《写真上は、めがね橋からの紅葉。青空に吸い込まれるように鮮やかな赤黄色が溶け込む》
《写真中は、めがね橋の上は、アプトの道になっており、紅葉狩りのツアー客らで大賑わい》
《写真下は、箱根と並ぶ天下の難所、碓氷峠を越えるため赤レンガの橋梁が造られた》
群馬・長野県境の碓氷峠を越える旧中山道沿いを走る旧18号を行くと、紅葉の名所「めがね橋」が見えてくる。ここは、「秋の夕日に照る山もみじ…」と歌われた唱歌「紅葉(もみじ)」の舞台としてよく知られている。実はこの紅葉(もみじ)の舞台となったのが、国道18号線沿いの山の中を走る旧信越線軽井沢~横川間の熊ノ平駅からちょっと下った「めがね橋」(国の重文指定)付近。「もみじ」は、長野県生まれの国文学者、高野辰之(1876-1947)が故郷から東京へ向かう途中、列車の車窓からの「めがね橋」周辺の紅葉風景を詠っだといわれている。この一帯は、紅葉狩りの名所としても知られ、廃線になった今は、めがね橋の上を歩くハイキングコース「アプトの道」が整備され、中高年のハイカーやツァー客らが大勢訪れている。めがね橋の上に立つと、かつて高野辰之が車窓から眺めたであろう周辺の山々は、夕日を浴びてモザイク模様に染まり、思わず「秋の夕日に…」と歌いたくなる風景が眼前に広がっている。碓氷第三橋梁、通称「めがね橋」(高さ31㍍、長さ150㍍)は、箱根と並ぶ天下の難所・碓氷峠を越えるために、明治24年、信越線最後の難関だった急勾配の横川~軽井沢間(約11・2㌔)を当時の登山鉄道の技術を駆使して、約2年余りの突貫工事で「めがね橋」など橋梁3本、トンネル26本を造り開通させた。特に、赤レンガの「めがね橋」は、埼玉県深谷市の赤レンガ約200万個が使われており、今でも美しいアーチ型の明治時代の歴史をとどめ、素晴らしい山々の紅葉を一段とひきたてている。
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