彼女はベビーカー押してる女性を世の中の主流みたいな顔して歩いてると言い募ったり、公共の場での化粧にやたら厳しかったりしたし、ミソジニー的な部分が割と強かったように思う。
天皇パレードに沸く右翼のことも批判していたけれど、自身のその感覚について私は果たして中立なのかと自分に問いかけていたのも読んだ。
自分の政治的スタンスについて深く掘り下げようとしない人だったから、全方位を公平に叩くということをしようとして、現在生きていたらマイノリティ叩きに手を染めていたのではないか、そうかもしれないし軌道修正してたかもしれないけど。
とりあえず著作を読んでいてもフェミニズム嫌いだということがわかる。メルヘンぽい絵本屋の上の階がフェミ本だらけだったことと、そこの主催の人が昔グラドルで現在フェミニストであるということを昔はオナペットだったのにという言葉で揶揄していて、あと低偏差値の大学の合格発表をわざわざ見に行って反応を観察するという企画も行なっていて、差別する人だなと思って悲しかった。
ナンシー関ってはっきり言って早死にしたのもあって神格化されていて、批判があまりにも少ないと思う。津村記久子とかいとうせいこうとかが絶賛しているのを読んで、好きなのはわかる、すごいのもわかる、でも変なところも偏向もあるよね?って言いたくなることがわたしにはある。
大月隆寛との対談も、いじめで自殺した子供の手記を読んで変な文と言ってこき下ろしたり、とても酷い。というか大月と対談してたこととかもっと批判する人いないのかな、忘れ去られているのかな、あの人新しい教科書をつくる会の人だし、右翼との接点は超あった。
93年生まれだからナンシー関の生きてた時代知らないし、ナンシー関の毒舌がネタとして受け入れられてたの、昔は人権意識だいぶ緩かったんだねと思う。子供の頃、いじめる側だった体験とかも彼女赤裸々に書いてるし。
彼女の著作は全部読んでるし書籍化されてない雑誌記事まで図書館で漁って読みました。今もし生きてたら、映画コラムとか小説レビューとか日常エッセイ、小説、あと記憶スケッチアカデミーの方面で頑張って欲しい…バンド組んでみた、とかベランダに鳩が住み着いたとか、家族の中でしか伝わらない言葉についてとか、そういうこと書いても文才が凄まじかったから。大ファンだけど全面的に肯定はできないし、したら危ない。影響受けるなら彼女のことすら批判しながら認識をアップデートしないといけない。自戒を込めて。