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ただいま表示中:2018年3月6日(火)原発事故 “英雄たち”はいま 被ばく調査拒否の実態
2018年3月6日(火)
原発事故 “英雄たち”はいま 被ばく調査拒否の実態

原発事故 “英雄たち”はいま 被ばく調査拒否の実態

7年前、世界最悪レベルの事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所。汚染が広がる恐れもあるなか、極めて高い放射線量のもと、収束作業にあたった原発作業員たちがいた。「フクシマ50」とも呼ばれた彼らのように、事故直後の原発構内で作業に当たったいわゆる「緊急作業従事者」の数は約2万人に上る。事故後、国は彼らの健康影響を把握し、将来の放射線防護に役立てるために大規模調査を立ち上げたが、7年経った今、その調査が思うように機能せず、対象者の6割以上から協力が得られていないことが明らかになった。調査はなぜ立ちゆかなくなったのか。“汚染”のリスクにさらされながら、決死の覚悟で作業に当たった人びとの、厳しい現状を独自取材で描いていく。

出演者

  • 祖父江友孝さん (大阪大学大学院教授)
  • 斉藤隆行 (NHK記者)
  • 武田真一・鎌倉千秋 (キャスター)

原発事故7年 “英雄たち”の厳しい現実

4日前に撮影した、最新の東京電力福島第一原子力発電所の映像です。奥に見えてくるのは水素爆発を起こした1号機。中には、溶け落ちた核燃料が今も残されています。

東京電力社員
「こちらはまさに1号機から4号機の前になります。」

建屋近くの放射線量は、毎時およそ0.1ミリシーベルト。事故直後に比べ100分の1以下に低下しているといいます。事故の収束と廃炉の作業に、膨大な数の作業員が動員されてきました。7年前、世界最悪レベルの事故を起こした福島第一原発。事故直後、極めて高い放射線量のもとで収束作業に当たった人たち。

YouTubeより
“英雄の名は「フクシマ50」”

命の危険もある中、危機に立ち向かった行動が世界から称賛されました。その年の収束作業に当たったのは、全国の原発や建設現場から集められた、およそ2万人。放射線の影響は出ていないか。国は今、作業員の健康状態を追跡する調査を行っています。しかし、予想外の事態が…。6割以上の人が調査に応じていないのです。取材を進めると、彼らの口から出たのは“英雄”と称された姿とはかけ離れた言葉でした。

元原発作業員
「私らみたいなのは、切り捨てなんですよ。それで命を懸けていたのかと言ったら、ほんと情けないですね。」

原発事故から7年、作業員たちに今、何が起きているのでしょうか。

未曽有の事故の収束作業に当たった原発作業員たち。そもそも原発作業員の被ばく線量の上限は、通常1年間で50ミリシーベルト、5年間で100ミリシーベルト。緊急時は作業の期間中、100ミリシーベルトと定められていました。それが福島第一原発の事故直後は、特例措置として、さらに250ミリシーベルトまで引き上げられたんです。こうした過酷な状況下で作業に当たった人たちを、緊急作業従事者と呼び、その数はおよそ2万人に上ります。

鎌倉:その緊急作業従事者の被ばく線量を見てみますと、特例で設けられた上限を超えている人が6人、100ミリシーベルト以上の人が168人いました。この人たちに対しては、がんや甲状腺、白内障の検査などが定期的に実施されています。100ミリシーベルト未満の人たちに対しては、こういった検査は行われてきませんでした。健康への影響が十分に解明されていないこともあり、緊急作業従事者全員を対象に、3、4年に1回無料の検診を行って、健康状態を調査することにしたんです。

過去にこれだけ多くの原発作業員が被ばくしたケースは、国内ではもちろんありません。それだけ重要な調査のはずなんですが、進んでいないんです。

原発作業員2万人調査 相次ぐ“拒否”はなぜ

先月(2月)、福島県内で行われた緊急作業従事者の健康調査です。通常の健康診断に加え、放射線の影響を受けやすい甲状腺のエコー検査。そして、がんを早期発見するための血液検査なども行われていました。事故直後から半年間、原発で作業を行ったという男性。被ばくの影響を心配し、調査を受けに来たといいます。

緊急作業従業者
「来て良かった。エコーとかまずやらないですから、会社の(健康診断)では。」

国から調査を任されたのは、放射線影響研究所・放影研。広島、長崎の被爆者の健康影響を調査してきた実績があります。

放射線影響研究所 大久保利晃顧問研究員
「被ばくの制限を一時緊急作業のために、政府の責任で撤廃して引き上げたんですね。基準を変えたわけだから、それについてはやはり政府に責任があると。実際に有害物に接してしまった人、そういう方々の調査なので、とにかくその時できる最善を尽くして記録に残していく。」

調査は、国が管理するデータベースをもとに行われます。作業員の累積被ばく線量に加え、住所などの個人情報が登録されています。郵送などで協力を依頼。同意した作業員が調査を受け、健康の記録を生涯にわたって蓄積しようというのです。国は当初、全体の80%の参加を目標に掲げていました。ところが、事故から7年。参加者は35%にとどまっています。調査に応じていない人が相次ぎ、その数は1万2,000人を超えています。

放射線影響研究所 喜多村紘子研究員
「現状、かなり厳しいです。どうすると増えるのかというヒントすら今ない。」

なぜ重要な調査が進まないのか。私たちは、作業員など100人を超える関係者に接触。匿名を条件に話を聞かせてくれる男性にたどりつきました。福島県内に暮らす20代の男性です。下請け業者として依頼を受け、事故直後から原発で働きました。

20代の男性
「自分の中では死に物狂い。現場での恐怖心だったり、過酷な環境の中での作業というのは、押しこらえながらやってました。」

作業に当たったのは、水素爆発を起こした原子炉建屋の周辺。ゴム手袋を渡され、汚染したがれきの撤去に当たりました。

20代の男性
「目に見えるものであれば怖いものはないけど、触れるもの一個一個に汚染物質が付いていると思ったら、正直、触れるのは嫌じゃないですか。どこで汚染するか分からない。一回自分も汚染があった。(ゴム手袋が)破れた状態で手が汚染した。体に(汚染物質が)付いてるんじゃないか。家に帰って布団に入っても、布団に付いていたら、家の中が汚染した状態になっちゃうんじゃないか。」

男性は、今年(2018年)結婚するつもりです。収束作業で浴びた放射線量は20ミリシーベルト近く。政府が定めた限度内でしたが、将来、何か影響が出ないか不安に感じています。しかし、下請けの立場で健康調査のために休暇を取ると仕事を失いかねないといいます。

20代の男性
「行きたいのはやまやまですね。ただ、現場回らなくなっちゃうので。月曜日から土曜日までずっと出勤。」

元請け企業などの理解が乏しく、健康調査のことを口にすることさえできないといいます。

20代の男性
「急に『この日休み』『この日休み』と言うと、上(元請け)がどういう顔するかなと。『何の休みなんだ』って、上(元請け)から言われるわけなんで。」

「1日休んで、上からどう見られるか?」

20代の男性
「怖いですよ。」

ほかの作業員の取材からも“調査では、仕事を休んでも補償がない”“病気が見つかっても治療してもらえない”など、今の不十分な体制では調査を受ける気になれないという声が多く聞かれました。

20代の男性
「国もしっかりして欲しいなと。やるんだったら、とことんやって欲しい。結局、作業員は捨て駒みたいな感じで、使ってだめだったら切り捨て切り捨てなんで。そう考えると、原発で働いてて本当に良かったのかなと、振り返っちゃいますよね。」

取材を進めると、国や東電への不信感から調査を拒否する人がいることも分かってきました。51歳の元作業員の男性です。事故直後、原発に入りました。

元作業員の男性
「ちょうどあの電線追っていくと、排煙塔の下あたりが3号機がある所。50年以上生きてて『死ぬかもな』という感覚に襲われたのは、この現場が初めてです。」

男性が不信感を抱くようになったのは、ある深刻な事故がきっかけでした。

2011年3月24日 NHKニュース7より
“3号機で行われていたケーブルを敷く作業。足から放射性物質が検出されました”

汚染水に足をつけた作業員3人が、緊急搬送された事故。100ミリシーベルトを大幅に超える被ばくをし、当時、大きなニュースになりました。この現場に男性は居合わせていたのです。

元作業員の男性
「ここが3号機入り口です。こんな風にめくれてて、ここも立ち止まってると線量が高いので、『走り抜けてくれ』ということで。」

この日、男性は元請け企業の社員ら3人に連れられ、同僚と水素爆発した3号機のタービン建屋に入りました。地上と地下の電源盤をケーブルでつなぐ作業。事前に危険な作業ではないと聞かされていました。しかし、前の3人が階段を下りたとき、突如、線量計の警報ブザーが鳴り響いたといいます。

元作業員の男性
「入って行った順番にアラームが鳴った。かなりうるさいですね、ピーって。」

地下にあったのは、大きな水たまり。高濃度の汚染水ではないか。退避命令が出ると考えた男性に出された指示は、思わぬものだったといいます。

元作業員の男性
「(作業に)入っちゃったから、そのままやり続けましょう。『死にに行け』と言ってるのかと。責任とれる行動ではないですよね、元請けとして。」

男性は、汚染水には足をつけなかったものの11ミリシーベルト被ばくしました。深刻な被ばく事故の現場にいたにもかかわらず、その直後、男性に対しては、東電からの聞き取りや病院での検査すら行われませんでした。

元作業員の男性
「結局、末端の人間は関係ないという考え方なんだと思いますよ、使い捨て状態。使える時に使って、あとは関係ないから何も聞かないし、という形なんじゃないですかね。」

男性は、調査が自分の健康を守ってくれるものには思えず、応じるつもりはないといいます。

元作業員の男性
「信用できないんですよ、はっきり言って。国が何をやりたいのか。何年後かに(体に影響が出ても)『検査しましたが、この人の場合は放射線の異常は認められず』、終わっちゃうじゃないですか。あそこで被ばくした人がどうなろうと最終的には考えてないと思う。それで命懸けてたのか、ばからしくて、本当に情けないですよね。」

取材を続ける中、被ばくの影響か分からないものの健康を害している人たちがいることも分かってきました。ある元作業員の男性の自宅を訪ねたときのことでした。男性は、一昨年(2016年)60代で亡くなっていました。がんで入退院を繰り返した末のことだったといいます。被ばくとの因果関係は分からないままでした。調査に応じていない1万2,000人の作業員。たとえ亡くなっている人がいても把握するすべはありません。

原発作業員2万人調査 不信の背景は?

ゲスト 祖父江友孝さん(大阪大学教授)
斉藤隆行(NHK記者)

調査に応じていない人たちの不信の背景には何があるのか?

斉藤記者:作業員から話を聞くと、“自分たちは捨て駒だ”といった強い言葉を聞くことが少なくありませんでした。その背景には、命の危険を冒して作業に当たったのに、その後、原発から離れると、国や東電から健康面などでフォローもなく、見捨てられたという不信感があります。さらに今回の健康調査についても、何か異常が見つかっても、治療を受けられる仕組みにはなっておらず、研究の材料に使われるだけではないかと感じている作業員も多くいます。実際に作業員の自宅に届く調査票のタイトルは、研究への協力に関する同意書となっていて、作業員の健康を守るためという、調査のもう一つの趣旨は十分には伝わっていないように思います。

とても大切な調査だと思うが、本来はどんな意味があるという考えだったのか?

祖父江さん:この緊急作業者の方々は、国難の際に、みずからのリスクに顧みず作業に当たった、国の誇りに当たる人たちです。国からリスペクトされる人たちのはずです。その人たちを放置せずに、行く末を見守るということが、まず第1の目的だと思います。さらに、仮にこの人たちの中に予測されないような健康被害が生じた場合に迅速に対応するということの目的もあるかと思います。第2の目的としては、放射線の健康リスク、これを正しく評価するということもありますけれども、多くの人たちが100ミリシーベルト未満の被ばくです。このことに関して、現在の知識では、それよりも高線量を浴びた人よりもリスクは低い。ただ、ゼロではないかどうかというところが分かっていないということであります。こういう人たちで2万人という数字が、そこの決着をつけるために十分な数かというと、必ずしもそうではありません。ただ、こうした状況をきちんと情報として残すということが将来に向けて重要なことだと思います。

鎌倉:改めて調査に参加していないという65%の人たち、その内訳を詳しく見てみますと、宛先不明などで連絡がつかない人が9%、返事がない人や参加したくないと答えた人が52%に上っています。

そういった意義がありながら、うまくいっていない現状。これはどう考えるか?

祖父江さん:今回の調査は、あまり有利な条件ではなく、行われています。というのが、作業に当たった人たちは、作業のときは1か所に集まっていましたけれども、今や全国に散らばっています。そういう人たちに対してのアプローチは郵送調査しかないのですけれども、この郵送調査というのは、一般的には回収率が3割、あるいはそれ以下ということになっています。ですから、今回の回収率等、頑張った結果ではあるかと思いますけれども、もうちょっと上げたいというところではあると思います。唯一のアプローチのしかたが郵送調査であるというところが最大の弱点なんですけれども、レスポンスさえしていただければ、その後の情報の提供ですとか、あるいは個々の人の状況に応じた電話相談ですとか、あるいは情報提供とかができると思いますので、ぜひとも調査に協力していただきたいというふうに思います。

国はこうした現状をどう受け止めているのか?

斉藤記者:厚生労働省は取材に対し、参加者の確保は重要な課題だとしたうえで、放影研と連携し、作業員の意思を尊重しつつ、参加者の増加に取り組んでいくと答えています。国は調査の主体は、あくまで研究機関の放影研という姿勢です。枠組み上はそうであっても、この姿勢は調査の研究的な目的を強調させることになり、作業員の不信感につながっているように感じます。国は主体的に作業員の健康を守るという姿勢が欠けていると言わざるをえないと思います。

鎌倉:緊急作業従事者の被ばく線量なんですが、実は、この値自体にも疑問が出ているんです。事故直後に集められた作業員の被ばく線量は、国のデータベースに登録されて、今回の調査に利用されています。しかし、作業員からは“数値は信用できない”“実際はもっと被ばくしたのではないか”といった声があるんです。国も事故直後の混乱期は、線量計の不足などで、被ばく線量の把握に問題があったことを認めています。調査を任された放影研では、被ばく線量の再確認の作業を始めています。

原発作業員2万人調査 揺らぐデータの信頼性

放影研に届けられた作業記録。国のデータベースとは別に、原発事故の収束作業に当たった企業が独自に保存していたものです。作業員一人一人の作業場所や作業内容、被ばく線量が詳しく記されています。新たに集められたこの作業記録を、国のデータベースと照らし合わせていきます。すると、ある作業員の記録に食い違いが見つかりました。

放射線影響研究所 喜多村紘子研究員
「3月は、この2日しか働いていないみたいな記録になっていますけれども。」

国のデータベースでは作業日は3月26日と27日。ところが、新たに集められた記録では28日も作業をしていました。そこには被ばく線量が記されていました。この数値は国のデータベースから漏れていたのです。

放射線影響研究所 喜多村紘子研究員
「信頼のあるデータで説明するっていうのが大事になると思います。再評価することで、その人たちの不安もひょっとしたら取り除ける。」

原発作業員2万人 進まない被ばく調査

データのそごがあると、調査の前提そのものが揺らぐことにならないのか?

祖父江さん:ですから、混乱期に情報の収集不足があったということは、確かにそういった点もあると思いますので、不足したデータを補っていくということを継続的に繰り返していくということが重要だと思います。

この調査を進めて、生涯にわたって作業員の健康をサポートするためにはどうしたらいいのか?

祖父江さん:調査に協力したくてもできないという方がおられるので、この方々に関しては、できるだけ協力していただけるような環境作りが必要だと思います。例えば、研究費から日当を支払うですとか、あるいは会社のほうで有休の手続きを取っていただく、そのために厚労省のほうから協力金を出すとかが考えられると思います。こうした方々が胸を張って“緊急作業者である”と名乗れるような環境作りが非常に重要なことなんだと思います。

これから廃炉の作業は本番を迎え、今後も多くの人が働くことになる。そうした人たちの健康を守っていくために、どう取り組んでいけばいいのか?

斉藤記者:廃炉作業は、今後30年とも40年ともいわれる長期間に及ぶ国家的な事業です。今後、抜け落ちた核燃料を取り出すなど、さらに高い放射線量のもとでの作業が待ち受けています。一方で作業員が不足するという懸念もあります。それだけに作業員の健康を継続的に見守る体制を作る必要があると思います。

目に見えないこの放射線の恐怖と闘ってきた作業員が口にした“切り捨てられた”という言葉が胸に響きました。廃炉という長い道のりを支える人たちの安全を守り、その不安を和らげるための真摯な取り組みが今、求められていると思います。

2018年3月5日(月)
ピョンチャンが再び熱い!超人アスリートたちの流儀

ピョンチャンが再び熱い!超人アスリートたちの流儀

9日に開幕するピョンチャン・パラリンピック。初めて正式競技となったスノーボード、30代の二選手の“生き方”にフォーカスする。共通するのは、逆転の発想で成長を続けようというマインド、そして、自分だけでなく、社会を変えていこうという強い思いだ。 一人は山本篤選手。夏季パラリンピックの陸上競技で複数メダルを獲得している義足アスリートの第一人者だが、去年、34歳で冬季への挑戦を突如表明し、国内大会で優勝。“カッコイイ”ことに徹底的にこだわり、社会の見方をも変えようとしている。もう一人は小栗大地選手。元々健常者のプロスノーボーダーだったが、仕事中の事故で足を切断。その不幸な事故を逆に再起の“チャンス”ととらえ、義足のスノーボーダーとして、再びゲレンデに立った。二人はなぜ、どうやって、“逆境”に挑み続けるのか。多くの人が参考になる生き方・考え方の秘密に迫る。

出演者

  • 田中ウルヴェ京さん (メンタルトレーニング上級指導士)
  • 越智貴雄さん (写真家)
  • 武田真一・田中泉 (キャスター)

ピョンチャンが再び熱い! 超人アスリートたちの流儀

ピョンチャンが再び熱い!世界から超人アスリートが集まるパラリンピックがまもなく開幕します。今日(5日)は、その中から2人のスノーボーダーに注目。

1人は夏のパラリンピック陸上のメダリスト、山本篤選手・35歳。夏のスター選手が義足のスノーボーダーとして参戦。あの大谷翔平選手と同じ、驚異の二刀流アスリートです。

スノーボード 日本代表 山本篤選手
「リスクはあるけれども、僕の人生の生き方なので。」

もう1人は37歳の小栗大地選手です。義足になる前はプロのスノーボーダー。成績不振でモヤモヤしていた時、右足を失う事故に。そんな事態を逆にチャンスと捉えたといいます。

スノーボード 日本代表 小栗大地選手
「友だちには、メンタルが強いのか、もしくはバカなのかって言われた。」

困難を乗り越え、人々を引き付ける超人アスリートたち。その魅力と流儀に迫ります。

大谷だけじゃない! 超人“二刀流”アスリート

二刀流の山本篤選手。夏のパラリンピックに3大会連続で出場。走り幅跳びなどで3つのメダルを獲得した、パラ陸上界のスター選手です。35歳の新たな挑戦。そこには、アスリートとしてさらに高みを目指したいという強い思いがありました。

スノーボード 日本代表 山本篤選手
「陸上に関しては世界記録を出したり世界一になったり、パラリンピックでは銀メダルだったが、世界のトップで戦える自負はあるけど、どちらかと言うとアドレナリンが出にくくなっている。そういう意味で新しい刺激を入れることができたのが、スノーボードだった。」

スノーボードは中学生のころに始めました。17歳の時、交通事故で左足を切断したあとも趣味として続けてきました。去年(2017年)、初めて出場した国内大会で優勝し、強化選手に指定。冬のパラリンピック出場に大きく前進しました。

ピョンチャンが再び熱い! 超人“二刀流”アスリート

しかし、陸上競技とスノーボードの二刀流の道は険しいものでした。パラリンピックのスノーボード競技は、複数の関門をクリアしながら滑り、そのスピードを競います。
ターンの際にポイントとなるのが体重移動。山本選手のように片方のひざを使えない選手はそれが難しく、転倒が多くなります。最大250メートルもの標高差があるコース。転ばずに完走するだけでも高度な技術が必要です。しかも、筋肉の使い方が、これまで培ってきた陸上競技のものとは全く異なっていました。

スノーボード 日本代表 山本篤選手
「陸上はどちらかというと筋肉を爆発させて、自分で収縮させて前に進んだりジャンプをしたりということ。どちらかというとスノーボードは耐える方。滑っていくことに対してぐっと耐えて、力の方向をしっかり雪面に伝えてエッジで切っていく形なので、そこがものすごく違う。」

さらに、スノーボードに手応えをつかみ始めた去年11月。練習中の転倒で右腕を負傷します。2か月間、雪の上での練習ができませんでした。

スノーボード 日本代表 山本篤選手
「リスクはあるけれど、やる価値が自分の中ではあると判断したので。僕の人生の生き方なので。」

ピョンチャンに向けて、山本選手が強くこだわっていることがあります。それは、義足を見せて滑ることです。

スノーボード 日本代表 山本篤選手
「やっぱり義足だなみたいな滑りではダメだと思う。カッコよく滑れなければダメだと思う。」

「カッコよくなければダメ」。この思いが、山本選手を大きく成長させてきました。
今から12年前、国際大会で表彰台に立った時の写真。仏頂面で写る自分の姿を見て、このままでは多くの人から応援してもらえないと感じたといいます。

スノーボード 日本代表 山本篤選手
「すごくふてくされているような顔をしていた。基本、海外の選手は表彰台に立ったら笑顔。それが僕は笑顔じゃない。なんかカッコよくないなって思って。」

これをきっかけに、山本選手は変わります。競技中にサングラスをかけ始めました。そして、義足を前に出す走り幅跳びのフォーム。カッコよく写真に写ることを意識して始めたといいます。

多くの人から注目を集めるにつれ、記録も向上。世界のトップレベルに上り詰めていきました。

スノーボード 日本代表 山本篤選手
「たくさんの人が見れば見るほど僕自身は燃えるので。パフォーマンスは上がる。」

カッコよく見せることで成長できたという山本選手。「カッコいい」は周りの人たちも変えられると実感した出来事があります。2020年東京大会を盛り上げるために開かれたイベント。渋谷の街なかに設けられたピットで、跳躍を披露したのです。ふだん競技場に来ることのない若い世代から、大きな声援を受けました。

この時の様子はSNSでも大反響。

“かっこよすぎる”

“迫力あった”

パラリンピックに興味のない人の心も動かすことができる。山本選手は手応えをつかみました。
「ピョンチャンでも多くの人をあっと言わせたい」。

スノーボード 日本代表 山本篤選手
「“おー”って思ってもらえるような滑りやジャンプをやれたらいちばんいい。普通を超えていかないといけない。」

ピョンチャンが再び熱い! 超人アスリートたちの流儀

ゲスト越智貴雄さん(写真家)
ゲスト田中ウルヴェ京さん(メンタルトレーニング 上級指導士)

山本選手を10年以上にわたって撮影してこられた、写真家の越智貴雄さん。スノーボードに挑戦してパラリンピックに出るとお聞きになった時はどうでしたか?

越智さん:もう、びっくりしましたね。趣味でやっていたというのは知っていたんですけど、東京パラリンピックが終わって次、北京パラリンピックを目指すのかなと思っていたんですけど、まさかピョンチャンパラリンピックに出場されるとは思ってもみなかったです。

----- そういう意味では常に、新しい道を開拓していくという精神なんですね。

越智さん:パラリンピアンの方っていうのは本当にもう皆さん、道なき道を歩んでいく開拓者なんだなって感じるんですけど、篤さんの場合は、その中でもピカイチですね。いつも義足とかも変えたり、あと跳び方も変えたり、本当その貪欲さがもう、私は大好きなんです。

そしてもう一方、シンクロナイズドスイミングの銅メダリスト、田中ウルヴェ京さん。メンタルトレーナーとして、車いすバスケットボールの男子日本代表のメンタルコーチも務めてらっしゃいます。山本選手、「陸上ではアドレナリンが出にくくなった」と言っていましたよね。どういうことなんでしょうか?

田中さん:実はそれって、どんなオリンピックでもパラリンピックの選手でも、とても大変なことで、アドレナリンって、怒りとか焦りとか恐怖とか、悪い感情の時に起きるものですけれど、それってよくないことなのではなく、そういう恐怖感のようなものがないと、アスリートはモチベーションを維持することができなかったりします。闘争する、自分と戦うというところがとても大事なので、その意味では恐らく、陸上でもっと頑張りたいからこそ、このスノーボードという競技で、ちゃんと恐怖感を感じて、二刀流とおっしゃってましたけど、でも、実は軸としては1つで、もっとさらにカッコいい自分でいたいみたいなことがあるのかなと思います。

越智さんが撮った写真の中で、いちばんその「カッコよさ」を表現できたという写真をお持ちいただきました。

越智さん:この写真は世界記録を出した時の写真なんですけど、着地の瞬間、もう1センチでも1ミリでも距離を伸ばそうとする篤さんがそこにはいたんですね。それが私の中では、この写真はすごく好きなんです。ただ、篤さんからよく私の撮った写真について言われることがあるんですけど、頂点、いちばん高く上がった時の写真を撮ってほしいっていうことをよく言われます。

こちらの写真のように。

越智さん:やはり体がいちばん伸びきっているというところで、篤さんはすごく、こういったシーンが好きなんだろうなという。

「カッコいい」ということにこだわるというのは、ひと言で言うと、どういうことなんですか?

越智さん:それはやはり憧れの存在になっているっていうことだと、私はそういうふうに感じています。

ほかの選手たちの憧れの存在として引っ張っていきたいということなんですね。

田中キャスター:ピョンチャンを熱くする超人アスリート。今回、スノーボード競技に出場する選手の中には、義足になる前、プロのスノーボーダーだった選手がいます。小栗大地選手です。去年9月、ワールドカップで2位、12月には4位、メダルの有力候補です。片足を失うという困難を乗り越えた裏には、驚異のポジティブ思考がありました。

逆境こそチャンス! 超人アスリートの流儀

先週行われた、ピョンチャンパラリンピックの壮行会。二刀流の山本篤選手に金メダル獲得の期待がかかる成田緑夢選手。そしてもう1人が、小栗大地選手です。逆境こそチャンスと捉え、劇的な再起を果たしました。

スノーボード 日本代表 小栗大地選手
「ピョンチャンでベストなパフォーマンスができるよう、頑張っていきたいと思います。」

強みは安定した力強いターン。その技術は世界トップクラスです。実は、右足が義足になる前、小栗選手はプロスノーボーダーでした。そのころに磨いたコースの取り方や重心のかけ方などの技術が今も生かされているといいます。
小栗選手が本格的にスノーボードを始めたのは、大学生のころでした。単身、ニュージーランドに武者修行へ。そして、25歳でプロのスノーボーダーになりました。

スノーボード 日本代表 小栗大地選手
「大会はやっぱり緊張するんですけど、緊張した中でいい滑りができて、いい結果が出た時は本当にテンション上がるというか、うれしい。」

しかし、プロの世界で目覚ましい成績を収め、賞金を獲得することは容易ではありませんでした。このままでは生活していけない。小栗選手は30歳の時、金属加工の会社に就職します。そして、スノーボードへの意欲も徐々に低下していきました。

スノーボード 日本代表 小栗大地選手
「就職して、スノーボードを続けてはいたんですけど、練習もできない、とりあえず大会に出てるだけみたいな。」

そんな中、気の緩みから仕事中に事故を起こします。台車に積み上げていた鉄の束を落下させ、小栗選手は下敷きに。鉄の束をどかすと、右足がありませんでした。

スノーボード 日本代表 小栗大地選手
「事故にあった瞬間は、もう現場で足は取れていたので、やっちゃったという感じですね。」

しかし、事故直後から小栗選手は発想を転換し始めます。

スノーボード 日本代表 小栗大地選手
「ちょっと考えたら、義足があるから、義足でスノーボードやればいいかなと。もしかしたら義足を履いたら今までよりも速く滑れたりとか、勝手に想像を膨らませて」

その時、小栗選手の脳裏にはある人の姿が浮かんでいたといいます。10年前、武者修行先のニュージーランドで出会った日本人の高校生。片足のスキーヤー・三澤拓さんです。

スノーボード 日本代表 小栗大地選手
「ニュージーランドのスキー場のいちばん急な斜面だったんですけど、そこを拓が片足で、ぎゅいんぎゅいんカービングしながら下りてくるところを見て、本当に衝撃を受けました。本当にかっこよかったですし、ましてやそれが片足で滑っている。さらにカッコよさが増して見えました。自分も義足になったりしても、プロスノーボーダーにもう1回挑戦したいという気持ちになっていました。」

入院中、小栗選手は時折気分が沈むこともありましたが、義足のスノーボーダーになるイメージを膨らませ、ポジティブな気持ちを維持したといいます。2か月後、退院し、すぐに三澤さんに連絡を取りました。

小栗大地選手
“パラリンピックに出るにはどうしたらいい?”

三澤拓選手
“パラリンピックスノーボードクロスはソチから正式種目なんだって!”

三澤拓選手
“なんでも聞いてね!”

事故から僅か4か月後、小栗選手は義足を履いて初めてゲレンデへ向かいました。その時の様子を友人は…。

友人 竹内誠さん
「全然だめでしたね。片足なんで、全く、全然だめでしたね、最初は。だけど黙々なんですよ、黙々。やっていく姿勢がすごい。滑れることが楽しそうみたいな。」

その後、小栗選手はテクニックを磨き、事故の前より戦術を重視。成績を急上昇させていきます。去年12月、フィンランドで行われたワールドカップ。世界20か国以上から、前回のパラリンピックの金メダリストなど強豪選手が集まりました。小栗選手は4位。ピョンチャンパラリンピックのメダルを狙える位置につけました。
そして、小栗選手の逆境を支えた三澤選手も、アルペン4度目の代表に選出。2人そろって挑む夢の舞台の幕が、まもなく上がります。

ピョンチャンが再び熱い! 超人アスリートたちの流儀

足を失って、あそこまでメンタルを切り替えることができる強さ、どうご覧になりましたか?

田中さん:事故直後に、スノーボーダーとしてまた(やりたい)って思ったっておっしゃってましたよね。ポイントは、それまでの自分を、すごくもんもんとなさったんじゃないかなということです。プラス思考の裏には、実は自分って結局何なんだろうとか、プロ選手としてやっていけるのか、あるいは工場で働いておられる時に、何やってるんだろうという、いろいろ自分と向き合ったということがあって、そして、おけがをされたことは、とてもよくないことでしたけれども、そのことがきっかけとなって、あっ生きがいってなんだろう、こういうことかもしれない(と思った)というような可能性はあるかと思います。

それまでの人生の積み重ね、自分に向き合ってきたことの重みがあったから。

ちゃんと悩んだってことですよね。実は悩みって悪いことじゃない。でも、彼のメンタルの強さは、そのあとですよね。黙々と一生懸命向き合った。プロスノーボーダーとして、すでに健常者としてやっていた方ということは、つまりは両足でやれていた魅力を知っていたわけで、その点では、片足になった時にとても難しかったことがあるだろうに、それを乗り越えていった。ここはメンタルの本当にすばらしいところですよ。

パラアスリートのメンタルの強さ、どうお感じになっていますか?

田中さん:いろいろな方がいらっしゃいます。骨肉腫で足を失って、つまりは、もしかしたら肺に転移をするかもしれないというような、死をいつも意識している方もいれば、事故で足を失った方もいます。ひと言で言えば、どんな逆境があっても、そのことをどう変えていくかということです。こういう心理学の用語があります。

よく「PTSD=心的外傷後ストレス障害」っていいますよね。何かおけがをなさったりしたあとに、ストレスになってしまう、もちろんこういうこともあります。でもそのあと、「PTG=心的外傷後成長」というのがあります。「G」は「Growth=成長」ですね。実は、何かけがをした、逆境のあとにも、われわれは成長するという意識がある。それはパラアスリートが学ばせてくれるところですよね。

小栗選手を撮った写真でお気に入りの1枚があるそうですけれども、どこが魅力なのでしょうか?

越智さん:ボードが宙に浮いてるんですね。義足の方、大たい切断の方で、義足の方がスノーボードをするっていうのは、ものすごく大変なことだっていうふうに聞いたことあるんですけど、その中で本当に、重力から解き放たれて、自由になるっていうんですかね、その瞬間を多くの人に見ていただきたいですね。

田中キャスター:いよいよ4日後に開幕が迫ったピョンチャンパラリンピック。スノーボードのほか、アイスホッケーやアルペンスキーなど、6つの競技、80種目で10日間にわたる熱戦が繰り広げられます。日本からは38人の選手が出場。アルペンスキーやクロスカントリーなどでも金メダルの期待がかかっています。

お2人が注目する競技や種目、選手は?

田中さん:クロスカントリーの新田佳浩選手です。左手を失ってる方なんですけど、でも、両方の肩甲骨を使いながらクロスカントリーをするというふうにおっしゃってたので、ないながらも、実は両方使ってるというふうな魅力があるそうなので。

どんなふうに使っているんですかね。

田中さん:ぜひ見たいですね。

越智さん:私からは、視覚に障害のある方が行うアルペンスキーですね。前に滑っている方がガイドスキーヤーという役割の方で、背中に大きなスピーカーをつけてまして、その声を頼りに、後ろに、視覚に障害のある選手が滑っていくんですね。本当に人間ってこんなことができるんだって、すっごいなと思うのが、この種目ですね。

まさに体力ももちろんですけれども、メンタル、いずれも本当に超人たちのすばらしいパフォーマンスを見ることができそうですよね。楽しみです。みずからの限界に挑み、そしてチャレンジし続ける山本選手、そして困難な状況に置かれたことで、自分の道を見いだしたという小栗選手。彼らの滑る姿もカッコいいんですけれども、生き方もカッコいいと思いました。4日後に始まるピョンチャンパラリンピック。選手たちの姿からどんなメッセージを受け取れるのか、楽しみにしたいと思います。