adopted by Chinese and European cartographers for the whole complex of the terminal marshes of the T?r?m, ......Serindia: Vol. 1, p. 318.
[b] 「シルクロード」という呼び名の生みの親。中央アジアを経由する東西交通路を、ドイツ語で「絹の道」を意味する「ザイデンシュトラーセン(Seidenstrasen)」という言葉で呼んだ。シルクロードはその英訳である。
[c] 涸いた河を意味するクルック・ダリアと呼ばれていたが、水が流れるようになってからは、クム・ダリア(砂の河の意)と改称された。
[d] ロプ・ノールはその後しばらくは存在していたが、次第に縮小していき1972年頃には事実上消滅していたことが、衛星画像などで確認されている。これは、タリム盆地の気候変動による乾燥化や、タリム河上流での灌漑などが原因であると考えられている。
[e] 1934年にヘディン隊の一員であった考古学者フォルケ・ベリマンが、ヘディンの本隊と分かれて発見した墓地群。エルデクの案内によって発見したため、「エルデクのネクロポーレ(死者の町)」と名づけられた。2000年に新疆ウイグル自治区文物考古研究所により再発見され、2003年に発掘調査が始められた。楼蘭遺跡から西に100キロあまり砂漠へ入ったところにあり、1000体近いミイラが眠っているとされる。
ヴァルナの宮殿: 海中の火と武器の宝庫、インド神話の地底界1
これから数回に分けて、インド神話の
地底界の様子をご紹介していきます。
地底界はとても豊かで不思議な世界です。
(この記事は、2013年の論文
「『マハーバーラタ』におけるインドラの御者マータリの地底界遍歴」
(篠田知和基編『異界と常世』楽浪書院)を、再編集したものです。)
『マハーバーラタ』の第5巻第96章から第101章には、
インドラの御者マータリの地底界遍歴の様子が物語られている。
マータリは娘グナケーシーの婿探しを始める。
まず心の眼によって神々と人間の間を探すが
ふさわしい相手は見つからない。
神々、悪魔、ガンダルヴァ、人間、聖仙の間に
気に入る婿は見つからない。
そこでマータリは、竜族の間に婿を求め、
地底界/地界に旅立ち、
ナーラダ仙を案内役として様々な異界を見て廻る。
以下に、その箇所を訳出し、考察を加えた。
(テキストはプーナ批判版を用いた。
訳に当たっては、上村勝彦訳
『原典訳マハーバーラタ』(ちくま学芸文庫)を参照した。)
Ⅰ ヴァルナ/ヴァールニーの御殿
第5巻第96章
(1-13詩節 略)
14 (ナーラダ仙の言葉)全て黄金でできた、
ヴァールニーを伴う[ヴァルナの]住処を見よ。
彼女(ヴァールニー)を得て、
神々(スラ)は神々たること(スラター)を得た。インドラの友よ。
15 マータリよ、王国を奪われたダイティヤ(アスラ、悪魔)たちの
輝くあらゆる武器がここに見られる。
16 マータリよ、それらは実に不滅で、流転し、神々に得られた。
それを用いるためには力を必要とする。
17 マータリよ、ここにはラークシャサ(羅刹)の種族と
ブータ(鬼霊)の種族がいる。
彼らは神的な武器を持っていたが、かつて神々に征服された。
18 ここヴァルナの深い海において、
巨大な輝きを有する[海中の]火が、眠ることなく燃えている。
また煙を伴わない火を放つヴィシュヌの円盤が[ある]。
19 ここに、世界を滅ぼすために作られた、
サイの角(ガーンディー)でできた弓がある。
それは神々によって常に護られている。
それがガーンディーヴァ弓である。
20 それは用いられるべきことが起きると、
常に必ず十万の[弓の]力を発揮する。
21 これが、ヴェーダを唱えるブラフマー神によって
最初に作られた杖である。
これは羅刹のような王たちのうち、処罰しがたい者たちを罰する。
22 これは、大インドラによって作られた(異本参照)
人間の王たちの武器である。水の主(ヴァルナ)の息子たちが
その輝かしい武器を持っている。
23 この傘の保管庫に、水の王の傘がある。
それは雲のように、一面に冷たい水を降らせている。
24 その傘から、月のように清らかな水が降る。
しかしそれは、闇に満たされて見ることができない。
25 マータリよ、ここには多くの驚異が見られる。
しかしあなたのなすべきことの妨げになるから、
長居せずに、我々は行こう。
ヴァルナ及び神妃ヴァールニーの御殿の特徴は、
まず「海中の火」があるということ、
次に様々な武器があるとされていることである
(ダイティヤたちのあらゆる武器、ヴィシュヌの円盤、
ガーンディーヴァ弓(アルジュナの武器)、
ブラフマー神の杖(神話上の武器ブラフマ・ダンダ「梵杖」と思われる)、
人間の王たちの武器)。
特に武器に関して多くの記述がなされているが、
ヴァルナ神はヴェーダ神話においてもヒンドゥー神話においても、
軍神・戦神であったことはない。
なぜヴァルナの宮殿に武器があるのかは謎である。
また、23詩節では、「水の王の傘」があり、
そこから雨が降るとされているが、
これは地底界の描写としては違和感を覚える。
地底界と天界が一体化、あるいは混同されているものと考えられる。
オガララ帯水層とは
オガララ帯水層の位置しているグレートプレーンズはアメリカ合衆国有数の穀倉地帯である。小麦をはじめ大豆やとうもろこしを多く生産するこの地域は、しばしば「アメリカのパンかご」(Breadbasket of America)と呼ばれる。また、全米有数の畜産地域でもある。降水や地表水の少ない乾燥地帯にありながら大規模な農業開発に成功したのは、ひとえにオガララ帯水層の地下水を用いた灌漑によるものである。
この地域における灌漑農業が始まったのは1911年のことである。1930年代に入ると電力やポンプが整備され、本格的に灌漑が行われるようになった。大規模な灌漑は1950年代まで続いた。こうした大規模な灌漑により、オガララ帯水層からの地下水の流出量は一気に増加した。
オガララ帯水層からの地下水流出の要因として最も大きいものは前述のような灌漑によるものであるが、それに加えて自然に流出する地下水もある。この地域の何本かの川は地下水面よりも低いところを流れている。そのため、水がこれらの川に流れ込み、結果としてオガララ帯水層への地下水涵養にはならず、むしろ帯水層から流出することになってしまう。
・古代文明の謎
古代文明と言えば、一般的には四大古代文明とかが知られています。それ以前には、文明は無かったと言うの説が常識になっています。 しかし、これは事実でしょうか?
古代文明の前の文明、超古代文明として有名なのは、アトランティスやムーです。 しかし、大西洋や太平洋の真ん中に大陸が有った可能性が地質学的に否定されてしまい、空想やオカルト扱いされています。
しかし、超古代文明が無かったと決めつけるのは早急です。ムー大陸やアトランティス大陸は否定されたかもしれませんが、 大陸としてではなく、文明を持った広い地域として存在した可能性が有るからです。
最近は温暖化が騒がれていますが、それ以前の地球の気象を振り返ると、10万年ぐらい前から少しづつ寒冷化してきました。 この寒冷化は氷河期と呼ばれ、2万年ぐらい前まで続きました。この過程で、海面も徐々に下降して来ました。
最も低い時期では、現在より120メートルも海面が低かった事が分かっています。つまり、沈んだ大陸は無くとも、 海に沈んだ広大な陸地が存在しているのです。
120メートルの海面上昇がどれぐらい凄いかというと、日本の県庁所在地で標高が120メートルより高いのは、 長野市、甲府市、山形市、盛岡市、宇都宮市ぐらいです。つまり、それ以外の県庁所在は全て水没します。福島と京都も完全に水没します。 人口密集地である政令指定都市は、完全に水没し跡形も残りません、水深70メートル以上の深い海の底に沈みます。 海岸線には、石油コンビナートや製鉄所や自動車工場や発電所など、重要な設備が数多く有りますが、これらも全て水没し破壊され消滅します。 120メートルの海面上昇の影響の大きさが分かって頂けたでしょうか。
約6万年前に現人類がアフリカ大陸を出て、世界中に広まったと言われています。それを裏付ける遺伝子による研究も活発に行われています。 最終氷期の終了に伴う海面上昇が始まったのは、約1万6千年前からです。アフリカを出た人類は、その数万年の間、 海岸付近の今は沈んだ陸地に生活していた可能性が高いのです。
つまり、ムーやアトランティスも、この沈んだ土地に有った可能性を考える事が出来ます。 アトランティス伝説によれば、アトランティスは海の側に有った都市で運河が多く、高度な文明を持ち世界中に戦争を仕掛けていたと言います。 それが突然起きた大洪水により一晩で沈んだと伝えられています。やはり、沈んでいるんです。 またムーも、伝説によれば海に沈んだと言われています。
では、そんな大洪水が起きる可能性が有ったのでしょうか?
それが有ったのです。最終氷期は海面が120メートルも低かったと言いましたが、その海水はどこに行ってたのでしょうか?
それは、陸地に氷として貯まっていたのです。現在その名残は南極やグリーンランドなどに氷床として残っています。 氷河期にはこの氷床は巨大で、カナダはほぼ全域が氷で被われ、その厚さは3千メートルを超えてたと言われています。 もちろんユーラシア大陸北部も、同じく厚さ3千メートル以上の巨大な氷床に被われていました。
この分厚い氷床が、温暖化により溶ける事で海面上昇が起きました。
この氷床が徐々に溶ければ問題無いのですが、溶けた水がすぐに流れずに、氷床上部や内部に貯まり、巨内な湖になる現象が確認されています。 これは氷床湖と呼ばれ、氷床の上に出来る場合も有りますが、氷床の内部に出来る場合も有ります。
そしてこの氷床湖は、やがて決壊します。この決壊は爆発的に起きます。ダムの決壊と同じ理屈ですが、 氷は水で溶けるので更に爆発的に凶悪にになります。古代のミズーリ川では、高さ100mの洪水となり下流を襲いました。
北アメリカ大陸北部、ヨーロッパやロシア北部を被っていた分厚い氷床は、厚さ3千メートルを超える地球単位の巨大な物でした。 そこには想像を絶する巨大な氷床湖が出来てた可能性が有ります。また北アメリカには火山も有り、氷床の内部を溶かし、 巨大な氷床湖を静かに長時間形成していた可能性も考えられます。
この氷床湖が決壊したとき、その膨大な水が海に流れ込みます。その影響として考えられるのは、まず下流域の土石流の様な巨大洪水の発生と、 海に冷たい真水が流れ込む事による寒冷化です。そして海面上昇も起きます。
約1万2千年前に、ヤンガードリアス期という急激な寒冷化が北半球に起きています。また8千3百年前も急激な寒冷化が起きています。
そして、4千2百年前にも寒冷化が発生し、縄文文明やエジプト文明、シュメール文明が急速に衰退しました。
更に注目すべき事は、約4千年前の同時期に、長江文明、モヘンジョダロ、シュメール文明が洪水により滅んでいる事です。
これは、寒冷化と洪水が密接な関係がある事を窺わせます。これは、巨大な氷床湖の決壊による世界規模の洪水と、 それによる寒冷化が原因では無いでしょうか?
急激な海面上昇と言えば、約1万4千年前に融解水のパルス現象という重要な出来事が起こっています。 約500年間ほどで海面が20メートル上昇しました。現代で海面が20メートル上昇すると、 東京都心のみならず埼玉県もほぼ全域が水没します。これがたった500年で起きた海面上昇です。もはや洪水に近い海面上昇です。
洪水伝説は世界中にあります。特に、ノアの方舟が有名です。旧約聖書の伝説ですが、これはシュメール文明のジックラトの事かもしれません。 4千年前の大洪水の後、メソポタミアを捨てたシュメールの民は、古代パレスチナに流れ着き旧約聖書の元になる伝説を伝えました。
従来、世界的な洪水は発生しないと言う説が有力でした。 しかし、巨大氷床湖の決壊は、津波となり世界規模で洪水を引き起こす可能性が有ります。 古代に世界中を大洪水が襲った可能性は非常に高いと思われます。そしてそれは何度も起きていると思われます。
アトランティスは、現在のアメリカ大陸の東岸に有った可能性が高いと思います。候補地としては、フロリダ付近とアマゾン川河口だと思います。
アトランティスが滅んだのは1万2千年前と伝えられていますが、ちょうどアメリカの五大湖が形成されたのも1万2千年前と言われています。 そして五大湖が形成された原因も、氷河の影響と言われています。
北アメリカ大陸が写った衛星写真を見ると、ミシガン湖からメキシコ湾に向かって、水が流れた跡の様なものがみられます。 これが、超巨大な氷河湖の決壊の痕跡では無いでしょうか。そして、アトランティスを滅ぼした原因になった、 地球規模の巨大津波の原因では無いでしょうか。
ムー文明は、東アジアに存在したと思われます。東南アジア辺りの水没した大陸棚、スンダランドと呼ばれている場所に有ったと思われます。 数多くの島が存在し、それらを含めた広範囲の文化圏という感じだったでしょう。
アトランティスが滅んだと同じ時期に、はやり津波により滅んだと思われます。
それ以外にも、世界中に文明が有ったと思います。インドや地中海やエジプトにも、文明が有った可能性が高いです。
しかし、津波とその後の急激な気象変動で、同様に壊滅的な被害を受けたと思われます。エジプトやギリシアは地中海に面しており、 津波の被害が少なかった事で、その後の世界の文化をリードする、文明を継承できたのかも知れません。
現在分かっている大きな寒冷化は、約1万2千年前、約8千年前、約4千年前の3回有ります。その度ごと文明が崩壊したでと思われます。 世界規模の洪水が襲ったかもしれません。その後の激しい気象変動は、生き残った人々を更に苦しめたでしょう。
文明の発展はこの間の、気候が安定してる時期に発展したと考えられます。つまり7千?4千年前が文明の成長時期で、 4千年前?現代も文明の成長可能な時期です。おそらく1万?8千年前も気候が安定していた時期が有り、文明が成長した時期が有ったと思われます。
2001年に、インドのカンベイ湾の海底に遺跡らしき物が発見されました。水深は40メートルで、引き上げられた遺物による年代測定では、 約9千5百年前と推定されました。9キロメートル以上規則的なソナー映像が確認され、街の痕跡では無いかと推測されています。 また川の跡にはダムの痕跡も発見されたそうです。これが、1万?8千年前の気候安定時期の遺跡かもしれません。
北アメリカの「岩窟宮殿」
メサ・ヴェルデはアメリカのコロラド州南西部にある、断崖をくりぬいて造られた集落遺跡群で、スペイン語で「緑の台地」を意味する。この地にネイティブ・アメリカンのアナサジ族が住み始めたのは紀元前1世紀ごろのこと。彼らは9世紀になると、日乾しレンガの壁で区分けされた宗教儀式の施設や集落を、この台地上に築くようになっていく。
やがて12世紀ごろになると、彼らは外敵の襲来に備えて、本格的な「岩窟住居」を作り始めた。この岩窟住居は「クリフ・パレス」と呼ばれており、約200室が確認されている。高い場所では4階建てマンションほどにもなるというから、「宮殿=パレス」の名にふさわしい立派な高層住居だ。
アナサジ族が築いた文化は「プエブロ文化」と呼ばれる。だが、14世紀になると突然、この集落は放棄されてしまうのだ。その理由については現在でもわかっておらず、考古学上の大きな謎となっている。
なお、メサ・ヴェルデ遺跡は、その存在こそ以前から知られていたが、本格的な考古学的調査が始まったのは比較的最近で、1888年になってからのことだった。確認された北米最大級の集落遺跡は、現在、世界遺産に登録された公園の一部となっている。
北米先住民の氷河期の埋葬跡から副葬品
アメリカのアラスカ州で、1万1000年以上前の最終氷期時代に葬られたと
見られる乳児の遺骸2体が発見された。発掘チームによると、傍らには
貴重な狩猟道具が添えてあったという。
北アメリカ大陸の最初期の先住民たちが、手間をかけて埋葬を行っていた
という事実を初めて裏付ける証拠となる。さらにこの埋葬場所からは、
北アメリカの先住民と極東アジアの民族との文化的なつながりを示す
痕跡も見つかっている。アメリカ大陸の先住民たちは、極東アジアから移住してきたとされている。
従来の学説によると、北アメリカの最初期の先住民たちは小集団で絶えず
移動しながら暮らしていた。しかし今回の遺物などからは、少なくとも夏の一時期は
定住してサケやジリスなどを捕獲していた事実がうかがい知れる。
発掘チームを率いたアラスカ大学フェアバンクス校の考古学者ベン・ポッター(Ben Potter)氏は、
「埋葬の様子から、最若年層が共同体の中でどのような扱いを受けていたのかを探ることができた」と話す。
◆埋葬方法の違い
過去の事例では、年代がより古い埋葬跡もいくつか存在する。
だがこれほど手厚く埋葬された遺骸が、氷河期時代の居住域跡から見つかった例はない。
発見された遺骸は、生後6~12週の乳児と、ほぼ満期出産の新生児だった。
現場はアラスカ州内陸部にあるホーソー・ナ(Xaasaa Na:「上流の太陽の川」の意)で、
既に消失した半地下住居の下に埋葬されていたと見られている。
また、土が厚くかぶせられた埋葬跡の上部には火を燃やした形跡があり、
乳児の親族たちが調理やゴミの処分に使用していたと考えられる。
北アメリカ文明はたった70人の人類からスタートした
(訳者注) 昨日の記事「宇宙線が雲を生成に関係していることを証明しようとするデンマークでの実験」は久しぶりに長い翻訳でしたが、わりと問題ないようですので、好きなニュースを見た時にまた翻訳しますね。
今回のは今朝見だしを見て「へえ」と思ったニュースです。
米国のラトガース大学の研究グループによる DNA のゲノム解析によって、氷河期の終わりだった1万2000年ほど前に北米大陸で住んでいた人の数が「たった 70人」だったことを突き止めたというニュースです。
「人類の文明の始まり」については、世界のどの地域にしてみても非常にわからないことが多いですが、最近のこういう研究では、1万年くらい前までは本当に地球には人類は少なかったようです。
ちなみに、現在の科学では、今地球にいる人類のほとんどすべては、20万年前くらいにアフリカにいた女性(俗称ミトコンドリア・イブ)の子孫とされていて、その女性が「全人類の最も近い共通の女系祖先」ということになっています。
「この女性がすべての人類の祖先」というようなふうに言われることがありますが、厳密にはそういう意味ではないようで、このページのこの部分が正しいようです。ウィルソン博士がこの説を発表したのは 1987年のことです。関係ないですが、太陽黒点の最大期でした。
この説は分子生物学者であるアラン・ウィルソン博士らのグループによって提唱され、無作為抽出した147人のミトコンドリア DNA の塩基配列を解析した結果から、全人類の共通の祖先がアフリカにいたことを示唆する系統樹を作成したことによる。
博士自身、人類がたった一人の女性から始まったと言っていたわけではなく、最低でも数十~数百人規模のコロニーから始まったと見ている。世代を重ねて単一のミトコンドリアDNAを持つに至ったコロニーから各地に分散していったのではないか、というのが本来の説。最近ではミトコンドリア・イブを7人とする説もある。
とはいえ、今の瞬間の現時点では「人類すべてのお母さんが彼女ひとり」という言い方でも特別には問題ない感じもいたします。
おもしろいのは、この人類すべてのお母さんともいえる彼女につけられた名前にある「ミトコンドリア」という存在そのものが、以前書いたこともある「地球存在自体が女性である」ということにもつながる部分は感じます。
ミトコンドリア・イブから抜粋します。
■ミトコンドリアDNA
ミトコンドリアDNAは必ず母親から子供に受け継がれ、父親から受け継がれることはありません。したがってミトコンドリアDNAを調べることで、母親からその母親への家系を調べことができます。父親をたどることはできません。
これはつまり、「女性の存在がこの世になければ、人類はどれだけ科学を進めたところで自分たちの祖先を探ることはできない」という仕組みを人類は自分たちの体の中に持っているということにもなります。
s15_02.jpg
▲ ミトコンドリア。ミトコンドリアは細胞の小器官で、この中にあるDNAをミトコンドリアDNAというそうです。
これは「生物学的にはすでに消滅が「確定」している男性の染色体」という記事で書いた、消えていく男性染色体の話と合わせると、とても面白い「男性の存在」を感じます。
女性の遺伝子は永遠に存在の証拠を伝承し続けて、人類創造の痕跡を残している一方で・・・。
男性の遺伝子は、「飛ぶ鳥あとを濁さず、旅の恥は掻き捨て」という存在であることがおわかりかとも思います(笑)。
何も残さず、何も生まない、そして、最終的には消滅していく存在。
それが男性なのだなあと、最近次々と明らかになる DNA 解析と遺伝子の正体の研究を見ていると、しみじみと感じます。
だから、男性ってのは刹那的なのかも。
私などにしてみれば、生きていてそこが楽しいところですが。
それでは、ここからが翻訳です。
なお、文中に「クローヴィス文化」という言葉が出て来ますが、これは、「後期氷河期の終わり、放射性炭素年代測定によると13000年前から8500年前とされる時期に北米を中心に現われた、独特な樋状剥離が施された尖頭器を特徴とするアメリカ先住民の石器文化」とのことです。
北米大陸の人間生活はたった 70人により開始された
DNA研究により、専門家は 12,000年から 14,000年前の間に北米大陸の最初に住んでいた人類の数は 70人以上はいなかったと結論づけた。
米国ラトガーズ大学のジョディ・ヘイ教授は、新しい DNA の研究として、新たに9つのゲノム領域の調査をおこなった。それにより、北米大陸の初期の人間生活は 約70人の個人によって始まったことをつきとめたと教授は語る。
教授の DNA 調査の方法の特徴は、実際に存在する遺伝子のデータから過去の推移を予測するところにある。研究では、北アメリカの3つの主要言語グループのひとつであるアメリカインディア(アメリンディアン)固有の言語を話す人々の遺伝子データを付け加えた。
「この方法の素晴らしさは、アジアの人々とネイティブアメリカンの人々から集めた実際の DNA のデータを使用できることにある」と教授は言う。
今年3月の初旬、米国の考古学者チームが、テキサス州オースティン近辺において、 15,528点にのぼる石器や人造品を発見した。
これは、それまでの米国の先史についての研究と理論をすべて否定するものとなった。
考古学者チームの代表者であるテキサスA&M大学のマイケル・ウォーターズ教授は、この石器や人造品の発見について「聖杯を見つけたようなものだよ」と語る。
「私たち米国の考古学者すべてが頭をバットで殴られたかのような衝撃を受けているんだ」。
考古学者の間で長年定着していた理論では、アメリに定住した最初の人々は、クローヴィス文明と呼ばれ、後期氷河期の終わりである 13,000年から 13,500年前に北米で登場した先史時代の人種とされていた。
このクローヴィス文明の消滅に関しては、多く理論や研究があるが、クローヴィス文化は時代と共にアメリカ全土に広まり、最終的に他の文化に吸収されていったとする説が有力だ。
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政府が保有する大災害、大戦争用の巨大地下基地!米国政府の「ペンタゴンレポート」に書かれている未来の地球環境
当ブログでは太陽の異変や、地球の地殻変動の活発化により、今後、数十年ほどは気候が大きく荒れ、大災害が頻発すると予測しておりますが、膨大な資金や人材をつぎ込んで調べている世界各国の政府上層部も同様の認識を持っているようです。
しかも、権力者たちは数十年以上前から、いずれ大災害が頻発するということを知っていたようで、大規模なシェルターや地下都市の建造を進めています。(もちろん、災害だけではなく、戦争などでも使用予定)
初めてみた方は非常に驚かれたとおもいますが、このような巨大施設はひとつだけではなく、何百もあります。
↓たとえば、アメリカの地下施設の地図を見ると、全米に無数にあるのがわかります。
しかも、アメリカの地下施設はすべてが地下鉄でつながっていると言われており、広大な地下都市を形成しております。
旧ソ連の諜報機関KGBが作成した「宇宙人の基地を示す世界地図」 ― 宇宙人が潜む地下基地の秘密
プーチン大統領も所属していたという旧ソ連の諜報機関「KGB」。他国への工作活動等かなり暗躍的な活動をしていたと思われる機関であるが、KGBはこれ以外にも宇宙人に関する情報の収集、保持も担当していたという。今回ご紹介するのはそのKGBが作成したとウワサされる1枚の世界地図である。白点が世界中に散らばっているこの地図は“宇宙人の基地を示す世界地図”だというのだ。噂はあれども、宇宙人が実際どこに潜伏しているのか大変気になっていた筆者は、この地図を元に宇宙人の基地をトカナ流に検証してみたいと思う。
■世界中に散らばる宇宙人の地下基地
サイト「Before It's News」によると、この世界地図は様々な諜報業務やスパイ活動など暗躍的な活動をしていたKGBが宇宙人の基地を把握するため作成したものだという。この地図が示す場所には宇宙人が地下深く“拠点”として基地を作っているということだ。世界中に散らばる宇宙人の地下基地を日付変更線からロシア側と米国側で細かく掘り下げていこうと思う。
【ロシア側/トルコ・オーストラリア】
まずロシアを始め広範囲に点在していることが分かる。国土の広いロシアには11カ所もの基地があるが、多数のUFOや宇宙人目撃で有名なバイカル湖付近のイルクーツクにも基地があるようである。他にハワイ島、地中海マルタ島、ボルネオ島などのリゾート地の他に観光地として有名なトルコ・カッパドキアにも地下基地があるということだ。
巨大な地底都市郡を抱えるカッパドキアでは現在、最大の地下都市「デリンクユ」などの地下施設が公開されているが、観光客が入れるのは地下20階あるとされるうちの8階までである。紀元前に作られたこれらの地下施設には400以上の都市が眠っていると考えられており、通気口、井戸、ゴミ処理場なども存在している。宇宙人がどのように暮らしているのかは不明だが、生活環境としては潜伏するには好都合ではなかろうか。
実際にカッパドキア近辺では観光客むけに「UFO博物館」が作られるほど多数のUFOが目撃されているのだ。もしかしたら我々が観光しているその足元には恐ろしいほど広大な宇宙人の基地が広がっているのかもしれない。
続いて南半球を見てみるとオーストラリアはエアーズロック付近にも基地があるようである。エアーズロックはオーストラリアの先住民・アボリジニ族の聖地であり宇宙人やUFOの壁画が残っていることで有名である。エアーズロック付近でも、UFOの目撃情報は後を絶たない。
【米国側/米国・メキシコ・カナダなど】
では米国側はというと、圧倒的に米国・メキシコ国境付近に集中しているが、グリーンランドやアマゾンなど秘境と呼ばれる場所にも点在している。
・カナダ
カナダでは東京都の二倍の面積を持つ「ナハニ渓谷」を流れるマッケンジー川から西にいった場所に基地があり、そこは温泉や硫黄間欠泉により年中霧がたちこめているということだ。昔から霧深いこの地域に立ち入ったものは頭部のない死体で発見されることから、原住民は「Headless-Valley(首なし渓谷)」と忌み嫌い足を踏み入れないという。
・米国(NYなど)
しかし人目を避けた場所ばかりというわけでもなさそうだ。ニューヨークのマンハッタンにも基地があり、ミッドタウン近郊にある廃墟となったエレベーターシャフトを使い地下へ降りると基地トンネルの入り口があるという。
米カリフォルニアのエドワーズ空軍基地内にもヴァンデンバーグ空軍基地へつながるトンネルがあり、他にも「エリア51」と呼ばれる米軍最高機密基地やユタ州ソルトレイクシティ、コロラド州デンバー、テキサス州ラボックなど米国内には広大な地下基地が広がっているということだ。
また「ロズウェル事件の舞台」にもなったニューメキシコ州やアリゾナ州、テキサス州など米国で取り上げられる多数の目撃情報はこのKGBの地図が示す場所の近辺であるといってもいいだろう。
これまでにトカナでも数多くの興味深いUFO目撃情報を掲載してきたが、米国以外でも、メキシコのポポカテペトル火山頂上付近に現れた母艦クラスの大型UFOや、ペルーのリマで上空を偵察飛行するUFOなど、そのほとんどがKGBの地図が示す場所付近で目撃されたものなのである。
これらの内容から、宇宙人の地下基地があるとされている場所にはUFO目撃情報や摩訶不思議な現象が多発しているといっても過言ではなく、この地図が示す場所には「何かある」のではなかろうか。
■宇宙人の地下基地がリンクしているその場所とは…
そして、この地図をよく見てみるとエジプト、インド、中国、イラン、ギリシア、メキシコ、ペルー等々点在している場所にはある共通点があることが分かった。世界四大文明のほかギリシア文明、マヤ文明、インカ文明など上述したすべての場所で紀元前の遥か昔から古代文明が栄えていたのだ。またこれらの文明からは現代科学でも解明不能なテクノロジーを使用したと思われるオーパーツや遺跡が数多く発見されており「ただの偶然」というにはあまりにもできすぎているのではなかろうか。
旧ソ連は宇宙人の地下基地について地図を残すほど知悉していたことになるが、もちろん米国もその事実を知らないはずはないだろう。ロズウェル事件に関与しているとされる米空軍基地「エリア51」や「エドワーズ空軍基地」などにも宇宙人基地があることから、自国の地下深くに拠点をもつ宇宙人たちと米国政府はすでに接触をしていると思われる。事実、現在ロシアに亡命している米国の元CIA職員エドワード・スノーデン氏は米国政府がひた隠しにしてきたマントル付近で高度な文明を築いている「地底人の存在」を暴露しているのだ。
この地図に北極と南極が載っていないのが個人的に残念ではあるが、他にも興味深い場所はまだまだある。読者の方々も興味のあるUFO目撃情報があればぜひこの地図を参照していただきたい。
カッパドキアに新たな地下都市、過去最大と推定
礼拝堂やワイン醸造所、水路や通気口などのインフラも完備
トルコの世界遺産カッパドキアで、過去最大とみられる地下都市が見つかった。場所はこの地方の中心都市ネブシェヒルの市街地。丘に建つ城の地下に、入り組んだトンネルと部屋が発見された。発掘調査されたのはまだ一部だが、その規模と構造はこれまで最大とされてきたデリンクユの地下都市を上回るとみられる。
カッパドキアはトルコ中央部に位置し、妖精の煙突と呼ばれる奇岩や洞窟の教会、さらには数多くの地下都市で知られている。火山灰が堆積してできた柔らかい岩石や凝灰岩を削り出してつくった地下都市は250 余りあり、侵入者から逃れるための隠れ場所だったとされる。
工事現場で見つかった地下への入り口
(NG MAPS)
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発見のきっかけは、市の住宅建設プロジェクトだった。2013年、ネブシェヒルの城を取り囲むように建っていた低所得者向け住宅を解体していた作業員たちが、地下への入り口を発見。その先にはトンネルと部屋が網の目のようにつながっていた。
市は建設プロジェクトを中止すると、考古学者や地球物理学者による調査を開始。2014年に居住空間や調理場、ワイン醸造所、礼拝堂、階段などから成る多層構造の地下都市を発見した。石臼や石の十字架、陶磁器といった遺物からは、ビザンチン期からオスマン帝国の支配下に置かれるまで、ここが実際に使用されていたことがうかがえる。
この地下都市は、デリンクユと同様に通気口や水路といったインフラを備えた巨大居住空間だった。カッパドキアの人々は危険が迫ると家畜を連れ、生活必需品を持ってこの地下都市に逃げ込み、丸い石の扉で入り口をふさぐと、脅威が去るまで籠城したようだ。
ネブシェヒル大学の地球物理学者たちは、物理探査(比抵抗法や地震波トモグラフィー)を用いておよそ4平方キロにおよぶ地中の様子を体系的に調査した。33の測定結果から、地下都市の規模は46万平方メートル近いとする予測が出された。地下通路の深さは推定値で最大113メートル。これが正しければ、都市の規模はデリンクユより30%ほど大きいことになる。
調査の責任者を務める考古学者ムラト・ギュリャズ氏は、正確な規模はまだわからないとしながらも、「都市の場所や防御体制、水路の存在を考えると、相当な規模であった可能性は高いでしょう」と語る。
古代都市テーマパークへ
「この発見は、カッパドキアに大きな利益をもたらす、貴重な財産となるでしょう」と、ネブシェヒルのハサン・ユンバー市長は喜ぶ。市長は、集合住宅の建設を郊外に変更し、この地にデザイナーズホテルやアートギャラリー、地下に遊歩道や博物館を擁する「世界最大の古代都市テーマパーク」を造る方針だ。「地下都市の教会を復元しようとも考えています。みな、興奮を抑えきれません」
ギュリャズ氏のチームは、引き続きトンネル内のがれきを取り除きながら、地下深くへと調査を進める。凝灰岩は柔らかく崩れやすいため、作業には危険が伴うが、ギュリャズ氏の期待は膨らむ。「ネブシェヒル城の下に広がる地下都市の全貌があらわになれば、きっと観光客がここに押し寄せるでしょう」
シアトルに地下都市が存在した! 100年前に封印された町
シアトルには長い間忘れ去られていた地下都市があります。
町そのものが二重構造になっていた、その地下の町をガイド付で探訪できるのが、パイオニア・スクエアのアンダーグラウンド・ツアーです。
当時のままの歩道と以前は外壁だったレンガ塀
当時のままの歩道と以前は外壁だったレンガ塀
はじめ海岸から続く湿地帯に構築された木造のダウンタウンは、1889年の6月6日、職人が接着剤を暖め溶かしていたところへ誤って引火、町の主要部がほぼ全焼してしまいました。
幸いケガ人が1人出ただけで死者はなく、もともと湿ったところに木造建築では腐食も早く不都合も多かったので、人々は すぐさま復興に取りかかりました。
併行して、湿って柔らかい都市地盤をそのものをかさ上げしようという案も通り、それまでの2階部分の高さに道路を通すことになったのです。
ところが道の完成まで待てずに先にビルを建ててしまう地主もいました。
元からの道路に正面玄関を作ったため、新しい道路が 元の道路の真ん中に土手のように通る形にり、向い側へ渡るのに、急なハシゴ段を1階分上って這い出る形になりました。
それで危険だから蓋をしてしまおうということになり、図らずも地下ショッピング街の誕生となりました。
でも湿地帯だったところが蓋をされ、明かり取りのガラス窓はありましたが換気も悪く不衛生 だということで、封印されて、1909年にワールドフェアが開催された時には地下は無かったものとして町は機能しており、それまで1階だった部分はそれぞれ地下1階として使うようになったのです。
それを1964年に再発見したのが、歴史家でシアトルタイムスの寄稿者だったビル・スピーデル氏です。
実に55年もの間、眠っていた町を文字通り掘り起こしました。
エドワード・スノーデン氏かく語りき : 「地球の地下マントルには現生人類よりさらに知的な生命が存在している」
最近の私にとっては、「そもそも実在しているのだろうか」という想いさえ抱かせる元 NSA (アメリカ国家安全保障局)のエドワード・スノーデンさんですが、彼自身にまつわる話にはそれほど興味はなく、最近ネットで目にした「スノーデンさんの証言」だというものの中に、
「地球の内部に知的に高等な生命が住んでいる」
というようなものがあったということに興味を持っています。
実際には、そもそも、このスノーデンさんの証言の存在の真偽さえ不明としか言いようがないのですが、「地球の内部への興味」に関する記事もしばらく書いていないですので、そのことを紹介していた記事を翻訳してみたいと思います。
記事の前に、「地球の中のこと」についての過去記事を少し振り返ってみたいと思います。
地球の内部は謎だらけ
たとえば、昔から「地球空洞説」というようなものは存在して、あるいは小説やファンタジーの世界でも古くから語られてきていたようです。
小説で代表的なものは、フランスのジュール・ヴェルヌという人が 1864年に書いた『地底旅行』というもの。これは地球の中心にある空洞へ旅行する話で、その内容は、Wikipedia では下のように説明されています。
3人は数十日をかけて南東へ 1400km 、下へ 140km 進んで大空洞に到達する。「オーロラのような電気現象」で照らされたこの大洞窟には、海があり、キノコの森が繁茂し、地上では絶滅したはずの古生物たちが闊歩していた。
▲ 小説のイラスト。登場人物たちが地球の中心で見た巨大キノコの森。
というようなものです。
さらに遡ると、17世紀のアタナシウス・キルヒャーというドイツの科学者が『地下世界』という地質学の本を 1664年に出版していますが、これが非常に魅力的な図に満ちた科学書なのです。
このことは過去記事の、
・17世紀の科学書「地下世界」に描かれる地球の内部
でふれています。
そして、時は過ぎ、20世紀。
人間は宇宙へと赴き、「地球を宇宙から見る」ことができるようになります。
そういう中で、いくつかの「なんとなく不思議な写真」といったものが、 NASA などの写真データの中に見受けられるようになります。
これは簡単にいうと、北極に大きな穴が開いているのではないかというようなことさえ思わせるようなものです。
米国海軍少将バード提督のエピソード
そんな中で輝く話が、1926年5月9日に航空機による初の北極点到達を成し遂げた米国の英雄であったリチャード・バード海軍少将に関係する逸話です。それは「地下世界とのコンタクト」のストーリーでした。
▲ リチャード・イヴリン・バード(1888年10月25日 ? 1957年3月11日)。アメリカ合衆国の探検家。海軍少将。
バード提督の死後、アメリカの哲学者レイモンド・バーナードによって記された『空洞地球 - 史上最大の地埋学的発見』に、バード少将のもうひとつの大冒険「地下世界との接触」が描写されます。『空洞地球』には以下のように書かれています。
バードは、地下で千年以上に渡って存在し続けてきた巨大な地下世界の代表者とコンタクトした。
地下世界の住人は姿はほとんど人間と似ているものの、地上の人間よりも外観的にも内面的にも美しいという印象を持った。地下世界では戦争がなく、新しいエネルギー源を持っており、食料や光に困ることはない。
地下世界の人々は地上の人々と何度かコンタクトを取ろうとしたにも関わらず、全て拒絶された。もし、いつか地上の世界の人々が自滅するような事があった場合にのみ、手を差し伸べる事を決め、地上との接触を絶った。
という、あくまで「話」ですが、存在します。
このバード少将の自筆だとされるその時の日記については、過去記事の、
・米国海軍少将バード提督のすばらしき北極旅行日誌
2012年06月02日
に記していますので、よろしければお読みいただければ幸いです。
私はわりと好きなんですよ。
このバード少将の表情が。
この人自身が、多少卓越した感覚を持っている人だったのではないのかなあというような、単なる直感ですけど、そう思うところはあります。
古代から現在に続く地球空洞説
ここまで書いた中世から現在への流れというのは、「地下には別の世界があり、その入り口は北極のあたりにあるのではないか」という感じの流れです。
今でもこのことについては、よく目にすることがあり、「地球内部に隠されているかもしれないパラレルワールドへ」という過去記事では、ロシアのプラウダに載せられていた地球空洞説の歴史についてご紹介しました。
そこから歴史について抜粋しますと、下のような感じらしいです。
地球内部に隠されたパラレルワールド より
古代ギリシャの神話では、タタール人(ロシアの民族のひとつ)についての不吉な地下社会の伝説が語られている。
紀元前 500年頃の古代ギリシアの自然哲学者アナクサゴラスは、空気球とエーテルの雲によって囲まれる平らな地球のモデルを提唱している。
1818年に、アメリカ陸軍の大尉だったジョン・クリーブス・シムズは「同心円と極地の空洞帯」という著作で「地球空洞説」を唱えた。地球は厚さ1300キロメートルの地殻で、各々の両極に直径2300キロメートルの開口部を持つ五層の同心球であり、地表の海はそのまま裏側にまで続いているという考えを提唱した。
アメリカの医師だったサイラス・ティードは、1869年に、凹面地球モデルという概念である「空洞宇宙起源論」を提唱した。
これより先に、イギリスの天文学者であるエドモンド・ハレーは、1692年に地球空洞説を発表しており、「地球内部は明るく、居住可能である」としている。
というような感じで、古代ギリシャの時代から続いた話は、ついに今回、話題の渦中の人物であるエドワード・スノーデンさんにまで及んだということになるようです。
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ヤクート死の谷の謎―永久凍土に眠る大鍋
資金力にモノを言わせて空からの調査が行われる――予定だったが、結局20人編成のチームは結成できず、2人というチームと呼ぶに最小限の単位での探索となった。
そうしてエフゲニー・トローシンによって発見されたのが奇妙なマウンドだ。
画像出典:alternathistory.org画像出典:alternathistory.org
遠目には砂山に見えるが、実際には拳大ほどの小石の蓄積によって形成されている。
これが何なのか良くはわからないが、鍋ではないことはわかる。そして鍋と間違わないであろう事もわかる。
「ドームはこれを見間違えたのではないか」という向きもあったが、全然丸くないし、赤い金属じゃないし、人工物っぽくない。だいいち夢がない。ないないばかりでキリがない。
かくして資金力にモノを言わせた捜索もいまいち不発――不完全燃焼に終わった。
2010年2月
マッケールやトローシンに欠けていたモノは何か? それは情熱だ。
権力も金もないが、情熱はある! ということで今度はUFO研究家の有志によって調査隊が結成される。
彼らは異星人によって大鍋が作られたと信じて疑わない。
大鍋の形状って、UFOに似てるよね?
ということはUFOだよね?
凍土に埋まっている現状ではフライング・オブジェクトっていうほどフライングしてないけど、UFOだよね?
ということはエイリアンいるよね?
奴らはもう来ているよね? 人類は滅亡するよね?
ということである。
『円盤状の物体=UFO』や『UFO=エイリアン・クラフト』というのも、いささか本人たちの願望と結託しがちな結論であるが、それはいい。そんなことは大鍋を発見してから大いに議論すればよいのだ。
■諸兄の溜飲も下がるだろうシリーズ。 こんなロシア娘と和気藹々とキャンプできるなら、諸兄らも今すぐシベリア送りにしてもらって、トナカイじゃなく自分に乗って欲しいはずだ。 とはいえ調査隊の男たちはタフボーイな感じではある。 ykt.ru/МЫ!■諸兄の溜飲も下がるだろうシリーズ。
こんなロシア娘と和気藹々とキャンプできるなら、諸兄らも今すぐシベリア送りにしてもらって、トナカイじゃなく自分に乗って欲しいはずだ。
とはいえ脇を固める調査隊の男たちは屈強極まるタフボーイで実に近寄りがたい。
画像出典:ykt.ru/МЫ!
彼らの調査隊は死の谷の沼地で『ゴムの石』なる鉱物を発見している。
これは『見た目には黒曜石のようであるが、焼けたゴムのような特性がある』という。この発見を受けて一部の有識者によって大鍋やドームとの関連性が主張されたが、分析してみないことには何とも言えない。そして分析結果については続報が見あたらなかった。何だったんですかね。
2012年
ロシアのテレビ番組『Mysterious Russia』でヤクートの鍋が取りあげられ、テレビクルーが大型ヘリコプターニャに乗って死の谷の上空を飛び回った。
これには日本のテレビ局も一枚噛んでいたという話であるので、そのうち日本でも放送されるかも知れない。
番組内容としてはエフゲニー・トローシンのマウンドや、イワン・マッケールの症状、ミハイロフスキの話を後追い調査する形になっており、特筆すべき新発見はなかった
どうだろうか。
この『ヤクートの鍋』は日本ではどちらかと言えばマイナーなオカルト話に分類されるためか、認知度、注目度ともに高いとは言えない状況であるが、ご当地ロシアでは結構な盛り上がりを見せている。
それでも諸兄は言うのでしょうね。
「なんだよ! 結局見つかってないのかよ! どうせ露スケの言うことだし、こんなのはまた『ウォッカ』が生んだヨタ話なんだろ! それが年月重ねてデカくなっただけだ! ロシア女だって歳とりゃ横にデカくなるしな!」
なんと口の悪いことだろうか。
とはいえ、確かにこれだけ探して見つからない事にはオカクロ特捜部としても忸怩たる思いである。
こうなってくると、テンションもなんだか尻つぼみで、心が冷えてゆく。諸兄の心も、凍土が如く氷結してゆくだろう。
しかし、ヤクートで撮られたある写真は、我々にもう一度戦う勇気をくれる。
2008年6月7日、採掘技師アレクサンドル・パブロフとその友人シーリー・イワノビッチの14歳になる息子がオルグイダーク川を下っているときの話だ。
時刻は午前3時~6時ごろ、静かな夜の川に突如として光球が出現した。
パブロフによる写真。光球は直径20センチほどで、いくつも現れては小爆発のような効果を見せた。画像出典:Tfm Portalパブロフによる写真。
光球は直径20センチほどで、いくつも現れては小爆発のような効果を見せたという。
画像出典:Tfm Portal
巨大な蛍のような燐光、しかしそれだけでは終わらなかった。
見上げれば夜空に異変が!
シベリアの空に、巨大なドームが見えたのだ。
空に現れた巨大なドーム。死の谷の夜空に現れた巨大なドーム。
画像出典:ПОЗНАЙ СЕБЯ:Вилюйские Котлы.
おおお……なんだこれは!
これ完全にバリアじゃないすか! ATフィールド全開じゃないすか!
地球防衛システム発動!
これは我々の失いかけた厨二心、あるいはビリーバー心――ビリビズムを大いに刺激してくれる。すごく……かっこいいです。
本当に、シベリアにはまだ稼働している超古代の防衛システムが眠っているというのか。
我々は、こういった話をヨタ話だと鼻で嗤って切り捨てるほど大人でもないが、素直に信じられるほど子供でもない。
さまざまな情報に踊らされてきたことにより、信じる心を失い、心は冷え、クリティカル・シンキングは鍛えられ、苦笑いばかりが上手くなった。
大の大人がこんな事に時間と金と労力を使って、バカじゃないかと嗤う人もいよう。だが、オカルト・クロニクルとしてはちゃんと向き合ってみたい。大の大人が大まじめにやるから意味があるのである。
だって、面白いでしょう?
氷点下-50℃の情熱
『声が凍る国』と前述したが、この酷寒の世界では、他のモノも凍る。凍って、音を立てる。
屋外の気温が氷点下-50℃を下回ると、唇から漏れた息が耳のあたりで凍り付き、微かな音を立てるという。ヤクート地方では、この音を『星のささやき』と表現する。
寒帯の常識は、我々、温帯に住む日本人には計れない。
とはいえ、「永久凍土の下に地球防衛システムが存在し、幾度となく地球を救っている。もう疑う余地もないだろ、な?」と言われてもにわかには首肯しがたい。
地球防衛システム論では、さらに「地球の地底には地下文明が存在し、ヤクートの鍋はそれを裏付けるモノだったんだよ!」と極めて進歩的な話も聞かせてくれる。
実際に『ウールピットの緑色の子供【別項】』や、進撃してこない4メートル級の巨人がいたという『ヤンセン親子の地下世界』などの古典的な地球空洞説の逸話がこのヤクート鍋に並べて紹介されている。
一時期人気のあった、『洞穴都市に住むという悪徳地底人デロ』に関しては触れられていないが、それはいい。
tesuジュール・ヴェルヌの『地底旅行』からキノコの森と地底湖の挿絵。
作中では地下世界は『オーロラのような』現象による光が存在し、絶滅したはずの恐竜や古生物が生き延びている。このキノコの森をして、ヤクートのキノコ建造物との関連性を指摘した論者はまだいない。
画像:public domain
地下にはまだ人類の知らない文明が存在しており、何か企んでいたり、いなかったり――。
ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』では、リーデンブロック教授が地下世界でキノコの森や恐竜を目にしているが、ここからなかなか興味深い(註:ロマン溢れる)考察が得られる。
ヤクート死の谷では、キノコの形状をした特異構造物も目撃されており、これが地下世界からニョッキリ頭を出したキノコの森の一部であると。
そして、シベリア地方ヤクート周辺の永久凍土からは、『氷漬けのマンモス』が多数発見されているのは諸兄もご存じかと思う。
これをして、「地下世界ではいまだマンモスが生き延びており、時折、ヤクート周辺の出入り口から間違って地上へと迷い出てきてしまう。地下からノソノソでてきたマンモスは、息をも凍らせる極寒の世界にあって、その毛皮も意味をなさず、間もなく凍り付き――」という仮説を考えてみたがどうだろうか。ないだろうか。
実際に、1580年にシベリアでは山賊退治の任についていた騎士達が毛の生えた大きな象を目撃しており、20世紀に入ってからも、シベリアはタイガ地帯で、地元ハンターが巨大な足跡とフンを発見し、追跡してみた先で巨大な牙と赤黒い毛を持つ象を発見した。という話がある。
これは、やはり地下世界の出入り口がヤクート周辺にあるという事実を示唆するものではないか。いや、そうに違いない。
では出入り口とは何か?
そりゃあ、もちろん、アレである。『特異構造物』である。
シベリアで巨大なシンクホールは隕石じゃない
ロシア連邦・シベリアのヤマロ・ネネツ自治管区にあるヤマル半島で、巨大なろうと状の陥没穴が発見されました。
この穴を空中から撮影したヘリコプターのパイロットらによれば、穴の規模は、ヘリコプターMi-8型機数機が 楽に内部に下りて行かれるほど非常に大きいものです。
この巨大な陥没穴は、ヤマル半島最大のボヴァネンスコエ・ガス田から数10キロの地点にあります。
調査研究グループ 「チュメニ-コスモポイスク」の専門家達は「恐らく、人工的なものかあるいは隕石によるものか不明だが、 爆発があり、その後、土が地下の川に流れ込み陥没、ろうと状の大きな穴ができたのだろう」とみているようです。
「チャリャビンスク・ヴェスニク」新聞の報道によれば「この場所で、強力な弾薬が地下で爆発したことはない」としています。
しかし、ヤマルの緊急事態省は声明を出し「私たちが見たものはは間違いなく隕石ではないと言うことができます、ただしそれについての詳細な情報は持っていません」
また、「ろうと状の穴の規模は(穴の周囲には、背丈の低い北極圏の木が生えている)非常に大きく、爆発が小型原爆の威力に 匹敵するほど強力であったことを物語っている。」としています。
262 フィート幅の穴は深い底があるようです。
シベリア タイムズに対し専門家は、クレーターの暗い縁と '深刻な燃焼' 何を物語るものかわからないと話します。
まるであのスノーデンが暴露したような地底人の出入り口みたい…。
※ヤマル半島(ロシア語:полуо?стров Яма?л パルオーストラフ・イマール)は、ロシア連邦・シベリアのヤマロ・ネネツ自治管区にある半島である。長さは約700km(435マイル)で、西のカラ海と東のオビ湾に挟まれており、北のマリーギナ海峡、パガ湾を挟んでベルイ島と隣接している。「ヤマル」はネネツ語で「世界の果て」を意味する。
ヤマル半島の大部分は永久凍土に覆われており、地質学的には1万年未満の非常に若い地域である。
シベリアで巨大な陥没穴が発生!メキシコやペルーでは地割れ!全世界各地で異常な地殻変動!
世界中で変わった地殻変動の発生が報告されています。南米のメキシコやチリでは突如地面が数百メートルも動き、地割れが発生しました。また、ロシアのシベリアでは大型ヘリコプターが入れるほどの巨大な陥没穴が発生。発生した原因などは分かっていませんが、現地メディアは「隕石か!?」と騒いでいます。
ここ数十年ほど世界中で「シンクホール」と呼ばれている地面が抜け落ちる現象の報告が多発しているので、ロシアの現象はそれと同じものかもしれません。ただ、ここまで巨大なシンクホールは私も初めてで、規模の大きさにちょっとビックリしました。
スマトラ島沖巨大地震以降、地球の地殻変動が増加中で、「地球全体が縮小している」という指摘もあります。これは地球膨張説とも呼ばれている物で、地球は定期的に風船のように大きくなったり、小さくなったりを繰り返しているという説です。これは仮説の枠を出ませんが、大陸移動説等も地球膨張説で補強することが出来ます。とにかくも、ここ数十年で地球全体の地殻変動が急増しているのは事実なので、その原因がとても気になるところです。
【地殻変動】シベリアでまたもや巨大な穴が複数発見される!政府は調査団を派遣!「人工的な物ではない」
ロシアの大穴ですが、その後も相次いで同じ様な穴がシベリア各地で発見されていることが判明しました。ロシア政府は専門家で構成された調査団を編成し、各地の大穴を調べていますが、詳しい原因は分かっていません。直径は小さい物で6~7メートルで、大きい物になると集落を飲み込むほどの規模になっています。
当初、調査団の専門家達は「圧力と温度の変化によって発生した自然現象」としていましたが、詳しく調査をしてみたところ、人工的な原因ではない事が分かると同時に、最初の仮説では説明が出来ない部分が見られることが判明。
一つ目の大穴に関しては地下爆発や水脈の問題などで構成されたものと推測出来るようですが、他の大穴については謎が多いとのことです。穴の目撃情報は1年ほどで増加しており、「大きな地殻変動の前兆」とも指摘する声があります。
個人的に気になるのは、昨年辺りからポールシフトが加速して、北極にあった極がシベリア方面に移動していることです。過去に「世界各地で激増している地震とシンクホールの原因とは!?実はアメリカも知っている地球規模の異常」という記事でも触れましたが、2000年代に入ってから世界中で巨大地震が増加すると同時に大穴の報告が増えて来ています。
その時期に地球の地軸移動(ポールシフト)も観測されているので、ポールシフト⇒地殻変動⇒大穴という順番で発生しているのではないでしょうか?
少なくとも、ちゃんと辻褄は合います。これから推測されるのは、更なるポールシフトの悪化と地殻変動を激化です。東日本大震災以降も世界中で巨大地震の前兆が捉えられていますが、これは今まで以上の大きな地殻変動が迫っているということなのかもしれません。今回の大穴以外にも突発的な地割れや火山噴火、島の浮上等が世界中で観測されているので、今後も世界中で地殻変動には注意が必要です。
地底の世界に行ける穴の写真ですww
貴方はこの穴に入ってみませんか?
シベリアで伝説の巨大首長竜を発見!?
ロシアの科学者が、地域住民達により何度も首長竜状の巨大生物が目撃されていた、シベリアのサハ共和国にあるLabynkyr湖の湖底で、首長竜と思われる生物の、あごと骨格を含む遺骸を発見した。
モスクワから4500マイル離れた極寒のシベリアの荒野の湖で、勇敢なダイバー達が-42度の極寒のなか、首長竜の調査の為に潜水調査を行った。
その調査で、ダイバー達はついに首長竜の生存の決定的な証拠を発見したのだ。高性能な水中ソナーを利用した調査で、彼らは首長竜のアゴと体と見られる白骨化した遺骸を発見した。これらは、19世紀から地元の人々に恐怖のモンスター伝説として伝わっている“湖の恐竜”の遺骸に他ならないのかもしれない…。
実は、Labynkyr湖の恐竜伝説は、有名なスコットランドのネス湖の恐竜伝説より古いと言われている。プーチン大統領はこの一報を受け、ロシア各局のテレビレポーターに「ロシアは何事においても一番なのです!それは首長竜伝説においても同じこと。最初の首長竜伝説は、スコットランドではなくロシア発祥だったということです」と力強く語った。
この巨大な遺体が何の生物であるかは、最初様々な憶測が飛び交っていた。巨大なカマスであるとか、大トカゲやサンショウウオの類いであるというのが噂の主流だった。しかしロシアの科学者達は「この遺体は首長竜の物に違いない。33フィートもの体長がある生物はシベリアに存在しない!」と結論づけた。
実はこの発表の信憑度を考えるには、この地域と湖の特異性を知っておく必要がある。シベリアに100万とある湖の中で、このLabynkyr湖だけは真冬でも凍てつくことがない。しかもこの周囲の生態は冬期に-70度にもなる厳しい自然環境。その為に、数万年前から外部の生物の流入を阻み、古代の生態系を保ったままだといわれている。そんな厳しい環境でありながら、なぜかLabynkyr湖だけは厳冬期でも水温2度以下に下がることが無く湖面が凍り付かない。つまり、古代の生物が、そのまま生き延びていたとしておかしく無い環境と言われるのはその為だ。学者達は「発見された遺骸の特徴は、現在シベリアに住むどの生物にも全くあてはまりません」と念を押す。
海抜3000フィート以上にあり、“地球上で最も寒い場所”といわれているオイミャコン村。そこに住む原住民たちは大昔から「Labynkyr湖の底には巨大な怪物が住んでいる」と伝承していた。近代に入り19世紀の記録にも、その怪物の記録が多数あり「巨大なアゴがある怪物が現れた」と記されている。そしてついに、その伝説の巨大なモンスターの痕跡が発見されたわけだ。果たして生体の発見は可能なのか。春から行われる予定というLabynkyr湖全域の本格調査の結果に期待したい。
地底人は、パラレルワールドにある、もう一つの地球人だった!?
ロシア・イルクーツク州
現在ロシアでは、パラレルワールドの存在を立証する科学的証拠が徐々に集まりつつある。
米スタンフォード大学の物理学者は、ビックバンの結果誕生した無数の銀河系の数を計算することに成功している。彼らによれば、ビックバンは10万1016もの銀河系を誕生させている。この計算は、ロシアの科学者達の計算とピッタリと一致する。
そして、ロシアの科学者達によると、この数字が正しいとするならば、驚くことに、我々の銀河系を含む多くの宇宙に存在する銀河の内部に、隠されたもう一つの銀河=パラレルワールドを持っている計算になるのだという。
つまり私たちの地球がある太陽系の中にも、もう一つの太陽系=パラレルワールドが隠されている計算になるということ。これは、地球の内部にもう一つの地球があるかもしれないということの証明になります。
地球空洞説は、われわれ人類の創世記から存在する定番の伝説です。古代の賢人たちは、我々とは別の人類が地球の内部に住んでいると信じていました。
現代人類は、地表の世界が唯一存在する世界で、地球に内部世界など無いと信じていますが、もしかするとそれは大きな間違いだったのかもしれません。
古代ギリシャにはタルタルに関する神話=不吉な地下の世界の伝説がありました。哲学者アナクサゴラス(5世紀)は、地中に存在する空気とエーテルの雲に囲まれた平らな大地にある“もう一つの世界”を予言し、そのパラレルワールドに住む人々の姿や、暦、天体の存在についての伝説を記しています。
やはり、伝説通りもう一つの世界の住民は、地下に住んでいるのだろうか……。
地球内部に超巨大空洞が存在する仮設、理論は、あの高名なガリレオ・ガリレイや、ベンジャミン・フランクリン、リヒテンバークらによっても提唱されています。
1818年、ジョンクレーヴ・シンムスは米議会、大学や著名な科学者に対して、「地球はいくつかの同心球で作られており、地球の北極近くに開口部がある」と唱えています。
ソ連の学位院会員V.オブルチェフは、原始の時代に地球に突っ込んだ巨大な隕石が地球の地殻を突破して、地中に超巨大空洞を作ったと唱えています。
また、米国の研究者キュロスティードは、地球の重力から比重計算をすると、中まで地殻が詰まっているとすると軽すぎる。地球の表面は、実は卵の殻のように、球面の内部シェルの一部かもしれないとの仮説を唱えています。彼の理論は”凹型空洞地球”として広く知られています。この理論によれば我々はすべての地球の内殻に住んでいる。つまり我々こそ地底人ということになります。
地下の世界が存在し、誰かがその世界に住んでいるとするなら、彼らは一体どんな姿をしているのでしょうか。我々と同じ人間の姿をしているのか、それとも想像を絶するモンスターなのか…。人類4000年の疑問への答えは間もなく判明するかもしれない。
「バードはその後、地下で千年以上に渡って存在し続けてきた巨大な地下世界の代表者とコンタクトした。
地下世界の住人は姿はほとんど人間と似ているものの、地上の人間よりも外観的にも、
内面的にも美しいという印象を持っていた。地下世界では戦争がなく、新しいエネルギー源を持っており、
食料や光に困ることはない。地下世界の人々は地上世界の人々と何度かコンタクトを取ろうとしたにも
関わらず、全て拒絶され、その度に彼らの航空機は撃墜された。
もし、いつか地上世界の人々が自滅するような事があった場合にのみ、手を差し伸べる事を決め、
地上との接触を絶った」。
「地底人はバード氏に彼らの文明の全てを見せ、パイロットと共に再び、飛行機に乗って穴を通り、
地上までエスコートした。帰り道、バードは知らぬ間に2750kmも飛行していた事に気づいた。その後、
当局はバード氏を厳密な管理下に置き、生涯決してその事を誰にも話さないよう指示をし、
バードは不遇のうちにその生涯を終えたのである。」
地球の内部にいる地球人
もっとも近い宇宙人
[精神世界でよく聞く話]
・北極にあった文明
・進んだテクノロジー
・UFOで、地上や宇宙にも出入りしている
地球内のUFOの一つ
・人気の無い海や洞窟から出入りすることもある
・現在、地上の地球人とは、接触していない
・1万2千年前、アトランティスが滅亡した時、地底に逃げた人たちの末裔
・レムリアの末裔
・地上程、人口はない、1200万人程度
・地下には、いくつもの都市がある
・パラレルワールドに存在する
・地下の内部に太陽がある
・恐竜などもいる
・シャンバラなどの、伝説の都市も存在する
・星の中心部は、熱くない
・地球内部空洞説
・空洞地球の内部表面で生活する、高度に進化した存在
[現実で言われている話]
・「地球の内部に知的な生命が住んでいる。」元NSA エドワード・スノーデン氏
・アメリカの哲学者レイモンド・バーナード著『空洞地球 - 史上最大の地埋学的発見』の中に、 リチャード・イヴリン・バード少将の地下世界の代表者との接触が書かれている。
「地下世界の住人は姿はほとんど人間と似ているものの、地上の人間よりも外観的にも内面的にも美しいという印象を持った。地下世界では戦争がなく、新しいエネルギー源を持っており、食料や光に困ることはない。
地下世界の人々は地上の人々と何度かコンタクトを取ろうとしたにも関わらず、全て拒絶された。もし、いつか地上の世界の人々が自滅するような事があった場合にのみ、手を差し伸べる事を決め、地上との接触を絶った。」
・1692年、イギリスの天文学者エドモンド・ハレーは、地球空洞説を発表
「地球内部は明るく、居住可能である」
・古代ギリシャ 地下世界の話
・日本神話 竜宮城伝説
・海底人とも言う
・金の目、大きな耳、ハリーポッターのドビーのような姿
・世界中の光景を見る事が出来る地上透視テレビ、出血や痛みを全く伴わない外科用レーザーメス、地上の電気機器に干渉するトラクタービーム砲、人の心を操る精神操作電子銃、世界各国の言語を翻訳する特殊スクリーン
・地下1300㎞~1400㎞、マントル付近の空洞に生息
・ガリレオ・ガリレイや、ベンジャミン・フランクリン、リヒテンバークら、地球内部に超巨大空洞が存在する理論を提言
・哲学者アナクサゴラス(5世紀)は、地中に存在する空気とエーテルの雲に囲まれた平らな大地にある“もう一つの世界”を予言し、そのパラレルワールドに住む人々の姿や、暦、天体の存在についての伝説を記す。
・1818年、ジョンクレーヴ・シンムスは米議会、大学や著名な科学者に対して、「地球はいくつかの同心球で作られており、地球の北極近くに開口部がある」と話す
地球内部にある『もう一つの地球』 再燃する『地球空洞説』
我々が立つ地面の下には何があるのだろうか? 古代より、人々は自分の住む『世界』について様々に考え、夢想してきた。それは空や海だけではなく、地底にも及び、神話に『地獄』や『あの世』としての地底世界を想像するに至った。
こういったパラレルワールドとしての地下世界、「地球内部に『もう一つの地球』とも呼べる大地があり、そこには居住可能な空間や異なる知的生命体すら存在する」という説を称して『地球空洞説』と呼ぶ。この説を初めに提唱したのはイギリスの天文学者、エドモンド・ハレー。かのハレー彗星の軌道計算を行い、「彗星は一定周期で太陽系を公転している」事を証明した人物である。彼はこの説で「地球内部は明るく、おそらくは居住可能である」、さらに「そこから逃げてくる発光性ガスによって、揺らめくオーロラが生じる」と称えた。他にも、「オイラーの公式」等で知られるスイスの数学者レオンハルト・オイラーが「地球内部の高度な文明を照らす、一個の内部太陽」を仮定している。
これらの『地球空洞説』はしばらくの間、SF小説の舞台としてよくとりあげられたモチーフだったが、20世紀になってにわかに活気づく。1968年、アメリカの気象衛星『ESSA-7』が写した一枚の衛星画像に映った『北極に開いた大きな穴』の画像だった。だが、数十年も過ぎた現在では、あの『穴』の正体は極地方の長い夜とカメラアングルの結果で北極上空をカバーできなかったために起きた『撮影ミス』だったという説が有力視されている。
それでは、21世紀となった現在、この説が忘れ去られてしまったのかというと、実はそうでもない。未だにこの説を研究し続けている科学者も多くいる。アメリカはスタンフォード大の物理学者によると、宇宙を創造したと言われる『ビッグバン理論』より考えられる仮説的な宇宙の数を計算した結果、惑星にはその内部にもう一つの大地、パラレルワールドを内包する可能性が高いというのだ。勿論それは、我々の住む地球にも当てはまる。
かねてより、UFOは地下世界の住人の乗り物で、極地方に開いたワームホールより出入りしているのだ、という説があった。今回の理論は、それを裏付けているようで興味深い。
(山口敏太郎事務所)