当時は、演出の方法にも「気合い」が入っていた。
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松方 深作監督の演出は独特でしたよね。あるとき、「おまえら全員、今日は家に帰さないからな」と言い出し、朝方まで役者たちと一緒に京都・祇園の街を飲み歩いた。
梅宮 でもそれには隠された狙いがあった。
松方 そう、役者たちの目を血走らせるためでした。その上で。抗争入り直前の緊迫したシーンを撮ったんです。
梅宮 役者たちも気持ちが入っていたから、みんな深作演出に従ったな。
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しかし、徐々にヤクザ映画は衰退へ向かっていく。梅宮さん自身も『前略、おふくろ様』(日本テレビ、’75年~’77年)、『はぐれ刑事純情派』(テレビ朝日、’88年~’09年)といったテレビへの出演が増えていく。その時の空気を梅宮さんはどのように見ていたのか。
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松方 分岐点となったのは、健さんと文ちゃんが共演した’73年の『山口組三代目』(山下耕作監督)でしょう。2作目も作られ、ともに大ヒットしましたが、3作目の政策は警察の圧力で中止になった。
梅宮 当時、映画館から出てきた観客はそろって肩を怒らせ、風を切って歩いていた。これが警察のカンに障ったようだ。『仁義なき戦い』の登場人物は大半が殺されるか不幸な末路をたどったように、別に映画でヤクザを礼賛していたわけじゃないんだけど、警察としてはヤクザを主人公とする映画が気にくわなかったらしい。
松方 この頃から警察側がヤクザ映画の脚本の事前提出を求めるようになった。いわば検閲が始まり、本当にやりにくくなりましたね。
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