■ナロー・ゲージ・コンヴェンション ―――松本謙一(日本鉄道模型リサーチ‐ A.B.C.)
■初めて米国に出かけるまで
月刊「とれいん」誌の古い読者なら、私が創刊以来、米国の鉄道のことをいろいろ書きながら、実は40歳半ばまで、創刊後20年近くまで、一度も米国領土を踏んだことがなかったのをご記憶と思います。
当時は「日本製の自動車が走りまわって、牛丼のチェーン店が出来ているような西部は幻滅するだけだから、見たくないのです」などといっていましたが、実は私は松本家の一人息子で、子供もまだ小さく、一族の中での家内の位置も不安定、また仕事の方も家業の方も含め、社員もある程度はいるし、公私ともに借り入れもかなりあり、万一旅先で命を落とすようなことがあると、それによって人生が狂ってしまうのが私に留まらない、という事情が、私に一切の海外旅行を思いとどまらせていました。
それで、実は喉から手が出るほど行きたかった、東独の現役ナローも、南アのガーラット重連も諦めたのでした。「まあ、C51も8100も見たし、C62重連も人一倍写したし、西独の蒸機もいろいろ撮れたし、若い時に散々いい思いができたのだから、仕方ないか…」と自分を納得させていました。(時の流れとの競争である鉄道趣味は、結局人生どこかの時点で諦めなければならない時期、というのがあり、それがNevercome backであることは宿命です‐それ以後の人生の岐路は、そこで永久に鉄道への情熱を捨ててしまうか、再び燃えることができるか、です)
そうこうするうちに、汽車の撮影だけでカメラを担いで、どこかへ行く、ということ自体が億劫になってしまって、もともと8100を自作するために細部写真撮りから鉄道写真撮影の面白さに取り付かれた私の鉄道趣味の主体は、ふたたび完全に模型に戻ったのでした。
一方、海外旅行事情はどんどん手軽になってきたので、米国のNMRAコンヴェンションには平井さんや前里君(もう今では“君”というほど若くはありませんが)に行ってもらい、その土産話から想像を掻き立てるようになりましたが、街の様子、鉄道施設に様子など、どうも聴いてみると、自分が本から得た知識で想像してきたのはさほど外れていないこともわかり、なおさら「まあ、わざわざ行かなくてもいいか!」と想うようにもなったわけです。
私のそうした“鎖国”を解くきっかけになったのは21年前のオリエント急行来日でした。鉄道、というより海外の旅そのものへの意欲がよみがえって、2年後、初めての海外旅行、という家内を伴って、まずは、20年近く前だが二度行って、ある程度勝手の分かっているヨーロッパへ(何と駅でのスナップ以外、列車写真らしいものはまったく撮らず)。
このころになると、子供の成長から借り入れ、取引先の状況など、私自身を取り巻く呪縛もやや緩み、「やっぱり、次はそろそろアメリカかなぁ」と思い始めたところへ、1995年の暮れ、天賞堂の新本秀章社長から「アメリカ型ファンのツアーをやりませんか」と持ちかけられたのが、決断を一気に後押ししました。年が明けてすぐ、阪神大震災があり、気の重い始まりとなった年でしたが、5月末、初めて実際に訪れたアメリカ、特にコロラド・ロッキーの大自然は幼い頃からの西部への憧れを一段と強めさせ、それまで建設を続けてきたレイアウトD&GRN鉄道の細部表現のイメージ固めに大変なインパクト(ヒント、という以上に大きな理解、印象把握、情熱、衝動など)を与えてくれました。
新本さんは、D&GRN建設の構想段階で、「どうせやるなら、枕木から貼っていくハンド・スパイクでやったらどうですか?」と薦めてくれたことと、このアメリカ訪問のきっかけ、と、二度D&GRNの大転機を与えてくれたことで私と鉄道模型の60 年を語る中では欠かせない方の一人です。
ナロー・ゲージ・コンヴェンション2009前の寄り道――動態に復活したDenver & Rio Grande Western鉄道C-18クラス、No.315。以前はDurango街はずれの公園に荒廃した姿をさらしていた。
撮影;松本ちはる
■Narrow Gauge Conventionとは
この初めてのアメリカ旅行で、デンヴァーのCaboose Hobbies、パサディナのOriginal Whistle Stopと、2軒の質、規模ともに全米でも最高クラスの模型店や、同じくパサディナの巨大クラブ・レイアウト、Sierra Pacificも訪れ、米国鉄道模型界の空気の一端を味わうと、やはり、その二大催事であるNMRAナショナル・コンヴェンションとナロー・ゲージ・コンヴェンションを覗いてみたい、という衝動は抑えられなくなります。
ちょうど鉄道模型雑誌の方でも、TMS誌には宮野忠晴氏、ネコ・パブリッシング社には名取紀之氏、といった、実際にそうした米国のコンヴェンションを見てきている方がスタッフに加わり、いつまでも私だけが本で得た知識だけでものを書いているわけにいかなくなってきた、という事情もありました。
NMRAはNational Model Railroad Associationの略称で、私は“全米鉄道模型協会”と訳しています。発祥は戦前で、HOをはじめ、各スケール、ゲージの規格を策定し、世界に発信するなど、権威ある団体です。私も35年来、ライフ・メンバーになっています。全米ほか英語圏をいくつかブロックにわけ、さらにその中を細分した支部があって、年1回7月に1週間開催する“ナショナル・コンヴェンション”の誘致合戦を繰り広げます。
Narrow Gauge ConventionはNarrow Gauge and Short Line Gazette誌の支援者、読者であるナロー・ゲージ・モデラーたちがBob Brown編集長兼発行人を囲んで毎年集まろうじゃないか、というところから28年前に始まった催事で、常設の協会があるわけではなく、各地のナロー・ゲージ・ファンがホスト都市として名乗りを上げて、主にナロー・ゲージや森林鉄道にゆかりのある場所を持ち回りで毎年9月に行われています。
いずれのコンヴェンションも主たる目的はモデラーどうしの懇親、研鑽で、日本の“JAMコンベンション”のように一般来場者に見せることを主たる目的としていません。参加費を払った登録者だけのプログラムが圧倒的で、ホビー・ショウはあくまでも従たる存在なのです。
そういう次第なので、開催地も、一般入場者の多い少ないは、全く問題にされず、鉄道史にゆかりの地で、鉄道好きが楽しめそうなところが選ばれます。コンヴェンション・ホテル(大概は展示会場に隣接しているか、そうした施設を持つホテル)が指定され、そこを中心にモデラーの交流が行われるのです。
ナロー・ゲージ・コンヴェンションも、全国のナロー・ゲージ保存地やかつてナロー・ゲージ鉄道が存在したところを巡回しますが、少なくとも3年に1度は全米ナロー・ゲージャーの聖地ともいうべき、コロラド州で開催されるのが不文律になっているそうです。
ナロー・ゲージ・コンヴェンションは水曜から土曜までの4日間に亘って行われ、クリニック、模型作品と写真のコンテスト、モジュールの展示運転、レイアウトや実物の見学などと、午前中と夜だけのトレード・ショウ(要するに模型業者による販売)で構成されています。
トレード・ショウは会期初日の夜から始まって土曜日の午前中まで、朝、晩に開かれるので、都合6回となり、午後はモデラーも業者もレイアウト見学や保存鉄道訪問、観光地での行楽を楽しんだり、作品展観賞、クリニック聴講、モジュール出展者との談笑に費やします。朝のトレード・ショウは8時半から、夜は10時半まで、と、出展する業者にとっても結構ハードです。
コンヴェンション会場に設置されたSn3のモジュール・レイアウトを走るP.B.L.社製のK-27。約2.4m単位のモジュール6個を連結。一個のレイアウトとして完全に連続したシーナリーが一周している。
■NMRAナショナル・コンヴェンションとの違い 平均レヴェルの高さ
私が米国の鉄道模型コンヴェンションに初めて参加した1996年は、NMRAが、全米でもっとも鉄道模型が盛んといわれる南カリフォルニアのロング・ビーチ、ナロー・ゲージ・コンヴェンションがロッキー・ナローのメッカ、コロラド州のデュランゴ、とあって、どちらも棄てがたく、「ここは人生後半に向けての投資」と想い定めて、両方に出かけました。
NMRAロング・ビーチの方は、この時以後私が参加したコンヴェンションの中でも最も盛会で、参加者も3000名を越える勢いでした。(NMRAのコンヴェンションは夫人同伴の参加者が圧倒的に多いので、人数が膨れ上がる)レイアウト・ツアーも大型の観光バスで乗り付けるような規模ですが、その代わり、参加者の経験レヴェルは鉄道模型暦40年級の大ベテランから、今年定年になったのを期に鉄道模型を始めた、というような人まで、千差万別です。実物についても、せいぜい自分の住んでいる地元の鉄道の概略ぐらいしか知らない人が普通です。「お前は日本から来たのに、何でそんなにいろいろな鉄道を知っているんだ!」とよく驚かれるほどです。
これが1ヵ月半置いてナロー・ゲージ・コンヴェンションへ出かけると、様子がガラっと違っていました。参加者の数ははるかに小規模ですが、皆、見るからにベテラン・モデラーの目。(ナローなど手がけるのですから、当たり前ですが)日本でたとえるなら、FABのお客クラスだけが集まってきている、という感じです。そして、米国のナローには蒸気機関車が圧倒的ですので、当然ながら会場は蒸気機関車が主役です。コンヴェンション・ホテルのロビーや廊下に展示されるモジュール・レイアウトも質の高いもの揃いです。
レイアウト訪問も団体で押しかけるのではなく、チェック・イン時に渡されるプログラム・キットの中にホスト・レイアウトの内容、現地への道案内が記されているのを見て、自分で指定開放時間帯に随時訪問する、というもので、あくまでも個人行動がベースです。NMRAコンヴェンションのレイアウト・ツアーでは玉石混交の4~8箇所ぐらいを大勢でまわるので、1箇所の見学時間はせいぜい15分ぐらい。よく出来たものでは物足らないのですが、こちらは気に入れば心行くまで、ゆっくりと見学できます。(その代わり、NMRAコンヴェンションは車無しでもそこそこ楽しめますが、ナロー・ゲージ・コンヴェンションの方は、自分でレンタル・カーを運転するか、運転してくれる仲間を見つけないと、会場以外の見学はできません)
トレード・ショウに出展するのも、参加モデラーのレヴェルに合致する商品を供給する業者やプロ作家ばかりです。ジャン・ロンはじめナロー・ゲージ・ガゼット誌の表紙を常連で飾っているような鉄道画家が自らの生作品を売っている。キットといえば、軒並みクラフト・タイプのバス・ウッドや真鍮エッチング抜き。間違っても、かの人面機関車関連など売りにくる業者はありません。工具も素材も、ベテラン・モデラーなればこそ、欲しがるようなものがそこここに並びます。業者は、自分もベテラン・モデラー、というケースがほとんどで、バックマンのような大手でも、副社長のライリー氏自ら、ナロー・ゲージャーになりきって、熱く語っているのが、とても温かく、いい雰囲気です。
特にいいのは、クラフト・タイプのストラクチャー・キットやロック・モールドのゴム型、ストラクチャーまわりの小物パーツなどで、ウオルサーズのカタログには載らないような小メーカーの出展があり、現物を確かめて買うことが出来る点で、Oスケール、Sスケールのものの豊富です。
ですから、ナロー・ゲージをやらない人でも、米国型レイアウトを造るモデラーにはぜひ一度参加を勧めたいのがナロー・ゲージ・コンヴェンションです。
「ここまでいいものがあるなら、自分のレイアウトはもっと質を深められる!」という自信をたちどころに得たのが、私にとって初めてのナロー・ゲージ・コンヴェンション参加の収穫でした。
会場の廊下に設営されたHOn3の展示運転。各人各様のモジュールをつないでいるが、いずれもスペースの隅々まで上下方向も立体的に使った構成が見ごたえある空間を生み出していた。
同じくHOn3のモジュールの一つ。高さ方向を重視する、というのが固定レイアウト、モジュールを問わず、米国のレイアウト・デザインの共通傾向、ということに気が付いた。それによって、眺める目が全体を一巡する時間が断然長くなる。
■今年のナロー・ゲージ・コンヴェンション
今年(2009)年のナロー・ゲージ・コンヴェンションはコロラド州コロラド・スプリングスで9月16-19日に開催されました。デンヴァーの街の中心から車で南へ約1時間の衛星都市ですが、アメリカの戦略空軍の本部が目の前のロッキー山脈の土手腹に掘られた巨大地下壕にあり(前の庭にB-52爆撃機を中空にかざすように展示しているのが遠くからでもよく見えます)、空軍基地も置かれている軍事拠点の街でもあります。
デンヴァーのダウンタウンから車で1時間あまりというのに、デンヴァーとコロラド・スプリングスの間にも毎時1便程度の定期便が飛んでいて、待ち時間2時間、実飛行時間約20分、デンヴァー空港からバスもあって1時間半程度だそうです。(ということは、バスの方が早い?)ちょうど、成田と羽田の時間感覚でしょうか?
ナロー・ゲージ・コンヴェンションそのものの企画ではありませんが、ジョイント・イヴェントとして、今回はコンヴェンション会期の直前に州南部とニュー・メキシコ州に跨る3フィート・ゲージの保存鉄道、クンブレス・アンド・トルテックで、3年前に有志によって動態に復活した元デンヴァー・アンド・リオ・グランデ・ウエスタン(D&RGW)鉄道C-18クラスNo.315の特別運転が2日間おこなわれたのが目玉でした。
撮影用に仕立てられた編成は時代考証もさすがで、1940年代の現役当事にタイムスリップしたのではないか、と錯覚するような撮影を堪能することができました。
会期中にはデンヴァー郊外、ゴールデンにあるコロラド・レールロード・ミュージアムで、これもD&RGW3フィート・ナローの蒸気パイル・ドライヴァー、OBの作業実演があり、やぐらの組み立てから、杭打ち動作(杭打ちのかわりにスイカを割って見せた)、やぐらの収納までが再現されました。
コンヴェンション会場では、On30、Sn3、HOn3、Nn3のモジュール・レイアウトが運転されていましたが、どのモジュールも揃ってレヴェルが高く、前に見たものも、さらに手が入って、好くなっていました。
今回、特に感じ入ったのは、日本でモジュール・レイアウトというと、圧倒的多くはレール面での平面的展開となっているのに対し、(ナロー・ゲージだから、なおさらでしょうが)、バックに何とか斜面を入れ、空間を立体化して、そこで自分のセンスやこだわりを見せようという努力をほとんどのモジュールがしていることでした。斜面にすることで、実面積を増やし、演出の場を広げる、という積極性は、せっかくモジュールを作りながら、シーナリーのデザインや工作となると、まだまだ「手早くまとめること第一」に走る傾向の多い日本が見習うべき点と思いました。
トレード・ショウでは、レーザー・カットのバス・ウッド製ストラクチャー・キットにつぎつぎ、新製品、新メーカーが出てくるのには、改めて感心しました。一昨年、メイン州ポートランド(2フィート・ナローの本場)でのコンヴェンションで、目に付いた新製品はあらかたチェックしたはずなのに、また魅力的なものが登場していました。レイアウト造りがホビーの中心だから、とはいえ、ストラクチャーが、車輛製品と対等か、それ以上の存在感で市場を形成している様子に「模型界全体の心のゆとり、模型を表現するイメージの豊かさ」を感じ、同時に日本の鉄道模型市場に近年の幼児退行ぶりをもたらしている「仕掛けられたブームの罪過」を思わざるを得ませんでした。
レーザー・カットのストラクチャー・メーカー、BEST社のお嬢さんと。今回は西部開拓風のコスチュームで来場者との2ショット写真をサーヴィスしていた。
コンヴェンション会期中にDenver郊外GoldenのColorado Railroad MuseumがジョイントしたD&RGWの蒸気くい打ち機OBの作業実演。押しているのはグリーン・ボイラーに化粧したC-19クラス、No.346。