ひょんなことから川柳を学ぶようになった。まちの生涯教育の一環で、「楽しい川柳の話」の講演会に顔を出したのがきっかけ。もともとサラリーマン川柳の入選発表を新聞報道で読んで「川柳って面白いな」「自分でもあんな面白い川柳をつくれたらいいな」と思っていただけに、講演会の開催チラシをみてすぐ応募した。サラリーマン川柳で好きなのは最初のころの句で、「まだ寝てる帰ってみればもう寝てる」(遠くの我が家さん)。最近のものでは「ダイエット犬の散歩で犬が痩せ」。情景が浮かんでニヤリと笑ってしまうドライさがいい。ところが川柳を学んで驚いた。とにかく歴史が古い。短歌や俳句などでから発展した連歌連句の前句附けが川柳となった。全国に川柳が広まったのは、当時から大名武士町人の分け隔てなく一緒になって言葉遊びが楽しめたことが人気の理由なのだろう。全国から応募した作品の中からすぐれた川柳に豪華賞品を出すなどの万句あわせは大人気だったという。川柳史によれば、川柳の中興の祖である阪井久良伎、井上剣花坊。六巨頭と呼ばれる川上三太郎、前田雀郎、村田周魚らによって隆盛を極めた。これまで、初代川柳から現在の15代川柳まで続き、平成19年には、川柳発祥250年を迎えるなど日本独特の文化として定着している。私の住む伊勢崎市は昔から川柳が盛んだったといわれ、前田雀郎の流れを汲む弟子たちが活躍しており、県内には20を超える川柳グループがあり今尚盛んだ。その中でも、伊勢崎市は昭和25年に「県下川柳大会」が現在の伊勢崎神社で開かれるなど「川柳のまち」だったことが判明した。そのことを川柳発祥250年を機に、上州時事川柳クラブの世話人、秋山春海(雅号)が「伊勢崎の川柳遺産ここにあり」の一冊の本にまとめた。春海さんいわく「江戸時代、伊勢崎藩の殿様の中に俳諧好きの殿様がいて、東海道膝栗毛の原案者という話もあり、とにかく盛んだった」という。川柳講演会もメッカ伊勢崎の再興の表れでもある。「バカの壁あるのかないのか分からない」(自作)。
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