臨時国会が閉会した。六十七日間の会期を振り返ると、さまざまな疑惑や疑問は解明されないままだ。国会は行政監視や国政の調査という機能を有するが、その責任を果たしたとはとても言えない。
召集日の十月四日、安倍晋三首相は所信表明演説で「新しい令和の時代にふさわしい、希望にあふれ、誇りある日本を創り上げ、次の世代に引き渡す責任を共に果たしていこう」と呼び掛けた。
しかし、今となってはむなしく響く。新しい時代の日本を創り上げるどころか、旧時代の悪弊ともいえる問題が次々と明らかになり、政権側が説明責任を果たしたとは言えないからだ。
野党側が当初問題視したのは、関西電力役員らの金品受領や「あいちトリエンナーレ」への補助金不交付、NHKのかんぽ不正報道に対する圧力などだ。これらは原子力政策や表現の自由の根幹に関わる。政権追及が役割の野党と同じく、与党にも国政を調査し、行政を監視する責任がある。
しかし、与党が自らの役割を十分に理解しているとは言い難い。野党の追及にひとごとのような答弁を繰り返す首相や政府側に、与党側が解明や説明を積極的に促すことはなかった。これは国会前半に相次いだ閣僚辞任や、会期中盤に本格追及が始まった桜を見る会の問題への対応も同様だ。
桜を見る会では、首相の後援会関係者が多数招待されていたことや前夜祭の費用負担問題、詐欺的商法を展開していた「ジャパンライフ」の当時の会長に招待状が届いた経緯など多くが未解明だ。
特に問題視すべきは首相ら「政治枠」の招待者名簿が、野党の資料要求直後に廃棄されたことである。菅義偉官房長官は、公文書管理のルールと手続きに従ったと繰り返すが、にわかには信じ難い。
名簿廃棄時点ではバックアップデータも残されていた。都合の悪い情報を意図的に公開しなかったのなら財務官僚が公文書を改ざんした森友学園の問題に通底する。
三権分立の下では与党とはいえ国会として政府と対峙(たいじ)しなければならないが、与党側は委員会開催や首相の出席、参考人招致の野党要求をことごとく拒み、会期延長にも応じず、幕引きを図った。これでは国民から負託された役割を果たしたとは言えない。
誠実に説明しない政権の対応は論外だが、国会も存在意義が問われる局面だ。与野党ともに国権の最高機関の自覚を持ち、年明け召集の通常国会に臨むべきである。
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