最近外交問題でホットな徴用工裁判の判決文の翻訳依頼がありました。
依頼人様からネットに公開しても構わないとの承諾を得たので傍論を除き公開します。
是非自己統治にお役立てください。
2018年10月30日大法院判決
事件 2013ダ61381 損害賠償(ギ)
原告・被上告人 原告1その他5人
原告2その他2人
被告・上告人 新日鉄住金
差し戻し判決 大法院2012年5月24日
原審判決 ソウル高等法院2013年7月10日
主文
上告をすべて棄却する
上告費用は被告が負担する
理由
上告理由について判断する。
- 基本的事実関係
差し戻し前後の各原審判決、及びに、差し戻し判決の理由、差し戻し前後の原審が適法に採用した証拠によると、次の事実の通りである。
ガ.日本の韓半島(訳:朝鮮半島のこと)の侵奪と強制動員等
日本は1910年8月22日、韓日併合条約以降、朝鮮総督府を通じて韓半島を支配した。日本は1931年満州事変、1937年中日戦争を起こしてから戦時体制に入り、1941年には太平洋戦争を起こした。日本は戦争を遂行しながら軍需物資を生産するための労働力が不足しだすとこれを解決するため、1938年4月1日、「国家総動員法」を制定・公布し、1942年「朝鮮人内地移入斡旋要綱」を制定・実施することで、韓半島の各地域で官吏による斡旋を通じて人員を募集し、1944年10月頃から「国民徴用令」により、一般韓国人に対する徴用を実施した。太平洋戦争は1945年8月6日日本広島への空爆、同15日の日本による米国並びに連合国に対する無条件降伏を宣言することで終了した。
ナ.原告らの動員と強制労働被害及び帰国経緯
(1)原告らは1923年から1929年の間、韓半島で生まれ、平壌、保寧、群山などで居住していた。日本製鉄株式会社(以下「旧日本製鉄」)は1934年1月頃設立し、日本釜石、八幡、大阪等で製鉄所を運営していた。
(2)1941年4月26日、基幹軍需事業体に該当する旧日本製鉄を含む日本の鉄鋼生産者らを総括指導する日本政府直属機構である鉄鋼統制会が設立した。鉄鋼統制会は韓半島から労働者を積極的に補充することにし、日本政府と協力して労働者を動員して、旧日本製鉄は社長が鉄鋼統制会の会長を兼任するなど、鉄鋼統制会にて主導的役割を演じていた。
(3)旧日本製鉄は1943年頃、平壌で大阪製鉄所の工員募集の広告を出したが、その広告には大阪製鉄所で2年間の訓練を受けると技術を習得することが可能であり、訓練終了後には韓半島の製鉄所にて技術者として就職も出来る旨記載されていた。原告2は1943年9月頃、右広告を見て、技術を習得して韓国内で就職できると期待して応募し、旧日本製鉄の募集担当者と面接し、合格して、右担当者の引率のもと、旧日本製鉄の大阪製鉄所にて訓練工として労役に従事した。
原告2は大阪製鉄所で1日8時間の3交代制で働き、1か月に1,2回の外出を許可され、1月2,3円程度の金員を支給され、旧日本製鉄は賃金を全額支払うと浪費するなどの理由を付けては原告2の同意を得ず、原告らの名義の口座に賃金のほとんどを一方的に入金し、通帳及び印鑑は寄宿舎の管理人に保管させた。原告2はボイラーに石炭を入れ、崩して混ぜる、鉄パイプの中に入り焦付きを除去するなどの火傷の危険があり、技術習得とは関係のない危険な労役に従事していたが、提供される食事も貧相だった。また、警察が頻繁に出入りしては「逃げてもすぐに捕まえる」などと言われ、寄宿舎でも監視員がいたことから逃げられなかったが、原告2が逃げたいと言ったことが発覚して寄宿舎の管理人より殴られるなどの体罰を受けた。
そんな中、日本は1944年2月頃から訓練工らを強制徴用し、以降から原告2には何ら対価を支払わなかった。大阪製鉄所は1945年3月頃、米国軍の空爆で破壊され、この時、訓練工の一部は死亡し、原告2を含む残りの訓練工らは1945年6月頃、ハムギョン道チョンジンに建設中だった製鉄所に配置されて移動された。原告2は寄宿舎の管理人に賃金が入金されていた通帳と印鑑の返還を求めたが、管理人はチョンジンに到着した後もこれを返還せず、チョンジンでは一日12時間の土木工事に従事しながらもなんら賃金を貰えなかった。原告2は1945年8月頃、チョンジン工場がソ連軍の攻撃で破壊されると、ソ連軍から逃げてソウルに避難し、やっと日本から解放されたという報を受けた。
(4)原告3は1941年デジョン市長の推奨を受け、報国隊として動員され旧日本製鉄の募集担当者の引率のもと、渡日し、旧日本製鉄の釜石製鉄所にてコークスを高炉に入れ、高炉から鉄が出るとまた釜に入れる労役に従事した。右原告は粉塵により困難を強いられ、高炉から出た不純物により転倒し、腹に障害を負い3か月間入院したりしたが、賃金は貯金するとだけ言われたが全く支払われなかった。労役に従事する間、最初の6か月は外出が禁止され、日本憲兵が十日に1回の頻度できては人員を点検して働けない人にはズルをするなと足蹴りにしていた。右原告は1944年になると徴兵され軍事訓練を修了した後は神戸にある部隊に配置され、米軍捕虜監視員で働いていたが、日本降伏後に韓国に帰国した。
(5)原告4は1943年1月頃、現群山市の指示を受け募集され旧日本製鉄の引率者のもと渡日し、旧日本製鉄の八幡製鉄所にて各種原料と生産品を運送する線路の信号所に配置され、線路を転換するポイント操作と列車の脱線防止のためのポイントの汚染物の除去などの労役に従事していたが、逃走する際に発覚して凡そ七日間の暴行を受け食事の提供もなかった。右原告は労役に従事する間の賃金をまったく支給を受けられず、一切の休暇や個別行動を許されず、日本が降伏した以降は旧日本製鉄の帰国指示に基づき帰郷した。
ダ.サンフランシスコ条約の締結等
太平洋戦争の終戦後、米軍政当局は1945年12月6日公布した軍政法令第33号により、在韓国の日本資産を、その国有・私有を問わず、米軍政庁に帰属させ、このような旧日本資産は大韓民国政府成立直後の1948年9月20日に発効した「大韓民国政府及び米国政府間の財政及び財産に関する最初協定」によって韓国政府に移譲された。
米国を含む連合国48か国と日本は、1951年9月8日、戦後賠償問題解決のためにサンフランシスコにて平和条約(以下「サンフランシスコ条約」)を締結し、この条約は1952年4月28日に発効した。右条約第4条(a)は日本の統治から離脱した地域の市政当局及びその国民と日本及びにその国民間の財産上の債権債務関係は、右当局と日本間の特別約定をもって処理する内容を、第4条(b)は日本は右地域にて米軍政当局が日本及びその国民の財産を処分したことが有効であることを認める内容を定めている。
ラ.請求権協定締結経緯と内容
(1)大韓民国政府と日本政府は1951年末頃から国交正常化と戦後補償問題を論議した。1952年2月15日、第1次会談本会議が開かれ、関連論議が本格的に始まり、大韓民国は第1次会談当時、「韓国・日本間の財産及び請求権協定要綱8項目」(以下「8項目」)を提示した。8項目中第5項は「韓国法人又は韓国自然人の日本銀行券、被徴用韓国人の未払金、保証金並びにその他の請求権の弁済請求」だった。その後7回に渡る本会議とこれらの為の予備会談、政治会談並びに各分課委員会別会議を経て1965年6月22日「大韓民国と日本国間の基本関係に関する条約」とその付属協定である「大韓民国と日本国間の財産及び請求権に関する問題の解決と経済協力に関する協定」(条約172号。以下「請求権協定」)等が締結された。
(2)請求権協定は、前文で「大韓民国と日本国は、両国及び両国国民の財産と両国及び両国国民間の請求権に関する問題を解決することを希望し、両国間の経済協力を増進させることを希望して、次のように合意する」と定めた。第1条は「日本国が大韓民国に10年間に渡り3億ドルを無償で提供し、2億ドルの借款を執行する」と定め、続いて第2条では次のように規定した。
「1.両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。
2.この条の規定は、次のもの(この協定の署名の日までにそれぞれの締約国が執つた特別の措置の対象となつたものを除く。)に影響を及ぼすものではない。
(a)一方の締約国の国民で1947年8月15日からこの協定の署名の日までの間に他方の締約国に居住したことがあるものの財産、権利及び利益
(b)一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であつて1945年8月15日以後における通常の接触の過程において取得され又は他方の締約国の管轄の下にはいつたもの
3.2の規定に従うことを条件として、一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であつてこの協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であつて同日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができないものとする。」
(3)請求権協定と同日に締結され1965年12月18日発効した「大韓民国と日本国間の財産並びに請求権に関する問題と解決及びに経済協力に関する協定に関する合意議事録(Ⅰ)」[条約第173号、以下「請求権協定に関する合意議事録(Ⅰ)」とする]は、請求権協定第2条に関して次のように規定する。
(a)「財産、権利及び利益」とは、法律上の根拠に基づき、財産的価値が認められるすべての種類の実態的権利であるごとに合意した
(e)同条3.により取らされる措置は同条1.でいう両国及びその国民の財産、権利及び利益と両国及びその国民間の請求権に関する問題を解決するために行われる各国の国内措置であることに意見が一致している
(g)同条1.でいう完全かつ最終的に解決されたとされる両国及びその国民の財産、権利及び利益と両国及びその国民間の請求権に関する問題には韓日会談にて韓国側から提出された「韓国の対日請求要綱」(所謂八項目)の範囲に属するすべての請求が含まれており、よって同対日請求要綱に関してはいかなる主張もできなくなることを確認した。
マ.請求権協定締結による両国の措置
(1)請求権協定は1965年8月14日、大韓民国国会にて批准同意され、1965年11月12日付で日本衆議院及び1965年12月11日付で日本参議院にて批准同意された後、同時期に両国にて公布され、両国が1965年12月18日、批准書を交換することで発効された。
(2)大韓民国は請求権協定により支給される資金を使用するための基本的事項を定めるために1966年2月19日「請求権資金の運用及び管理に関する法律」(以下「請求権資金法」)を制定し、続いて、補償対象となる対日民間請求権の正確な証拠と資料を収集するために必要な事項を規定するために1971年1月19日「対日民間請求権申告に関する法律」(以下「請求権申告法」)を制定した。ところが、請求権申告法では強制動員関連被害者の請求権に関しては「日本国により軍人・軍属又は労働者として召集又は徴用され1945年8月15日以前に死亡した者」のみを申告対象として限定した。以降、大韓民国は請求権申告法に従って国民から対日請求権申告を受領し、実際に補償を執行するために1974年12月21日「対日民間請求権補償に関する法律」(以下「請求権補償法」)を制定し、1977年6月30日までに総83,519件に対して91億8769万3000ウォンの補償金(無償提供された請求権資金3億ドルの凡そ9.7%に該当する)を支給したが、その中、被徴用死亡者に対する請求権補償金として総8552件に対して一人当り30万ウォンずつ総25億6560万ウォンを支給した。
(3)日本は1965年12月18日「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律」(以下「財産権措置法」)を制定した。その主な内容は大韓民国又はその国民の日本又はその国民に対する債権又は担保権として請求権協定第2条の財産、利益に該当するものを請求権協定日である1965年6月22日に消滅させるというものである。
バ.大韓民国の追加措置
(1)大韓民国は2004年3月5日、日帝強占下強制動員被害の真相を究明し歴史の真実を明らかにすることを目的とする「日帝強占下強制動員被害真相究明等に関する特別法」(以下「真相究明法」)を制定した。右法律とその施行令により日帝強占下の強制動員被害真相究明委員会が設置され「日帝強占下強制動員被害」に対する調査が全面的に行われた。
(2)大韓民国は2005年1月頃、請求権協定と関連する一部文書を公開した。その後構成された「韓日会談文書公開後続対策関連民官共同委員会」(以下「民官共同委員会」)では2005年8月26日、「請求権協定は日本の植民地支配賠償を請求するための協議ではなく、サンフランシスコ条約第4条に依拠する韓日両国間の財政的・民事的債権・債務関係を解決するためのものであったこと、日本軍慰安婦問題等の日本政府と軍隊等の日本国家権力が関与した反人道的不法行為に関しては請求権協定により解決されたとは言えず、日本政府の法的責任が存在すること、サハリン同胞問題と原爆被害者問題も請求権協定の対象として含まれない」旨の公式意見を表明したが、右公式意見には以下の内容が含まれている。
〇韓日協議当時の韓国政府は日本政府が強制動員の法的賠償・補償を認めてなかったことから「苦痛を受けた歴史的被害事実」に依拠して政治的補償を要求しており、このような要求が両国間の無償資金算定に反映されたと見得る。
〇請求権協定を通じて日本から受領した無償3億ドルは個人財産権(保険、預金等)、朝鮮総督府の対日債権等、韓国政府が国家として有する請求権、強制動員被害補償問題の解決的性格の資金が包括的に勘案されたと見るべきである。
〇請求権協定は請求権の各項目別金額決定ではなく、政治協議を通じて総額決定方式で決定されたため、各項目別の受領金額の算定が困難であるが、政府は受領した無償資金中相当金額を強制動員被害者の救済に使用すべき道義的責任があると判断される。
〇しかし、1975年の韓国政府の補償当時に強制動員負傷者を保護対象から除外するなど、道義的にみても被害者補償が不十分であったと見ることが出来る。
(3)大韓民国は2006年3月9日、請求権補償法に依拠する強制動員被害者に対する補償が不十分であることを認め、追加補償方針を明らかにし、2007年12月10日「太平洋戦争前後国外強制動員犠牲者等の支援に関する法律」(以下「2007年犠牲者支援法」)を制定した。右法律とその施行令は①1938年4月1日から1945年8月15日の間、日帝によって軍人・軍務員・労務者等として国外に強制動員され、その期間中又は帰国途中に死亡したか行方不明になった「強制動員被害者」に一人当たり2000万ウォンの慰労金を遺族に支給し、②国外に強制動員され負傷し障害を負った「強制動員犠牲者」には一人当たり2000万ウォンの範囲内で障害の程度を考慮して大統領令で定める金額を慰労金として支給し、③強制動員犠牲者中生存者又は前記期間中に国外に強制動員され帰国した人の中で強制動員犠牲者に該当しない「強制動員生還者」の中で、生存者が治療か補助具の使用が必要な場合にはその費用の一部として年間医療支援金80万ウォンを支給し、④前期期間中国外に強制動員されて労務提供の対価を日本国又は日本企業から支給されるべきであったが支給されなかった「未収金被害者」又はその遺族には未収金被害者が支給を受けられなかった未収金を当時の日本通過1円に対して、大韓民国通貨2000ウォンとするレートで未収金を支給する旨規定した。
(4)一方、真相究明法と2007年犠牲者支援法が廃止され、その代わりに2010年3月22日から制定施行されている「対日抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者等支援に関する特別法」(以下「2010年犠牲者支援法」)は、サハリン地域の強制動員被害者等を保障対象に追加して規定している。
- 上告理由第1点目に関して
差し戻し後原審は、その判示と同じ理由をもって、亡訴外員、原告2がこの事件の訴訟以前に日本にて被告を対象に訴訟を提起したが、この事件に関し日本判決により敗訴・確定されたとしても、この事件の日本判決が日本の韓半島と韓国人に対する植民支配が合法であるとの規範的認識を前提として日帝の「国家総動員法」と「国民徴用令」を韓半島と亡訴外員、原告2に適用することが有効であると評価した以上、このような判決理由が含まれた日本判決をそのまま承認することは大韓民国の善良な風俗、その他の社会秩序に違反するものであり、よって韓国内で日本判決を承認し効力を認めることは出来ないと判断した。
このような差し戻し後原審の判断は差し戻し判決の趣旨に則るものであり、そこに上告理由主張のような外国判決承認要件としての公序良俗違反に関する法理を誤解した等の違法は存在しない。
- 上告理由第2点に関して
差し戻し後原審は、その判示と同じ理由をもって、原告らを労役に従事させた旧日本製鉄が日本国法律の定めるところにより解散し、その判示の「第2会社」が設立された後、吸収合併の過程を経て被告に変更されるなどの手続きを経たとしても、原告らは旧日本製鉄に対してこの事件の請求権を被告に対しても行使できると判断している。
このような差し戻し後原審の判断もまた差し戻し判決の趣旨に則るものであり、そこに上告理由主張のような外国法適用においての公序良俗違反の可否に関する法理を誤解した等の違法は存在しない。
- 上告理由第3点に関して
ガ.条約は全文・付属書を含める条約文の文脈及び条約の対象と目的に沿ってその条約の文言に付与される通常的な意味を持って誠実に解釈しなければならない。ここで文脈は条約文(全文・付属書を含める)の他に条約の締結と関連した当事国の間で行われたその条約に関する合意等を含めて、条約の文言の意義が不明瞭である場合等には、条約の交渉記録及び締結時の事情などを補充的に考慮してその意味を明らかにしなければならない。
ナ.このような法理に従って、見てきた事実関係及び採用された証拠によって知り得る次のような事情を総合してみると、原告らが主張する被告に対する損害賠償請求権は請求権協定の適用対象に含まれるとは言えない。その理由は以下の通りである。
(1)まず、この事件にて問題となる原告らの損害賠償請求権は、日本政府の韓半島に対する不法的な植民支配及び侵略戦争の遂行と直結された日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権(以下「強制動員慰謝料請求権」)である点を明らかにするべきである。原告らは被告を相手に未支払賃金又は補償金を請求しているのではなく、右のような慰謝料を請求しているのである。
これと関連した差し戻し後原審の以下のような事実認定と判断は記録上これを十分に首肯できる。すなわち①日本政府は中日戦争と太平洋戦争等の不法的な侵略戦争の遂行課程において基幹軍需事業体である日本の製鉄所が必要とする人員を確保するために長期的な計画を立てて組織的に人員を動員しており、核心的な基幹軍需事業体の地位にいた旧日本製鉄は鉄鋼統制会にて主導的に参与するなど、日本政府の前記のような人員動員政策に積極的に協調して人員を拡充した。②原告らは当時の韓半島と韓国民らが日本の不法的で暴圧的な支配を受けていた状況から将来日本での労働内容や処遇についてよく知らずに日本政府と旧日本製鉄の前記のような組織的な欺罔により動員されたとみることは妥当である。③さらに、原告らは成年に達してない若さで家族と離れ離れになり、生命や身体に危害が及ぶ可能性が相当に高い劣悪な環境にて危険な労働に従事しており、具体的な賃金額も知らずに、強制的に貯金をさせられ、日本政府のむごい戦時総動員体制から外出も制限されて監視を受け脱出をすることも不可能だったのであり、脱出を試みて発覚した場合は酷い暴行を受けた。④このような旧日本製鉄の原告らに対する行為は当時日本政府の韓半島に対する不法的植民地支配及び侵略戦争の遂行に直結された反人道的な不法行為に該当し、このような不法行為により原告らが精神的苦痛を受けたことは経験則上明らかである。
(2)前記請求権協定の締結経過とその前後事情、特に下記のような事情に照らすと、請求権協定は日本の不法的植民支配に対する賠償を請求するための協議ではなく、基本的にはサンフランシスコ条約第4条に依拠して韓日両国間の財政的・民事的債権・債務関係を政治的合意に基づいて解決するためのものに見える。
①前期のように、戦後賠償問題を解決するために1951年9月8日、米国等連合国48か国と日本の間で締結されたサンフランシスコ条約第4条(a)は「日本の統治から離脱した地域(大韓民国もこれに該当す)の市政当局及びその国民と日本及び日本国民間の財産上の債権・債務関係はこのような当局と日本間の特別約定を以って処理する」と規定している。
②サンフランシスコ条約が締結され以降、続いて第1次韓日会談(1952年2月15日から同年4月25日まで)が開かれたが、その当時韓国側が提示した8項目も基本的には韓日両国間の財政的・民事的債務関係に関するものであった。右8項目中第5項には「被徴用韓国人の未収金、保証金及びその他の請求権の弁済請求」という文言があるが、8項目の他のどこにも日本の植民支配の不法性を前提とする内容はないので、右第5項も日本側の不法行為を前提とするものではなかったと見得る。よって、右「被徴用韓国人の未収金、保証金及びその他の請求権の弁済請求」に強制動員慰謝料請求まで含まれていたと見ることは出来ない。
③1965年3月20日、大韓民国政府が発行した「韓日会談白書」によると、サンフランシスコ条約第4条が韓日間請求権問題の基礎となっている旨明示しており、さらに「右第4条の対日請求権は戦勝国としての賠償請求権とは区別される。韓国はサンフランシスコ条約の調印当事国ではないので第14条規定により戦勝国が享受する損害及び苦痛に対する賠償請求権が認められなかった。このような韓日間の請求権問題には賠償請求は含まれない」と説明までしている。
④以降、実際に締結された請求権協定書、その付属書のどこにも日本植民支配の不法性を言及している内容は存在しない。請求権協定第2条1.では「請求権に関する問題がサンフランシスコ条約第4条(a)に規定されているものを含めて完全かつ最終的に解決されたもの」として、右第4条(a)に規定されたもの以外の請求権も請求権協定の適用対象になると解釈できる余地は確かにある。しかし、右のように日本植民支配の不法性がまったく言及されてない以上、右第4条(a)の範疇を超える請求権、即ち、植民支配の不法性と直結される請求権までも右の対象に含まれると見ることは出来ない。請求権協定に対する合意議事録(Ⅰ)2.(g)でも「完全かつ最終的に解決されたもの」に右8項目の範囲の属する請求が含まれていると規定しただけである。
⑤2005年民官共同委員会も「請求権協定は基本的に日本の植民支配賠償を請求するためのものではなく、サンフランシスコ条約第4条に依拠して韓日両国間の財政的・民事的債権・債務関係を解決するためのものである」との公式意見を明らかにしている。
(3)請求権協定第1条により日本政府が大韓民国政府に支給した経済協力資金が第2条による権利問題の解決と法的な対価関係にあったのかも不明確である。
請求権協定第1条では「3億ドル無償提供、2億ドルの借款(有償)執行」を規定しているが、その具体的な名目についてはなんら内容が存在しない。借款の場合だと日本の海外経済協力基金によって行われるものとしており、右無償提供及び借款が大韓民国の経済発展に有益なものでなければならない旨の制限を置いているだけである。請求権協定の前文では「請求権問題解決」を言及してはいるが、右5億ドルと具体的関連性は明らかではない。これは請求権協定に対する合意議事録(Ⅰ)2.(g)にて言及された「8項目」についても同じである。当時の日本側の立場も請求権協定第1条の資金が基本的には経済協力の性格を有するものであるとのことであり、請求権協定第1条と第2条の間には法律的な相互関係は存在しないとの立場であった。
2005年民官共同委員会は、請求権協定当時、政府が受領した無償資金中の相当金額を強制動員被害者の救済に使うべき道義的義務があったと言いながらも、1975年請求権補償法等による保障が道義的にみて不十分だったと評価した。そしてその後に制定された2007年犠牲者支援法及びに2010年犠牲者支援法も強制動員関連被害者に対する慰労金か支援金の性格が「人道的次元」のものであることを明示した。
(4)請求権協定の協議過程から日本政府は植民支配の不法性を認めずに、強制動員被害の法的賠償を元々否認していて、これにより韓日両国政府は日帝の韓半島支配の性格に関して合意に至らなかった。このような状況から強制動員慰謝料請求権が請求権協定の適用対象に含まれるということは出来ない。
請求権協定の一方当事者の日本政府が不法行為の存在及びそれに対する賠償責任の存在を否認している以上、被害者側である大韓民国政府が自ら強制動員慰謝料請求権までも含まれた内容の請求権協定を締結したと見ることは出来ないからである。
(5)差し戻し後原審にて被告が追加で提出した証拠らも、強制動員慰謝料請求権が請求権協定の適用対象に含まれないとの以上までの判断に影響を及ぼすものではない。
右証拠らによると、1961年5月10日、第5次韓日会談予備会談の過程にて大韓民国側が「他の国民を強制的に動員したことで負わせた被徴用者の精神的、肉体的苦痛に対する補償」を言及した事実、1961年12月15日、第6次韓日会談予備会談の過程にて大韓民国側が「8項目に対する補償として総12億2000万ドルを要求しながら、その内、3億6400万ドル(凡そ30%)を強制動員被害補償に対してのものとして算定(生存者一人当たり200ドル、死亡者一人当たり1650ドル、負傷者一人当たり2000ドル基準)」した事実等が分かるものではある。
しかし、右のような発言内容は大韓民国又は日本の公式見解ではなく、具体的な交渉過程にて交渉担当者がした発言にすぎず、13年間に及ぶ交渉過程にて一貫して主張されたものでもない。「被徴用者の精神的、肉体的苦痛」を言及したのは協議にて有利な地位に立つ目的からの発言に過ぎないと見得る余地が大きく、実際に当時の日本側の反発から第5次韓日会談協議は不成立に終わった。また、右のような協議過程から総12億2000万ドルを要求したにもかかわらず、請求権協定では3億ドル(無償)で合意されている。このように要求額に遠く及ばない3億ドルだけを受領した状況からして強制動員慰謝料請求権も請求権協定の適用対象に含まれるものであるとは到底言えない。
ダ.差し戻し後原審がこのような趣旨から強制動員慰謝料請求権は請求権協定の適用対象に含まれないと判断したことは正当である。そして上告理由主張のように請求権協定の適用対象と効力に関する法理を誤解した等の違法は存在しない。
一方、被告はこの上告理由にて強制動員慰謝料請求権が請求権協定の適用対象に含まれるとの前提のもと、請求権協定により放棄された権利が国家の外交的保護権に限定されてのみ放棄されたものではなく、個人の請求権自体が放棄(消滅)したものである趣旨の主張も行っているが、この部分は差し戻し後原審の仮定的判断に関するものであるから詳しく調べるまでもなく受け入れられない。
- 上告理由第4点に関して
差し戻し後原審は、1965年韓日間の国交が正常化されたが請求権協定関連文書がすべて公開されてなかった状況下で、請求権協定により大韓民国国民の日本国又は日本国民に対する個人請求権までも包括的に解決されたものであるとの見解が大韓民国内にて普遍的であった事情等、その判示と同じ理由をもって、この事件の訴え提起当時までも原告らが被告を相手に大韓民国にて客観的に権利を行使し得ない障害事由があったと見るのが相当であるから、被告が消滅時効の完成を主張して原告らに対する債務の履行を拒否することは明らかに不当であり信義誠実の原則に反する権利濫用として許容されないと判断した。
このような差し戻し後原審の判断もまた、差し戻し判決の趣旨に則るものであり、そこに上告理由主張のような消滅時効に関する法理の誤解等の違法は存在しない。
- 上告理由第5点に関して
不法行為による精神的苦痛に対する慰謝料の額に関しては、事実審裁判所が総合事情を斟酌して、その職権により裁量を以ってこれを確定することが出来る(大法院1999年4月23日宣告98ダ41377判決等参照)。
差し戻し後原審は、その判示と同じ理由を以って、原告らに対する慰謝料を判示額通りに定めた。差し戻し後原審判決の理由を記録に照らし合わせてみると、この部分に上告理由主張のような慰謝料算定においての明らかに相当性に欠ける等の違法は存在しない。
- 結論
以上により、上告をすべて棄却し、上告費用は敗訴者が負担することにし、主文のように判決する。この判決には上告理由第3点に関する判断について大法官4人の別個意見が二つ、大法官2人の反対意見があるが、その他に関しては法官の意見が一致しており、大法官2人の多数意見に対する補充意見がある。
(訳:傍論を除く)
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