2019年12月13日

Erin@反ミソジニー 自分語り

自分はツイッターでフェミニストを名乗ったことはない。
フェミニストを名乗ることが適切と確信できなかったので、
確信を持って言えることとして反ミソジニーを表明していた。

※現在はGCFを支持しているが、だからGCフェミニストか、というと、よくわからない。

反ミソジニーと表明していたのは、
反に抵抗・反撃の含意があったからで、
それは自分の主張のかなりの部分を占めていて確かにそうなんだけど、

ただ、動機になっているのが体感に基づいた、
「善意の信頼を裏切られた」への感情であると思われ、
通奏低音のようにいつもそれが流れていた、

と、その自覚はあったものの、

自分が怒るのは本当にいつもそれなんだなぁ、と、
今改めて思っている。

自分で言うのもなんだが、
自分は善意を信じたい人間だ。
だから、善意で人を信用する(ことを選ぶ)。

だから、その善意の信頼を裏切られた時に、
落胆し、失望し、
こちらからの好意が大きければその分、
裏切りに傷つけられるし、怒りも大きい。

Erin @反ミソジニー かつ
Erin @反善意に裏切り というところかなぁ。

字面でなんだか私怨ダダ漏らしに見えるかもしれないけど、
清教徒を助けたインディアンを結局白人が迫害し虐殺したことへの憤り
も同じ意味ですよ。

自分は「この私に」酷いことをした、ということはSNSでほぼ問題にしていなくて、
「酷いことをするその人、その集団」を批判していると思うのね。

自分がされた攻撃に、不当だ、ということはきっちり表明するけど、
そんなん当たり前の話で、

こちらを称して私怨とか私憤とか言う人が、なんかすごく的外れなのね。
何を言ってんのかなぁーーーという感じ。

あと、さびしい人とかねたんでる人とかにして貶めたい人って
「フェミはブスBBAの嫉妬」にしたがるゴミソとまったく同じ発想なのね。

また逆に、満ち足りている人が反ミソジニーを人任せにしているとしたら、
いや恵まれている人こそ他者のために働きなさいよ、という話にならない?
大富豪なら寄付しなよ、社会を動かしなよ、という。

ツイッターでかなり親しくしていた人もいるけど、
自分は党派を結成するタイプじゃないんだな。

妥協を許さないから、という見方がありそうだけど、
妥協の話じゃなくてさ・・・

仲良しさんたちが一向に見ないものがくっきり見えちゃうから、言うじゃん?
そうすると仲良しさんたちが
「ワレワレの楽しいぬるま湯に冷や水入れやがって!」と怒るわけ。

いや冷や水かどうかよりもさぁ・・・
「そのぬるま湯が」汚染されてますよ、毒が入ってますよ、出たら?
と言ってるわけ。

でも「ワレワレの楽しいぬるま湯が毒だなんて!」とまた怒るわけ。

うーん、しょうもない人たちでも、毒に浸かってるのを放置すべきとも思えなくて、
自分はつい善意で(マジよw)言うんだけど。

それに、毒入りぬるま湯に浸かっているのがその人たちだけならいいんだけど、
毒入りの湯気を他の人にも吸わせるじゃん?

だからその毒入りぬるま湯やめぇや、移動しようや、と言うの。

そうしているうちに、「あいつが毒を入れた!」と指差されるの。

ええええええええ。

カサンドラ状態ですわ。

こちらを信じてくれる人もいるから完全なカサンドラではないんだけど、
「あいつが!あいつが毒を!」の声とともに石つぶてが飛んでくるのを、どうしたらいいのかなぁ。


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posted by Erin at 00:00| Comment(0) | 反ミソジニー・連帯 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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