フェミニストを名乗ることが適切と確信できなかったので、
確信を持って言えることとして反ミソジニーを表明していた。
※現在はGCFを支持しているが、だからGCフェミニストか、というと、よくわからない。
反ミソジニーと表明していたのは、
反に抵抗・反撃の含意があったからで、
それは自分の主張のかなりの部分を占めていて確かにそうなんだけど、
ただ、動機になっているのが体感に基づいた、
「善意の信頼を裏切られた」への感情であると思われ、
通奏低音のようにいつもそれが流れていた、
と、その自覚はあったものの、
自分が怒るのは本当にいつもそれなんだなぁ、と、
今改めて思っている。
自分で言うのもなんだが、
自分は善意を信じたい人間だ。
だから、善意で人を信用する(ことを選ぶ)。
だから、その善意の信頼を裏切られた時に、
落胆し、失望し、
こちらからの好意が大きければその分、
裏切りに傷つけられるし、怒りも大きい。
Erin @反ミソジニー かつ
Erin @反善意に裏切り というところかなぁ。
字面でなんだか私怨ダダ漏らしに見えるかもしれないけど、
清教徒を助けたインディアンを結局白人が迫害し虐殺したことへの憤り
も同じ意味ですよ。
自分は「この私に」酷いことをした、ということはSNSでほぼ問題にしていなくて、
「酷いことをするその人、その集団」を批判していると思うのね。
自分がされた攻撃に、不当だ、ということはきっちり表明するけど、
そんなん当たり前の話で、
こちらを称して私怨とか私憤とか言う人が、なんかすごく的外れなのね。
何を言ってんのかなぁーーーという感じ。
あと、さびしい人とかねたんでる人とかにして貶めたい人って
「フェミはブスBBAの嫉妬」にしたがるゴミソとまったく同じ発想なのね。
また逆に、満ち足りている人が反ミソジニーを人任せにしているとしたら、
いや恵まれている人こそ他者のために働きなさいよ、という話にならない?
大富豪なら寄付しなよ、社会を動かしなよ、という。
ツイッターでかなり親しくしていた人もいるけど、
自分は党派を結成するタイプじゃないんだな。
妥協を許さないから、という見方がありそうだけど、
妥協の話じゃなくてさ・・・
仲良しさんたちが一向に見ないものがくっきり見えちゃうから、言うじゃん?
そうすると仲良しさんたちが
「ワレワレの楽しいぬるま湯に冷や水入れやがって!」と怒るわけ。
いや冷や水かどうかよりもさぁ・・・
「そのぬるま湯が」汚染されてますよ、毒が入ってますよ、出たら?
と言ってるわけ。
でも「ワレワレの楽しいぬるま湯が毒だなんて!」とまた怒るわけ。
うーん、しょうもない人たちでも、毒に浸かってるのを放置すべきとも思えなくて、
自分はつい善意で(マジよw)言うんだけど。
それに、毒入りぬるま湯に浸かっているのがその人たちだけならいいんだけど、
毒入りの湯気を他の人にも吸わせるじゃん?
だからその毒入りぬるま湯やめぇや、移動しようや、と言うの。
そうしているうちに、「あいつが毒を入れた!」と指差されるの。
ええええええええ。
カサンドラ状態ですわ。
こちらを信じてくれる人もいるから完全なカサンドラではないんだけど、
「あいつが!あいつが毒を!」の声とともに石つぶてが飛んでくるのを、どうしたらいいのかなぁ。
ほんそれ。
そういうことをする女体持ちの人たちは、結局、
ちんよし体育祭の紅白玉入れと地続きのお祭りばか騒ぎをやってるだけだっつーの、
わかんねぇのかよ。
ばかじゃねーのとしか思わん。
女体持ち女性が人扱いされる「まばゆい夢」を「見ときたい」「だけ」なら、
ずっとちんよし玉入れやっとけよ、としか思わん。
女の味方は女などと、女だけの街に住みたいなどと、
よくもいけしゃーしゃーと口にできるなぁと、毎度毎度、思う。
女の味方は女と言うのなら、女体持ちであるがゆえにならざるを得ない己の二面性を見据えろ。
己のパーソナリティを責任もってまとめろよ。己一人で起て。
自分以外の女を差し出すなどと、よくもできるなぁと、毎度毎度、ぞっとする。
あんたの身代わりになんぞ、されたくはない。するな。
差し出しておいて、さらに生贄にしてつるし上げたり、見てないふり、聞こえてないふり、知らないふり、するな。
後に知ったのであれば、知った時点でさらに二次加害するな。えーかげんにさらせ、女たちへ。
いや~~、うまいこと言うなぁ! 爆笑しました。
ほんとにねぇ、皆さんしっかりしてくださいよと、ずーっと思ってます。
自我が脆弱、自立できないんですなぁ。もたれないながらの自己しかない。