保阪正康
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保阪正康作家

1939年、北海道生まれ。同志社大卒。編集者を経て「死なう団事件」でデビュー。「昭和天皇 」など著書多数。2004年、一連の昭和史研究で菊池寛賞。

吉田茂は日米安保が日本社会で問題になることを知っていた

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 したがってこの条約にはアメリカ側がダレス、アチソン、それに議会を代表して2人の上院議員が調印したが、日本側は吉田ひとりであった。吉田がなぜこの条約に不安を抱いたかは今も十分に解明されているとはいえない。

 占領期間中、日本が国家主権を失った状態で、占領軍は一方的に日本を占領できた。あるいはここを基地にするから日本人は出て行けと強圧的に命令することができた。しかし独立国となったらそのような行為は主権の侵害そのものである。日米安保条約は、日本の防衛をアメリカに託す以上、基地の提供などの便宜を図らなければならない。それは占領期の継続を意味することであった。吉田はその屈辱を歴史的に自分が引き受けようと覚悟したといえる。

 もうひとつ、吉田の心中の不安を書いておきたい。日本は昭和7年に傀儡国家の満州を建国したとき日満議定書を結ばせ、満州をその支配下に置いた。この議定書の骨子は「日満共同防衛」のために日本軍が自由に満州に駐留できるという条約でもあった。日米安保条約はこの議定書と同じではないか、との批判を吉田は恐れたといってもよかった。独立国の面子が根本から崩れるとの不安が、外交官出身だけに強かったのであろう。  =つづく

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