旭化成より特許が4年早かった三洋電機の謎を追う
リチウムイオン電池の黒鉛負極を開発したのにあまり知られていないのはなぜなのか
高橋真理子 朝日新聞 科学コーディネーター

ノーベル賞授賞式でカール16世グスタフ国王からノーベル化学賞のメダルと賞状を授与される吉野彰・旭化成名誉フェロー=2019年12月10日、ストックホルムのコンサートホール、代表撮影
旭化成の吉野彰さんが12月10日、スウェーデン・ストックホルムで晴れ舞台に立った。米テキサス大のジョン・グッドイナフさん、米ニューヨーク州立大のスタンリー・ウィッティンガムさんとともにリチウムイオン電池開発への貢献が高く評価されてのノーベル化学賞受賞である。
この3人の名前が発表された10月初め、急ぎ特許について調べた私は、旭化成よりも4年早く三洋電機が特許を出願していたことを知った。世界で最初に商品化したのはソニーであるとか、グッドイナフさんの研究室で正極を開発したのは東芝の水島公一さんだったといった情報は吉野さんの受賞決定とともに広く報じられたが、三洋電機の名はとんと報道されなかった。なぜなのだろうか?という素朴な疑問を解くのが、この記事のミッションである。
2011年にパナソニックに吸収されて消滅した三洋電機
まずは当事者に聞こうと思ったが、三洋電機はいまや存在しない。2011年にパナソニックの完全子会社になっている。ウィキペディアによると「グループ10万人超の巨大企業が倒産を経ずに(経営統合で)事実上消滅するという、日本の経済史でも初めてのケース」だった。いま、三洋電機のことを聞くとすれば、窓口はパナソニックの広報になる。
質問は一つ。「なぜ三洋電機のリチウムイオン電池の特許は話題にならないのか」。電話に出た広報の女性は、親切にも社内の電池の専門家に問い合わせてくれた。だが、「なにぶん昔の話であり、事情がわかる者はいなかった」という、考えてみれば「当然」の答えが返ってきただけだった。
私が特許についての情報を得たのは、特許庁が2010年4月に出した「特許出願技術動向調査報告書リチウムイオン電池」からである。そこの「リチウムイオン電池の注目特許による技術変遷図」を見ると、1981年に三洋電機が「黒鉛層間化合物を負極活物質とするリチウムイオン電池」という特許を、1985年に旭化成が「層状構造の複合酸化物正極/炭素負極の非水系二次電池」という特許を出願している。これに先立ち、1979年に英国原子力公社が特許を出願しているが、これは当時英国のオックスフォード大学で研究していたグッドイナフさんの研究成果である。
黒鉛とは、ご存じのように鉛筆の芯の材料で、炭素の結晶が層状に重なったものだ。要するに、負極の材料は三洋も旭化成も同じ炭素ではないか、と私は思った。
ノーベル財団の発表資料の説明に三洋電機は出てこない

ノーベル化学賞の授賞式に臨む(右から)吉野彰・旭化成名誉フェロー、米ニューヨーク州立大のスタンリー・ウィッティンガム特別教授、米テキサス大のジョン・グッドイナフ教授=2019年12月10日、ストックホルムのコンサートホール、代表撮影
ノーベル財団の発表資料によると、石油会社エクソンの研究員だったウィッティンガムさんは、石油危機を乗り越えるべく新しい超伝導物質を探そうと「インターカレーション」と呼ばれる現象を調べていた。これは結晶の隙間に元素が出入りする可逆反応を指す。調べているうちに、この可逆反応は充電可能な電池をつくるのに使えると気づいた。そして、負極に金属リチウム、正極に二硫化チタンを使う電池を作った。ところが、使っていると負極からリチウムのとげが伸びてきてしまい、それが正極に届くと発火したり爆発したりするという難点があった。これでは商品にならない。1973年に特許は出したものの、石油危機が去るとエクソンは研究を打ち切った。
それを引き継いだ形になったのがグッドイナフさんで、正極をリチウムコバルト酸化物に変えることで、得られる電圧が2Vから4Vへ倍増することを発見した。
そして、吉野さんが負極に石油コークスを使うとうまくいくことを発見し、安全で軽い商品化可能なリチウムイオン電池を世界で初めて作った、というのがノーベル財団の説明である。

ノーベル財団による説明を簡略化した図
発明協会の「イノベーションに至る経緯」には登場
日本の発明協会がまとめた「戦後日本のイノベーション100選」にある「リチウムイオン電池」の「概要」でも、グッドイナフさんと水島さんにより正極にリチウムコバルト酸化物が利用できることが発見され、次いで旭化成の吉野さんらが負極に炭素材料を使って「現在のリチウム二次電池の基礎を確立した」とある。ここにも三洋電機は出てこない。