「最大の違いは、四川省ではキャベツではなく、ニンニクの葉を使うという点です。来日して初めて東京で回鍋肉を食べたとき、見た目の違いにまず衝撃を受けました。それに、日本では回鍋肉の調味料として甘いテンメンジャン(甜麺醤)を使ったりしますが、あれは四川人として、どうしても納得がいきませんね(笑)。四川料理は甘い料理ではないですから!」
半ば笑いながらこう語る男性を前に、私もハタと気がついた。確かにそういえばそうだ。私も四川省に行き、本場で回鍋肉を食べたことがあったのに、不思議なことに、なぜかそのことにまったく気がつかなかった。四川省で食べる四川料理と、日本で食べる四川料理を、なぜか脳内で「これは別の食べ物だ」と認識していたのかもしれない。四川省では何もかも辛く、舌がしびれっぱなしだったのに……。
この話を聞いて、長年中国に通い続けているにもかかわらず、そのことに気づかなかった自分自身に対しても、私は軽いショックを受けた。
この男性によると、以前、都内にニンニクの葉を使った「四川省出身者が足しげく通う、本物の四川料理店」があったそうだが、数年前につぶれてしまったそうだ。「ここは日本ですから、日本人向けの味つけが喜ばれるのは当然。自分たち四川人がせっせと通って応援するだけでは、お店の経営を支えられなかったのかもしれません」とくやしがる。
このエピソードを聞いた後、かなり興味を持った私は、別の友人の紹介で、同じく四川省出身者が開く四川料理店のオーナーに話を聞く機会を得た。そのオーナーによると、回鍋肉とは「もう1回、鍋に肉を戻す」という文字通りの意味で、調理法がそのまま料理名になったものだという。
材料は豚バラ肉とニンニクの葉、調味料はトウバンジャン(豆板醤)というシンプルなもの。豚肉の塊肉を鍋で煮てから取り出し、薄く切って、ショウガや豆板醤とともに再び鍋に戻し入れ、ニンニクの葉と炒める。四川省では、どの家庭でも必ず作る平凡な料理だと教えてくれた。
日本では、新鮮なニンニクの葉はなかなか入手できない。そこで手軽な食材(キャベツ)を使うようになった(前述した陳建民氏がキャベツを活用したのが最初、という説がある)。それが日本人の舌に合ったので、日本の回鍋肉の「定番」になったようなのだが、日本に住む四川省出身者たちが、本音では日本の中華をこのように見ていたのだと知り、私は目からウロコが落ちた(悪い意味ではなく、かなり違う食べ物なのだと認識している、という意味で)。