《写真中は、市指定史跡の「栗庵似鳩の墓」。指定を機に、栗庵の説明文が設置。碑には、辞世の句も》
《写真下は、市内各地に残る芭蕉句碑を発掘し、句碑めぐりツアーを開催。伊勢崎神社内にも芭蕉句碑》
柴宿の本陣跡を見て、次の本陣跡のある境宿「織間本陣跡」を目指して、国道354号をゆくが、沿道には道標やら芭蕉碑など石ものばかりで街道の面影はほとんどない。余り退屈なので、ちっと寄り道してみようと、この地方の俳諧文化に大きく貢献した俳人・栗庵似鳩(りつあんじきゅう)の墓に立ち寄った。大阪生まれの栗庵は、全国を俳諧行脚をしている途中、那波郡上蓮沼村(現在の伊勢崎市上蓮町)に立ち寄ったのが縁で、この地に庵を住み着いた。明和8年(1771)冬のことである。庵は、ここでの生活を詠んだ「喰つみは秋もてなさん軒の栗」から栗庵と名付けたという。栗庵は、当時、俳諧に高い文芸性を賦与し蕉風を創始した松尾芭蕉の蕉風俳諧普及に務め、上州、武州の二州で500人を越える弟子がいたといわれる人気のある俳諧師匠だった。酒を好み風雅を友として生涯独身を通した栗庵は寛政9年(1797)12月23日、不帰の人となった。62歳だった。辞世の句は「雪仏生まれし時の顔に似よ」。後年、弟子たちが庵のあった豊受地区住民、俳句同好会などの協力で「栗庵似鳩翁碑」を建立(昭和42年12月23日)し、蕉風俳諧の普及貢献を讃えた。今でも栗庵の流れを汲む弟子たちが市内各地に散在する芭蕉句碑の発掘、再建などを行い「芭蕉句碑めぐり」を実施するなど地域に根付いた芭蕉や栗庵の蕉風俳諧文化を楽しんでいる。市内には、18箇所の芭蕉句碑が確認され、愛好会らが句碑案内板、標柱などを整備し句碑めぐるコースづくりなどで、芭蕉再発見活動を進めている。
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