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最近思うこと150622
1.さて最近思うことを順不同に並べてみたい。
1.第1に、国会の開会期限が9月下旬まで延ばす予定だというがこれは大変よいことだと思う。
平和安全法案への反対派は現在100%デマを飛ばすことを戦術にしている。
このことは朝日も毎日もアカハタも変わらない。
これによって反対派は一時的に法案への国民の多数の反対の世論を作ることに成功したが、何しろ全部ウソで固めた宣伝の結果だから、今後政府を中心に平和安全法とはそもそも何なのか、なぜ必要なのかを国民に分かりやすく全力で訴えていけば、国民世論が変わることは意外と早いと思われる。
だが今のようなペースでやっていてはなかなか大変だと思う。
第2に、そこでどうするかだ。いろいろな方法はあるだろうが、せっかく国会が開かれているのだから、これを最大に活用する必要がある。
そこで、野党の質問に対し、政府は相手を野党と思ってはいけないと思う。相手を普通の国民が素朴に質問しているとみなし、丁寧かつ分かりやすく答えていくのである。
この国会は目いっぱい利用する必要がある。
国民の圧倒的な多数が支持するまで、たとえ通常の審議時間を越えたとしても、また仮に国民の50%が支持するようになってもそこで審議を打ち切ってはならない。
国民の出来たら80-90%が支持するまで徹底的に審議を続けるのだ。
こうなったら、9月下旬まで徹底的に審議を行うことがベストに思えてくる。
また、野党が審議を拒否してサボタージュを始めたら、与党だけでもTV中継を入れて徹底的にお昼時間を使ったり最も国民が見るであろう可能性の強い時間を使って、徹底的に質疑応答を繰り返し、どこまでも何回でもこの法案の必要性を国民の頭に叩き込んで行くのだ。
1.世論調査などを見ると、国民の多くは「良く分からない」「分かりやすく説明して欲しい」と言う意見と思われる。
だから、野党が国会をサボタージュして街頭宣伝に飛び出したとしても、その時間に国会でこの問題が審議されていると聞けば、国民の多くは国会中継のほうを見ると思う。
なぜなら、国民の多くはすでに野党・反対派の意見は頭に入っているからである。
1.これまでのこの一種の政治闘争を通じ、野党は反対の世論を盛り上げたが、それはすべてデマに基づくものだった。野党は国民に対する責任感も国を守っていくための現実感覚も全て失ったのである。
一方で国民は、政権が真剣に何かをやろうとしていることは感じた。だがそれがいいものか悪いものかが良く分からない。
そして何か大きな変化が生まれるのではないか、それが現状よりも悪いものであって欲しくないと望んでいる。
劇の展開としては大変に良い展開である。条件は整った。今、国民は政権の声に耳を傾けなければならないと考えるに至った。この条件を、まれにしか訪れない条件を勝ち取ったのである。
今こそ国民に訴えかける時である。
1.くりかえすが、相手を野党と思ってはならない。今まさに訴えかけねばならない国民がいると考えるのだ。
そう思って答弁していくことが一番の国民に理解を得る早道なのである。
民主党・社民党・生活党などはいずれにせよなくなっていく政党である。
こう言う連中が暴力などで国会を混乱させていることは許せないことであり、平和安全法の問題が終わったら、私はけじめをきちんとつけなければならないと考える。
したがって懲戒処分などで解決するのではなく、非合法化すべきだというのが私の意見である。
しかしこれらはいずれにしてもなくなっていく存在なのだから、今むきになって問題にすることは全くないのだ。
また共産党も昔と内容が変化しており、アカハタで言っていることはほぼデマだけだ。
共産党は組織作りに力を入れる。このためしばらくは存在は残るが、遅かれ早かれ消滅することは間違いない。
私はかつて日本共産党のファンだったこともある。ここまで彼らが変質することは本当に信じられないことである。
1.さて、そのほか思うことは。
わたしは数日前から朝日・週刊現代・日刊ゲンダイ・週刊ポストに目を通すことをやめた。
私は新聞を取ってはいないのだが(朝日新聞を我が家は大正時代から取っていたのだが、やめて1年くらいたつ)、インターネットで東京の6大新聞の社説だけは題名だけでも目を通そうとこれまでしてきたが、朝日についてはやめた。
デマだけで、しかも勉強になる内容も一切ないからである。
週刊現代・アエラ・週刊ポスト・週刊朝日も毎週チェックしてきたがやめた。
今後は週刊新潮と週刊文春だけはチェックしようと思う。
サンデー毎日もたぶん見るのを止めるだろう。
日刊ゲンダイも毎日チェックしていたが、やめた。ただ、小林節氏が「自民党よ、私の反論を聞きなさい」と言う平和安全法に反対する連載記事を書いているため、そこだけは反論記事を書くため読み、その連載が終わったらもう読まないことにする。
またTV朝日の報ステはもう基本的に見るのをやめたのだが、食事時間と重なるため時々見てしまい、見ると連続してみたくなることがある。
そこで一切縁を切る決心をした。
またTBSのニュース23もたまに見ていたがもうたぶん見ることはないのではないか。
これらは全て内容がウソで固められており、見てもまったく勉強にならず得るものがないものである。頭が馬鹿になるだけ損だ。
また、いずれにせよ遅かれ早かれ無くなってしまうものである。
こう言うものもチェックする人間の必要はあり、デタラメな放送を批判する専門家も必要だろうが、一般人にとっては全く必要ないものである。多くの方々も私を見習ってこれらはもう見ないし読まないと決められるのが最も賢いことを訴えておきたい。
1.さて、当ブログの今後の方針であるが、さっきも言った小林節氏の「自民党よ、私の反論を聞きなさい」と言う平和安全法に反対する連載記事への反論を書きたいのだが、小林氏が第9回目を書いたきり、続編がなかなか出てこない。
そこで「蹇々録(けんけんろく)」講義の続編を書こうと思ったが、最近この必要性が余りなくなってきたように感じる。
そもそも戦後70年談話に、中韓との平和外交なども必要であるため、出来たら安倍総理にかつての戦前日本の中韓への侵略や植民地支配への反省の言葉を書いてもらいたくて始めたことである。
だが、今日においては中国との関係が強化できない決定的な原因は日本政府に過去への反省が不足していることが原因ではなく、それらを口実に中国自身が我が国を侵略し、またもっと侵略して我が国を植民地にしようと狙っているところに最大の、そして真の原因があるのである。
また韓国についても、今となっては日本側の態度よりも韓国側の方がもっと悪いかもしれないのだ。
したがって過去の問題はこうなったら小さい問題である。どうでもいいことだと私は考える。
もちろん、安倍総理が本心からそれらに反省の言葉を入れるならばすばらしいことだが、いずれにしても一番肝心なことは、外交上どのような不利を招こうと、安倍総理は本心から自ら信じることを、それだけを語っていただきたいということだけである。
また靖国参拝についても私は思想信条の自由・信教の自由を100%支持する。したがって個人としていきたいならば行かれるのがよいであろう。
私はどんな宗教であろうとその自由を100%支持する。同時に日蓮仏教以外のものと今後も戦うことをやめない。
「天に向かってつばを吐け」と言う主張の宗教はあっていい。だたし「そうしないことは自分たちの宗教への侮辱だ、たとえ外国人であろうと、天に向かってつばをはかないことで自分たちを侮辱する人間は必ず殺す」というものでないかぎりは宗教の自由は認められるべきだ。
1.さて、したがって「蹇々録(けんけんろく)」講義の続編を書く意味もなくなってきたと感じる。
そこで、これまで書いたことで読者の方々にこの本への大きな興味は引き起こすことに成功できたのではないかと思うので、これでしばらく休止にしたい。
わたしはそもそも、こう言う優れた古典的な本については、できるだけ内容を読者自身が読むべきであり、紹介者は紹介しすぎてはならないと言う考えだ。
人々は自分で苦労して読むべきだ。だから感動が大きくなるのである。楽なコースによって真に感動することはありえない。紹介者は人々が感動を味わうことの邪魔をしてはならない。
将来、また続編を書きたいと思うことがあるかもしれない(すぐにそうなるかもしれない)。
それまで休止とさせていただく。
そもそも平和安全法案の審議中にこの内容が余りマッチしないようにも思ったわけだ。
1.さて、ISIS事件以後、私は何かに取り付かれたように書きまくってきたが、ようやく肩から荷物を下ろしたい気になっている。
しばらくゆっくりしてリフレッシュし、また新たな気持ちでこのブログに取り掛かりたい。
と言うわけで今後は記事を書く回数を減らし、毎日ではなく週に2回程度に減らそうかなと思っている。若しかしたら週一回になるかも知れない。
小林節氏の「自民党よ、私の反論を聞きなさい」と言う連載記事が再開したら、私もすぐに反論記事を書くつもりである。
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