小学生の時から勉強ができた。頭が良かった。優等生だったと思う。容姿も褒めてもらえることが多く、「まあまあ可愛いし勉強もできる自分」が好きだった。
中学受験を周りの賢い友達がしていくなか、私は公立中に進学した。理由はシンプルでお金がなかったから。中学受験している友達なんかより全然私の方が勉強ができたし、お金をかけて大して賢くもない私立中高一貫にわざわざ行く人の気持ちがわからなかった
公立中に進学し、そこでも勉強ができる生徒だった。頭が良い枠に入っていた。華やかな子が多い部活に入って、自分の容姿と成績に自信もあった。努力しなくても「まあまあ可愛いし勉強もできる自分」になれてた。
でも中2くらいになってくると、お化粧やダイエットとかでめちゃくちゃ可愛くなる子が出てきた。このままでは普通の容姿になってしまう、「まあまあ可愛い自分」をキープするにはどうすれば良いか考えた時に、高学歴になればなるほど容姿への許容基準が下がることに気付いた。学歴と容姿には負の相関があるじゃんって。高学歴の世界では「まあまあ可愛い自分」のままでいられるし「可愛いし勉強もできる自分」にもなれるじゃんって思って、必死に勉強した。
「学歴の低い自分」になるのが怖かったから、本当は行きたかった都立高校があったけど、成績で選んで都立のトップ高校に進学した。
高校は難関高だし学歴的には大満足だった。「高学歴で可愛い自分」になったのが嬉しくて嬉しくてたまらなかった。けれど高校の最初の中間試験で初めて平均点を取った。すごくショックだった。大学受験に焦りを感じて、「高学歴で可愛い自分」が崩れるのが怖くて、親に頼み込んで高一から塾に通わせてもらった。塾は難関大学を目指す受験生専用の塾にした。みんな本当に優秀で、塾では下位層だった。
塾で初めて、偏差値の高い私立中高一貫に通っている人達に出会った。御三家っていうの?そういうところに通ってる人達。本当にみんな優秀だった。高学歴かつ育ちが良く、お金を持っている人って世の中にたくさんいるんだなって気付いた。
私には、育ちの良さとお金がない。容姿も高学歴の中では良い方だけど、世間的には平均よりちょい上。成績も悪いし学歴もそこまで高いものは得られないのかもしれない。そう思ったら怖くてたまらなかった。自己肯定感が著しく下がって、でもプライドを捨てきれず、自分が好きな「高学歴で可愛い自分」になりたくて。どうすればいいかなと考えて、一番どうにかなる学歴を頑張ってつけようと思った。でも、そこまで成績は良くないから妥協しないといけない。
だから、本当は行きたい国立があったけど、他の国立大に妥協した。親には問題解きやすいんだよね、模試の判定も良いしとか言い訳して。
判定が良いのは当たり前だ。だってワンランク下げてるんだから。でも親は、「この大学の判定が良いなんてすごい!」と言って褒めてくれた。本当は妥協したんだよなんて言えなくて苦しかった。
大学には普通に受かった。私の望んでいた「高学歴で可愛い自分」にもなれた。友人も親も親戚も、すごいすごい!って持ち上げてくれたし褒めてくれた。でもすごく辛かった。本当は行きたかった大学があった。高校や塾の友人がその大学に進学しているから余計に辛かった。完全に学歴コンプ。
「高学歴で可愛い自分」になるために努力したのに、「高学歴なのに学歴コンプのあるモンスター」になった。
このコンプのせいで、大学に通うのが辛かった。成績も悪かった。勉強向いてないなって思って、就職して勉強から立ち去ろうとした。でも「妥協した大学でこんなもんでいいわけ?永遠コンプ埋まらないよ?ここで就活したら負け組じゃない?」という心の声が消えなくて、大して勉強もせず、真面目に取り組んできたわけでもないのに大学院へ進学することを決めた。
来年から私は大学院に進学することになる。大して勉強もしてなくて成績も悪かったくせに。
でも私は就活で何を言えるのだろう?今まで自分のプライドを守るような進路を選んできた。高校受験も大学受験も院進も。自分のプライドのためだけの進学で、自分がどうしたいかを考えてこなかった。
プライドを守るための人生を歩んでたとか、なんて空虚な人生なんだろう。肥大した自尊心だけを持った学歴コンプを持った自分を作っただけだった。
どうすればもっと良い人生を歩めたのか。小学生の時に躓く経験があればよかった。人生の初期に躓いて、もともとプライドなんて持たなければよかったのかもしれない。そうしたら、こんな下らない肥大した自尊心を持たなくて済んだのかな
勉強しなくて成績が下がっちゃったことについては、増田の心の声は何も言わないんだろうか…
子供を中学受験させる金はないのに大して成績も良くないのに院進学させる金がある親が謎
こういうのって就活でちょっと他人に否定される経験をすれば一皮むける気がするけどな