ラーメンと餃子が分からない
ラーメンの副菜と言えば餃子が人気なのだけど、自分の中ではどうにも分からない概念である。皮も具もタレもラーメンに近すぎてぼやけてしまうのではないかと思う。
どうせだったら唐揚げを食べたい。タンメンと餃子のセットをタンギョウと言って公式メニューにある店が多いのだけど、タンカラの対比が好みだ。ともあれ白飯は必須だけど。
家系ラーメンは餃子を頼んだ方が満足度が低くなる問題
家系ラーメン屋のポイントカードサービスで餃子が無料になったから頼んでみたのだけど、ご飯おかわり自由契約の家系ラーメンと餃子の組み合わせが一番良くない。
如何に濃いめ多めのスープを使いこなして大量のご飯をお腹に入れようかと夕方から考えていたのに初手の餃子で結構お腹いっぱい。せっかくのサービスなのに中途半端な満足度のまま店を出てしまった。唐揚げはお腹にたまらないので実質カロリーゼロだが、餃子のカロリーは高すぎる。
機会コストに自覚的になるべき人生の折り返し点
僕自身は人生の折り返し点を過ぎつつあるのだけど、例え絶対的な時間軸として半分あったとしても、胃袋の大きさや集中力が確実に小さくなってきていることを感じる。そう考えると「残り」は想像以上に少ないのかも知れない。
Amazonは欲しいものリストを元に興味関心を強めるようにレコメンドして、安くするかどうかで事実上の行動制約ができる。読んだ本が思想を形作るのであれば、なかなか根本的なところを抑えられているのだなと改めて感じている
総合すると「もう若くない」というのが結論なのだけど、胃袋も時間も有限なのだから無料だからといって餃子を頼んだり、必要のない本を読んだり、SNSで時間を費やす機会コストについて、もうちょっと自覚的にならないといけないのだろう。そんな敗北感を噛み締めながら夜の街を歩く。家系ラーメンは餃子を頼んだ方が満足度が低くなるのだ。