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  《写真は、上から、我が家のひな祭りの主役は、木目込みの立雛「お内裏様とお雛様」。この時期に毎年開催している桐生市内のドールとオルゴールの店「とうりゃんせ」の特別展示案内。店頭に飾られている人形も春を装い》
 
  きょう3月3日は、五節句(人日、上巳、端午、七夕、重陽)の一つ「上巳の節句」。桃の節句、雛の節句、重三(ちょうさん)ともいわれている。だが本来は「上巳の節句」という。現在では女の子の健やかな成長と災厄除けを願う「ひな祭」として祝っている。「明かりをつけましょぼんぼりに、お花をあげましょ桃の花」と唄い、ピンク色の甘いおぼろがたっぷり入った太巻きを食べて一緒に祝うなど、子供時代なぜか「ひな祭」は、男の子だったが心うきうきして楽しかった思い出がある。それに比べ男の子の「端午の節句」は、華やかさがなかったので、子供心に、ひな祭りの方に興味が注がれた感がある。ひな祭りで飾られている雛人形(段飾り)を見るたびに、毎年そんなことが頭をかすめる。男なのに女の子の節句に憧れた幼いころの記憶はいつまでも残っている。自宅にも娘が生まれたときに、段飾りは無理だったが、木目込みの「お内裏様とお雛様」を創ってもらい、毎年飾っている。今は、子供を育てるのにいろいろなことがあったが、木目込みの立雛の顔を見る度、過ぎ去った日々が楽しい思い出に変わる。そんな癒し効果があるのも雛人形のよさだ。ひな祭りは、雛人形を飾り、桃の花や白酒、菱餅などを供えて祝う女の子の節句。中国から伝来した厄払いと雛遊びが一つになったものといわれている。中国では、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日など、月日が同じ数字の日はめでたい日とされ、節句として祝った。ひな祭りは、平安時代の宮中に流行った「雛(ひいな)遊び」が原型とされ、最初使われていたのは立ち姿の紙人形。これが室町時代から江戸時代になると座り雛になり、享保、寛政年間には、人形や道具類も出来て、豪華さを競うようになった。あまりの豪華さに幕府が再三派手にならないように規制したというエピソードもある。その名残が今日の段飾り(内裏雛、三人官女、五人囃子)として伝えられている。段飾りも住宅事情などから年々減少しているともいわれている。また、ひな祭りは本来、身の汚れを生年月日を書いた紙人形に託してお祓いをしてもらい、身代わり人形として川に流す「流し雛」の風習だった。現在では、一部地方でわずかに伝統行事として「流し雛」の風習が残されている。ところで話は変わるが、この時期になると毎年ユニークな人形企画展をしているドールとオルゴールの店「とおりゃんせ」(桐生市末広町)を紹介する。今月20日まで開催している「ひな遊び展2011」では、春をテーマに全国で活躍している人形作家の雛人形やネコなどのユニーク人形を展示。今年は、フジテレビのドラマに作品が登場し、好評を博すなど、今売り出し中の人気の人形作家、小牧多賀子さんの特別展示も行っている。一見の価値あり、ぜひ観覧を薦めたい。ただし老婆心ながら店は不定休なので、電話(090-6790-7132)してからお出かけ下さい。
 
 

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