「少女革命ウテナ」。
毎週夢中になって観ていた大好きなアニメ。当時の自分には難解な表現が多く、綺麗な画面に奇抜な演出、シュールなギャグをメインに楽しんでいました。それでも最終回の感動をよく覚えています。
年月が流れ、おとぎ話のような世界観でありながらとてもシビアで現実的なテーマだったのでは?と考えるようになりました。
哲学的で観念的な表現が多く、考察などは無粋とも思えるけれど、これを機に自分なりに考えた事をまとめてみようと思います。
決闘ゲーム、天空に浮かぶ城、世界の果て…とても謎が多い作品ですが、第二部「黒薔薇編」に多くのヒントが隠されていると思うので、ここを取っ掛かりにしていきます。
⚫︎黒薔薇編
御影草時、千唾馬宮、そしてアンシーの兄で学園の理事長代理である鳳暁生が登場します。
これまでと違いウテナに挑むデュエリストが脇役と思われていた意外な人物であったり、アンシーと兄暁生との意味深な関係が見えたりと見所満載ですが、この黒薔薇編のメインは「学園の仕組み」についてだと思います。
御影はアンシーそっくりな(というかアンシーが化けているのですが)馬宮という少年と共に、心に闇を抱えている人物にカウンセリングと称して接触し「あなたは世界を変えるしかないでしょう」と告げ、黒薔薇の指輪を託しウテナとの決闘に向かわせます。
黒薔薇のデュエリスト達は「薔薇の花嫁に死を!」と告げ、次々とウテナに決闘を挑む、という流れで物語は進みます。
しかし多くの謎があります。昔多くの生徒が犠牲になった根室記念館とは一体?根室教授と御影草時は何故姿が同じなのか?暁生と御影の関係は??
それらの謎が一気に解けるのが過去回想がメインの22話、ウテナと御影が対決する23話です。
昔、とある研究に携わる為に学園を訪れた天才高校生、根室教授。電気計算機と呼ばれる教授はビジネスとして契約した範囲での研究を淡々と続けていました。
研究に携わる多数の優秀な生徒達。彼らの付けている薔薇の指輪は、彼らが『あの方』と交わした契約の証らしい。そんな事は興味も無い教授。時々建物の奥に運ばれていく謎の台車にも、教授は無関心でした。
そんな教授の前に千唾時子が登場し、教授は変わります。時子の美しさに見惚れ、病弱な弟を気遣い叱咤する優しさ、先の長くない弟に永遠を見せたいという健気な姿に恋をしたのです。
時子「天才と呼ばれる人は、他人を好きになったりしないかしら…?」
根室「そうですね…確かに、今日まではそうでした」
恋を知った教授は研究に力を入れ出します。
元々、教授は時子との会話で「永遠を手に入れようなんて、永久機関のからくりを作り出そうとするようなものだ。人はもっと謙虚に、神様の与えてくれるものに感謝してればいいんです」と言っています。彼は研究の最終目的、”永遠”を求めること自体に否定的だったのです。そんな目的の無い電子計算機のような人間だった教授に目的ができました。
研究を成功させ馬宮に永遠を見せる。そんな時子の願いを叶えてやりたいと考えたのでしょう。
恋する教授は時子の弟の馬宮の元へ訪問したり(馬宮はそんな下心をお見通しでしたが)時子の口紅の付いたティーカップをとっておいたりします。ちょっと気持ち悪いですが、初恋なので許してあげて下さい。
研究に没頭する教授。しかしどうしても方程式が解けません。
そこへやってきた鳳暁生。教授に「世界を革命する為の第一歩」だという手紙と「契約の証」として指輪を託します 。手紙を読み「こんな事は実行できない」と大きく動揺する教授。
暁生は「世界を革命するしかない、君の進む道は用意してある」と告げます。
そして場面は大きく変わり、燃え盛る研究所、馬宮を問い詰める時子、馬宮のやったことは正しいという教授が呟きます。
根室教授「僕も…永遠が見てみたくなった」
そして現在。
根室教授こと御影草時は、温室で「自分を大切にしない奴が一番キライなんだ」とアンシーを叱咤するウテナに、時子の姿を重ねます。
馬宮の墓参りの為に学園を訪れた時子。彼女とすれ違っても気付きもしない御影草時(根室教授)。
彼や暁生が歳をとらないのに対し、歳をとり結婚もしている時子は、「こんな事は間違ってる」と暁生に言います。
「実を結ぶ為に花は散るのよ」と。
⚫︎根室教授は何の研究をしていたのか?
鳳暁生「学園という庭にいるかぎり、人は大人にならないのさ」
まずは22話の所々に感じる違和感から整理していきます。
・時子との会話中、窓の外で増えてる(出産してる)ネコ
・時子「(紅茶が)濃すぎるわ。蒸らし時間は同じなのに。砂時計も狂う事があるのかしら。」→この時使用した砂時計がテーブルに映り込み『逆さまになった砂時計』という意味深なカットの中、二人の会話は続いています。
・生徒「しばらくは消えないでしょうね」「雪のことですよ」※ちなみに季節は冬です。作中にはっきりとした季節の描写があるのは全話通してこの22話くらいです。
・歳をとらない御影草時(根室教授)、鳳暁生
これらの現象は時間の流れが極端に遅いということを示してると考えられます。
つまりあの一帯は永遠を手に入れる為に時間を引き延ばす実験、『時間遅延』が起きていたのでは無いでしょうか?
室内とは窓ガラス一枚隔てた場所のネコが増えている事、馬宮の家に訪れた教授が「この庭の雪は、中々消えないね」と言っている事から、この時の時間遅延は研究所周辺と時子の家だけだったのでしょう。ですがこの時の馬宮はアンシーが化けていて、場所は薔薇が咲き乱れる温室です。アンシー&暁生のテリトリーと考えていいでしょう。
以上を踏まえて黒薔薇編の時系列を整理してみます
- 暁生、研究所にて100人の男子生徒と『永遠』の材料になるという契約を交わし、黒薔薇の指輪を与える
- 根室教授を呼び寄せ研究に参加させる
- 時子、学園に訪れる。時子に恋をした教授、研究に本腰を入れ始める。
- 暁生、教授に「世界の果て」からの手紙を渡し少年達との契約内容を教える。同時に指輪を託し、契約を迫る。
- 教授「こんな事をしても彼女は喜ばない!」 暁生「彼女、ね…」←暁生、教授の時子への恋心に気付く。
- 暁生、時子に手を出し教授を挑発。それを見た教授、時子を自分のものにする為に世界を革命する事を決意。
- 馬宮に化けたアンシー、「永遠が見たい」と教授をそそのかす。
- 研究所に火を放つ(研究の仕上げ?)。御影の回想では火を付けたのは馬宮だったが、事実は根室教授だった
- (推測)建物の奥に運ばれる棺桶→研究の材料となった100人の男子生徒?
- 真・馬宮、死亡。時子、学園を去る。
~永い時間~(時子が相応に歳を取る外部の通常時間=根室教授が記憶障害を起こす程の学園内部時間)
- (推測)この間、馬宮に化けたアンシーが根室教授に近付き「御影草時」というニセの人物像を植え付け、錯覚させる。
ー現在ー
- 御影草時、馬宮アンシーと共に黒薔薇のデュエリストを使い決闘への挑戦者を募る
- 御影草時、ウテナとの決闘に敗北。かつて自身が根室教授であった事、当時の本当の記憶を思い出す→学園卒業。
- (推測)御影(根室教授)の卒業をもってして研究完了。『永遠』への扉が出現。
- (推測)館長の不在により根室記念館の時間遅延が解除、廃墟に。
根室教授の独白と共に回想されるシーンには多数の違和感がありますが、その一つが「人物の色」です。根室教授は通常の鮮やかな彩色である事に対し、時子や馬宮の肌・服の彩色は暗く濁っています。また、燃え盛る研究所での回想シーンでは、同一の場所にいるにも関わらず明らかに教授のみ影の色が違っています。
教授の姿だけが、まるで古い映像に無理やり嵌め込んだように浮いているのです。
これらは、教授があやふやになった記憶を改ざんしていた事を示唆しているのではないでしょうか。
そして現在時間、学園外からやってきた時子は歳をとっているのに対し、暁生や御影(根室教授)の外見が変わらないことから、鳳学園の中のみ時間遅延がおきていると考えられます。
つまり鳳学園は時のほぼ止まった楽園です。いつまでも覚めない夢の国、遊園地です。
おとぎ話のような学園のデザインや城、アトラクションのようなギミック、アンシーの傍にいるマスコット(?)チュチュがネズミであることも、某有名テーマパークのネズミキャラクターを想起させます。(そういえば幹のニックネームは『ミッキー』です)
さしずめ根室記念館は亡霊達の住む「ホーンテ◯ドマンション」という所でしょうか。
・夢と死の楽園
鳳学園とは何か?
デュエリストはじめ、作中の登場人物達は同性愛や近親愛など、皆どこかいびつな愛・欲望・願望の持ち主です。一般社会では肩身の狭い思いをせざるを得ないマイノリティといえます。
女子でありながら王子様になりたいという特殊な願望を持つウテナも例外ではありません。学園の人物は皆、自らの夢・願望に囚われている人達です。
夢を諦めずにいるにはどうしたらいいか?
現実の方を変えようとしたのではないでしょうか。
「明日テストなのにゲームがやめられない、明日になんてならなければいいのに!」と考える子供のようなもの。誰でもいつかはゲームを消して机に向かうのに、彼らはずっとゲームを続ける為に明日という現実を拒否し続けているのです。
・高等部や中等部、といった区別のみで明確な学年がないキャラ→進級しない?
・夏服冬服が混在する制服・常時バラが咲き乱れる学園内(薔薇の花のピークは5月~9月)・学校生活特有のイベント(夏休みや学園祭など)が無い=季節の変化が無い
・10年後の話をするアンシーとウテナのシーンでBGMがリピートする、など
これらの事象から、学園内の時間遅延は継続していると思われます。
鳳学園という学校の生徒会は教師でさえアゴで使う権力を持っています。※7話で制服についてウテナに詰め寄る教師を樹璃が軽くあしらっている
この学園では生徒が主体であり、常識やモラルを強いるルールも大人も居ない。生徒達が想い想いの夢を見る楽園です。
また、墳墓の形をした学園は時間が無い=変化が無い=死人も同然、ということだと思われます。
なのでアンシーは勉強もしないし友達も作らないし将来のことも考えません。暁生と「今」だけあればいいからです。
鳳学園はアンモラルでマイノリティな人達が世間一般の常識や倫理から免れる箱庭のような場所であり、学園内の人物は皆、自分の欲望を手放す事が出来ず苦しんでいる人間の集まりであると考えられます。
以下、作中に頻繁に出現するワードを置き換えてみます。
- 棺=鳳学園=変化の無い空間・死
- 永遠=終わらない夢
- 世界=地球全体や国ではなく、個人の認識する社会、価値観・世界観 など
- 世界の果て=世界観・価値観の限界=絶望=鳳暁生
- 世界を革命する力=自分を変える勇気
・決闘・デュエリスト達のジレンマの闘い
デュエリスト達は「世界を革命する力」「奇跡の力」を持つ薔薇の花嫁を求めてウテナに決闘を挑みますが、ほぼ毎回ウテナの勝利となります。剣の実力では西園寺や冬芽、樹璃の方が上のはず。何故デュエリスト達は勝てないのでしょうか?そもそも決闘とは何でしょうか?
デュエリスト達が決闘へと向かう理由は「世界の果て」という謎の人物から届く謎の手紙に従う、という謎だらけのもの。あくまで強制ではありません。(現に、西園寺などは馬鹿馬鹿しいと離脱したりもしています)
デュエリストが決闘を決意する時は、行き詰まった状況や人間関係を変えたい時、つまり「変化が欲しい時」といえます。「自分自身ではどうしようもない状況を、よくわからない凄い力でなんとかできるらしい」ぐらいの、曖昧で他力本願なもの。決闘に負ければ願いは叶わない。ただこれまでと変わらぬ毎日が続いていく。
物語前半での「世界を革命する力」は、そんな意味合いのものだったはずです。
・世界を革命する力、世界の果て。暁生とのドライブで何をみたのか?
黒薔薇編、鳳暁生の登場から暁生カーに乗せられドライブした後、デュエリスト達は「永遠を見た」と言い、人が変わったように真剣に決闘に挑むようになります。
彼らは何を見たのでしょう?
冬芽「誘おう!君が望む世界へ!」
これは文字通り、奇跡の力によって手に入る望み通りの世界を見せられた、と考えます(理事長室のプラネタリウムのトリック?)
例えば西園寺なら、アンシーを手に入れた世界。永遠に冬芽との友情が続く世界。正に夢のような世界です。
本当にあるかどうか疑わしかった奇跡の力を、実際にあるんだ、手に入れる事ができるんだと見せられてしまったら。現状が膠着し追いつめられた者ほど、これ以上無い希望です。益々その力を欲するでしょう。
しかし見せられたのは希望だけでしょうか?西園寺などは顔つきまで変わっています。
それに加えてもう一つの事実を見せられたのでは無いでしょうか?
つまり「世界の果て」という絶望、学園内の時間遅延のネタバラシです
・「我らもまた、棺の中にいる」
屈指の迷シーン、真っ赤なクラシックカーで夜の道路を疾走し、運転手の暁生が謎の一回転アクションでボンネットに飛び乗る。普通に考えてあのままだと暁生カーはどうなるか?
事故ります。当然です。
しかしその後、何事も無かったように復活したとしたらどうでしょう?
実際に暁生含め乗車メンバーは全員無傷で再登場しています。
自分自身が不死も同然の存在だと証明され、今まで当たり前に暮らしていた世界が時間のほぼ停止した世界だということ、(かつての御影草時のように)自分が一体いつから、どれ程の期間、学園にいるかわからない事に気付いてしまったら。
かなりのショックではないでしょうか。
その根拠として、理事長代理である鳳暁生が登場する黒薔薇編初期、桐生冬芽の様子がおかしくなります。
廃人のように部屋に閉じこもり「世界の殻を破らねば、雛鳥は産まれず死んでゆく」という自分のセリフを繰り返し聴くシーンなどは七実を怯えさせました。
以降、黒薔薇編での冬芽の登場回数はめっきり減ります。直前の回でウテナに敗北した事にショックを受けた。けれど本当にそれだけでしょうか?
彼は生徒会長です。教師が空気なこの学園では、冬芽の権力は理事長代理である暁生に次ぐものと考えて良いでしょう。ナンバー2である彼は学園に戻ってきた暁生にいち早くネタバラシをされたのでしょう。
基本的に生徒会=デュエリスト達はそれぞれ葛藤、不満を持っています。ですが冬芽だけは例外なのです。
彼は学園きってのプレイボーイであり、生徒会長であり、全てが完璧なのです。
完璧であるという事は、変化を必要としないということでもあります。変化の無い鳳学園は冬芽にとって完璧な楽園でした。この学園に適合している者ほど、学園が虚構であるという真実はショックが大きいはず。真実を知った冬芽は大きく動揺し廃人同然になり、事実を受け入れるのに時間がかかっていたのではないでしょうか。
やがて復活した彼はデュエリスト達に暁生カーを呼ぶ役となり、完全に鳳暁生の傀儡となります。
また、第9話、西園寺が冬芽との付き合いの長さを語るシーンで
西園寺「あいつ(冬芽)とはこの10年間、何百回もやりあっている」
というセリフがあります。
そして暁生とのドライブを経ての第37話では、
冬芽「お前と自転車に乗るのは久しぶりだな」
西園寺「ああ。‥どのくらいぶりだろう…」
といった会話があります。
どちらの会話も、2人が幼いころ自転車に乗り教会で「棺の女の子」に会った時を回想しているので、同時期の事を指しています。何故、西園寺の認識が「この10年」から「どのくらいぶりだろう」という曖昧なものに変わってしまったのか。
これは2人が9話からドライブを経ての37話で、時間の経過がわからなくなっている事に気付いた、ということを意味してるのではないでしょうか。
また、同37話で
冬芽「彼女は棺の中にいる、我らもまた棺の中にいる」
西園寺「俺達は這い上がるのだ!世界の果てによって用意された棺の中から!」
とも言っています。
世界の果て=鳳暁生、棺の中=時のほぼ止まった学園内・絶望 と当て嵌めてみると、2人は自分達が世界の果てである暁生に利用されていることに気付いています。それでいてなお、決闘ゲームに挑むのです。指輪や手紙に縛られた義務での決闘ではなく、自主的に、自分の存在意義の為に闘いに赴くのです。
デュエリストが決闘に挑むのは、現状を変えたいと願う時です。どうにもならない状況を「世界を革命する力」「奇跡の力」でなんとかしたいと願う時です。
そして剣は「誇り・信念」の象徴です。各々の「意志の強さ」の戦いです。決闘とは、「変わりたいという意志」「心の剣」の強さの戦いです。
この「心の剣」こそが鳳暁生の目的であると考えます。デュエリスト達を決闘させ「誇り・信念」の強い者の剣こそが、「王子様の剣」に近いと考えたのでしょう。
つまりこうです。
王子様の剣を出現させる為に、より強い誇り、信念、変化を望む心の持ち主が必要だと考えた暁生は、デュエリスト達をドライブに誘い勝利へのカンフル剤として学園の真実を見せた。
結果、彼等は
・決闘に勝利し世界を革命する力を手に入れ、自らの欲望のままの永遠の世界を手に入れるか
・決闘に敗れて革命など起こせないまま現状維持、叶わぬ願いを抱え学園内で死人も同然に生き続けるか
という、希望か絶望かの選択を強いられた事になります。
ウテナに友好的だった幹でさえ決闘を挑むのは、アンシーへの恋心だけでは無く、自分自身の為の闘いという意味合いが強くなったからではないでしょうか。
以上の事から、暁生カーでのドライブ以降のデュエリスト達の決闘は、それまでの決闘に比べ、意義が大きく変わっています。生か死か、という一層切実なものとなっているのです。闘い勝利しなければ、何も変わらない=未来は来ないのですから。
そして結果として、全員がウテナに敗れ革命に失敗しました。
何故彼らは勝てなかったのか。
彼らの中での自分自身の闘い、「勝ちたい」という気持ちに「勝ちたくない」という気持ちが勝ったのでは無いでしょうか。
変化や成長とは、これまでの自分との決別です。勇気が要るものです。学園にいる限り、
樹璃はずっと変わらず枝織を想い続けていられる。
冬芽は学園一のプレイボーイで完璧なスーパー生徒会長のまま。
七実は完璧な兄の妹でブラコンのまま。
幹と梢は大人を嫌悪する心が成長を妨げ、お互いを子供のままでいようと縛り続ける。
西園寺はプラトニックで男尊女卑な男女交際と冬芽との永遠に続く友情を信じていける。
現実世界のモラルに糾弾される事なく、それぞれが自分本意で邪な夢を見続けていられる。
敗北は、変化を拒んだとも言えます。世界の果てによって用意された棺は、考えようによっては夢破れ傷つく事のない安全な鳥籠ともいえるかもしれません。
暁生「世界を革命する力が彼らを捉えたんじゃない。彼らの方が求めたんだ。奇跡に囚われるのを」
〜馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない〜
ということわざがあります。
人が「喉の渇いた馬を水辺に連れていく」事は出来ても、「水を飲むという行為」 は馬にしかできない。
どんなに望んでも、それを手に入れるかどうかは本人の意思次第です。
彼等が学園に利用されているように、彼等もまた自分の願望のために学園を利用していると言えるのかもしれません。
・ディオスと鳳暁生
過去回想で暁生とアンシーの過去が暴かれます。
「王子を出せ」と叫ぶ民衆に包囲された小屋の中には幼いアンシー(以下『幼アンシー』)と憔悴したディオスの2人。やがて小屋から現れた幼アンシーは「ディオスは私だけのものだから 貴方がたの手の届かないところに封印しました」と宣言します。
この『封印』とは具体的に何でしょう?
過激な推測になりますが、これはディオスが幼アンシーにレイプされたという事ではないでしょうか。
民衆に囲まれた小屋でディオスを介抱するアンシー。姿は子どもですが非常に艶かしく描かれています。そして立ち上がる事もできず喘ぐディオス。包囲された小屋から物理的にディオスを遠ざけるのは不可能でも、行為によって肉体を奪う事で「封印」とするのは可能だったのでは無いでしょうか。
近親相姦と言う罪を犯した者は「世界中の女の子の王子様」としては不適格です。不可抗力であってもディオスも「同罪」となります。こうして『私だけのもの』『封印』としたのではないでしょうか。
幼アンシーは王子を愛していましたが、世界中でただ1人、王子様のお姫様にはなれない女の子です。兄妹だからです。しかし都合良く王子様を求める世界中の女の子よりも、王子様の身体を労る幼アンシーこそが真に王子様を愛していました。
暁生もまた「世界中の女の子から王子様を奪った罪」「近親相姦という罪」を背負ってまで自分を愛してくれる健気な妹を愛しています。そして自分に罪を負わせたアンシーを憎んでもいたでしょう。
暁生「まだ、俺を苦しめるのか、アンシー」
近親相姦という罪にアンシーと暁生はずっと苦しみ続けていたのです。
そうして、かつて「みんなの王子様」だったディオスは、魔女アンシーによって共に罪を負わされ『封印』されました。
・世界の果てへ
かつて王子様だった存在は、「ディオス」と「世界の果て」に分離します。
肉体を失い「世界中の女の子の王子様」という「概念」となり、天空に浮かぶ城になんか斜めになって幽閉(?)される「ディオス」。
ただ一人、真に自分を愛してくれた魔女であり妹でもあるアンシーのための「世界の果て」というただの人間。
アンシーと「世界の果て」は、誰にも咎められる事のない楽園を求めて鳳学園を乗っ取り、エデンの園のような楽園に二人で篭ります。お互いを慰め合い、魔女の力で時間を限りなく遅らせながら。
「世界の果て」は自らを自虐的に「堕ちた天使ルシファー、暁の金星」に見立て「鳳暁生」と名乗ります。
しかし学園の時間はあくまで遅らせているだけ。いずれ限界が来ます。
二人はまたもや共謀し根室教授と100人の男子生徒を利用して『永遠がある城』を出現させました。(黒薔薇編)
「王子様とお姫様はいつまでもいつまでも、永遠に幸せに暮らしました」。そんな結末を望んだのでしょう。
しかし困った事が起きます。永遠がある城に続く薔薇の門は、王子様の剣でしか開かないのです。
かつて王子様だった自分、ディオスと分離しただの人間になった暁生にはその資格がありません。
暁生は更に容赦なく他人を利用します。王子様の剣を持つと思われる人物に薔薇の指輪を贈り学園におびき寄せました。アンシーという「薔薇の花嫁」と「世界を革命する力」をエサに彼らを戦わせ、王子様に匹敵する強い剣(誇り・信念)を持つ人物を選別し、薔薇の門の前でその剣を奪い、扉を開きアンシーと共に永遠を手に入れる。そんな算段だったのでしょう。
しかしアンシーがウテナに心を開き始めた事と、封印したはずのディオスがウテナの前に現れた事は2人の計算外でした。
・ディオスに導かれたウテナ
34話の過去回想、両親を亡くし絶望するウテナとディオスが出会います。
ここで注意したいのは、ウテナと出会う彼は「鳳暁生」ではなく「ディオス」である事です。
肉体と分離し概念となった彼は、「罪悪感」という責め苦を負う幼アンシーを救いたいと願ったのでしょう。
ウテナは真の王子様・ディオスにアンシーを救う決意を告げ指輪を託されました。
そしてウテナは物語後半、決闘でピンチになると天空の城から飛来するディオスからキスを受け、勝利する事になります。以降、ディオスがウテナの元にだけ飛来することから考えて、他のデュエリスト達の指輪はニセ王子(暁生)からのものであった事に反し、ウテナの指輪だけが「本物の王子様からの指輪」だったと考えられます。
同時に、両親を亡くし絶望の中にいたウテナに目的を与え棺の中から救ってくれたディオスこそが「真の王子様」であり、アンシーの苦しむ姿を見て助ける事を決意したウテナこそが真の誇りの持ち主であったとも。
しかしこの過去の出来事が、皮肉にもウテナに「女の子だけど王子様になりたい」という不条理な願いを抱かせ、学園の適合者にしてしまうきっかけにもなってしまいました。
・天上ウテナ
ウテナは純粋です。
女子なのに男子の制服を着て一人称は「ボク」。「ボクは女の子だ!」と主張しながらも「王子様になりたい」と矛盾した事も言います。女子にも男子にも慕われ、分け隔てなく付き合い、教師にも従わず、年上の生徒会メンバーや七実のような年下とも平等に接しています。何にも縛られず、間違った事は見逃せない。困った人を助ける人情に厚いおせっかい。純粋で正義感が強く、まさに王子様のような女の子です。
そしてウテナは子供です。
自分の正義感のままに、わからない事には「わからない」、おかしい事には「おかしい」と言い放ちます。相手の背景や心情を慮ったり、共感や理解しようとはしません。「王様は裸だ」と言ってしまう子供のような純粋さ。
しかしそんなウテナだからこそアンシーの心を開き友情関係を築く事が出来ました。アンシーとエンゲージしたのは成り行き上ですが、ウテナは「世界を革命する力」や「奇跡」「永遠」が目的ではなく、アンシーを救いたいという純粋な考えのもと、友達として共にいました。
・鳳暁生
学園に戻ってきた暁生は、ウテナの傍で快活に笑うアンシーに危機感を抱きます。アンシーの心を動かした人物であるウテナを警戒したのでしょう。しかし徐々にウテナに惹かれていきます。ウテナの持つ純粋さ誇り高さが、かつての自分ディオスに最も近いものである事を見抜き、同時に嫉妬します。自分が失ったものを当たり前に持っているウテナを憎らしく思うのです。
暁生は登場人物中、唯一『大人』のキャラクターです。権力、経済力、社交性…『大人』としての魅力全てを使い周囲の人間を翻弄していきます。
自らの性的魅力も駆使します。鳳香苗とその母、千唾時子、西園寺や桐生冬芽も例外ではないのでしょう(そうとしか受け取れないシーンがありすぎます)女も男も大人も子供も見境無しです。半ばヤケクソです。自らに絶望し「世界の果て」になり、妹と夜ごと罪を重ねる暁生は堕ちる所まで堕ちきっています。
そして暁生は男尊女卑で女性軽視な思考の持ち主です。「女の子は男に守られるもの」など、度々そう言った発言をしています。また、学園の生徒達を子供であると見下しています。傲慢で尊大な人物です。かつて王子様であったプライドがそうさせるのでしょう。
そんな暁生がウテナに近付き一夜を共にし、彼女を手に入れるのは容易いことでした。かつて幼アンシーがディオスにしたように、純粋で無垢な者を手中にするにはどうすれば良いのか、暁生は良くわかっているのです。
王子様は自分1人でいい。ウテナは守られる女の子である方が暁生にとって都合が良いのです。
作中、特に難解なのが「鳳暁生の目的は何だったのか?」という事ですが、これは「もう一度王子様に戻りたかった」のではないかと考えます。壮大な決闘ゲームも、暁生が誇りを取り戻す(奪う)為の舞台でしかなかったのではないでしょうか。
失ったものをもう一度取り戻したい。王子様というアイデンティティを取り戻したい。純粋で誇り高くあった頃の自分に戻りたい。
デュエリスト達と同様に暁生もまた、叶わない願いを抱えて苦しんでいる人物です。
大天使だったルシファーは、地上に堕とされ悪魔サタンとなりました。
暁生が躊躇なく他人を利用するのも、王子様を都合良く求めた人間達への復讐なのかもしれません。
アンシー「ウテナさま、ご存じでしたか?私がずっと、あなたを軽蔑してたってことを。」
暁生に恋をしたウテナは苦しみます。
ウテナは暁生に恋をした事で、樹璃の「秘めた恋の苦しさ」を知ります。
そしてアンシーと暁生の関係を知る事で、西園寺の「変わらぬ友情を求める苦しさ」、アンシーや七実の「実の兄を愛する苦しさと他の女性への嫉妬」、幹や梢の「相手の変化を許せない苦しさ」を知ります。
ウテナの正義感は無垢であるがゆえでした。今まで「ボクにはわからない」「キミはおかしい」と切り捨ててきた感情、常識や正しさだけではどうにもできない感情を知ってしまいます。
こんなに苦しい想いを抱えながら”純粋さ、正しさ”という剣で打ち倒されるのは、どれほどの事だったか。
自分が裸だと気付いた王様のような気持ちだったかもしれません。
ウテナはもう、純粋なだけの子供ではいられなくなってしまいました。
こうして
「暁生・アンシー・ウテナ。誰の立場から誰を見ても、愛してもいるし憎んでもいる」
という愛憎の三角関係が出来上がります。
そして、
「悪い王子様(暁生)に囚われたお姫様(アンシー)を、王子様を目指す女の子(ウテナ)が救う」
という物語構造の裏の面、
「魔女(アンシー)に囚われた「元」王子様(暁生)が、王子様の剣を持つお姫様(ウテナ)を待つ」
という、もうひとつの見方が浮かび上がってきます。
・姫宮アンシー
「どーもどーも」が口癖、ネズミのチュチュが友達で得意料理はかき氷な天然の不思議ちゃん。
そんなイメージだったアンシーの正体が34話の劇中劇「薔薇物語」でとてもわかりやすく明かされます。
王子様を堕落させた諸悪の根元であり、決闘ゲームの共犯者であり、実の兄と寝る魔女。それがアンシーの本当の姿でした。
アンシーは主体性が無い受け身の女性と思われていました。「薔薇の花嫁」という景品のような扱いを受けても「(決闘が)早く終わんないかな」とつぶやき、西園寺に暴力を振るわれようが女生徒に嫌われようが動じなかったのは、意志が無いからではなく、自分の意志で暁生に従っていたからでした。暁生との目的の為なら屈辱にも耐えられたのです。
むしろ自分と兄が仕組んだゲームの登場人物でしか無い周囲の人間を、アンシーはずっと冷めた目で見ていたかもしれません。
アンシー「好きな人の為なら、それ以外の人間の気持ちなんか問題じゃない。自分なんていくらでも誤魔化せますから」
しかしアンシーもまた苦しんでいました。世界中の女の子から王子様を奪った罪、近親相姦の罪、親友を騙し続ける罪悪感。
ウテナが純粋にアンシーを慕うほどに、暁生がウテナを慕うほどに、アンシーは苦しんでいたのでしょう。
暁生との関係が安らぎであったとも言えません。最終話、アンシーはウテナに「あなたは私が好きだった頃のディオスに似ている」と言っています。『だった』と過去形なのは、現在の暁生は愛していないということです。永い時間の中で、暁生との関係はただお互いを慰め合う共依存関係になってしまいました。愛ではなく執着に変わってしまった事を自分でわかっています。
王子様を求めた妹は罪の代償として、皮肉にも王子様を失いました。
唯一、自分を掛け値なしに慕ってくれるディオスによく似た人間は、女の子だからアンシーの王子様にはなれません。
魔女になってもアンシーは孤独でした。
37話。最後の「世界の果て」からの手紙を手にするウテナに、アンシーは変わらぬ笑顔で語りかけます。
アンシー「ウテナさま。私達、今の関係がずっと続くといいですよね」
『抜け駆けは無しよ』という事です。暁生に私達どちらかを選ばせるような事をしなければ、どちらも傷つかないで済みますよ。という提案です。
ウテナは手紙を破る事でこれに答えます。アンシーの提案を受け入れ、暁生との関係はお互いに見て見ぬ振りをして、今の関係を続ける事に了承しました。
そしてアンシーの毒入りクッキーとウテナの毒入り紅茶。和やかに見えて水面下でお互いを牽制しあう、背筋も凍る秀逸なシーン。あんなに仲の良かった2人がこんな陰湿な会話を交わす関係になってしまった。視聴者として大変ショッキングなシーンです。どんなに表面を取り繕っても、一度抱いた憎悪や嫉妬は消えないのです。
そんな欺瞞に満ちた関係に耐えきれず身を投げようとするアンシー。対峙するウテナ。長い物語の中、初めてお互いが本当の気持ちを話します。
ウテナはずっとアンシーを救いたいと願い闘ってきましたが、その強すぎる正義感ゆえに当のアンシーの意思には無理解でした。これまでアンシー自身はただの一度も「助けて」などとは言っていないのです。ウテナの行動はお節介で的外れなものでした。むしろ、ウテナの王子様気分を満たす為の道具にしていたとも言えます。
アンシーは何も知らなかった無邪気な親友にまで自分と同じ苦しみを背負わせてしまいました。「体はどんなに苛まれても 心なんて痛くならないと思っていたのに。」アンシーは自分の犯した罪に対する罰「王子様を奪われた世界中の女の子達の憎悪の100万本の剣」に貫かれる事には耐えられても、これ以上何の罪も無いウテナを巻き込む事には耐えられません。罪から逃れる為に学園にこもっても、自らの心に生まれた罪悪感からは逃れられないのです。
お互いは親友であり憎い恋敵になってしまった。愛してもいるし、憎んでもいる。
時間のほぼ止まったこの学園の中ではこの先ずっと、永遠にこの地獄の三角関係が続いていく。お互いへの憎しみを抱いたまま10年後も笑ってお茶なんか飲めるはずもない。
ウテナは世界を革命するしかありません。初めて自分自身の為に最後の決闘に挑みます。
最終決戦
ウテナ「ボクが王子様になるって事さ!」
最後のデュエリストとなり暁生と対峙するウテナ。当然「世界の果て」が鳳暁生である事はもうわかっています。
ウテナは全てを仕組んだ黒幕である暁生を責めますが、逆に説き伏せられてしまいます。人は誰でも後ろ暗いものを抱えている。婚約者がいる事を知りながら暁生と関係を持ってしまったウテナは、もう一方的な正義感だけで他人を責める資格など無い事を知っています(そう仕向けたのは暁生ですが)。
暁生はさかんに「お姫様は王子様に守られていればいいのさ」と誘惑します。戦わずしてウテナの持つ「王子様の剣」を奪い、ウテナをお姫様として2人で永遠を手に入れる。暁生は王子様としての誇りを取り戻せる。王子様にはお姫様が必要。自身が王子様でありさえすれば、お姫様はアンシーとウテナ、この際どちらでも構わない。
剣を引き抜かれ白いドレスに包まれるウテナ。
しかし傍にぐったりとうなだれるアンシー。暁生とウテナが永遠を手に入れたら彼女はどうなってしまうのか?
ウテナはニセ王子の誘惑を振り切り、自分が王子様になりアンシーを解放する事を宣言します。ニセ王子への宣戦布告です。
しかしそんなウテナをアンシーは無情にも背後から剣で貫きます。アンシーはやはり魔女であり、アンシーにとっての王子様は暁生でした。
暁生はアンシーから託されたウテナの剣で薔薇の門を打ち付けますが、扉は開きません。ついには折れてしまいます。ウテナほどの剣を持ってしても扉は開かなかった。計画は失敗だとばかりに早々に諦めたニセ王子は呑気にトロピカルジュースを飲み始めます。
一方、傷付いたウテナの元に現れるディオス。ウテナを労い、慰めのキスをします。それでもウテナは諦めません。なおアンシーを救おうとします。
扉にすがるウテナを冷めた目で見つめる暁生。しかし扉が棺に変わっている事に気付きうろたえます。
この突如現れた「棺」は何なのでしょうか?
これは、かつて王子様が「ディオス」と「暁生」に分離したように、アンシーもまた「魔女」と「ただの人間」に分離し棺の中で眠っていたのではないかと考えます(棺はかつて幼いウテナとアンシーが出会った時と同じ薔薇のような装飾(?)がある)。そしてウテナがアンシーを救いたいと流した涙が、ウテナの「本物の王子様からの指輪」と反応しその棺を出現させたのではないでしょうか。
その様子を見届け去るディオス(目的を遂げた?)。
ボロボロのウテナは目覚めたアンシーに手を伸ばします。何度裏切られても、自分がお姫様になって暁生と永遠を手に入れるという可能性を捨てても、ウテナは初めてアンシーと出会った時に誓った「アンシーを助ける」という本来の願いを貫きました。ウテナは誇りを失いませんでした。
しかし繋がりかけた手は離れ、アンシーは落下します。アンシーを救えず、ただの王子様ゴッコで終わってしまった事を悔やむウテナを百万本の剣が襲います。
革命は失敗しました。
七実「こんな事、早く忘れた方がいいのよ」
樹璃の姉を助けようとして死んだ少年の話は、生徒会のメンバーがいずれウテナを忘れてしまう事を示唆しています。
人が命をかけて他人を救う誇り高い姿を見て、一時は心を打たれても、真に心に届かなければ救済とはならないのです。彼らは結果的には変化を拒み、自分のエゴを選びました。樹璃が瑠果の献身を無視したように。
この学園で生きていく以上、革命を起こそうとした人間のことなど忘れたほうがいい。ウテナの事も決闘の事も忘れ、やがて「自分もかつて変わろうとした」という事すら忘れていくのかもしれない。
そんな後ろめたい予感にそれぞれが表情を曇らせたのではないでしょうか(現に最終決戦後、生徒は既にウテナを忘れています)。
ウテナの行動は、自らの願望や執着に囚われている彼等の心には届きませんでした。ウテナ消失後の生徒会は役割などに多少の変化はあるものの、物語初期と比べ大きな変化はありません。つまり成長していないのです。
あんなにアダルトな外見のキャラクターだらけなのに、暁生も含めてあの学園にいる限り誰も「大人」にはなれないのです。
アンシー「でも、私は行かなきゃ」
しかし「意識の転換」という方法で学園から脱出する、という革命もあることをラストシーンのアンシーが示しています。
ウテナ「姫宮、君は知らないんだ」「君と一緒にいる事でボクがどれだけ幸せだったか」
ウテナは棺の中で眠っていた「素」のままのアンシーを見つけ、一緒にいたいと求めました。
「王子様」「お姫様」「魔女」、そんな肩書きや役割はもう必要ありません。アンシーはもう暁夫を王子様足らしめる為の”お姫様アンシー”の役も、決闘のトロフィーとしての”薔薇の花嫁アンシー”の役も、王子様を堕落させた贖罪としての”魔女アンシー”という役にも囚われる必要は無いのです。
ウテナは王子様にはなれなかったけれど、アンシーが自分自身の意志で暁生への執着を断ち切るきっかけになれました。
ウテナの献身は無駄ではありませんでした。アンシーの心に届いたのです。
求めよさらば与えられん【意味】求めよさらば与えられんとは、与えられるのを待つのではなく、自ら積極的に努力すれば、必ずよい結果が得られるということ。
繰り返しになりますが、望んだものを手に入れるかどうかは本人の意思次第です。他人がどれだけお膳立てをしても、手を伸ばし受け取る行動は本人にしかできないのです。
・革命と本懐
どんな人でも、生きていく上では否応なく挫折や痛みを経験して成長します。
卵の殻を破らねば、雛鳥は産まれず死んでいく。
自分の世界、価値観を変えなければ子供はいつまでも子供のまま。
アンシーとウテナの夢は叶いませんでした。
妹は兄と結ばれないし、女の子は王子様にはなれない。
しかし誰でも大人にはなれます。
大人とは、夢と現実の分別が付く人です。執着は手放すことで解放されます。
ウテナとアンシーは挫折を経験し痛みを乗り越え、叶わぬ夢への執着を潔く脱ぎ捨てました。
学園という『夢の世界』を後にして、薔薇の門ではなく学園の門をくぐりアンシーが行く先は『現実』です。
今度は現実の世界で「ウテナと再会する」という実現可能な夢を叶える為に、アンシーは生まれ変わります。
不毛な夢の世界で得体の知れない奇跡を望むのではなく、
現実の世界で変化を乗り越え自力で夢をつかむために。
王子様を求め誰かに依存して生きるのでは無く、自分自身の為の輝いた人生を生きるために。
意識の転換に成功し、ふたりは『夢見る少女』から自立した『大人』になります。
少女という殻を破り、大人になるための革命を遂げたのです。
ビーパパス(Bepapas)は幾原邦彦がオリジナル作品制作のために作ったチームで、その名前は「大人になろう」の意。
wikiより
そしてさりげなく影絵少女A子も脱出しています
「女優ゴッコの演劇部活動」から「実際にオーディションを受ける」という
『夢を現実にする』ために行動を起こしたのです
(悪い大人がバックに付いてるらしいが、それもまた現実らしいといえます)