親からは不良の外国人と付き合うなと言われていた。ドラッグをやっている人たちと一緒にいるくらいなら家に引きこもってくれていた方がよかったのだろう。
だが、当時彼の団地の2LDKの家には、きょうだいや甥っ子など十人が暮らしており、幼子の世話も押し付けられていた。アチャはこうしたプライバシーのまったくない家に留まるつもりはなかった。
団地の環境が変わったのは、2009年のリーマンショックだった。大不況により、工場はブラジル人労働者たちに一家族につき30万円の帰国費用を支払うことを条件に退職を強いた。事実上のリストラである。これによって、団地に暮らしていた大勢の外国人たちが日本を去っていった。
アチャの両親も仕事を失い、一時帰国することを決めた。だが、アチャは日本に残ることを選んだ。
アチャは日本生まれだし、両親が暮らしていた町はペルーでも屈指の治安の悪いスラムだった。一度だけ実家に帰った時、家を出た瞬間に強盗に銃を突きつけられて殺される寸前の体験をした。友達もいない、そんな危険な国へ行くという選択肢はなかったのだ。
両親がペルーへ帰ったため、アチャは団地に一人で取り残された。何があったのか、すぐに仕送りが止まり、アチャは生活に困窮するようになる。家の電気、ガス、水道はすべて強制的に止められ、真っ暗な部屋で空腹に苦しんだ。
アチャは言う。
「金がないから、コンビニから盗んだものを食べたり、公園で水を飲んで腹を膨らましたりしてた。すげえ孤独で頭が壊れそうだった。誰も助けてくれないし、誰に助けを求めていいかわからない。
それで手を出したのがパウダー(危険ドラッグ)だった。盗んだり、奪ったりして金を手に入れれば、すぐに浜松の店に飛んで行って買った。パウダーをやったら、全身が射精する感じになって、嫌なことを全部忘れられるんだ。家に帰るまで我慢できず、くせえ公衆便所でパウダーやっておかしくなってたこともあった」