イギリスの労働者階級の人々が貧困や格差拡大でささやかな暮らしを脅かされていく姿を描いてきた名匠ケン・ローチ監督が、新作『家族を想うとき』(12月13日から全国ロードショー)で再び、私たちに「このままでいいのか?」と突きつける。
25年間、貧困支援に関わってきた社会活動家で、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科特任准教授、稲葉剛さんに映画を見てもらった。むしろイギリスよりも問題が進んでしまっているという稲葉さんに、映画と日本の状況を重ねながらお話を伺った。
前作での引退宣言を撤回してまででも監督が問いかけたかったことは何なのか。そして、日本でも同じことが起きているのではないか? 前編をお届けする。
<あらすじ>マイホーム購入の夢を叶えるために、フランチャイズの宅配ドライバーとして独立した父・リッキーと、パートタイムの介護士として働く母・アビー。家族を幸せにするはずの仕事が家族との時間を奪っていき、高校生の長男セブと小学生の長女ライザ・ジェーンは寂しい思いを募らせていく。そんな中、リッキーはある事件に巻き込まれてーー。
前作『わたしはダニエル・ブレイク』と表裏の関係の映画
ーーケン・ローチ監督はカンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールを受賞した前作『わたしは、ダニエル・ブレイク』でもやはり、助け合いながらも苦境にあえぐ庶民の姿を描いていました。前作で引退すると宣言したのに、今作を撮りたくて83歳の監督が復帰したようです。
確か、ケン・ローチ監督、以前も引退宣言していたんですよね(笑)。
ーー宮崎駿さんのようにですか(笑)。それだけ撮らなければいけない思いにかられたのでしょうね。
前作の『わたしは、ダニエル・ブレイク』は福祉の劣化を描いた映画でしたね。もともとは世界でも初めて福祉国家を作ったイギリスで、緊縮政策の下、社会保障制度がズタズタになり、そこからこぼれ落ちる人が出ている。社会保障制度が命を守れなくなっていることを描いた作品だと思います。
新作では、グローバル資本主義が招いた雇用の劣化が描かれており、ある意味、前作と今作は表裏の関係にあると思いました。
もともと『ダニエル・ブレイク』でフードバンクの取材をした時に、そこにいたたくさんの人たちが過酷な労働環境で働いていたことを知ったのが今作を撮るきっかけだったそうですね。
たぶん意図的だと思うのですが、前作も今作も、主人公のインタビューの場面から始まります。前作では福祉手当の認定を受けるための面談から始まって、今作では主人公が運送のフランチャイズの契約を得るための面接の場面から始まります。
今までどういう仕事をしてきたのか問われ、リッキーはこれまで建設の仕事をしていたけれどもうまくいかずに転々したと話していました。
そこで「生活保護は?」と聞かれたのが印象的でしたね。それに対して、「生活保護はプライドがあるので受けたくない」と答える。
社会保障制度が利用しにくくなっていることが背景としてあって、前作が描いたように、社会保障制度を利用することで尊厳が奪われてしまう状況がある。そして、尊厳を奪うことによって、必要な人を制度から遠ざけてしまう。
福祉が劣化しているために、労働条件が悪化しても働かざるを得ないワーキングプアが生み出されています。コインの表裏の関係になっているというのは感じましたね。
日本はある意味、イギリスよりも過酷?
ーーどちらの主人公も非常に真面目で、一般市民として、働いて税金を納めて、家族を養って教育も受けさせることをやろうとしています。ただ、当たり前の生活を望んで働いているのに、それがうまくいかない。これは日本でも見られることですか?
日本ではワーキングプアの問題は2006年頃から言われるようになりました。
今回の映画では、宅配便の仕事がフランチャイズで行われ、仕事中に怪我をしても労働者としての権利が全く保障されず、無権利状態に置かれている状況が描かれています。同様の問題は、「バイク便ライダー」の問題として注目されたことがあります。
社会学者・阿部真大さんが体験をもとに書いた『搾取される若者たち ―バイク便ライダーは見た!』 (集英社新書)という本が2006年に刊行され、話題になりました。個人請負でバイク便ライダーとして働くワーキングプアの若者を描いています。
この頃から、特に都心で会社同士のやり取りなどでバイク便は使われるようになりました。
ーーそうですね。新聞社でも利用していました。
実は多くが個人請負という形になっていて、保障がなく、歩合制のもとで長時間労働を強いられていました。オーバーワークによって体調を崩す人もいて、私たち生活困窮者支援団体の相談窓口にも、バイク便で働いていた若者が相談に来ることがありました。
そして、ある意味、イギリス以上に日本の状況が深刻で進んでいると思うのは、そこで働く若者自身も、元々バイクが好きな人が多く、自己実現として働いているという意識を持っていることです。
いわゆる「やりがい搾取」です。その後、教育社会学者の本田由紀さんが使い始めた言葉ですが、労働条件としては劣悪なのに、本人も搾取されているという意識がない。そこがむしろ、イギリス以上に日本は深刻だなと思うところです。
『家族を想うとき』の主人公のリッキーは、家族を養うためにやらざるを得ない、とにかく家族のために苦しくても稼がなくてはいけないという動機で長時間労働に就いています。表面的には会社に従っていますが、内面は違います。
しかし、自分のやりたいことを仕事にしたという意識から、長時間労働や劣悪な労働環境に疑問を持たなくなるという傾向があります。また、長時間労働を肯定する職場の文化がさらにその傾向を後押ししています。
自分も好きでやっているんだと思わされて搾取されているほうがもっと厳しいですし、問題の構造に気づきにくい状況にあるんじゃないかなと思います。
広い意味でのホームレス状態は増えている
ーーワーキングプアの問題が言われ始めた2000年代半ばよりも労働環境は悪化しているような気がします。
実はホームレスの数は2003年の2万5000人がピークで、今は4500人まで減っています。昔は生活保護も「水際作戦」として役所の窓口で追い返されることがよくあったのですが、私たち支援者が同行する活動が広がって、対応が改善されたこともあります。
ただ、行政の調査は昼間の目視調査なので、夜だけ野宿している人がカウントから漏れる傾向があります。東京だと、私たちも連携している東京工業大学の研究者や学生が中心の「ARCH」という組織が深夜の調査をしていますが、だいたいそれだと行政発表の2倍から2.5倍ぐらいの数が確認されています。
ーー先日、NHKのニュースで車中泊の人が増えていると報じられていました。
それもカウントされていないですよね。完全に失業して完全に路上生活という人は減ったのですけれども、ワーキングプアで住まいが借りられなくて、ネットカフェにいたり、カプセルホテルにいたり、最近だと貸し倉庫のようなところにいたりする人の実態はよくわかっていません。
ーー新しい形態が広がっているのですね。
見えにくいホームレスが増えているんですね。広い意味でのホームレス状態にある人はむしろ増えているのだと思います。
この層の人たちに支援団体はあまりアプローチできていないのですが、アプローチできたとしても、活用できる支援策自体があまりないという問題があります。
生活保護基準より少し上の収入の人が多いため、生活保護が利用できないからです。住宅費だけでも補助が受けられれば、不安定な生活から抜け出せるはずですが、働いている人向けの住宅支援策はほとんどありません。
そのため、自転車操業の不安定な生活から抜けられない人がたくさんいるのです。
労働者が声をあげる動きも出てきている
最近、日本で問題になったのはコンビニのフランチャイズですよね。実質、家族経営のような形でやっていてほとんど休みが取れず、倒れてしまう。そこで「24時間営業をやめてくれ」という声が広がって、社会問題になりました。
当初はコンビニの本社は「24時間という契約だから」と、働く人の労働条件は考慮せずにスルーしようとしましたが、問題が広く知られるようになって方針を転換しつつあります。
ーー理不尽な労働環境に声をあげる動きは増えているでしょうか?
もう一つ、Amazonの問題がありますね。この映画でも、リッキーはAmazonかどこかのネット通販の商品を運んでいるのだと思います。Amazonでなくても、どこかのネットショップの荷物を運んでいるのだと思います。
2017年にヤマト運輸がAmazonの当日配送から撤退しました。ヤマト運輸は自分のところでドライバーを雇っているわけですけれども、Amazonの荷物が急増したので労働条件が悪化し、全く休みが取れなくなった。
昼食をとる時間もなくなったので、ヤマト運輸労働組合が状況の改善を求める要望書を出し、12時から午後2時の時間指定をなくすといった対応をしてきました。
その頃からAmazonとヤマトでやり取りがあって、配送条件の折り合いもつかなくなり、結果的にヤマトが撤退したわけです。
このように雇用関係にあれば、労働組合を通して労働条件を改善し、働きやすい環境に変えることができるという事例だと思います。
Amazonはその後、「デリバリープロバイダ」と呼ばれる「桃太郎便」(丸和運輸機関)などに配送を頼みました。映画と同じように個人事業主を集めて配送をする業者です。
Amazonは最終的に、全部自前で宅配をやろうという動きを見せていて、自前で個人事業主を集める体制を作ろうとしています。
団結さえもできず、分断が進む現代
ーーまさに日本で映画と同じ状況が進行中なのですね。
そういう意味では非常に現代的な問題で、日本の問題でもあります。
ケン・ローチ監督はずっと労働運動についても取り上げていますが、今回の映画には労働組合については出てこなかったですね。
少しだけ1980年代の労働運動の記憶をおばあさんが話す場面がありましたが、それは労働運動の力が低下していることの表れなのではないかと思いました。
ーーそれさえも壊れ、団結もできなくなっているのが現代ですか。
イギリスの状況はよくわかりませんが、労働者が経営者に対して労働条件の改善を求めていき、長い目で見ると労働環境が改善されていくという構図が機能しなくなっているのではないかと思います。
ーーそれを壊しているのはどんな力なのでしょうね?
Amazonや楽天などネットでビジネスの場を提供して商売する「プラットフォームビジネス」とか「ギグ・エコノミー」(継ぎはぎ労働、インターネット経由で非正規雇用者が短期で低額の労働をつなぎ合わせる労働環境)と言われる形態が増えています。
「ゼロ時間契約」(※)だけ結んで、労働時間は自由と言われながら、実質的には縛られている。
※雇用者の呼びかけに応じて不定期に働く契約。雇用側は最低労働時間を設定することなく仕事をふることができ、労働者も自由に時間を使えるとされるが、勤務が不安定となる。
映画でも主人公のリッキーは、個人事業主と言いながら、明らかに命令されて動いています。指揮命令系統が明らかにあるにも関わらず、契約上は個人事業主となっているので、なんら労働者としての権利が保障されない。団体交渉もできない。むしろ、他の配達員と競争させられている状況が描かれています。
これは今、日本でもウーバーイーツで問題になっていて、「ウーバーイーツユニオン」が最近できましたね。
労働組合を作る動きも
ーーSNSなどでは「ウーバーイーツ」のサービスの質の悪さが話題になることが増えている実感があります。でももしかしたらその裏には労働環境の悪化があるのかもしれないわけですね。
そうですね。ウーバーイーツも完全に個人請負、個人登録になっています。この前ウーバーイーツユニオンができて、ウーバージャパン株式会社に要求書を出しました。
ーー当然の要求のように感じます。
ただウーバー側は「配達員は労働組合法上の『労働者』に該当しない」と主張し、団体交渉を拒否しています。現在進行形の問題です。
私たち消費者の「要求」も招いている事態
ーーこの問題、どこから手をつけたらいいのかわからないのが、Amazonであれば、「早く荷物を届けてほしい」と気軽に「お急ぎ便」を頼んでしまったり、ウーバーイーツであれば「早くもってこい」「何時間以内に持ってこい」と求めたりする私たちの問題でもある。でも、その注文した人も、他の場所で同じ目にあっているかもしれない。ぐるぐる加害者と被害者が回っているような形です。
そうですね。そしてやはり配送の人の対応が悪いと、Amazonにしろウーバーにしろ、利用者がSNSで晒してしまいます。
消費者としての不平・不満をぶつけて、それがさらに労働環境の締め付けにつながる。そういう悪循環がありますね。
ーー自分が正義として、権利として主張しているかのようにSNSでつぶやいていますけれども、誰かの労働環境を苦しめているかもしれないということには思い至らないですね。
そうだと思います。ただ、ウーバーイーツにしても、プラットフォーム型労働に対する規制というのは、他の国では始まっていると報道されています。
フランスでは2016年にウーバーなどの巨大IT事業傘下の個人事業主に団体交渉権を認める法律が成立したそうです。アメリカのカリフォルニア州でも、働く人の「労働者性」を認めて権利を保障するというような制度ができていますね。世界的な問題になっています。
こうした規制の強化が日本でも必要です。
ーー映画の中でも制度はあるけれども、実質機能していない状況がリアルに描かれます。その状況を諦めずに済むにはどうしたらいいのでしょうね。
理不尽な状況について匿名でもいいので、SNS等で告発することが有効だと思います。その上で、労働組合や弁護士などの専門家に相談をする。
バッシングをする人も出てくるでしょうが、味方になってくれる人はたくさんいるはずです。
(続く)
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