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闇が実体化する――― 人口灯が潰え、ただ上弦の月だけが照らす世界に、現れ出でた異形は不慮の凶つ。 全身を漆黒の外套で包んだ、確かにヒトの姿を模した長身痩躯の黒影だった。 僅かな個性、業を窶す鑑としての白い髑髏面が唯一、顔と思われる位置に張り付き、該地を見渡している。 風も無くはためく黒衣は、夜の帷に透けた。 視えているのに見失う。それほどまでに気配は希薄。 ただ彼の者は、終わりに現れ、彼岸に連れ去る不誠実な死の匂いだけを纏い、そこに佇んでいた。 まるでの亡霊―――いや、在り方を考えれば、間違ってはいない。何故ならば、 Faceless token. 02 / Phantom 「サーヴァント!」 士郎の傍で忠実に控える影を睨み、凛は絶句した。 これだけ近ければ令呪も感知する。 影はそれさえも遮断できるが、今は隠すことなく晒し、佇んでいた。 ……黒いサーヴァント。 バーサーカーの斧剣が、まさにセイバーと士郎に落ちようかという刹那、ソレは現れた。 疾風の速さ、音も無く駆け抜けて、二人を捕まえるとそのままバーサーカーの死角となる背後へ退避する。 明らかな目的を意図しての戦闘への介入―――つまり、助けた。 その理由、単純きわまりない。 衛宮士郎は魔術師であり……、聖杯戦争におけるマスターだったわけだ。 「―――それがシロウのサーヴァント? なんだ……、もう、呼んじゃったんだ……」 バーサーカーのマスター、冬の少女イリヤスフィールが言う。 他の者と同様、イリヤもまた、驚いたことにかわりはなかった。 だが、彼女はひとり、身の危険が及ばない安全なバーサーカーの後方にいたため、他の者より思考の回復が早い。 イリヤは、黒衣の亡霊が士郎のサーヴァントであることを、あっさり認めた。 何しろ、彼女の実父は魔術師。 ならば、その養子に納まった士郎が魔術を学んでいたとしても、不思議はない。 「気味が悪いけど、弱そうね―――変なの」 凝視し、イリヤは見下したように目を細めた。 ヘラクレスを下僕にする彼女の感覚からして、「弱そう」の評価は当然かもしれない。 彼女は目前の黒影が格の低い英霊であることを、正確に見抜いていた。 侮りはしないが、黒いサーヴァントから感じ取れる魔力は乏しすぎ、また存在濃度が薄すぎた。 それは弱さに直結する。 くわえ、知識もあった。気配遮断とその容貌からして、アサシンのクラスであるのは間違いないと分析していた。 彼女を送り込んだアインツベルン家は、過去四回すべての聖杯戦争に参加した常連である。 そのアインツベルンが蓄積してきた知識の中には、個は違えど必ず存在を等しくするモノが召喚される特殊なクラス、アサシンの名前もあった。 まさしく目の前の黒いサーヴァントは、イリヤが家から学んだ情報に当てはまり、真名さえも知れている。 その実、アサシンは英霊ですらない。 個を対象に担ぎ上げられた信仰はなく、ただ、群れをなして抑止力を担う亡霊の一部。 それゆえ自己を形作る実体が薄く、召喚されたばかりの時は知性が欠け、まともに会話できぬほど。 「ハサン・サッバーハ」とは、そういった存在だった。 行動原理は、自らの本能に従い、主を守ること。 そして、己の敵を殺すことだけを志向するサーヴァントだった。 「ふうん、戦う気?」 士郎とバーサーカーを結ぶ直線。 アサシンはそこへ、視線を遮るかのように身を滑らせ、前に出ていた。 サーヴァントの本能が巨人に向ける殺意を喚起させ、主を守るという行動を自動的に果たそうとしていた。 彼は殺人者ではなく暗殺者。 知らぬ者は似合わぬとさえ断ずる絶対の忠誠は、むしろ彼の性。無私であるともいう。 「―――まあ、いいわ。遠慮はいらないみたいだから、バーサーカー、やっちゃって」 彼女の「最強」に挑む、単純な戦闘力ではキャスターと並んで「最弱」とまで揶揄されるアサシン。 心情的には、いささか興ざめという部分もあるのだろう。何処となく誠意がない。 もっとも、命を受けたバーサーカーに異存はない。 そもそも理性を唾棄された狂戦士の身である彼には、まともな言葉を発することすらできない。 枷を解かれた暴風は、相手を叩き潰さんがため、斧剣を振りかぶり、咆哮を上げる。 アサシンはそれを無言のまま応えた。 ふわりと身を翻して標的と相対する。 虚を突くのが定石の暗殺者にすれば、気配を絶ち、動作を悟られないようにする自然体こそが必殺の構え。 まさに対照的と言い切ってもいいぐらいに、黙したまま静かに佇んでいた。 闇に潜み、手段を選ばぬ一方的な殺戮を本意とするものであり、標的を正面から相対することは下策中の下策。 だが、そういうことになったらなったで、怯むこともなかった。 手段を選ばぬというのは、こういう意味でもあり、今がまさにその時であった。 そして、両者は交錯する。 「■■■■■■■■■■■――――――――!!」 バーサーカーの戦闘方法は、基本的に何者が相手であっても変わらない。 それしか知らない、必要がないというふうに、周囲に破壊の爪跡を刻みながら、嵐のように大剣を振り回す。 対するアサシンは、例えるなら「逃げ水」だった。 音もなく飛翔し、一瞬で間合いを詰めては離し、バーサーカーの剣をすべて避ける。 加速と減速と静止を合い混ぜに、静止画をコマ送りにするような不思議な体術で対応していた。 戦闘には必ずリズムがあるものだが、アサシンの動作には根本的にそれが欠如している。 して、攻撃手段はと言えば、 「――――――――ッ!」 後方に大きく跳躍し、距離を離したところで、アサシンが何かを放った。 金属がかち合う単音。 遅れ、無数の銀光が跳ねる。 バーサーカーは、大振りに斧剣を前方へ払い、その何かを弾いていた。 跳ね、地を穿ったそれは、黒塗りであるということを除けば、あまりにも簡素な細身両刃で鋳造された、黒塗り短剣だった。 決して業物とは言い難いが、無骨にただ一つの目的―――殺人を果たすべく砥ぎ澄まされた凶器である。 この短剣の投擲こそが、アサシンの攻撃の正体だった。 ゼロモーションからの、音もなく飛来する短剣はまるで弾丸。投げるという行為が生むイメージをも破壊する魔技である。 して、それを受ける方も人に違わず。 アサシンが一度に投げた短剣は全部で二十を超える。 巨体が仇となり、すべて防ぎ切ること叶わず、半数ほどが抜けた。 これだけの数と速度。 魔人でもかわせぬ―――はずが、 「――――――――?」 ばらばらと、短剣は虚しく狂戦士の足元に落ちた。 たしかに当たっているのだが、短剣はすべて鋼の肉体に遮られ、一筋の傷もつけていなかった。 凛の宝石魔術と同じ現象が繰り返されている。効いていない。 ここまでくると、ただ「硬い」というだけでは説明つかなかった。 これぞ、バーサーカーの宝具、 生前の彼が成し遂げた十二の試練によって、後世の人間がヘラクレスに寄せる「不屈」の概念が、そのまま形をなしたものである。 己の肉体を屈強な鎧と化し、低威力の攻撃を無効化する、絶大な防御武装だった。 まったく趣きが違う怪物同士の乱舞。それを士郎は呆然と見つめていた。 実際の思惑は士郎が窺い知るところではないが、状況と経緯からしてアサシンの方こそが味方であることは分かっている。 この暗殺者が屈することがあれば、狂戦士は次に自分をたやすく引き裂くだろう、とも。 士郎は息を呑み、伝う緊迫感に身が震える。 如何に無茶、無謀の体現である士郎といえども、下手に手を出すべきでないことを承知する判断は持ち合わせていた。 自分の生死が他者に委ねられている無力感は、手放しで歓迎できるものではなかったが、今は見守るより他ない。 と、そこへ――― 「―――衛宮くん、いつまで抱き締めてるつもり?」 いつの間にか近づいた凛が、不機嫌そうに云った。実際、いろいろな理由で不機嫌だった。 「あっ、う……」 言われてからはじめて、士郎は気づいた。まだセイバーを胸で抱き締めたままであることに。 「セイバーもその気になってるんじゃないの。いいから、離れなさい」 士郎は身を起こし、おそるおそる手を離す。 完全とまではいかないものの、多少は回復したセイバーは、不可視の剣を杖に立ち上がった。 まず最初に、彼女にはしなくてはならないことがある。 「あなたに、感謝を」 士郎を真っ直ぐに見詰め、セイバーは誠実にそっと頭を下げる。それから、柔らかく微笑んだ。 「う、うん……」 士郎は、気の利いた台詞ひとつ言えずに狼狽え、何となく反射的に頷いてしまった。 その手で抱いた暖かさと柔らかさを思い出し、少し赤くなる。 「ったく……、和んでる場合じゃないでしょ―――で、どうなの? セイバー、大丈夫?」 「はい」 凛の言葉に頷き、セイバーは率直な現状報告を行う。 「ランサーの宝具で貫かれた傷がまだ癒えていません。おそらく、あの槍には再生を遅延させる呪いの効果もあったのでしょう。 ですが、バーサーカーにつけられた方は、単純な物理攻撃なので、早期に大方再生可能です。 あと数分もすれば、戦闘を続けられる状態に戻ります」 「そう、よかった。正直、今のこっちの戦力だと、アイツに傷を負わせれるのはセイバーしかいなさそうだから、助かるわ」 こんなことなら、虎の子の宝石を置いてくるんじゃなかった、と、凛は自らにかけられた呪いを嘆く。 一方、士郎は別の感想を持っていた。 「……その、まだ、戦うつもりなのか?」 「もちろんです。この身は剣の英霊。誓いを立てた者を守り、戦うのが、騎士である私の務めです」 セイバーは小さく胸をそらし、はっきりと断言した。 もう戦ってもらいたくない。 けれど、それを強要するのは自分の我侭であり、相手の人格を否定することだというのは、士郎でもわかっている。 だから、それ以上、何も言えなかった。 「―――ともかく、あなたは回復するまで休みなさい」 と、凛は顔を他方へ向け、「あの分だと、しばらくは持ちそうだから」と付け加えた。 凛が目を向けた先には、激しく争う二騎がいる。 もっぱら破壊に勤しんでいるのはバーサーカーであるが、アサシンもよく動き回るため、被害は周辺あちこちに拡散していた。 とてもすぐに決着が着く様子ではない。 見た目からして、バーサーカーの体力は尽きそうもなく、またアサシンも、その身に疲れという概念があるのかどうかも怪しい風貌。 構図的には、バーサーカーがひたすら攻撃をしかけ、アサシンがひたすらそれを避けていた。 圧倒的に基礎能力が劣るアサシンだが、なんとか敏捷性だけは互角に保っていたため、それに徹するしかない。 攻撃が通じないのであるから、当然、なるべくしてなった均衡だった。 半端に介入するぐらいなら、よく休み、回復してからという凛の指摘は正しい。 無論、セイバーは主の言にしたがう。 彼女が立てた方針は、アサシンに時間を稼いで貰った後、回復したセイバーで一気に蹴りをつけるというもの。 考え得るかぎり、今ある手駒で可能な範囲で現実的な、最良の戦術だった。 それを知ってか知らずか、アサシンは無謀な賭けに出ることなく、時折、短剣の投擲を混ぜながら、淡々と逃げ回ってくれている。 思惑はどうあれ、示し合わせたわけでもないのに、時間稼ぎの役割を徹してくれるのは有難い。 「―――それにしても、やってくれたわね。まさか、マスターだったなんて……」 やれやれと凛は疲れたように云う。 「アレ、あなたのサーヴァントでしょ。見たところ、アサシンのクラスみたいだけど……、うん、たぶん、間違いないわね。 事情が事情だし、全部とは言わないから、あのサーヴァントの情報を吐きなさい。特長とか」 「??」 凛の言葉が、自分を指名しているものだと士郎は気づく。 「……何のことだ?」 「あんたねぇ―――慎重なのはいいことだと思うけど、時と場所を考えてよ。正直、あのバーサーカーは強敵よ。 共同戦線を張るのは、あなたにとっても決して悪い話じゃないと思うけど」 「いや、だからさ。吐けと云われても、俺にはさっぱり……」 「ああ、もう、士郎! しらばっくれるのもいい加減にしなさい!」 凛は本性を剥き出しにして、がーっと吼えた。勢いに押され、士郎は自分が名前で呼ばれたことも気づかない。 ずんずん歩み寄って、強引に凛は士郎の左手を掴む。巻かれてる包帯を除いた。 「ほら、やっぱり令呪があるじゃない! だから、いまさら――― 「うっ、何だコレ!? いつの間にか、痣が変な模様になってる」 沈黙。 「――――――あれ?」 士郎の驚きは、どう見ても本物。とても演技しているようには見えない。 「まさか、本当に知らない…………?」 「何のことかわからないけど、たぶん、遠坂が期待しているようなことは知らないと思うぞ」 「……じゃあ、今が聖杯戦争中だってことは? サーヴァントは知ってる?」 「……戦争なのか? ごめん、さっぱりわからない」 「………………」 士郎がセイバーに向かって走って行ったとき、凛はなんて無茶なヤツだろうと驚愕したが、結果を見て納得していた。 自分が騙されていたことに対して憤る感情はあるにはあったが、魔術師の姿勢としては正しい。 今際でサーヴァントの助けが入ったことからして、アレはきちんと計算された行動だったのだ、と彼女は感服さえしていたのだ。 しかし―――、 「…………あんた、バカでしょ」 「……なんでさ」 しかし、士郎は、聖杯戦争のことすら知らないと言う。 どうやって召喚したのか―――魔術の知識は多少あるから、行使中の偶然だったのだろう。 それより問題なのは、己の身を省みず、助かる見込みもないまま、単純にセイバーを助けるためだけに飛び出したという事実だった。 凛は士郎が「お人よし」なことを知っていたが、これはそんなレベルの話でない。 凛は断定する。コイツは本物のバカだ、と。 「―――ったく、しょうがないわね―――」 やれやれと嘆息し、仕方なしと、凛は聖杯戦争のいろはを士郎に講釈し始めた。 戦闘中ということもあり、伝えるのは簡素な事実のみ。詳細は生き延びてからにすればよい。何なら聖杯戦争を監督する教会へ赴く選択肢もある。 士郎が知ったからといって、今の戦況が劇的に変わるわけでもなかったが…… 二人がそんな会話をしている間も、戦況はまったく動いていなかった。一進一退の攻防が続く。 説明を受けた士郎。 正直、理解は半分、まだ実感というものがない。 目の前でデタラメなサーヴァント同士の戦闘を見せ付けられ、なおかつ自分の命を後一歩で失いそうになる目にもあった。 それでもなお、凛の話は雲を掴むような内容にしか思えない。 当然といえば当然。 世に魔術師が存在することを義父の例で知っているとはいえ、士郎本人の魔術は、とても「使える」と自慢できないお粗末なもの。 彼は魔術師どころか、魔術使いですらなく、つい今さっきまで、一般人と変わらぬ生活をしていたのだ。 勝者の報酬が、何でも願いを叶う聖杯と言われても、いまいちピンとこない。 それでも、パニくらないだけましというものだろう。 今が大変な状況であることと把握しており、冷静な対処が必要であることも感じていた。 無謀で唐突な突撃を敢行した彼であったが、こうした切り替えの速さは魔術師の在り方に通じている。 凛に倣い、じっと死闘を見つめた。と、士郎はあることに気づく。 「なあ、遠坂。バーサーカーに弱点あるのかな?」 不意に、士郎はぽつりと漏らした。 「―――はあ。そんなものがあったら苦労しないわよ。 そうね、強いてあげるなら、制御が難しいことぐらいかしら―――相手が相手だけに、あまり関係ないけど……」 バーサーカーのクラスの末路は、大概にして自らのマスターを狂い殺すことで終わる。 これは聖杯戦争関係者の間でよく知られた話だったが、千年の悲願とするアインツベルンが用意した以上、望みは薄い。 仮に目前の巨人もまた、過去の例に倣うのだとしても、戦術に組み込むのは容易ではなかった。 ところが、士郎は、全く凛の想像の範疇になかった言葉を投げかける。 「いや、そうじゃなくて―――その、なんか、アイツの動き、おかしくないか?」 「―――?」 周囲を粉砕しながらバーサーカーが追い、逃げるアサシンは隙を見て短剣を投擲する。 短剣は、かわらず厚い鎧に阻まれ、または斧剣で弾かれて、またバーサーカーがアサシンを追う。 始終そんな繰り返しで、目立った変化は見られなかったのだが、 「ナイフ投げ、効いてなかったよな? でも、だったら、どうして弾き返さなきゃならないんだ? あの黒い方―――アサシンだったっけ? 実はバーサーカーの弱点に気づいていて、さっきからそれを狙っているんじゃないのか?」 注視すれば、身に受けるのと、弾き返すのが半々であることがわかる。 凛の宝石魔術は避けようともしなかったのに、バーサーカーは、アサシンの投擲に対しては防御態勢を取っていた。 バーサーカーに弱点があり、そこに当てられるのを怖れているのなら、弾き返すことにも納得できる。 ただの気まぐれと言えばそれまでだが、たしかにある種の不自然さがあった。 もし、士郎の指摘が真に迫るものだとすれば絶好の好機。しかし――― 「じゃあ、その弱点って何?」 慎重な凛が問いたのは、当たり前の疑問。 バーサーカーの能力の正体は、物理的な頑強さではなく、宝具の概念武装である。 定番の眼球や口の中に食らってもダメージにならず、また、仮に角や尻尾があってもその限りではないだろう。 実際、アサシンが短剣を投擲する場所、バーサーカーがガードする位置ともに、上下左右とまばら。 では、黒いサーヴァントが狙う弱点とは、いったい何処のか。 「それは……、ええと―――」 凛の浅知恵を咎めるような視線に怯み、言葉が詰まる。が、 「―――たしかに弱点といえば、弱点はあります」 今まで会話に加わらず、耳を傾けるだけに止めていたセイバーが、フォローするように言葉を継いだ。 「―――っ! ほんと?」 「どうやらアサシンは、先程からそこを狙っているようです。弱点とは、おそらく――――――あっ!」 言い切ること叶わず、セイバーは事態の急変を伝える驚きの声を上げた。 異変。 常に追い回すだけだったバーサーカーが、一所に止まっている。 追うことを諦めたわけではなかった。 続けて巨人が取った行動は、 「■■■■■■■■■■■――――――――!!」 ―――ひときわ大きな咆哮を轟かせて、 「へっ?」 ―――右手を高く振り上げ、 「――――――――ッ!!」 ―――投げた。 耳鳴りがするほどの衝撃波を伴い、瓦礫を破砕しながら突き進む。 予期せぬ投擲――― バーサーカーが手にしていたのは巨大な斧剣であり、空を裂き、迫る圧倒的質量の塊は、まさしくソレだった。 同じ投擲でも、こうまで違うものか。アサシンの短剣が精密なライフル射撃とすれば、バーサーカーのそれは重戦車の砲撃と呼ぶのが正しい。 これを迎え撃つなど不可能。 もし出来るとすれば、それは当のバーサーカー本人だけだろう。 許されるのは回避のみで、標的に据えられたアサシンは、形振り構わず全力で避けるしか手段はない。 激突。閃光。爆発。 車数台を巻き込み、ブロック塀を完膚なく粉砕して、地面を抉り、一時の弾丸はようやく止まった。 アサシンは辛うじて避けている。 大剣は黒衣の左隅、両拳程度のすれすれを通過していた。 安堵―――が、バーサーカーの苛烈な行動は、更なる高みを欲していた。 「■■■■■■■■■■■――――――――!!」 彼は動いていた。 斧剣を投げるのと同時に、大地を蹴っている。 向かう方向は、アサシンが逃れるであろう先。 一足飛び、一瞬で間合いを殺した。 手にしていた得物は無く、ゆえに、バーサーカーは、一切の躊躇無く、容赦無く、 ―――そのままブン殴った。 「―――――ぐ、がァ!」 肺から搾り出され、外気を振るわせた声は、意を持たぬ呻き。 寡言な暗殺者の口から、初めて出た音がそれである。 丸太では比肩するに役不足。喩えるなら、神殿の石柱に類する右腕を、狂戦士はアサシンの痩躯に叩きつけた。 次に放たれた拳は何とかガードし、その反動で飛び退いたが、疲弊は明らか。 追わず、バーサーカーはその場で彫像のように佇む。 それから、ゆっくりと歩を進めて自らが投じた剣に近づき、引き抜き、構えた。 ――――どうも、ここまでみたいね…… 凛はぎりりと歯を噛み、それから嘆息する。 一見互角に見えるが、時間の経過と共に、両者の間には決定的な差が生じ始めていた。 バーサーカーというクラスに押し込められていても、ヘラクレスは稀代の英雄だった。 知性を奪われ、感情を廃し、それでも、数多の異形を葬ってきた経験は、身体の深層に染み付いている。 暗殺者の不規則な動作に馴れ生まれつつあった。 今は捕らえることができなくとも、やがては凌駕し、黒衣の痩身を打ち砕くであろう。 やはりアサシンは弱い。 バーサーカーと正面から克ち合うには脆すぎた。もともと、そのように出来ていない。 たんに、破格の英霊に比して実力が劣るという点に限ることではなく、この場の条件が悪すぎた。 戦意と殺意は等しく見えて、似ているだけの別物。 アサシンには決定的に前者が欠けている。 単純に論じれば、殺すことに長けていても、戦うには向いていなかった。 それでも、『最強』を相手取り、ここまでよく持った方である。 アサシンの黒衣の下は、針金のような痩身。 その割には耐久値が高く、バーサーカーの猛攻をまともにくらっていても、まだ戦闘不能には陥っていなかった。 しかし、それはバーサーカーのような硬性ではなく、痛みを感じ難い、耐え切れるという類の頑強さである。 次の保証は何処にもなかった。 ――――見切るなら、今。 魔術師的には、聖杯戦争の今後も見据えて、アサシンを犠牲にする策を最上とするが、さすがに凛はそこまで徹しきれない。 アサシン自体はどうでもいいが、マスターである衛宮士郎に危険が及ぶ。 マスターがサーヴァントを失うということ。 運がよければ野良サーヴァントと合流し、再戦を果たせるが、大抵において邪魔者でしかないマスターは、即、殺される。 彼女は完璧な勝利を目指す。無知な人間に付け込むのは不公平で、精神衛生上よくないと思った。 なにより、堅物のセイバーが許すまい。凛は決断した。 「――――セイバー」 「はい、行けます。問題ありません」 以心伝心。或いは状況把握を同じくしたか、セイバーは凛の意を汲み、答えた。立ち上がる。 「……その、大丈夫なのか?」 凛の説明によって、セイバーが人間ではなく、サーヴァントであることは理解していた。 それでも、酷い重傷を目にしているだけに、士郎は訊かずにはいられない。 「はい」 と、彼女は柔らかく微笑み、 「あらためて礼を言います、シロウ。もう心配はありません。後はお任せください」 セイバーは律儀に返しつつ、拳を強く握った。 自らを厳しく律すること厭わぬセイバーをして、内に確信する。 ――――いける……! 砕けた鎧は魔力で補填、再構成。 打撲、裂傷のすべてを塞ぎ、蒼い衣の下は擦り傷一つない。 そして、最低限一両日は要するだろうと思っていた槍兵から受けた損傷も、どういうわけか、半ば以上回復していた。 取り敢えず今は、理由を考えるべき時ではない。 身に降りかかった幸運とだけ決めて、セイバーは戦に臨む。 「――――二人とも、少し下がってください」 凛と士郎を下がらせ、セイバーは呼吸を整える。そして、内に向けていた魔力を転じ、外に開放した。 ……息を呑む。 その小さな体から、轟々と尽きぬ膨大な魔力が噴出していた。 未熟な士郎でも、いや、何の力も持たない一般人相手であっても、渦を巻く魔力の猛りは認識を強制するだろう。 さらに追い討ち。 「――――風よ」 呟き、セイバーは剣を掲げた。 同時に、彼女の体を中心にして、突如、爆発的な嵐が巻き起こる。 それは、比喩ではなく、本物の嵐。 風王結界の解放――――聖剣を透明に視せていた風を、セイバーは解き放ったのである。 それは彼女が唯一保有する遠隔攻撃であり、剣の真の力が発露する兆し。 徐々に封は解かれ、包帯を剥ぐように、彼女の聖剣が姿を現し始めていた。 たかが気圧の断層差による一自然現象に過ぎぬはずの風が、無色の暴力を体現する。 これがセイバー。 最優と誉れ高い剣の英霊の、本来の姿。 まだ成長過程、幼さが大半を占める小柄な体躯は、可憐な少女のもの。 だが、聖剣を手に、威風堂々と立ち上がる様は、やはり、かの伝説が語る英雄だった。 王は、ここに復活する。 「――――っ!」 息を呑んだのは、士郎たちだけではない。 それを、より深刻に受け止めねばならないのは敵方――――イリヤスフィールと、その従者の方である。 「バーサーカー!」 「■■■■■■■■■■■――――――――!!」 彼も承知している。本当の敵が誰なのか。 実力を垣間見ることなく圧倒した緒戦。 だが、今は違う。 今の彼女なら、間違いなく貫ける。 もはや煩わしいだけの存在に成り下がったアサシンは、彼の眼中になかった。 己の真の敵に正対する、その凶悪な瞳が輝きを増す。 轟音を連れ、怒涛と踏み出す。 持って回った作戦など必要ない。ただ、全力でぶつかるのみ。 どちらが「最強」なのか、それで勝負は決まる。 風が飽和した、そのとき―――― 「ハ――――ッ!」 掛け声と共に、セイバーは嵐を放った。 彼は聖杯戦争に興味はなかった―――― 願いを叶える願望器。神の座に達した彼に、もはや叶えたい望みなどない。祈らずとも、すべてをその手に出来る。 また、戦いにも飽いており、このあたりは他の英霊と一線を画していた。 元来、彼は穏やかで理知的な気性の持ち主だったのだ。 ……そう、なのに、彼は現世に下る。 狂戦士という最大限の屈辱の檻に縛られてまで、彼は英霊の力を地上に具現した。 それは後悔でも自責でもなく、残滓とでも呼ぶべき思いから至る衝動。 召喚者が幼きイリヤだから――――儚く、無垢な少女であったから、彼は呼ぶ声に答えたのである。 雪の山谷を思い出す。 召喚が成された場所。獰猛な獣が放たれ、力を見せよと千年の妄執が放り込んだそこは、地獄だった。 たかが獣の群れ如き、数十、数百あろうと、彼の力を持ってすれば屈服させること雑作も無い。 だが、彼の主は違う。 聖杯の助力を伴わない、もとより無茶な召喚。 彼が指先一つ動かすたびに彼女は呻き、剣を振るうたび、白い身体は赤く染まった。 一種、デタラメな魔力の供給が無ければ、現界することさえ叶わぬ身であることを、そのときに知る。 何たる自己矛盾だろうか。 誰からも省みられない少女に、自分だけは味方であると伝え守るために応えたはずが、己がただ在るによって彼女に傷を負わせる。 かといってここで退けば、彼女は数多のかつての彼女たちに倣い、失敗作として破棄処分される。今さら投げ出せない。 また繰り返すのか、と、彼は我が身を呪い、憤った。 せめて、理性さえ奪われていなければ、その細い身体を抱きとめ、優しい言葉をかけることができるのに…… 冬の森、自らが殲滅した獣の屍骸の丘に立ち尽くす。 そのとき、自身の血で濡れ、瀕死であるはずの少女の小さな手が、彼の岩のような腕に触れた。 ―――バーサーカーは強いね。 果てにあるのが絶望しかなくとも、それだけは真実、頼る道標であると安堵するように、少女は言った。 このとき、彼は誓う。 強さ。何者にも屈せぬ『最強』を。 抱き止めること叶わぬなら、その腕で彼女の敵を葬ろう。 戦うことしか出来ぬなら、戦うことでその強さのすべてを少女に与えよう。 強さとは信頼の証し。 強ければ少女を守れる。強ければ家族を守れる。 それは英雄ではなく、人間だった彼が求めた夢だった。 少女が決して迷わぬように、苦痛に喘いでも心は穏やかであるように、と、誓った。 誰にも負けられぬ理由を彼は手に入れた。 それゆえにバーサーカーは『最強』だった。 「バーサーカーああぁ!」 距離以上の遠くで、名を呼ぶ声がする。 吹き上げられた砂埃で視界は遮られており、その渦中に身を投じた巨人の姿までは確認できなかった。 視えぬ事態に危機を感じ取り、イリヤはそこで初めて悲痛な悲鳴を上げる。 「■■■■■■■■――――――――!!」 吼えた。 嵐の只中でバーサーカーは耐えている。 疾風、陣風、豪風、暴風、烈風、旋風、その他あらゆる種の風が一斉に渦を巻き、彼に牙を立てていた。 ここまでの規模ともなれば、気圧の断層も空間の裂け目と大差ない。 風は、引き裂き、千切り、蹂躙せんと、標的のバーサーカーを呑み込み、さすがの鋼の体も威を削がれていた。 それでも、彼は前に出る。 「■■■■■■■■――――――――!!」 ……負けられぬ。 バーサーカーは最強である。 少なくともイリヤの前では、巨人は常に最強でなければならない。 傲慢不遜。 暴虐無人。 荒れ狂い、如何物も分け隔てなく、暴力を行使する風。 バーサーカーを打倒するところまでは及ばないが、少なくとも自由を拘束している。 しかし、それすら許さぬと、彼は四肢の筋肉を引き絞った。 何度も叫び、風を圧し返した。 抵抗した。 愚直に、前へ前へと足を進めた。 と、 キキキ――― 微かな音が聞こえる。 それは羽虫が啜り鳴くようなノイズ。 見る。 風の谷間。 黒い影。 そこに現れるまで何の気配もなく、視えていてもなお輪郭が揺らいで見える、長身痩躯の凶事がいる。 狂戦士さえも怯ませる嵐が吹き荒ぶ中を、ソレは何事も無きかの如く踏破。 軽やかな足取りで狂戦士に歩み近づく。 不吉な黒い腕をかざす。 髑髏の眼窩から覗く眼孔には色がなく、奥の表情はまったく窺い知れない。 ―――だが、白い髑髏面は、確かに彼を嘲笑っていた。 |