《写真は、上から、建物だけが残されている町田嘉章の生家。町田嘉章は本名の嘉章の音読みから晩年は佳聲を名乗ったが、略字の「声」を使うことを嫌ったという。その土地土地に自然に発生し、生活、感情を歌った民謡を研究していた研究者のこだわりを感じるエピソードだ》
ふるさとの歴史と文化を学び、見直すことで、自分の住む町に誇りを持つ郷育活動。今回は伊勢崎市が生んだ民謡研究の大家、町田佳聲(1888-1981)を紹介する。ふるさとの歴史と文化を築いた人々の活躍を描いた「いせさきフロンティア」(板橋春夫著)によると、町田佳聲(本名・嘉章)は、明治21年、佐位郡伊勢崎町(現在の三光町)で醤油醸造業を営む町田伝七の次男として生まれた。前橋中学校に進み伊勢崎織物に関わる図案を学ぶため東京美術学校図案科に進学。だが途中で眼病を患い、細かな図案の仕事は断念。大正2年(1913)に卒業し、時事新報の美術記者として入社したものの、病気で一年足らずで退社。その後、大正15年(1926)の東京放送局(現在のNHK)開局と同時に入社し邦楽担当者として活躍した。佳聲が民謡研究の道に入ったのは、二度の病気で伏していたときに、三味線、長唄などに没頭するほどの大好きな趣味が高じたのがきっかけとなった。中でも、NHKを退職後に師事した日本民俗学の創設者、柳田国男から「日本人の生活歌であり、労働歌である民謡は民俗学であり地理学である」との助言を受け、全国民謡調査を志したといわれている。日本民謡の集大成者として知られる佳聲が残した遺産はなんといっても日本放送出版協会「日本民謡大観」(全九巻)だ。昭和12年(1937)から昭和38年(1963)までの約30年間、重さが12㌔もあるデンスケこと録音機(町田式写音機とも呼ばれていた)を担いで全国各地に伝わる民謡《ここでいう民謡は、田植歌、草取歌、米搗歌、桑摘歌、茶摘歌、馬子歌、舟歌など》を訪ね歩き、調査採集。その成果をまとめたのが「日本民謡大観」。採集した民謡は約2万曲にのぼるという。佳聲は、録音した民謡を五線譜としてもまとめており、自らも民謡の作曲もした。もっとも知られる歌では、北原白秋の依頼で作曲した、静岡県の新民謡「ちゃっきり節」がある。かつては、NHKでも、民謡番組を毎週やっていたが、テレビから民謡が消えたのは、いつごろからだろう。先人のこうした遺産を活用、引き継ぐのも大事なことなのではないか。ただあるだけの佳聲の生家を見て、そう思った。
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コメント(2)
文章に感動!町田佳聲に拍手喝采!
2013/1/27(日) 午前 9:04
大変ありがとうございます。
2013/5/7(火) 午前 11:58 [ oto*o*oshiy*k* ]