私と鉄道模型の60 年 (8) — 松本謙一  ミカド王国――――NP


■ミカド王国…Northern Pacific ―――松本謙一(日本鉄道模型リサーチ‐ A.B.C.)










NP W-5とW-3の重連 ノーザン・パシフィック鉄道はノーザン(4-8-4)や超大型連接機とともにミカド(2-8-2)を大変重用した鉄道で、本線、支線ともにしばしばミカドを重連で運用していた。本線では途中給水の回数を減らすために補助水槽車を連結した勇壮な姿も見られた。





■Northern Pacific鉄道とMikado



今回は、前回語った「MIKADO」をさらに掘り下げて、ミシシッピ以西で2-8-2を大活躍させたNorthern Pacificノーザン・パシフィック鉄道、通称“NP”での彼らの歴史とその模型に触れてみましょう。私も特に好きな連中です。NPといえば大方の米国型蒸機ファンは超大型機であるNorthern 4-8-4やChallenger 4-6-6-4、Yellowstone 2-8-8-4を思い起こすでしょうが、この鉄道で、あらゆる幹線から支線に至るまで輸送力の維持に欠かせない存在だったのはMikado 2-8-2でした。



この鉄道は米国で最初にMikado 2-8-2を大量導入した大規模鉄道でした。1904年から1907年にかけて160台を導入しています。前回も述べましたように、他の鉄道における2-8-2の本格導入は概ね1910年代に入ってからですので、NPのMikado大量導入は米国機関車史上に一つのエポックを与えています。



NPの大陸横断鉄道としての開通は1883年で、UP-CPルートから遅れること14年。全線をほぼ1%以内の勾配に押さえていますが、連続勾配はだらだら長く、Rockyロッキーと、その東手前に横たわるBeltsベルツ山地のアップダウン、西海岸の都市Tacomaタコマの関門であるStampede Passスタンピード・パスには2.2%の勾配を持っていました。全体の線型はさらに北方に建設されたGreat Northernグレート・ノーザン鉄道よりもかなりハードです。沿線には自前の炭鉱を持つものの、炭質は低く、同じく沿線で得られる水の質もボイラー水としては優良といえるものでありませんでした。これらの条件の中で一定の速力と牽引力を維持するには、火室を大きく取れるMikado軸配置は恰好のものだったわけです。



NPのMikadoは概ね平坦な区間では単機で3,000~4,000トン(米トン;日本が使う仏トンの約9掛け)を牽引でき、2.2%区間ではそれが約2,000トンに落ちた、と書かれていますが、わがD51は平坦で単機せいぜい900(仏)トン超がやっと、2.0%勾配で350~400(仏)トンがいいところですから、米国の蒸機の巨大さ、強大さが日本の蒸機とは掛け違ったものであることが想像していただけると思います。ちなみに、NPのMikadoは全形式63インチ(1,600mm)動輪です。満鉄のミカイに比較しても、もう二まわりほど大きい機関車です。



NPのMikadoにもう一つ特徴的なことは、全数で386台という一大軍団を形成した中にBaldwinボールドウイン社製が1台も含まれず、すべてがAmerican Locomotiveアメリカン・ロコモーティヴ社(A.L.C.O. アルコ)のBrooksブルークス、Schenectadyスケネクタディー、2工場製であったことです。これがNP Mikadoに、永年の活躍にもかかわらず最後までキリットした風貌を保たしめた要因であった思います。





■NP Mikadoの系譜(1)-古典的グループであるW、W-1、W-2



1904年から1907年と1910年に製造された初期のMikadoで、上回りの造作は本質な部分、共通です。すなわち、第2罐胴から強い傾斜が急に始まっているワゴン・トップ・ボイラーと、前面が折れ妻となったキャブです。足回りでも、車輪の側面がむき出しになったインボード・タイプを3形式とも用いています。



Wクラスは1904年から1907年に掛けて180台がA.L.C.O.のブルークス工場で造られました。このうち160台は単式で、159台がピストン・ヴァルヴ、Stephensonステフェンスン式弁装置を持ち、後期の1台のみが試験的にWalschaertsワルシャート式弁装置付で誕生しました。初期のWクラスは低湿炭の火の粉による沿線の森林火災を心配して、丈のごく短いダイヤモンド・スタックを装備していました。



20台はTandem compoundsタンデム・コンパウンド、という複式で造られました。これは、高圧シリンダーを前に、低圧シリンダーを後ろに配置し、両者が共通の1本のピストン棒を押す(日本にももたらされたVauclainヴォークレイン式はシリンダーを上下に配置)というもので、低速では石炭の使用効率に効果が見られたものの、保守面でシリンダーとその周辺の点検、整備に手間が掛かった(最初から判りきっていただろうに―筆者注)ため、1910年には早くもワルシャート式弁装置による単式化が試作され、1912、1913年に全機が単式化され、Wクラスとは初めて正式に独立した形式名、W-2クラスを名乗ることになりました。



一方、一旦途切れた単式Wクラスの増備も1910年、同じアルコ社のスケネクタディー工場で40台の誕生を見ました。これらは全機、最初からワルシャート式弁装置付で造られましたので形式名はW-1クラスとなりました。また外観ではわかりませんが、W-1は全機、最初から過熱装置付で造られています。(W-2は単式化工事と同時に、Wは1915年ごろから逐次、過熱式に改造されています)余り目立たない差異ですが、W-1のスティーム・ドームは胴回りが直立している点、WやW-2の傾斜付と異なります。



W-1とW-2は同じワルシャート弁装置付で、上回りはほとんど同じ、となると、まことに見分けがつきにくいわけですが、識別点は両側のランボードの分割比率です。W-1は第一段が第1動輪の後ろまで達しているのに対して、W-2はほとんどシリンダーの上で終わっています。ここが一番顕著な識別点です。3形式とも大変に愛用された機関車で、近代的な大型MikadoであるW-3、W-5、その後の超大型連接機などが登場しても大陸横断本線勾配区間の補機、支線の本務機、入換用、と重宝に使われ、NP蒸機の最末期である1956-57年においてかなりの勢力が車籍簿に留まっていました。






■D&GRNのNP Mikadoたち(1)■W#1550 NPに最初に登場したミカド。1904~1907年にNos.1500-1659の160台(Nos.1550-1555とNos.1606-1619は2代目)がアルコ社のブルークス工場で造られた。モデルはW&R社がサムホンサに造らせた製品で、ナンバー・インディケーター付の戦後の姿を示している。







■D&GRNのNP Mikadoたち(2)■W-1 #1668 1909年からWクラスの増備を再開するに当って、弁装置をワルシャート式に変更した、Wの姉妹形式。上回りはほとんどWの設計を踏襲している。1909~1910年にNo.1660-1699の40台がアルコ社のスケネクタディー工場で造られた。モデルはW&R社がサムホンサに造らせた製品で、ナンバー・インディケーター付の戦後の姿を示している。





■D&GRN のNP Mikadoたち(3)■W-2 #1915 Wクラスのうち、1904年製の初代Nos.1550-1555(→初代Nos.1600-1605)と1905年製の初代Nos.1606-1619の20台はタンデム複式で誕生し、“W-TC”と分類されていたが、単式Wの増備でNos.1900-1919と改番ののち、1910~1913年に、W-1に準じたワルシャート弁付の単式に改造され、W-2クラスとなった。外観はW-1に酷似するが、ランボードの最前段がシリンダーの上で終わっているところで、第1動輪の後一杯まで伸ばしたW-1と識別できる。モデルはW&R社がサムホンサに造らせた製品で、ナンバー・インディケーターが登場する1947、48年以前の姿を示している。






■NP Mikadoの系譜(2)-近代的Heavy MikadoのW-3、W-5、そして系列外のW-4



W、W-1、W-2の成功に自信を深めたNPは1913年に早くも、更に強力なMikadoの導入を開始します。これがW-3クラスです。日本でいえば大正2年のこと。まだ9900形、のちのD50はおろか、9600形も登場していません。



新形式は機関車部の全軸距では4インチしか伸びていませんが、上の乗ったボイラー部では円質直径で7インチ近く、ワゴン・トップ最大部で8インチ半太くなり、火床面積で1.6倍、全伝熱面積で1.4倍、機関車部運転整備重量で約15%増、と一挙に大型化、強力化したものになりました。煙室内にはCoffinコッフィン式の給水予熱器を装備、従台車はColeコール式、キャブは完全矩形となり、W-1からのわずか3年で、見違えるような近代的外観の重量級Mikadoが登場したのです。



1913年に50台、1917年に20台、1918年に40台、1920年に25台、合計135台が誕生しました。製造はすべて、アルコ社ブルークス工場です。私は米国の近代蒸機のうち、ブルークスの好さが最も凝縮されているのは、このNPW-3ではないか、と思っています。



大口径の煙室から始まる量感たっぷりのボイラーが63インチ動輪の主台枠にずっしり鎮まりサンド・ドームの控えめな大きさが機関車をより偉大に見せている、その品格は、数ある北米のMikadoのうちでも1,2を争うものではないか、と思うのです。



この形式も、看板特急“North Coast Limited”ノース・コースト・リミテッドの前補機、後補機から兵員輸送など団体列車、近距離旅客の本務機、重連による長距離高速貨物のロング・ラン、急勾配支線の主力、ミネソタ北部での鉄鉱石輸送‥と、多様な活躍を見せました。



W-3の新造開始後まもなく、第1次世界大戦への参戦で、政府管理のU.S.R.A.標準設計機が各鉄道に分配されることになったとき、NPでも社の内外で「勾配と重牽引用にU.S.R.A.の2-10-2を導入しては?」という声が上がったそうです。事実、現物も持ち込まれて本線上のいろいろな区間でW-3との比較試験を行ったところ、W-3の方が成績優秀ということが実証され、U.S.R.A.2-10-2の導入は不要、という結論に達したそうです。




■D&GRNのNP Mikadoたち(4)■W-3 #1734 W-1の最終機納入から3年後、NPは俄然近代的なヘヴィー・ミカドを登場させた。格段に容量を増したボイラーとコール式従台車を持つW-3クラスである。1913年から1920年の間に135台が誕生した。製造はまたしてもアルコ/ブルークス工場。モデルは1961年にノースウエスト・ショートライン社が横浜のトビー模型店に発注した名作を、ムサシノモデルの茂木喜順氏がディテール・アップしたもの。W-3の量感が見事に再現されている。





■D&GRNのNP Mikadoたち(5)■W-3 #1724 W-3の戦前~第2次大戦直後の姿。煙突脇にはナンバー・インディケーターが無く、サンド・ドームに機番が書かれている。これが同時代のNP蒸機の標準仕様。モデルはW&R社がサムホンサに造らせた製品。





■D&GRNのNP Mikadoたち(6)■W-3 #1829 これもW-3の戦前~第2次大戦直後の姿だが、長大トンネル対策として煙突に着脱式の誘煙キャップをつけている。NPではテンダーは機関車とある種、別個の車輛のように捉えていた節があり、パシフィックやミカドでは配属先や用途に応じて水石炭の比率や積載量が様々なテンダーを組み合わせていた。特に数の多いWやW-3では、そのヴァリエーションは多様だ。モデルはW&R社がサムホンサに造らせた製品。





■D&GRNのNP Mikadoたち(7)■W-3 # 1774 ナンバー・インディケーターを付けた、戦後のW-3の姿を示している。電光式のナンバー表示器はNPでは1947年から1948年に掛けて入換専用機以外のすべての蒸機に取り付けられた。同時に、サンド・ドーム脇の機番が消え、正面ヘッドライト下の小ナンバー・プレートも廃止される。表示器の脚が3本なのがNPの特徴である。このモデルもW&R社がサムホンサに造らせた製品。





■D&GRNのNP Mikadoたち(8)■W-3 #1752 NPでは1910年代から、随時一部の蒸機を重油専燃に変更してきた。これは時どきの石炭、石油の相場や需給量に合わせた、と解説されている。さらに、第2次大戦後はスポケーンを中心とした西海岸地区の配備機を集中的に重油焚きに改造している。これには「スポケーン市などが煤煙防止条例を制定したため」という解説と、「自社所有の炭鉱が資源枯渇してきたことと石油の値下がり、積み込み作業の簡便さで、スポケーン管区が方針を決めた」という説がある。いずれにしても、戦後のスポケーン―タコマ間での写真に出てくるW-3などは重油焚きである。このモデルもW&R社がサムホンサに造らせた製品。




1922年に至って、NP本社ではまたもや貨物輸送力の増強の必要を感じ、W-3相当以上のMikadoの増備を決断します。25台がアルコ社に発注され、翌1923年7月にスケネクタディー工場から納品された改良型は当時急速に登場してきた新型補助機器の効率を比較試験しやすいよう、W-3では助士側のランボード部のボイラー側面に吊っていた複式コンプレッサー2基を煙室正面に移したことが外観上の最大の特徴となりました。W-3との外観的なもう一つの明らかな差異は従台車の様式で、W-5は一体鋳鋼のDeltaデルタ式に変わっています。サンド・ドームもW-3より若干ですが大きくなり、肩を張っているようです。



屋根高さはW-3と変わりませんが、キャブ自体の丈は、わずか7/8インチ22mmほどですが小さくなっています。それでも写真で見比べると、W-5の方がキャブが明らかに床高で側板の縦横比が細長く見えます。



こうした差異が相俟って、実際は補助機器分、W-5の方が重いのですが、W-3より、やや腰高に見えるのがW-5です。



テストされた補助機器はElescoエレスコ式の給水予熱器と 排気インジェクター、Worthingtonウォーシントン式給水予熱器、Nicholsonニコルスンのサーミック・サイホンで、非装備を含め25台が全部で8通りのグループに造り分けられて長期試験を行いました。



W-5クラスにまつわるエピソードで最も注目すべきなのは、そのうちの1台、No.1844が行った機関車交換なし本線直通ロング・ランのテストでしょう。この機関車は1926年3月18日10時30分に、西海岸ワシントン州Auburnオウバーンの貨物ヤードを牽引定数一杯で出発したNo.1844は109時間30分掛かってミネソタ州MinneapolisミネアポリスのNorthtownノースタウン貨物ターミナルに到着したのですが、1897.6マイル3036kmを17組の乗務員が機関車無交換で走行させ、その間の途中平均停車時間は貨車の分離、連結作業も含めてわずか19分だったとか。このデーターはその後のNPでの蒸機ロング・ラン運転に大いに参考にされました。



この実験に限らず、沿線の水質に恵まれなかったNPは途中給水を極力減らすロング・ランを指向していました。そのため、W-3、W-5両形式ではしばしば角型補助水槽車の連結も行われていました。これもなかなか勇壮な姿で、水槽車付重Mikadoどうしの重連、という写真も見たことがあります。



さて、ここまでの話に抜けていたのがW-4という形式です。これはNPのMikadoの系譜の中ではいささか異端な存在で、全部で6台しか、ありませんでした。



これは新造機ではなく、NP最初のMikado、Wクラスの登場とほぼ同時期に造りすぎてしまった2-6-2のTクラスを活用して、Wに少しでも近い出力の機関車を造ろうとした自社改造機です。W-3の納入が予定より遅れそうだったため、そのつなぎに急遽造られたもの、とのことです。ボイラーを延長し、燃焼室を設け、シリンダー口径も3インチ増大、過熱装置も備えた結果、Tの60%増し、という牽引力を得ることができました。



しかし、元のボイラーが2-6-2のものですから、外観の印象はどうしてもひ弱そうにみえてしまいます。少なくとも、ほかのNP Mikadoほどの印象的な外観ではありません。実力的にもW-3が登場してくると、小運転や入換用にまわり、終始地味な存在でしたが、それでも1950年代までヤード入換用に残っています。




■D&GRNのNP Mikadoたち(9)■W-5 #1845 1923年にW-3の増備として新造された形式で、当時次々に考案される給水関連の補助機器を比較試験するテスト台という役割も担っていた。そのため、コンプレッサーをランボードから煙室正面に移し、補助機器の配管を取り回しやすいようにしている。従台車は一体鋳鋼のデルタ式に変わった。Nos.1835-1859の25台がアルコ社スケネクタディー工場で造られた。モデルはエレスコ式給水予熱器を装備した例を再現している。W&R社がサムホンサに造らせた製品。





■D&GRNのNP Mikadoたち(10)■W-5 #1851 数の多かったW-3はWとその姉妹形式ともども支線区まで広く入り込んだが、W-5は終始大陸横断ルート上と、ミネソタ州ダルース周辺の鉄鉱石輸送に使われた。これらの運用ではしばしば補助水槽車を連結した。このモデルはウォーシントンBL給水予熱器装備機を再現したもので、ナンバー・インディケーター付の戦後の姿を示している。W&R社がサムホンサに造らせた製品。





■NP MikadoのHOモデル



NPのMikadoがHOで模型製品化された最初は比較的古く、Northwest Short Lineノースウエスト・ショ―ト・ライン社が横浜のトビー模型店に発注し、1961年に発売したW-3が最初です。200台が米国に輸入されたそうです。



これは、今日見ても大変技量の優れたモデルで、かっちりとした出来のなかに得もいわれぬ量感がにじみ出ています。当時、天賞堂やユナイテッドが一般製品ではまだ採用していなかった、動輪のブレーキ・シューも売り物でした。



続いて1961年に、同じインポーター、同じメーカーでW-5が150台造られました。こちらは組み立てた手が、先のW-3と違うのか、サンドブラストの失敗でテンダーの側面が膨らんでしまったものも少なくないようで、私はさほど優れたモデルのように思わないのですが、米国の中古市場では、数がW-3に比べ、若干少ないせいでしょうか、価格は概して高いようです。



WクラスはNP蒸機ファンには是非にも欲しい形式であったことでしょうが、1980年になって、ようやくPFM社が韓国のSKIに造らせた未塗装製品で初登場となりました。150台が製造されたそうですが、実は実機が西海岸地区に多かった重油焚きにテンダーがコンヴァートできるようになっているのは、後にも先にもこの製品だけ、ということで、熱の高いNP蒸機ファンは結構探し回っているモデルのようです。



1981年にはW-1が同じインポーター、同じメーカーの組み合わせで発売されました。これも未塗装で、木製パイロット(カウキャッチャー)、鋳鋼製パイロットが各100台ずつ造られ、テンダーはいずれも石炭、重油にコンヴァートできます。



W-3とW-5は1984年にKey Importsキー・インポーツ社と韓国Samhongsaサムホンサとの組み合わせでも製品化されました。W-3が未塗装50台、塗装済み20台、W-5は未塗装が給水予熱器なし75台、エレスコ式予熱器装備75台、塗装済みが予熱器無し30台、エレスコ付35台、と少量のせいか、中古市場ではあまり見かけません。出来栄えは並で、キャスティングがやや小振りなのが物足りなさを誘います。しかし、W-5のキャブの横長感は、偶然かもしれませんが、この製品が一番よく表現しているように思います。



NP Mikadoの決定版モデルといえるようなHO製品は1998、99年にW&R社がサムホンサに造らせました。このときはW-3、W-5から始まりW、W-1、W-2がすべて塗装済みで、同時、または連続的に発売になり、しかも1形式を2~6ヴァージョンに造り分けて、数量も各30~70台程度、平均40台程度、という少数でしたから、熱烈なNPファンほど大変でした。



私なども親しい米国の業者のお情けで、2年に亘って、毎月1台ずつ引き取る約束で、金策の連続の末、ようやく、最低欲しいヴァージョンを何とか確保することができました。しかし、到底全種は集め切れませんでした。



しかし、サムホンサの円熟期の作品であり、設計も仕上がりも素晴らしく、元の価格も相当高かったこともあって、中古価格はかなりのものになっています。傍系のS.P.&S.鉄道に譲渡された仕様も4タイプ出ました。W-3の重油焚き仕様も2002年になってナンバー・インディケーター無し、と「付き」の2タイプが発売され、西海岸地区のNPを再現したい向きをうならせました。



W-3とW-5にしばしば使われた補助水槽車も1987年に未塗装と塗装済みの両方でハッチの高低、2種が発売になっています。




■NP蒸機のフィナーレもMikado



NPの蒸機の営業運転の最後を飾ったのもMikadoでした。1958年1月17日、W-3クラスのNo.1713が列車を牽引(多分、貨物でしょう)してMinnesotaミネソタ州Duluthダルースに到着したのが最後の運用、と記録されています。NPの象徴的な機関車がNP蒸機の最後を飾ったように、私には見えます。








SP&S O3--NPとGN共同出資で名高いSP&Sに移籍したW3もまたW&R/サムホンサでモデル化されている。低く構えたネコ科の猛獣を思わせるスタイルはNP同様。松・謙氏ご贔屓のSP&Sの機関車たちはまたの機会に!