私と鉄道模型の60 年 (4) — 松本謙一  小列車の魅力


■小列車の魅力―――松本謙一(日本鉄道模型リサーチ‐A.B.C.)






■好ましい小列車…その程好さ



世に「鉄道模型ブーム」といわれた熱気〈私にはマスコミによって演出されたもののように見えましたが‥〉も、瞬く間に去っていったようです。まず、私の予想したとおりでした。今にして思えば、あの「ブーム」なるものの渦中で、狂奔的に模型を買いあさった方たちには、「自分の“心の鉄道”」、「自分にとっての鉄道の原風景」というものがあったのでしょうか?



私がほぼ60年に亘って、飽きもせず、鉄道模型を心の糧としてこられたのは、「これがレアもの」とか「いまトレンド」とかいう短期的な価値観ではなく、自分の心を振るわせた鉄道情景への無限の憧れと、それを模型は再現できるか、という課題への挑戦が通底していたからではないか、と思います。では、自分にとっての心の鉄道の原風景とはなんだろうか、と考えますと、月間『とれいん』時代の読者は意外に思われるかもしれませんが、超大型蒸機や長大特急編成の世界ではなく、中小型蒸機が牽く混合列車や客車1~3輌の短編成列車の程の好さに行き着くのです。これは国の内外、洋の東西、ヨーロッパ、アメリカを問いません。自分の心の奥底にある「憧れの列車」とは、そういう姿らしいのです。たとえば忙しさを極めているさなか、とか、街を歩いているさなかに、ふと心を掠める汽車の面影はその類が圧倒的です。



『とれいん』の編集を通じて意外に思ったのは、「自分が見たことがある時代の車輛か、どうか」を模型の選択基準にする方が圧倒的に多い、ということでした。私はその反対で、「自分が実物を見られなかったからこそ模型でその立体感を確かめたい」という方が強いようです。もっと正確には「自分で見ることができた、できなかった、は松・謙においては全く模型の選択基準にならない」というところです。そして何よりも、心に浮かぶのは「中小型蒸機の牽く短編成旅客列車」です。それには、自分の生まれ育った環境……東京駅からも日本橋中央の「日本国道路原標」からもおよそ300mという都会のど真ん中……ではおよそ見ることが出来なかった列車の姿だからこそ憧れ、好奇心も高まった、ということがあったように思います。





■小学校時代からの憧れだった



小学校時代の私の理想の編成といえば、『鉄道ピクトリアル』誌に見る「ピーコックの4-4-0が木造電車デハ1形の電装を解除した客車を牽く」東武鉄道矢板線の混合列車であり、放送が始まって間もないテレビに登場した米国製ドラマ「ケイシー・ジョーンズ」に毎回登場する「キャノンボール号」〈シエラ鉄道の4-6-0にオープンデッキの客車2輌+ゴンドラカー+コンボ・カブース〉であり、交通博物館の一隅のガラスケースに収まった米国型4-4-0に赤、黄、緑のオープンデッキ客車3輌のOゲージ・モデル(進駐軍の将校がプレゼントしたとか。いつしか廃棄されてしまい後年には存在しなかった)でした。同じころ、父が天賞堂や丸善で買い与えてくれた米国の鉄道写真集の中でもお気に入りの列車といえば、断然その類でした。



こうした列車の素晴らしさを実感させてくれたのが、中学を卒業し高校に上がる直前の春休みに訪れた北海道炭鉱汽船真谷地専用鉄道でした。『鉄道ピクトリアル』誌の北海道特集で米国製古典テンダー機(8100形)が明治の木造客車を牽く列車がまだ現存しているのを知り、生まれて初めて自分で計画した大旅行を決行したのですが、そこでバック運転の8100の煙室扉が眼前に揺れる車掌室に乗せてもらい、「学校中退してここに就職できないか?」とさえ真剣に考えたほどの感動を味わいました。(残念なことに、その翌年、ここから8100が消えてしまいましたので私の高校中退真谷地就職計画は挫折してしまいました)



このように、何よりも「小型蒸機と木造客車の小さな列車」を理想像とした少年時代から、いつしかずいぶん時が経ってしまいましたが、いまだに、いや、永遠のテーマとして私を虜にしている理想の列車のイメージは変わっていません。ウオルサーズのカタログなどを眺めながら、いつの間にか、そんな列車を演出するための機関車と客貨車の組み合わせを構想している自分に気付くことがしばしばですし、そういうひとときが実に楽しいからです。





■小列車へのアプローチ



「小型蒸機と木造客車の小さな列車」には二つのアプローチがあります。一つは実在した、あるいは必然的に実在したであろう列車の再現です。これはプロトタイプに忠実なロードネームで、出来る限り実在の車輛で構成するもの。



もうひとつはプライヴェート・ロードネーム。つまり架空の鉄道でそうした列車のイメージを再現する遊び方です。この場合、実在した列車のイメージを仮託する、という楽しみ方も考えられます。たとえば東武鉄道矢板線の「ピーコック4-4-0と電装解除の木造客車」をバックマン・スペクトラムの4-4-0とLa Belleの木製キットにあるインターアーバンに置き換えてみる、といった試みです。実際、米国には廃線になった大都市の郊外電車を電装解除して小鉄道の客車やカブースに使った例はしばしば見られました。いまでも保存鉄道でそうしているところもあります。こうしたイメージを得るには何といっても、実物の写真集を数多く眺めることですね。インターネット流行りの昨今でさえ、本の持つ情報量、また印象の度合いは決して侮れないものがあります。







■Ma&Paの旅客列車





ニュー・ヨークとワシントンD.C.を結んでペンシーとB&Oがしのぎを削った北米一の幹線ルート。その中間、ボルティモアから出発してペンシルヴァニア州のヨークまで、メリーランド州とペンシルヴァニア南東部の田園地帯を走っていた小鉄道、Maryland and Pennsylvania。鉄道そのものが、そのまま小型レイアウトにできそうであったことから、この鉄道の車輛たちはPFMをはじめとして、いくつかのブラスモデル・インポーターによって、繰り返し製品化されています。



その中で、割合存在が知られていないのが、この客車編成。この鉄道の独特のキャラクターであった切妻の木造荷物郵便車とオープンデッキのコーチ2輛がセットになっています。発売は1960年代後半か1970年代前半〈私も1970年代後半に米国の模型店の在庫から入手したので正確な発売年はわかりません〉。インポーターはGEMで、Made in Japanですが、私にはメーカーは判りません。真鍮の色合い、細部の造り方などから消去法で行くと、この手の製品をしばしば手がけたクマタ、オリオン、つぼみ、鉄道模型社ではなさそうです。



実車の写真では4-4-0のNo.6がこのように2輛を牽き、もう1列車はガス・エレクトリック・カーのNo.60(これはGEM/つぼみ堂が製品化して国内にも出回りました)が同じオープンデッキ・コーチを牽いて、途中で列車交換している図がありますので、私の鉄道でもそのようにしています。




4-4-0のNo.6はAlco Modelsによる比較的初期の韓国製で、手がけたのはROK-AMというメーカーです。これが意外にも、4-4-0としては良い軸重バランスで、モーターをナミキの12φコアレスに換装し、動輪、テンダー車輪を両側集電に加工したところ、実によく走るようになりました。客車の方もInter Mountainの“パブローラーもどき”ローラーベアリング軸車輪に換装したところ、金属車体にもかかわらず、この編成で2.5%勾配をスイスイ登ります。機関車はPFMサウンド搭載で、私の気に入りの小列車の一つです。







■CB&Qのミキスト・トレイン





Chicago, Burington and Quincy鉄道も私の大好きな鉄道の一つで、大型の4-8-4や2-10-4が長大貨物を牽いて大平原を行く姿もたまらないのですが、中・小型機にも渋い連中が揃っています。



中村精密は線こそやや太いが、バラつきの無い、かっちりした組立てが取り得のメーカーでしたが、輸出用製品の初期に、このK-2クラス4-6-0をNickel Plate Products社向けに造っています。1974年の発売で中村精密が日本国内にも若干販売したモデルです。短いベルペアー火室と大振りな木造キャブの組み合わせが特徴ですが、モーターがやや小型の棒型で、私の所有していたモデルでは早々と焼損してしまいました。



これもナミキの12φコアレス・モーターで復活しましたが、支線のミキスト列車に仕立てる相棒が欲しいと永年考えていたところ、数年前にRailway Classicsというインポーターが韓国製ブラスモデルで、木造オープンデッキ、客室部分モニター屋根、荷物室部分シングル屋根、境にカブースとしてのキューポラつき、という、願っても無いような“ウエイ・カー”(CB&Qでのカブースの称号)を長短(47’と49’)2種、発売してくれました。これで実に四半世紀の時間を超えて、“CB&Qの支線ミキスト”が完成したわけです。



HOでの米国型ブラスモデルのよいところの一つは、かなり昔から、製品の造りが高級仕様であったために、製造時期が30-40年離れても、連結してほとんど違和感が無い点で、長年待ち続けると、ポッと夢の編成が完結することがあります。これも私にとっては模型道の“大いなる旅路”、人生のしみじみした歓びになっています。







■“あばずれ川鉄道”のデイリー・ミキスト





小列車にはプライヴェート・ロードネームの楽しみ方もあります。Amtrak以前の米国では市電、地下鉄以外に、いわゆる公営鉄道というのはほとんどありませんでしたが、例外として「County Railroad」(郡営鉄道)というのが存在しました。近年では大鉄道の幹線級路線すら統合や廃線の影響で寸断された結果、地域産業を保護するためにむしろこうした郡営、州営(日本のいわゆる“3セク”みたいな存在)鉄道は増えています。いまではもちろん貨物輸送専門ですが、蒸機時代にはミキスト・トレインの宝庫でした。



その昔、“ペチコート・ジャンクション”というちょっとお色気チックなテレビドラマがあり、ピチピチの田舎娘たちがオープントップの給水タンクで水浴しているところへ混合列車がやってくるタイトル・シーンから毎回始まっていました。そんなイメージをいつか小レイアウトに造ってみたい、というのも私の年来の夢なのですが、その手がかりの一つとして、BachmanのHO 3トラック・シェイを筆塗りとほんの少しのディテール追加で主力機に仕立ててみました。



ヘッドライトの前に鹿の角を立てているのは映画に出てくる古典機によく出てくるシンボルですが、プライザー人形の鹿から取りました。(角を取った鹿は雌として使えます)それこそ金曜の夜一晩で出来るお遊びですが、テンダーにアルファベットのディカールから並べたロードネーム、“SHREW RIVER R.R.”は「あばずれ川鉄道」の意味です。



米国の地名には実際、かなり驚くような意味のものがありますので、架空の地名創作もまた楽しいものです。写真で牽いているのはパルプウッド・カー(製紙用木材運搬車)と木製オープンデッキ・コンバイン。客車の方はFABが最近輸入再開の道を拓いたLa Belle社のキットを組んだもので、すでに車齢35年に達しています。







■“ケイシー・ジョーンズ”の“キャノンボール”編成





これこそ、私のミキスト・トレインへの憧れの原点、ともいえる編成です。本文でも触れた連続テレビドラマ“ケイシー・ジョーンズ”で準主役を勤めていたSierra鉄道の車輛群です。この番組以外にもゲイリー・クーパー、グレース・ケリーの“真昼の決闘”など多くの映画に出ている名脇役です。



Sierra Railwayはカリフォルニア州中央部、シエラネバダ山脈の西麓を走る小鉄道で2輛の小型木造車は元登山支線の専用車でした。製品はWestside ModelsがSamhongsaに造らせた初期の韓国製です。コンボ・カブースはLambert社が1960年代末期か1970年代初頭にクマタ貿易に造らせた日本製です。Lambertの貨車、カブースの困るところは台車無しの販売であったことで、このカブースもまだ実車どおりのリーフ・スプリングつきアーチバーの適当なものが見つかっていません。間に挟まるローサイドのゴンドラカーもまだ実車どおりのものが完成せず(計画ではLa Belleキットから造るつもり)、仮にMantua社のプラスティック製古典車で代用しています。



機関車は以前、TYCO製品でしたか、汎用製品が出ていましたが、ややオーヴァースケールだったので買わず仕舞いにしてしまったために、未だ所有していません。ブラスモデルでいよいよ製品化の種が枯渇すればPSC社あたりが出さないか、と密かに期待しているのですが‥テレビ放映以来50年越しの気長なプロジェクトです。





■ ガス・エレクトリック・カーもまた楽し





米国の小列車はなにも蒸機の専売ではありません。独立した機関室を備えた電機式気動車である“ガス・エレクトリック・カー”もまたユニークなキャラクターです。電気式気動車はガソリン・エンジン(のちにディーゼル・エンジンに換装したものの少なくない)で発電機を回し、その電気で吊り掛けモーターから車輪を駆動したものです。両運転台タイプもありますが、どちらかといえば少数派で、多くは片運転台タイプです。これは蒸機時代にはターンテーブルも使えましたが、土地に余裕のある米国では、それ以上に、至るところに三角線があり、日本のように忙しく折り返す、ということも少なかったからでしょう。それより、運転機器を増やすことでの故障や整備の手間の増加を嫌ったのでしょうか?



その機関室と屋上の排気管の列やマフラー、ラジエターのいかつさが魅力で、初期のTMS誌にもしばしば取り上げられ(山崎さん、中尾さんの好みだったらしい)われわれ団塊の世代は米国型ファンならずとも、その存在を覚えてしまったものです。



ガス・エレクトリック・カーは大鉄道の本線でもローカル列車として働いていたので、模型の世界でも長大編成運転の合間の息抜き的にさらっと走らせるのも口直し的な楽しみがあります。HO米国型ブラスモデルの世界でもガス・エレクトリック・カーは人気者で、大概の大鉄道のものが製品化されています。実車は折れ妻のEMC製と丸妻のBrill製が代表的ですが、製品でも両タイプが楽しめます。



実車でも単行運転が主ですが、客車1輛を従えた運転も少なくありませんでした。専用の軽量トレーラーもありましたが、一般の重鋼製客車を牽いている例もあり、この写真のように本線の長距離列車から分離された荷物車、郵便車、なかにはプルマン寝台車を支線に入れる運転もありました。