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   《写真は、上から、山ろくから眺めるふるさとの誇り上毛三山の名峰、赤城山。街づくりに尽力した伊勢崎市西部第二土地区画整理組合が町のシンボルとして完成記念碑に上毛三山を冠した。設置してある場所は西部中央公園》
 
  郷育とは、ふるさとの歴史、文化を学び見直し、自分の住む町を愛して、自信と誇りを持とうという故郷を愛する活動です。ふるさとを愛し育むというこの言葉は私の造語で一人ひそかに、自分の住む町のいろいろなところを訪ね歩き、学んでいる。これまで、伊勢崎藩の初代藩主稲垣長茂の屋敷門や稲垣家歴代の墓、いせさき初市、群馬八郎神社、天然記念物の連取のマツなどを訪ねた。「銘仙織り出す伊勢崎市」と上毛かるたに詠まれているように、織物で栄えたわが町いせさきは、織物の斜陽化とともにすっかり町並みも変化している。十数年前、バブルがはじけたころに、この町を終の棲家と決め移り住み、定年を迎えた。それからである。町の歴史文化に興味を抱き、自分の住む町の成り立ちを学び始めた。この町は、これといった都市景観はないが、関東平野の最北端にある上毛三山(赤城、榛名、妙義)に囲まれ、中央を大河の坂東太郎こと利根川が流れる山と川の自然豊かな大地の中で、大勢の人々が生活を営んできた。上毛三山を見るたびに、ああ、我々人間は、大自然に抱かれて生きているのだなあと思い知らされる。私の住む地域は、昭和58年11月から利根川の支流、広瀬川の南側に広がる広大な地域(124・6㌶)の土地区画整理事業で整備された新しい住宅地で、27年の歳月と約132億円という巨費を投じて出来上がった町だ。今では市内でも一、二を誇る人口急増地域となった。先日、市内を散歩していたら、私の住む町の由来がわかる完成記念碑が建っているのを発見した。その完成記念碑が何と、上毛三山を冠したものなのだ。豊かな自然に抱かれ、幸せに暮らそうというメッセージなのかも知れない。まさに上毛三山こそが我々が誇れる町の都市景観なのだと思った。「ふるさとの山はありがたきかな」。そんな言葉があったような、ないような。

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