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  《写真は、上から、散歩コースの広瀬川沿いの小学校に建つ「二宮金次郎像」。かつては全国各地のほとんどの小学校で、勤勉のシンボルとして校庭に建っていた。今では、あるほうが珍しい。大震災で再び、金次郎の精神が見直されている》
 
  かつて日本では全国の小学校校庭には、背中に柴(雑木の小枝)を背負って本を読みながら歩いている少年の「二宮金次郎(尊徳)像」があった。戦前はほとんどの小学校に建っていたといわれ、恐らく2、3万体にのぼるという(井上章一「ノスタルジック・アイドルー二宮金次郎」新宿書房)。なぜ、二宮金次郎像かというと、先日、東日本大震災一色の新聞報道の中に、ソウル発外電が「金日成・正日像は3万5千体」という記事(29日、東京新聞)を読んだからだ。そういえば、日本では確か「二宮金次郎像」があったということを思い出した。そして、私の散歩コースになっている広瀬川沿いの小学校校庭の片隅に、二宮金次郎の石像が建っているのを見つけた。校庭では、子供たちが元気に遊んでいる風景は、私の小学校時代を彷彿させてくれたため思わず写真に収めた。私の住むj町で、二宮金次郎像を見つけたのはこれで二体目。世界的に見て、こうした報徳教訓像が全国各地に建っているのは類例がないと思う。そしたら北朝鮮であった。ただ、こちらは政治的支配をするための偶像。二宮金次郎は俗人で一般人。その一般人を崇拝して建てるのは珍しい。現在はほとんど見られなくなったが、金次郎の精神は脈々と現代に引き継がれている。江戸末期の篤農家、二宮金次郎(1787-1856)は相模の国(小田原市)に生まれ、子供のころから、早くして亡くした両親に代わり、勉強しながら弟を世話し、独特の農法を考えた。そして貧しかった家を再興。武士の身分となり小田原藩の飛び地である下野国桜町領(旧二宮町=現在の栃木県真岡市)で荒廃していた農村を復興させた勤勉の人。二宮金次郎が説いた報徳思想は「陰徳・積善・節約」。農家の生産力に応じた勤倹(勤勉で節約すること)を実行することなどで貧しい農家を再建させた。徹底した実践主義でもあった。二宮金次郎精神の基本は「積小為大(せきしょういだい)」という「小を積して大をなす。塵も積もれば山となる」考え方だ。江戸時代の財政再建改革者でもあった、二宮金次郎や山形の上杉鷹山は、「入るを計り、出るを制する」財政再建の基本を着実に実行しただけである。そのためには、勤倹が必要だった。いつの世も原点に戻ることが大切だという教えでもある。未曾有の大震災に見舞われ、戦後最大の国難に立ち向かうためには、今こそ金次郎精神で培った日本人の勤勉実直な姿とひたむきな心を一つにして、再び活気ある日本を取り戻そうと、二宮金次郎(尊徳)の石像が教えているようだった。

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