心の教科書

子どもを泣かせるゴミ親、結婚しても続かない馬鹿女、友だちに「嫌。」と言えないクソ餓鬼どもに向けた正しい道標。心の教科書

努力をして嘆く人は初めから努力なんてしていない

前記事

「努力する」とは誰に対して言っているのか?

努力をして嘆く人は初めから努力なんてしていない

ただここで言いたいのは努力をするとなった時は誰かに言われたからするのではなく、自ら心に決めて納得したことであって欲しいと言いたいのである。

 このことがわからずに、中途半端な気持ちで努力をしている人が「本当はこんなつもりではなかった」とか「こんなに頑張っているのに...」と嘆きの言葉を周囲にぶちまけることになるのである。

努力というのは目的地までの道のりのことであり、その中には様々な想像を超えた思いがけない苦難で満ち溢れている。歩いていても途中雨が降って強い風が吹いてくるかもしれないしトンネルの中や樹海、霧の中を歩いて行かねばならない時もやってくる。果ては海の先を進まねばならず、そうなると船がなければ一生先へは進めないだろう。そうした苦労を乗り越えられたらどれほどの喜びが得られることか。子どもには小さい時ほど、この努力によって得られる喜びは是非経験させたいものである。この経験が少ない人ほど、大人になっていくにつれて努力しようとは思わなくなってゆくのではないだろうか。
現代ではそうした苦労を経験する機会が減ってきているので何でも簡単に目的地に到達しやすい。遠くに行きたければ歩かなくても自転車やバス、タクシーに電車、飛行機なんてのもあるわけだから人々は様々な方法を使って楽に先へと進むことが出来る。ましてやインターネットがあれば直接向かう必要すらないかもしれない。物が豊かになるのは素晴らしいことだが、それ故困難に立ち向かうだけの力が低くなることも知っておく必要があるだろう。
現代になっても変わらず苦労していかなければならないものも存在する。
それはスポーツにおける技術だったり、ピアノなどの楽器の演奏、人の心や、恋愛、子育て等である。最近はAIというものが存在しているが、どうせならコンピュータにやらせるより自身がやってみたいというのが人間の心ではないだろうか。AIは我々に莫大な進歩をもたらしてくれるが、同時に人々の生きがいを奪う悪魔的存在に等しいと思われる。
苦労が減ってきている現代で変わらず苦労していかねばならぬことに対して果たして我々は立ち向かえるのだろうか。
かの剣豪宮本武蔵は童の額髪の毛にご飯粒ひとつ付けて見事にご飯粒だけを真っ二つにしたという伝説を残している。苦労をしなくて済む現代でこれだけの伝説を残すのは難しいにしても、困難に立ち向かうだけの力を身につけていくのはこれからの我々にとっての課題になっていくことだろう。

 

目次に戻る

心の教科書