- 世の中には、【詐欺】という【犯罪】では無いが、悪意を持った【ペテン】が存在する。
- 【法】による【規則】と【罪刑】が無いと人は何人たりとも犯罪者(はんざいしゃ)と成り得ない。
- 【犯罪】は、合理的な【道徳・規範】から外れた行為に依り規定される。
- 【戦争】又は【戦闘】による、【殺傷】は【犯罪】ではない。
そんなあたり前の話が、ヨーロッパの中世物語や日本の時代劇のように無視されている事実がこの21世紀の新しい令和御代の今でも存在している。
それは東京裁判で犯罪者扱いされた人々であり、南京暴虐事件での【義務の履行を怠ったことについて、彼は犯罪的責任があるとみとめなければならない。】として、しかも【犯行】でもなく【犯罪的責任】として【死刑】という【刑】を執行された南京攻略戦を指揮して見事勝利を収めた松井石根大将や、中国での南京軍事法廷で全く出鱈目な【無実の罪】で雨花台刑場の露と消えた谷寿夫中将や田中軍吉大尉、野田毅少尉、向井敏明少尉である。
さまざまな【虚言】が戦前・戦後を通して弄されて続け、現代においても【犯罪者】と決めつけて日本国・日本人への誹謗中傷の【種】にされている。そんな【ペテン】が世界および日本に罷り通っている。そんな【ペテン】の中でも最も悪質なのが、東京裁判であろう。
【南京大虐殺】、【南京事件】等と呼ばれている1937年の南京攻略戦について理解をする場合、どうしても知っておかなければならない又は、知っていて欲しい前提知識がある。
(Ⅰ)国際法、罪刑法定主義
(Ⅱ)1920年8月4日のソ連の【共産主義インターナショナル(コミンテルン)規約】
(Ⅲ)戦時宣伝(虚偽情報の拡散による敵国への打撃及び中立国への誘引を目的とした宣伝工作)
今回は3点の内の(Ⅰ)について少し私見を述べてみたい。
(Ⅰ)の国際法については、日本人の法科目を学んだ人間でも無いと殆どの日本人ないし国際社会の人々も知らないだろう。当方もその範疇に入っていた。
国際法は【法】であることは間違いがないが、ただ主権国家の国内法のように上位権力として構成員の団体及び個人に対する刑法上の警察力(武力)がない。そう言った意味で、【国内法】と同様の【法律】と同じと考える事は出来ない。
国際法と言えば、一般的に判りやすいのが2国間及び複数の国の【合意・相互】の【約束】の取り決めである【条約・協定】などで、【パクタ・スント・セルヴァンダ、pacta sunt servanda】が前提である。
国際法学者の島田征夫氏の『国際法』から少し引用してみる。
《
1 国際法は果たして「法」と言えるか
法とは、たとえば社会生活を維持し統制するために、強制力をもって行われる社会規範であると説明される。
国際法は法ではなくむしろ道徳規範であると主張されたこともあった。現在では国際法が法であることを否定する学者はほとんどいない。
2 国際法の特質は何か
合意の原則(パクタ・スント・セルヴァンダ、pacta sunt servanda)が基本 現在の国内法上、契約自由の原則の妥当範囲は、債権法などその一部に過ぎないが、契約自由の原則のコロラリーである合意の原則は、今日の国際法に於いては国際法の妥当根拠、特に国際法の拘束力を基礎づける意味をもっていりる。つまり、統一的な上位機関が存在しない分権的な国際社会では、合意の原則が国際法全般のいわば公理としてはたらいているのである。
》
憲政史家の倉山満氏の『国際法で読み解く世界史の真実』および『ウェストファリア体制』から、
《主権国家とは、他の何者にも命令されることがない存在です。国際社会は主権国家の対等を前提としています。》
《条約は破られるまでは、法としての推定を受ける(法諺)》
国際法とは対等な主権国家の集合体である国際社会でのその合意形成された【契約の一種】と理解出来る。国際社会のやり取りは【条約】による契約であり、そこでの軍事的紛争は【民事訴訟】での裁判官の存在しない【法廷=戦場】での【争議=戦闘交渉】であると容易に理解出来るはずである。
そして現代の国際法には【国際刑法】が一応存在するが、国際刑事裁判所(ICC、ICC-COP)への引き渡しなどには、米国のように他国との協定を結んで戦闘行為に係わる外交官・軍隊構成員を引き渡さないという条約(通称ハーグ襲撃法)まで存在する。(*1)これから鑑みれば、国際社会は【自由な契約】によってつながった主権国家が【並立する社会】である。
又、国際法学者の島田征夫氏は、論文(*2)の中で戦争犯罪人に触れ《戦争犯罪人とは、戦争犯罪を犯した個人をいう。戦争犯罪とは、狭義のものと広義のものとがある。狭義のものは、慣習法上古くから認められた概念であって、軍隊構成員による交戦法規違反、文民による武力敵対行為、スパイ、戦時叛逆、剰盗などがあり、原則として国内裁判所が管轄権を持つ。》と論文の中で述べられているが、後述するが【犯罪】と記述されるが、現在とWW2以前は異なっている。
1945年のポツダム宣言受諾から54年もの後に1998年に設立された、国際刑事裁判所の第25条の1項から4項のように個人が責任負い刑罰が科される条文が存在するが、戦前には1907年のハーグの陸戦法規に関する条約も1929のジュネーブ条約にも禁止される行為を掲げてはいるものの、違反については、前者は締約国の損害賠償義務を定めるだけであり、後者は話し合い解決を予定しているだけで、個人の犯罪として処罰すべき旨の規定はない。(*3)
【国際法】は、条約いう契約(明文有)と慣習法により成り立っている。慣習法とは、不文律(明文・法典が無い)が特徴で、慣習法となるには、国家間の実行と繰り返しによって、一般的慣行が成立し、法的に確信されたとみなされ、慣習法として認知されるが明文は存在しない。これが【国際法】として国家間に大きなそして重要な拘束的な意味を持っている。成り立ちは、1618年のキリスト教のカトリックとプロテスタントのヨーロッパ全体の紛争とその終結の第一歩となった1644年12月4日のウェストファリア講和会議の開催から1年間の協議の結果が、【慣習】として成立していったことで【慣習法】が生まれたという経緯がある。当時から現在まで《条約は破られるまでは、法としての推定を受ける》という法諺があるぐらい脆いものだが、慣習は繰り返しによる常識のような認識で、ただし、例外的に陸戦法規のように明文化されたものも存在する。国際法における慣習法と認識されていないもので、2国又は複数国での条約が結ばれていないことで国家間および個人が拘束されることがない。当時1930年年代および1940年代の国際法での主権の存在が、慣習では【個人】が対象ではなく集合体としての【国家】であったことは、重要である。
ここで問題になるのは、第二次世界大戦後での勝者である連合国の主にソ連・米国・英国は、「文明国では、ハーグ陸戦法規は、1939年から国際慣習法として確立している。ニュルンベルク条例は、この国際慣習法を確認したものにすぎない」(*4)と勝手に改竄を行ったが、当時の国際慣習法の前提条件のように繰り返し繰り返されたことない【約束事】がWW1以後にあった例が無く、常設裁判所に於いても【戦犯】を裁いたことも無いので、当時の国際慣習ではなかったと素人目でも判る。【陸戦法規に関する条約】の【違反】を根拠に【罪科】が無いものを【罪刑法定主義】という【文明社会の基本】【司法の大原則】を破ったもので、不当・無効とすべきものである。
その【罪刑法定主義】の論理とは、
島田征夫氏の『東京裁判と罪刑法定主義』論文から引用すると
《
罪刑法定主義を表現したと言われるマグナ・カルタ第39条を見てみよう。「いかなる自由民も、同一身分者の合法な裁判にもとづき、かつ、国の法律によるのでなければ、逮捕、監禁、差押、法外放置、国外追放を受け、もしくは、その他の方法によっても侵害されることはなしまた、朕は彼のうえに赴かず、彼のうえに赴かしめることもない。」(大野真義著『罪刑法定主義』)
〈中略〉
1764年についに世に出た。べッカリーアの主張は、当時の時代思潮と著しく異なったため、その公表には幾多の困難がともなっていた。彼は言う。
「法律が成文としてはっきり規定されており、司法官の役目は、ただ国民の行為を審査し、その行為が違法であるか適法であるかを法律の条文に照らして判断することだけになれば、そしてまた、無知な者であろうと、有識者であろうとそのすべての行動を指導する正と不正の規範が、議論の余地のないものであり、単純な事実問題でしかないことになれば、そのときは国民が無数の小圧制者のクビキのために苦しむことはもう見られなくなるだろう。」(べッカリーア『犯罪と刑罰』第4章「法律の解釈」より)
〈中略〉
「法律の勝手な解釈が悪いことである以上、法律の暖昧さについても同じことが言えよう。何故なら、その場合、法律は解釈される必要を生ずるからだ。法律が大衆の言葉で書かれていない場合、この不都合はまたずっと甚だしくなる。法律の条文が大衆には分からない死語で書かれていて、神がかった御宣託のように仰々しくしまいこまれていたのでは、それは一種の家内問答集でしかなくなってしまう。そして国民は自分の財産と自由に関して、とるべき態度を自ら判断することができなくなり、このために法律を解釈することのできる少数の者の従属の下に置かれなければならなくなる。」(べッカリーア『犯罪と刑罰』第5章「法律の暖昧さについて」より)
》
引用あるように、ヨーロッパ中世から近代への移行期における非常に非道・不正・恣意的な裁判の犠牲の歴史から生まれた論理で、例えば、喫煙の害が問題となり禁止の立法がなされ、違反の場合、懲役刑をなす法が立法したとしても、それより以前に喫煙していた人物がその【罪に問われることは無い】という現代の日本人ならごく当たり前のもので、それが【文明国の前提】とされている【法論理】【公理】で、【法の不遡及の原則】などとも呼ばれている【司法の大原則】である。この【罪刑法定主義】は、日本人であるならば、ほとんどの方が理解されている筈である。1764年に『犯罪と刑罰』を表したこのベッカリーアだけではなく、その100年も前にトマス・ホッブスも同様の事を主張して居ることを考えれば、それあらの司法の原則であり、国際法の根底条件と考えるべきなのは明らかである。
また法律の条文が、どんな人間にも判らない様なものであってはならないというのもこの原則であると考えると現代の日本がどうかというと余りに多種多様大量の法律があることで、法律家という専門家でないと分かり得ないようにもなっていることは、仕方がないとは言え前述のベッカリーアの理想とは異なっている現実がある。
国際法と罪刑法定主義の論理を文献などから、はしょって挙げてみたが、国家間の実行と繰り返しによって、一般的慣行が成立し、法的に確信されたとみなされる【慣習法】と【条約】で成り立つ【相互法・合意法(pacta sunt servanda)】である【国際法】、【文明国の前提】として守るべき【法理論】の【罪刑法定主義】を理解した上で、南京城攻略戦について、東京裁判での【南京暴虐事件】、戦後に言われ出した日本の大学や学術界と中華人民共和国の主張による【南京大虐殺】、数は少ないながらも【南京事件】という【虐殺】はあったという主張などの日本軍の【蛮行】とされたものについて、理解すべきである。
第一次世界大戦において、戦犯裁判を特別法廷として戦勝国側が行おうとした試みがあったが、中立国のオランダは【罪刑法定主義】という【司法の原則】を堂々と主張し、戦勝国側の連合国に対して元ドイツ皇帝を引き渡さなかったのみならず、ドイツ政府も、戦勝国側の行為は、単に戦敗国に《敗者として賠償を支払わせ、罪人として刑罰を加えよう》としていることに抗議し、中立国による戦争責任の調査を求めるなどの交渉を行った。そして更にはヴェルサイユ平和条約を受諾するに際して、第227〜230条に署名しえないと留保したことは重要な事である。(*5)
この事から判ることは、日本もふくむ第一次世界大戦の戦勝国側の主張は、ウェストファリア条約(*6)から逸脱し、【文明国】の前提を投げ捨てた野蛮な時代へ回帰した、【行為規範】を【裁判規範】を混同した、戦争と【犯罪】、敵と【犯罪者】を混同したとする倉山満氏の主張に全く頷けるものである。
【陸戦法規慣例規則】を【違反した又は違反の疑惑のあるもの】を【陸戦法規慣例に違反】して【殺傷】したものを何等かの【刑法】で【犯罪】とする【国際法】そして【国際慣例】には存在しない。
そして、後にニュルンベルク裁判と同様に日本軍の行為に於ける【蛮行】を裁いた東京裁判においても、【法】などが無く、それを【法】曲げて【無かった罪を作り出し】たことは明確である。国際法として【刑法】の【戦争犯罪】が成り立っていたことが無く、その様な罪科無きもので裁いた【判決】は【無効】であると判断する。
素人の一私見に過ぎないが、この事は、是非とも理解していただきたいことである。東京裁判においては、その意義を主張されている方々が居られるがそのことと、罪無き罪、無実の罪で裁いたこととは何の関係も無い問題の事実から目を背けた卑劣で・薄汚い・無責任極まる・卑怯なすり替えというものである。
当方のつたないテキストではおそらく判り辛いかと考えるので、別して【国際法】について次の文献・論文を読まれることをお薦めする。
- 倉山満著『国際法で読み解く世界史の真実』 PHP新書 2016年11月15日
- 倉山満著 『ウェストファリア体制 天才グロティウスに学ぶ「人殺し」と平和の法』 PHP新書 2019年11月16日
- 島田征夫著『国際法 全訂補正版(法律学講義シリーズ)』 弘文堂 全訂補正版 2011年3月25日
- 島田征夫著『東京裁判と罪刑法定主義』(論文)
- 多谷千香子著『戦争犯罪と法』 岩波書店 2006年12月5日
- 西村智朗著 『国際法の学び方』 2018年1月31日
- ラオウル・ヴァレンベルグ人権人道法研究所 『法の支配 政治家のためのガイド』 ヒューマンライツ・アンド・ヒューマンロウ 2012年
【参照・参考文献・論文・サイト】
(*1)多谷千香子著『戦争犯罪と法』 岩波書店 2006年12月5日
P.55 2行目
(3)アメリカのICCの対策法
(i)「ハーグ襲撃法」
アメリカは、ICC発行に備えて、American Servicemembers Protection Act od 2002 を、2002年1月23日に制定した。これは「ハーグ襲撃法」とあだ名され、「アメリカは、ハーグの拘置所からアメリカ人を奪還するため、直接的な武力行使に訴えるつもりなのか」とオランダの人々を驚かせた。
アメリカは、そのようなことを考えているわけではないと説明しており、同法の内容は、以下のとおりである。
①アメリカがICCと協力するのを禁止する。協力とは、例えば、連邦裁判所をはじめとする合衆国及び州の政府機関が、ICCの協力要請に応じて、捜査・引き渡し・秘密情報の提供・調査回答などをすることである。ただし、後に、ICCがアメリカの敵国についての事件を扱っているときには、協力することが出来るように改正された。
②アメリカ軍人などがICCに身柄を拘束されているときには、その身柄を自由にするため、すべての必要かつ適切な手段を行使する権限(筆者注:ハーグ襲撃法とあだ名される所以であるが、明文では「すべて必要かつ適切な手段 all means necesasary and appropriate」になっていて、軍事的手段とは書かれていない)を大統領に付与する。
③NATO諸国、その他の同盟国、及びアメリカ国民をICCに引き渡さない旨の98条合意(後述)を締結した国を除いて、ICC締結国には軍事援助しない。
(ⅱ)98条合意=アメリカ人不引渡しの合意
アメリカは、SC決議1422 及びハーグ襲撃法に念をおすように、ICC締結国となった各国に大使を派遣し、いやしくもアメリカ人をICCに引き渡すことがないよう、合意をとりつけようとしている。
なお、ICC Statute 98条は、免責特権を有する外交使節の引き渡しを禁じる国際法上の義務に背くこと、又はその他の条約上の義務に背くことを被要請国に強いることになるときは、ICCは引き渡し要請をしない旨、規定している。同条は、軍人の地位協定、外交使節についての合意、犯罪人引き渡し条約に言及したもので、これらの目的にのみ使うことができ、一般的にある国の国民(例えば、アメリカ人)をICCに引き渡すことを禁じるためには使えない。したがって、98条合意は、Icc Statute 98条に沿うものではないが、形式的文言を借りているため、そのように呼ばれる。
98条合意は、アメリカも98漏斗井野相手国に対して同様の義務を負う双務的な場合もあるが、片務的合意もある。98条合意の締結方法は、98条合意を結ばなければ、軍事援助及び経済援助をストップするという強引なものである。
なお、98条合意の要点は、以下の通りである。
①アメリカの現役又は軍人・役人、アメリカに雇われた人(外国人をふくむ)、アメリカ人を、ICCに引き渡すことを禁じる。
②引き渡さなかった場合、アメリカ国内での捜査・訴追は、必ずしも義務ではない。
(*2)島田征夫著『東京裁判と罪刑法定主義』(論文) https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=3&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwix85nXwpbmAhVKfd4KHWkRBXYQFjACegQIAhAC&url=https%3A%2F%2Fwww.waseda.jp%2Fprj-wipss%2FShakaiAnzenSeisakuKenkyujoKiyo_01_Shimada.pdf&usg=AOvVaw03TUFv9zrqiNpIzHlrTvPn
(*3)多谷千香子著『戦争犯罪と法』(2006年12月5日)岩波書店(2006年12月5日)
P.179 国際刑事裁判所(ICC)設立規定
ローマ規程 25条 個人の刑事責任
1.ICCは、この規定に従って、自然人に対して管轄権を有する。
2.ICCの管轄に属する犯罪を犯したものは、この規定に従って、個人として責任を負い、刑罰を科される。
3.人は、次の行為を行った場合には、この規定に従って、ICCに属する犯罪について刑事責任を負い、刑罰を科される。
4.個人の刑事責任に係る本規定のいかなる条項も、国際法の下での国家の責任に影響を与えるものではない。
外務省 国際刑事裁判所 条文 P.32 12行目より
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/treaty166_1.pdf
(*4)多谷千香子著『戦争犯罪と法』(2006年12月5日)岩波書店(2006年12月5日)
P.65/6行目 第3節 伝統的な戦争犯罪
ハーグ陸戦法規で禁止される行為は、1907年に同条約ができて初めて国際的に禁止行為として認知されたものではなく、それ以前から国際慣行として守られてきた戦争のルール及び国際人道法に違反する行為であった。つまり、条約は、ルールの新設ではなく、慣行の確認にすぎなかったが、条約が締結されて処罰するようになった。この時点では他国の裁判所や国際的な刑事裁判所が、世界管轄のもとに戦犯を処罰することはなかったが、ニュルンベルク裁判では、「文明国では、ハーグ陸戦法規は、(筆者注:個人の犯罪として処罰することが)1939年から(筆者注:第二次世界大戦開戦当時から)国際慣習法として確立している。ニュルンベルグ条例は、ここ国際慣習法を確認したものにすぎない」とされ、国際的な刑事裁判所であるニュルンベルク裁判所で戦犯を処罰するために適用された。
(*5)藤田久一著『戦争犯罪とは何か』
P.60 Ⅱあらたな戦争犯罪の観の模索=>4.カイゼルの刑事責任をめぐる議論
オランダによる引き渡し拒否
一九二〇年一月一六日、平和会議事務総長はクレマンソーの署名した前ドイツ皇帝の引き渡しを求める書簡をオランダの大臣に送った。そのなかでつぎのようにいう。
オランダ政府は、国際法のもっとも神聖な規則の系統的無視のような国際条約の計画的違反のため、最高の地位にある者をふくむすべての者に対して、平和会議の定めた特別の制裁を認めることをはっきり要求する、取り消しえない事由に関与している。諸国は、多数の犯罪のなかから要約的に、ベルギーおよびルクセンブルグの中立の破廉恥な違反、野蛮かつ冷酷な人質制度、大量追放、リールの少女たちを誘拐し、家族から奪い去ったこと、軍事的利益のない全領域の系統的荒廃、大洋での犠牲者の非人道的放棄をふくむ無制限潜水艦戦、ドイツ当局によって戦争法を無視しておこなわれた非戦闘員に対する無数の行為などを想起する。これらすべての行為から、少なくとも道義的責任は、それらを命じまたは人の良心のもっとも神聖な規則に違反しまたは違反させるためにその全権限を濫用した最高責任者にまでさかのぼる。……オランダは、犯された犯罪を追求しまたは少なくともその処罰を妨げないために、その手段のかぎりで、他の諸国と協力することを拒否するならば、その国際義務をはたしていないことになろう。
〈中略〉
ドイツの異議申し立て
また、ドイツ政府はヴェルサイユ平和条約のこれらの刑罰規定にくりかえし異義を申し立てていた。すでに一九一九年五月七日のドイツ外相ブロックドルフ・ランツァウ伯の演説は、戦勝国が戦敗国に「敗者として賠償を支払わせ、罪人として刑罰を加えよう」としていることに抗議していた。さらに、いくつかの覚書で、中立国による戦争責任の調査を求めた。そして二九日の覚書に付けられた陳情書で、二二七条に規定してある特別裁判所は国際法上何の法的根拠もなく、例外的裁判所というべきものであって、遡及的効力を有する例外的法律を適用しようとするものであるとして、異義を申し立てた。
結局ドイツ政府は、平和条約を受諾するに際して、二二七〜二三〇条に署名しえないと留保したのである。
大蔵省印刷局編【官報】大正9年 1920年01月10日
ヴェルサイユ平和条約 1919年 227条〜230条
【国立国会図書館アーカイブ】 コマ番35 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2954341/35
レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000148826
(*6)倉山満著 『ウェストファリア体制 天才グロティウスに学ぶ「人殺し」と平和の法』 PHP新書 2019年11月16日
P.116 10行目 両者を敵に回す力がないと仲裁は出来ない
最終的にミュンスター条約とオスナブリュック条約となります。この二つの条約を合わせたものが、ウェストファリア条約です。
ヴェストファーレン条約(ヴェストファーレンじょうやく、羅: Pax Westphalica、独: Westfälischer Friede、英: Peace of Westphalia)は、1648年に締結された三十年戦争の講和条約で、ミュンスター講和条約とオスナブリュック講和条約の総称である[1]。ラテン語読みでウェストファリア条約とも呼ばれる。近代における国際法発展の端緒となり、近代国際法の元祖ともいうべき条約である。
この条約によって、ヨーロッパにおいて30年間続いたカトリックとプロテスタントによる宗教戦争は終止符が打たれ、条約締結国は相互の領土を尊重し内政への干渉を控えることを約し、新たなヨーロッパの秩序が形成されるに至った。この秩序を「ヴェストファーレン体制」ともいう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E6%9D%A1%E7%B4%84