後にも先にも新製の通勤形気動車はこれだけというキハ35系列。都市近郊の非電化通勤路線用として「とにかく量」の昭和30年代から昭和40年代前半、国鉄も作りに作った400輌以上。ところが慢性的な車輌不足からローカル線にも使い回され、3扉どころか1扉でも十分そうな路線をキハ35が走る光景があちこちで現出。もっとも誕生時は大都市近郊路線でさえ少し外れると、いきなり田園地帯だったのですが…。
そんなチグハグな姿が原体験の方も多いであろうキハ35。千葉、川越・八高線、関西本線、中央西線名古屋口(長大編成の白眉)などを思いながらの製品化でしたが、お客様から北陸、山陰、四国、九州などの思い出を聞かされ、けっこうあちこちにいたんだなぁ、と改めて実感させられました。私は渋いところでは太多線で乗ってます。実はこのキハ35、FAB最初の国鉄形製品で、最初の生産はワールド工芸にお願いしました。最初の生産の時はキハ35の量産車…というのか乗務員扉脇の手摺が長短あるタイプと500番代を作っています。2回目から自社生産となり、ここまで総生産回数6回…だったかな?の記録保持車です。
そんなチグハグな姿が原体験の方も多いであろうキハ35。千葉、川越・八高線、関西本線、中央西線名古屋口(長大編成の白眉)などを思いながらの製品化でしたが、お客様から北陸、山陰、四国、九州などの思い出を聞かされ、けっこうあちこちにいたんだなぁ、と改めて実感させられました。私は渋いところでは太多線で乗ってます。実はこのキハ35、FAB最初の国鉄形製品で、最初の生産はワールド工芸にお願いしました。最初の生産の時はキハ35の量産車…というのか乗務員扉脇の手摺が長短あるタイプと500番代を作っています。2回目から自社生産となり、ここまで総生産回数6回…だったかな?の記録保持車です。
キハ35でなんとも悩ましいのは客扉の構成。汽車ホームに合わせて台枠を欠いたのでドアエンジンが収まらず吊り扉。しかもドアエンジンとステップのからみで扉の上と下で厚みが異なる嫌らしい形状。最初は16番製品のようにキャストの扉を考えましたが、ワールド工芸の田村社長が「キャストでは厚みが気になるし、肌荒れがあるから塗装すると真鍮の側板と質感が合わない」とおっしゃいます。真理です。そこで考えてくださったのが折り曲げて作る客扉。展開を見たときは「なんだ、これ?」と思いましたが、組んだ状態はすごく良い。客扉の問題が片付いた後はとんとん拍子で製品化できました。ワールドの折り紙細工、すごいです。細かな改良を加えながら2007年に2回目、2009年には3回目の生産を行い、多くのお客様から「バリエーションも作って下さいな」とリクエストをいただきましたので、2010年にキハ30を作り、2011年の4回目の生産に合わせてキハ36、キハ35初期車を製作。さらに900番台まで作ることになるとは、最初のキハ35を作ったときには想像さえできませんでした。
関東のファンなら編成に1両は混ぜたい900番台。あまりにも路線が限定される車輌ですが、千葉と八高線で乗っただけに欲しくなっちゃいました。その900番台、キハ35にコルゲート貼って一丁上がりなら世話はないのですが、0番台の鋼板車とは似て非なるもの。形式図見ただけで車高に怪しさが見て取れます。でも形式図の数値、現車に即してないなぁ。よくあることですけど。900番台は車体位置が0番台の鋼板車より高いため、開口部は逆に鋼板車に合わせて低い位置にあります(じゃないと貫通路で転びます)。他にも「作れるものなら作ってみろ」と説教されているかのように各部が違う…。プレス屋さんに「屋根R変えたらプレス型作り直しだよ。前のと同じでいいじゃん」と言われましたが、ここまでやったんだからと、あぁ…。