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衛宮邸の前に着いた時には、とうに日は沈んでいた。 俺は玄関の引き扉に手を掛ける。鍵は空いていて、するりと扉は動いた。 「……あ―――」 玄関に入って直ぐ、向こうの廊下に桜がいた。 エプロン姿の桜は驚いたらしく、短い半音を上げて少し固まっていた。 しかし、入ってきたのが家主の俺であると気づくと、すぐに見慣れたいつもの笑顔で微笑んだ。 「お帰りなさい、先輩」 「あ、ああ……、ただいま、桜」 ……そういえば、こんな感じだったな。 聖杯戦争という名の忙事で忘れかけていた、俺の日常がそこにあった。 目の前にいるのは、紛れも無い『間桐桜』。 後輩で、年下で、妹分の…… 異界に足を踏み入れてから、まだ丸一日経っていない。 そんなに昔のことでもないのに、こうして桜の顔を見て話をするのは、随分と久しぶりのような気がする。 さっきの川べりの道で姿を見かけた気がしたのは、どうやら俺の幻覚だったみたいだ。 ちなみにハサンはというと、 ―――さりげに隙を見て屋内に入り込み、天井に張り付いて俺たちを観察していた。 Faceless token. 09 / Trump 事前に打ち合わせていたわけじゃない。 だが、桜に見つかるまいとするぐらいの矜持はあるようで、ハサンはすぐに姿を消した。 今では見える俺の範囲に居らず、気配さえも感じない。 探したところで見つからないだろう。 だが、きっと手が届く程度に近いところで護衛している。 家の中でも隠れなきゃならないのは少し可哀相だと思うが、いちいち指示しなくても常識的な行動を取ってくれるのは助かる。 このぶんだと大丈夫そうだ。 少なくとも桜たちが帰宅するまで、俺は放っておくことにする。 「―――それにしても、先輩、ずいぶん遅かったですね。今まで、どこに行っていたんですか?」 俺の横に並んだ桜が、そんな、ちょっと拗ねたような調子で訊いてきた。 そういえば、日中弓道場へ赴いた際、俺は二人に声をかけずに抜け出したままだった。 一応、主将である美綴に「帰る」と伝えるように頼みはしたものの、説明なく出て行った事実に変わりはない。 「すまない。ちょっと用事があったんだ」 俺は謝罪し、質問に答える。 「用事って何ですか?」 「ああ、実は人に会う予定があって―――」 と、切り出した途中で、俺はしまったと思った。 当然、桜は次に「誰と?」と訊ね返してくる。 当然、本当のことは話せない。 教会の神父に会って、そのあと遠坂に追い掛けられていた、とは。 前者も謎すぎて問題だが、後者も口に出すのは憚れる。 脳裏にあかいあくまの姿が浮かんでは消え、俺を脅迫するのだ。 仕方なく、とっさに、 「い、一成だよ。一成と会って来たんだ」 と、言った。 思い返すに、俺は交友関係が狭い。表面的な付き合いは除いて。 で、当り障りのない人物を検索し、出てきた名前がソレだった。 「柳洞先輩ですか? 生徒会長の」 「そうなんだ。備品の修理を頼まれて、それで、どうしても抜け出さなきゃならなかったんだ」 すらすらと嘘が出てくる。ほんのり罪悪感。 「そんな、会長だからって横暴すぎますっ! だって日曜日ですよ?」 遠坂ほどの迫力はなく、どちらかというとかわいいと形容されるような感じだが、桜は真面目にぷんすか怒った。 ……すまん、一成 ――― おまえ、桜の中で悪者になってしまった。 「だいたい先輩も先輩です! 優しいのは先輩の魅力ですが……限度というものがあります。 無茶な注文にはちゃんと断ってくださいね。あんまり張り詰めてると、体壊しちゃいますよっ」 ……そして叱られる俺。黙って頷くしかあるまい。 しかし、桜も言うようになった。 最初に家に来た時は大人しくて、伏し目がちな女の子だったのに、と、感慨に耽る。 藤ねえの影響? 将来、あんなふうに虎化するなんてことは…………ないよな、うん。 藤ねえと違って、桜には家事スキルがある。 桜の兄である慎二を訪ね、何度か遊びに行った時に確認した間桐の家は大豪邸だった。間桐は地元の名士というやつなのである。 そういう環境で育った所為か、初期型桜には浅い知識すらなかったのだけれど、代わりにヤル気があった。 そんなこんなで早一年半が経過し、料理の腕は師匠である俺を追い抜き追い越せというところまで来ていた。 和食はまだ俺の方に積日の長があるが、洋食に至っては―――と、そこで思い出した。 「そうだ、夕飯! まだ準備もしてなかっっった!」 「あ、それなら今わたしが作ってますよ。あと、もうちょっとで完成です」 と、桜は事も無げに言った。 うっ、そういえば、奥から旨そうなメシの匂いがする。愛用のエプロン姿だし、確定だろう。 「 この前決めたローテだと、今日の当番は俺じゃなかったっけ?」 「はい。ですが、先輩、遅くなりそうだったから、わたしが作っちゃいました。 冷蔵庫に挽き肉が余っていたので、今夜の主菜はハンバーグしたんですけど、それでいいですよね?」 何が嬉しいのか、にっこりと頬を染めて、桜は俺に同意を求めてきた。 「ああ、それは構わないけど―――ごめんな、夕飯の支度やらせちゃって」 「いえ、わたし、料理するの好きなんですよ。知りませんでした? おいしいって食べてくれると、幸せな気分になれるんです」 ふふっと笑って、桜はそんな、新婚ホヤホヤの若奥さんみたいなことを言った。 「………………」 「……? 急に黙っちゃって、どうしました?先輩」 落ち着け、俺。自分の心の声に照れてどうする。 桜はキレイになった。本当に。 何気ない仕草や上目遣いで覗き込んでくる顔が、時折、やけにキレイに見えてしまって、目のやり場に困ることがしばしば。 一つ歳上なだけな俺が言うのもなんだが、ついこの間まではまだまだ子供だと思っていたのに、急に大人の女化が進行していた。 そんなことを考えたりしてしまう自分に喝を入れる。 衛宮士郎と間桐桜の関係は、あくまで同じ学校に通う先輩と後輩にすぎない。 さらに言えば友人の妹であり、よそさまの家の大事な預かりものなのである。 「そ、そういえば、まだ夕飯の支度が途中じゃないのか?」 何となく後ろめたさを感じて、誤魔化すように訊いた。 「あ、そうでしたね。ちゃっちゃと終わらせちゃいます」 「俺も手伝うよ」 台所に向かおうとする桜に歩調を合わせようとしたが、 「いえ、大丈夫です。あと少しですから。先輩は休んでいてください」 止められてしまった。 「でも、全部やらせても悪いし―――盛り付けぐらいは手伝うって」 「でしたら、待ちくたびれて、居間で溶けている藤村先生の相手をしてあげてください」 そう一方的に決めると、桜はぱたぱたと駆けて行った。 うーん。やっぱり楽しそうだな、桜。 俺も家事は嫌いじゃないけど、どちらかといえば、周りが頼りなさすぎて、やむにやむをえずに始めた口だし。 ま、本人がやると言っているのだから任せるか。 食後の洗い物も終わり、俺と桜と藤ねえと三人、居間でまったりとした時間を過ごす。 賑やかしのためだけにつけているテレビは、筋の分からないドラマを流していた。 興味をひくような内容ではなく、唯一、桜だけが時折り画面に目を向けていた。 となれば、暇を持て余した藤ねえが俺に絡んでくる。 「ねー、士郎も食べてようー」 と、手にしたものをぐりぐりと推しつけてきた。 「ヤだ。俺はもう今日のノルマ分は消化したぞ。後は藤ねえが始末しろよ」 主語がない藤ねえの言葉だが、言わんとしていることはイヤでも分かる。 テーブルの上には、食後のデザートと呼ぶには余りある大量のミカンが並べられていた。 そのうち、皮だけになっているのは、まだ数個。 「ノルマって言ったって、たった一日一個でしょー。 腐らせちゃうともったいないんだから、大人しく士郎も食べなさい」 「却下。そんな、食べきれない量のみかんを持ってくる藤ねえが全面的に悪い」 これもまた、俺は素気なく突き返した。 藤ねえは頬をぷくっと膨らませる。 年齢一桁の少女ならともかく、成熟した大人の年齢に達している女性には、その仕草は似合わない。 と、突然、藤ねえはテーブルの上のミカンを一つ鷲掴みした。 そして、手にしたそれを、俺に向かってアンダースローで放り投げる。 「って、何するんだよっ」 投擲されたミカンを受け止めて、俺は当然如く抗議した。 「わーい、士郎が触ったー。手で触ったモノはちゃんと食べなきゃダメだからねー」 小学生かよっ。 というか、そもそも投げた藤ねえが先に触ってるって。 言い掛けたが、勝ち誇った笑顔を見て、どっと気が抜けた。 「やれやれ。わかったよ。食べればいいんだろ、食べれば」 大人しく、ミカンの皮に指を入れることにした。 なにも、ミカンは一個しか食べないとか、年上からの勧められた食物は断るとか、まるで何処かの英雄のような誓いを立てているわけでもないしな。 気分が乗った藤ねえを窘めるのは大変で、このまま口論するのは不毛だった。 一片を口に放り込み、咀嚼する。 やれやれ。 「……ん。桜もミカン食べないか?」 道連れを求めたというのでもないれど、桜が隣で暇そうにしていたので話を振った。 「……え? あ、わたしは、その……、このままだとちょっと―――」 あ、すっかり忘れていた。理由は定かではないが、そういえば桜は生の果物を受け付けないのだった。 冷やしたり、調理されたものなら口にできるので、味がどうとかいう問題ではなく、たぶん「ナマ」というのがダメなんだろう。 「せっかくだから食べてみないか? あんまり変わらんと思うぞ」 食わず嫌いはよくないよな。うん。 「……えっと―――」 「ダメよ、士郎、無理に勧めちゃ。桜ちゃん、食べなくていいからね」 と、訊ねた相手の桜が何か言う前に、藤ねえによって俺の言葉は反故された。 「なんだよ、藤ねえ。教師なのに、好き嫌いを認めていいのか?」 「教師だから言ってるのよ。 こういうのは、体質とか、精神的なものとか、いろいろあるの。だから安易に勧めちゃダメ。体を壊しちゃ、もともこうもないじゃない。 もし桜ちゃんに何かあったら、士郎は責任取れるの? いえ、取らならなきゃダメなのよ」 「―――! わたし、食べますっ!」 「いや、桜、もういいから。ごめんな―――俺がちょっと無神経すぎた」 そんな、顔を青くしながらの宣言では、止めざる得ない。 俺が即座に謝罪、前言撤回をしたことに、藤ねえはうんうんと満足そうに頷いている。 口にした通り、この場は俺が悪い。無神経だった。 藤ねえは普段の姿こそ、マイペースでちゃらんぽらんな人だが、教師・保護者という立場では、きちんとした対応を心得ている。 周りを見てないようでよく見ており、こうして場面では責任感ある年長者の顔を覗かせるのだ。 でなければ、とっくの昔に弟分の地位を返上しているだろう。だいたい俺は、半分、この人に育てられたようなものだしな。 でも、いいと言ったのに、どうして残念そうな顔をしてるんだ? 「桜、そろそろ時間、大丈夫か?」 あれからまた少し経って、壁掛け時計が目に入った俺は言った。 気づくと針は午後十時をまわっている。 幾ら保護者(藤ねえ)同伴といっても、女子高生に許される門限はとうに過ぎていた。 「そうですね。では、そろそろわたしはこれでお暇させてもらいます」 明日から学校ですしね、と、桜は席を立ち、荷物を取りに居間を離れる。 "そうだな。夜も遅いし、このところ物騒だから、家まで送って行って―――" ―――っと、あぶない、あぶない。 立ち上がりかけたところで思い出した。 他でもない。俺が側にいる方が、もっと物騒なことになるのだった。 「藤ねえ―――」 「にゃに?」 「――――――帰れ」 俺はもふもふとミカンを頬張っていた虎に言った。 「藤ねえだって明日、学校だろ。いいかげん帰れ。それから、ついでだから桜を途中まで送ってやってほしい」 「えー。そりゃ帰るけど、桜ちゃんを送るのは士郎がやればいいじゃない。その方が桜ちゃんも喜ぶよ?」 「いや、それは―――」 俺は言い淀んだ。まさか、本当のことを説明するわけにはいかない。 そう。今は聖杯戦争中で、その参加者である俺は、常に命を狙われる立場にある。 自分に危険が及ぶことについては覚悟しているが、他のサーヴァントに出くわして、その隣に桜がいたりなんかしたら洒落にならない。 その時はその時で、必死に庇うつもりであるが、否応なしに巻き込まれることは変わらないし、あっていい事態ではなかった。 遠坂じゃないけど、俺はどうも間が悪いようで、そのつもりがなくても偶然、って可能性は、皆無どころか高いように思うのだ。 さて、何と言い訳しよう。 長年俺を知る身内であるから、下手な嘘では騙されてくれまい。 と、したところで、 「あ、わかった」 「?」 唐突に藤ねえが口を開いた。こくこくと頷いている。 「ふーん、そっかー、そうなんだー」 「何だよ、気持ち悪い。一人で納得したような顔してないで、説明しろよ」 訊くと、藤ねえはにんまりと口端を縦に吊り上げた。 「ふふーん、士郎ってば、桜ちゃんを送るのが恥ずかしいんでしょー」 「なっ!?」 思わず絶句する。 「やっぱり、そうなんだー。夜道を肩並べて歩いてたら、らぶらぶに見えるもんねー。 士郎もようやく桜ちゃんを意識しだしたかー」 「……くっ! どうでもいいだろ、そんなこと!」 言い返せない。本懐ではないが、藤ねえの言葉には相応の真実も含まれてもいるのだ。 桜が成長したからなのか、なんか最近、その姿に目を奪われることが多くなっているのは確か。 たぶん、藤ねえからは顔を真っ赤にしている俺が見えてるに違いない。 「しょうがないなー。今日のところは士郎の顔を立てて、わたしが送ってあげるかー」 「……頼む」 勘違いしてくれるのは助かるのだが、とても悔しい。 「では、今日はこれで―――」 帰る準備が終わったらしい桜が、扉から半身出して一礼した。 「あ、待って、桜ちゃん。わたしも帰るから、近くまで送っていってあげる」 「それは―――」 藤ねえは立ち上がって桜に近づき、手を取った。 「いいの、いいの、桜ちゃんは気にしないで。 ホントは士郎が送ってあげればいいんだけど、この子、照れて駄々こねちゃって、しょうがないよねー。 今日は私が送ってあげるから、それで許してね」 桜は苦笑いしている。 「ほら、桜が困ってるじゃないか。早く行け、バカ虎」 虎呼ばわりしても藤ねえは怒らなかった。 それは精神的余裕があるということ。 逆に言えば、俺の方にそれが無いということでもある。 なんだか気に入らない。 「それじゃ、おやすみなさい、先輩」 「そんじゃね、士郎。ちゃんと戸締りするのよ」 玄関までは見送り、別れの挨拶をする。 「ん。おやすみ、桜。それから藤ねえも。気をつけてな」 屋敷を後にする二人。 変なことを吹き込んでなきゃいいけど。 俺は言いつけ通り戸締りをして、大きく息を吐いた。 うるさいのがいなくなて、屋敷に静寂が戻ってきている。 残されたのは俺だけ。 いや、もう一人いたか。 「なかなか慌しかったようだな」 「まあ、だいたい、いつもこんなもんだよ」 何処から聞こえたか分からないが、たしかに声がしたので、おそらくずっと見ていたであろうハサンに答える。 ――――――さて、先ずは風呂にでも入るか。 … 深夜零時――― 朴訥なる仮初の日常は終焉し、これからは魔術師の時間となる。 俺は土蔵に篭り、日課である魔術鍛錬を始める。 「―――― 意識を内界に向け、俺は身に馴染んだ自己暗示の呪文を呟いた。 この瞬間、背骨に焼けた鉄の棒が埋め込むような感覚が神経を侵し、擬似神経を作り、自らを、魔力を生成する回路と成す。 生まれつきの回路も刻印も持たぬ身ならば必要な行程であり、こうして俺は魔術使いになる。 鉄の棒は身体の奥まで到達し、ようやく肉体の一部として融解した。これで魔力を生成する準備が整う。 「――――基本骨子、解明」 「――――構成材質、解明」 続けて行われるのは、物の構造の解析、および設計図の把握。 親父が称したところの「無駄な才能」は俺の得意分野であり、ここまでは順調に行程が進んだ。 「――――基本骨子、変更」 「――――構成材質、補強」 そして魔力を通す。 対象となるモノの構造を把握し、魔力を通す事で一時的に能力を補強する“強化”の魔術。 俺に出来る唯一のモノを、ここに施行する。 「っ、くっ……!」 耐える。遠くなり消え行く意識を必死に繋ぎ止め、集中する。 強化を施すには、構造を正確に把握し、“空いている透き間”に魔力を通さなければならない。 熟練した魔術師ならばともかく、それは俺にとって何百メートル先の標的を射抜くぐらいの難易度である。ひたすらに遠い。 背骨に通る火の柱が熱を帯び、酸素を絞られた肺が限界まで達した、そのとき、 パキッ 手にした木刀は、乾いた音を立てて砕けた。 「ぁ――――あ、また失敗、か――――」 フルマラソンの直後のように全身汗まみれの俺は、荒い呼吸を整えつつ、そう嘆息する。 今回の失敗の原因。 注ぎ込んだ魔力量が僅かに多かった。それでバランスを崩し、強化どころか破壊を誘発してしまったようだ。 魔術師にとって一番初めの覚悟とは、死を容認する事―――親父はかつて、俺にそう説明した。 死にかけさえすれば上達すると、そんな何処かの宇宙人のような都合のいいことが、現実にあるわけないのは分かっている。 しかし、ちょっとだけ「もしかしたら」と願懸けがあった。 昨日今日と、俺は鍛錬ではない、本物の死地に触れた。 そのことが俺の中で何らかの変革を呼び起こしてはいないかと願っていたのだが―――まあ、結果は無残なものだ。 俺と魔術師だった切嗣との間には血縁はない。 切嗣が十年前の大火災で命を救い、引き取った養子が俺である。 したがって、何代も血を重ねて増やすといわれる回路も刻印も、俺には引き継ぐことはできなかった。 才能はゼロと言い切っても過言ではない。 それでも無理を押し通して魔術を志したのは、正義の味方に憧れたから――― 衛宮士郎は衛宮切嗣の後を継ぐと決めた。 俺みたいなヤツでも一つぐらいは使える魔術があって、それを鍛えていけば、いつか切嗣のようになれるかもしれない。 そう、俺が目指しているのは魔術師ではなく、衛宮切嗣のように誰かを助けて回る、正義の味方。 ゆえに魔術はそこへ至るための手段に他ならず、それは"魔術使い"と呼ぶべきものなのだろう。 昼間の言峰の言葉が突き刺さる。 俺は今まで何をすればいいか分からず、未熟なままでも、自分の出来る範囲で誰かの為になる事するしかなかった。 それが、アレを好む認めるは別として、聖杯戦争を通し、"正義の味方"は具体的な形を持った。 漠然と、闇雲に、日々の鍛錬の中でしか存在しなかった俺の魔術は、必要なモノへと変わった。 八年前、切嗣が俺を弟子にすることをさんざん躊躇ったのは、いつか、こういう日が来るのを予見してのものだったのかもしれない。 マスターだったという、俺が知らない衛宮切嗣。 聖杯戦争の事は勿論、俺は魔術を教われば何らかの争いに関わることになると、親父は知っていたのだ。 でも、それは俺が望んだ道。後戻りなんて出来ない。 未だ人助けとは違う"正義の味方"が何であるのか、肝心なところが不透明のままだが、それでも前に進まなくてはならない。 最早、失敗した魔術を、失敗のままで終わらせる余裕は、俺にはない。 さて、と――― 「―――ハサン、いるんだろ。顔を見せてくれないか?」 どうせ位置はわからないから、真正面を向いたまま声をかける。 すると、空気が動いた。やや斜め前方、暗闇の一角が揺らぎ、影が不確かな質量を帯びる。 ぼんやりと見慣れた白い髑髏面が浮かび上がった。 「よくぞ見抜け賜うたな、士郎殿」 「いや、気配とかは全然わからなかったぞ。ただ、それでもいるだろうって思ったから」 「なるほど」 ハサンは土蔵へ僅かに差し込む月明かりのもとに出る。 「―――して、如何なる要件か」 と、俺に訊ねた。 「ん……大したことじゃないんだ。俺の魔術、見てただろ。それで意見を聞きたいと思って」 魔術失敗の結果、破損した木刀を手に取る。 「さっき俺がやったのは"強化"の魔術。はっきり言えば、これしか知らない。 構造を正確に把握し、そこに魔力を通して、成功すれば硬度強化が得られる、はずだったんだけど――― ―――まあ、見ての通り失敗して、壊れてしまった」 自分で説明していて情けなくなるが、失敗を認めないことには次の成功はない。 「そういうわけで、ぜひハサンの意見を聞きたいんだ。 失敗を落ち込んで終わらせていい状況じゃないし、もし戦力にできるなら、それにこしたことはないからな」 「協力する事については、やぶさかではない―――が、先にも話した通り、わたしの魔術への造詣は浅い。 とても士郎殿の助けになるとは思えぬ。助言したとしても、それはサーヴァント、アサシンとしての言になってしまうが―――」 「ああ、それで構わない。ハサンから見たアドバイスなり、感想なり、とにかく見て思いついた事を教えて欲しい」 正直、俺は行き詰まっていた。 親父が死んでから五年。師を失い、人前で使ってはいけない事情から相談できる相手もなく、鍛錬をたった一人で続けていた。 その間、俺に出来たのはたった一つのことで、それも成長らしい成長はしていないという現実がある。 ハサンとの関係は、俺が 言わばハサンは、切嗣以来、初めて魔術の相談が出来る相手ということになる。 俺にとって、第三者の意見は値千金の価値があった。 それに、魔術に世界に括らずとも、戦闘のプロであるサーヴァントからの評価も気になるところである。 もちろん成功していないのだからそれ以前の問題で、ダメなのは分かっているけど。 「そういうことならば―――」 と、事情を知ったハサンは残骸を観察し、思索に耽る。 なかなか緊張する時間だ。少しして、 「一つ訊くが、士郎殿の魔術の、対象の限界は如何ほどであろうか?」 と、訊いてきた。 「こうした器物以外、例えば対象を人間とした場合でも施術は可能か否か。上限、或いは条件が存在するならば、それを聞きたい」 「ああ、そういうことか。うーん……理屈上じゃ、余程のものでない限り何でも対象になるんじゃないかな。 強化が成功するしないは別として、解析が可能なモノなら上限なく魔力を通すだけならできると思う。 もっとも、その解析も構造が複雑になればなるほど難易度は高くなるけど。 内部を視るだけなら容易いけど、魔力を通せるぐらい隅々まで把握するとなると、機械や生き物相手はつらいな」 衛宮士郎に魔術の才能はまったく無かった。 その代わりといってはなんだが、物の構造や設計図を連想する事にかけては巧いと思う。 セイバーの宝具を見抜いたのも、この眼だった。 俺の魔術はそうした"解析"の能の上に成立しているものである。 親父曰く、物の構造を視覚で捉えている時点で無駄が多く、役に立たない才能らしいけど。 「……ふむふむ。人への行使は無理があるか……しかしアレならば―――」 と、ハサンは自問自答の独り言を呟き始める。 「あー、ハサン。何か判ったのなら、教えて欲しいんだけど……」 「む、そうであるな。しかし、判ったというか、判らないというか―――」 「―――?」 「はじめに断っておくが、わたしの魔術知識は、サーヴァント共通に関わる程度のもの。 イリヤスフィールの断片的記憶こそあるものの、そこから魔術の知識を汲み上げるのは、そもそも理解のできないわたしにはできない。 やはり士郎殿の魔術の上達を促すような助言は、土台、無理な話だ」 イリヤの記憶? ハサンにそんなものがあったのか? いや、その件については今は関係ないので、問い詰めるのは後にしよう。 ハサンの話にはまだ続きがある。 「―――したがって、これから話すのは、結果だけを見た上での暗殺者からの提言である。 魔術師的には失敗なのかもしれないが、なかなかのモノであるというのがわたしの感想だ。壊れた木片という"結果"がそれを裏付けている。 使い方を工夫すればもしかすると―――いや、たぶん大丈夫だろう。我らの貴重な戦力に成り得るやもしれん」 魔術上達に結びつく助言がなかったのは残念。 でも、何やら期待できそうなコトを言い掛けている。 「ただの魔術の失敗が貴重な戦力って、どういうことなんだ?」 「ふむ。それを説明するには実地で確かめるのがいちばんであろう。わたしとしても確証が欲しい。 済まぬが、もう一度、これに魔術行使をして貰えぬか」 と、ハサンは床に転がっていた鉄の棒を拾い、俺に手渡す。 「それはいいけど―――結果は変わらないと思うぞ」 言いつつ、受け取った俺は素直に強化を試みる準備に入る。 ああ、これは鉄パイプというよりは、鉄骨に近いな。構造の解析をするまでもなく、ずっしりと中身が詰まった重量が手に圧し掛かる。 「では―――」 両手でしっかり握り締め、呼吸を整える。 ハサンはじっと俺の所業を見つめていた。緊張する。 「 ―――――――構成材質、補強、……って、…………くっ! またダメか……」 やっぱりといえばやっぱりだが、強化の魔術は失敗し、鉄骨はバラバラの鉄くずになった。 失敗のパターンは、魔力が行き渡らず霧散して変化無しか、こうして基本骨子からの破壊を生じさせてしまうかの二つに一つ。 今日はどうも力が入り過ぎているようで、後者に流れる傾向があるようだ。 俺の目からは、さっきと何も変わってないように見えるのだが、 「うむ」 と、ハサンは満足げに納得していた。 「どういうことか説明してくれないか? 俺にはさっぱり分からない」 「見たまま、しごく単純な話だ。これだけ見事に破壊し尽くされている、その結果がわたしの答え」 「―――?」 よく分からないな。 やっぱり俺には恥ずかしい失敗物の残骸にしか見えない。 「では訊ねるが、士郎殿は魔術を用いず、このように鉄骨を素手で破壊し尽くすのは可能か?」 「いや、そんなの無理に決まって――――あ、そういうことか」 結果は同じ。ただ求めているモノが違うだけで、異なる結論を返す。 「そう。これを"強化"の結果として捉えるなら、明らかな失敗。だが、"破壊"を目的とした魔術と見なすならば、自ずと話は変わってくる。 士郎殿の魔術は、意図した術ではなかったとはいえ、鋼鉄を微塵に粉砕するという結果を残した。 これだけの破壊を生むには、サーヴァントの身であるわたしでも、相当の骨が折れる。じゅうぶん誇っても良い威力だ」 "壊す"ための魔術。 思えば、本当にすごく単純な発想の転換なのだが、強化魔術の成否に拘っていた俺には、それが見えていなかった。 理論上、隅々まで解析して基本骨子から手を入れる俺の魔術は、硬度や強度に拠らず、防御無視の破壊を引き起こせる。 壊さないために要求される難易度が壊す目的にすりかわるのだから、当然、こちらの方が成功率も高いだろう。 そして、なぜハサンが"人間"を対象できるかを訊いてきたか、その理由も見えてくる。 「難しい」は「不可能」とは違う。もし触れたのが"敵"の姿であるなら――― この目、この手、この魔力がそのような凶器である事実を突きつけられて、思わず腰が引けた。 「戦力として運用するには、あともう一押し必要だな」 そりゃそうだ。魔力を通すには時間がかかる。どんなに馴れても、一瞬で済む話ではない。 その上、相手を掴まえなきゃならないのだから、逆にその状況に持って行くまでの方が難易度が高くて、それでは本末転倒だ。 これではハサンの宝具以上に使用するタイミングが難しい。はっきり言って無茶だ。なにしろ、やるのは俺だし…… 「士郎殿、庭へ―――」 と、している間に、ハサンが動いた。 土蔵の扉を開け、外に出て行く。目線で後を追うよう、促した。 訳が分からないまま、それでも俺は素直に従う。 ほぼ中庭の中央、砂利を轢いた上に立ち、明るい月を仰いだ。否応なしに昨日の事が思い出される。 まだ何かあるのかと訊ねると、ハサンは頷いた。 「試してみたい事がある。今一度、お付き合い願いたい」 無論、断る理由はなかった。 それを確かめるために外に出たのだ。 「俺はどうすればいい?」 「先程と同じ魔術を。但し―――」 ハサンは懐を探り、 「―――今度はこれで」 と、愛用の短剣を俺に差し出した。 「………………」 受け取る。 大分疲労が蓄積されてきていたが、あと一回試す分には余裕がある。 であるから、躊躇うのはそれが原因ではなかった。 手にしただけでも分かる。 便宜上、形が似ているため『ダーク』と呼んでいるが、その実、この黒塗りの短剣は無銘。 ハサン、自らが"仕事"用として揃え、調整した業物だった。 大仰な幻想は無くとも、その機能性は美しくある。 「俺はいいけど……、本当にいいのか?」 俺が手を入れるということは、コレを壊すことになる。 ハサンはそれでもいいのだろうか? 短刀から得た記憶だけでなく、ハサンが大事そうに回収していた事も、俺はこの目で見ている。 宝具には届かずとも、生前共に在り続けた半身であり、破壊してしまえば修復は困難であるのだが、 「構わない。失われるのは惜しいが、これから験すことは、それだけの価値がある。 むしろ今回は、目的からして、壊すつもりで臨んで欲しい」 「そっか」 だったら、もう俺からかける言葉はない。 説明を求めるのは後にして、今はハサンを信用する。 「じゃあ、始めるぞ―――」 黙って上下に振られる仮面を確認し、俺は術の準備に入った。 いつもの結跏趺坐ではなく、立ったままの姿勢で深呼吸。頭の中を白紙の状態にして、冷静かつ集中。 そして、今日三度目となる呪文を唱えた。 「―――― 擬似的に作り上げ魔術回路を体の奥まで通し、他の神経と同調、接続する。 理念、骨子、材質、技術、経験、年月、工程に至る全ての概念をもとに構造の設計図を想定、続けて魔力を通す作業に入った。 実体化しているとはいえ、短剣はハサンの魔力で形成されたものである。 基本的に他人の魔力が篭められたものを改ざんするのは難しいのだが、視た際、その不安要素は払拭されていた。 考えて見れば、ラインを繋いで魔力の相互補間する事が前提に成り立っている関係なのだから、拒否反応が出ないのも当たり前だ。 今回は破壊する事が目的なため、数百メートル先の標的を射抜くような精度も要らない。 やがて、限界量を越える魔力の浸透を許した短剣は、 我が骨子 は 捻じれ 狂う 「――――I am the bone of my sword.」 無自覚に紡がれた呪文に呼応する。やがて、もとの正なるカタチが壊れ―――――― と、 「拝借」 不意に割れる直前、横合いからハサンに短剣を奪われた。 術の途中を邪魔をされるのは危険なのだが、終わりかけていたのと、強奪があまりに鮮やかだったので、体内の魔力は暴走することなく抜ける。 そして、茫然とする俺が首を曲げたのも束の間、ハサンは取り返した短刀を闇に投擲した。 風を切り、短剣は黒い軌跡を描いて、立ち位置のちょうど反対側にあった庭石に突き刺さる。 ―――――― 刹那、 目を灼く白い閃光と、鼓膜を引き裂く炸裂音を断末魔にして、 「――――――っ、――――――っ」 不意のことで五感が驚き、聴覚がうまく働かない。酷い耳鳴りがする。 幸いすぐに直ったが、早鐘を打ち鳴らしている心臓の方は、しばらく止まりそうになかった。 「――― サーヴァントを爆死せしめる程ではないが、それでも申し分ない威力であるな」 ハサンが感想を口にする。 口ぶりからして、これが"試してみたい事"か。 なぜ起きたのかは知らない。 でも、何が起きたのかは、見れば判った。 刺さった短剣を爆心源に、庭石の一部がごっそりと抉れている。 それが破壊の爪痕だった。 「な―――、なんなんだよ、コレ……!?」 頭の中が白じんでいて、気の利いた台詞は出てこない。 あと一歩、ハサンが短剣をもぎ取るのが遅れていたら、庭石ではなく、俺がスプラッタになるところだった。 そう考えると、背筋が凍り、遅れて足が震える。 そんなに物騒なモノであるのがわかっていたのなら、事前に説明が欲しかった。 物騒なモノだからこそ、俺が途中でヘタれないように、敢えて言わなかったのかもしれないけど。 ともあれ、あらためて説明を求めた。 「原理は簡単―――喩えるなら"魔力の爆弾"とでも言おうか。 他のサーヴァントが保有する宝具には遠く及ばぬものの、ダークはこれでも、幾許かは信仰を集める暗殺者の礼装。 ささやかながらも魂魄の重みを持ったわたしの魔力のカタマリであり、結実した幻想。 コレを抱える想念ごと打ち壊せば、圧縮されていた魔力が瞬時に拡散し、その余波が爆弾にも似た被害を周囲にもたらす」 「うーん……、つまり、短剣を構成するハサンの魔力が"爆薬"で、俺の魔術が"信管"と、そんな感じかな」 「概ねその認識で正しいだろう。理屈は符合する。 武具の修復は困難であるため、空論の域を出ないモノであったが、思いの外うまくいったようだ。 正直、わたしも驚いている」 ぜんぜん驚いているようにみえない口調だが、ハサンなりに戦力増強を歓迎しているみたいだ。 俺も、残骸を見て分析する余裕が生まれる程度に、落ち着いてきた。 ……これって、もしかして"必殺技"というヤツなのでは…………? オンリーワンにあらず、幾つか失っても大勢に影響しないだけの本数があるハサンのダーク。 と、悲しくもオンリーワンな俺のへっぽこ魔術が、絶妙に組み合わさった幸運。 サーヴァントを一撃で葬るほどの威力はないらしいが、それでも、俺たちが持つ中では一番の破壊力があるように見える。 やたらと無骨で、暴力的で、どちらかと言えば"反則技"と呼んだ方が近いかもしれない礼装だが、これで魔術師っぽい支援は可能になる。 役立たずの傍観者返上か。自然、意識は高揚する。 「わかっているとは思うが、サーヴァントにはサーヴァントでなくては倒せぬ。人間との戦闘力の差は、この程度で埋まるほど安くはない。 マスターである士郎殿の役目は、何よりも先ず生き残ること。無茶は禁物」 ……釘をさされてしまった。 「―――ともあれ、いつまでも無手のままというのは少々拙いな―――手を出されよ」 「ん? こうか?」 と、前に伸ばし、上にした手のひらに、黒い塊が置かれた。 一、ニ、三…………計、六本。 「―――コレを士郎殿に預けておく。"壊れた幻想"込みで扱えば、護身の足しにはなるだろう」 ハサンの象徴であり、カタチを得た幻想である、黒塗りの短刀が手渡された。 投擲用に無駄を殺ぎ落とした短剣は、一本ずつならば羽のように軽い。が、まとまれば無視できない重量になる。 それは物理的な重さだけの話じゃない。 ……聖杯戦争を戦うこと。 ……そして、共に歩む相棒の半身を預かるのだという、責任の重さだった。 |