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 県内で新しくできた道の駅「くらぶち小栗の里」(高崎市倉渕町三ノ倉)を訪ねた。今や観光スポットにもなっている「道の駅」は全国各地の市町村で地域活性化の具体策としてつくられている。群馬県は「くらぶち小栗の里」が29番目の施設。倉渕村は高崎市と合併したもので、倉渕村は高崎から中山道(国道18号)と分かれ草津へ向かう国道406号沿いに集落がある中山間地域。倉渕といえば近代日本の礎を築いた小栗上野介忠順(1827-1868)tが最後の将軍,徳川慶喜の袂をつかみ江戸幕府として戦うことを進言した。が、受け入れられず、すべての役職を罷免された。このため領地の一つであった上州権田村(のちに倉渕村となる)に帰農隠棲するため移住した。しかし、新政府軍は「謀反の恐れあり」と小栗を斬首した。罷免された小栗公は東善寺に仮住まいし、同村の観音山に自邸を建て、のんびりと暮らそうとしたが、その思いもかなわず余生を送る終の棲家となる自宅の完成を見ることもなく惨死した。その無念さを物語る顕彰慰霊碑が烏川の水沼河原に建てられている。碑文には「偉人小栗上野介 罪なくして此処に斬らる」と書かれ、無念さをしたためた碑文が許されたのは当時としては極めて珍しい。司馬遼太郎が小栗上野介の業績を「明治の父」と一言で表わしたように、今もなお日本近代化の父として貢献した小栗の業績を伝えている慰霊碑は倉渕支所敷地内に「くらぶち小栗の里」の道の駅はつくられている。小栗上野介に興味を持ち何度も訪れたことのある旧倉渕村を久しぶりに訪れ明治の夜明けを知り大正、昭和、平成の世を経て今日のあることを改めて思い知った。道の駅は歴史の駅でもあった。
                   
                                        《小栗の里の内部。小栗の顕彰資料が満載》
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               《地元民に今でも「小栗さま」と呼ばれ敬愛されている小栗上野介》
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             《上野介父子が眠る東善寺では命日の5月「小栗まつり」を開き称えている》
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