アチャが暮らす静岡県磐田市もブラジル人労働者の多い町として知られている。
磐田市には、かつて"スラム"と呼ばれていたT団地がある。リーマンショック前は住民の多くがブラジル人労働者だった。
アチャはブラジル人ではなく、日系ペルー人だ。両親が出稼ぎ目的で日本に来ていたため、ここで生まれ育ち、小学校へも入学した。だが、内気な性格がたたったのか、日本語がしゃべれるのに、言葉がうまく出ていないと判断され、まったく日本語ができない子供たちのための教室へ送られ、それが嫌で不登校になった。
当時の団地にはあちらこちらにカラースプレーの落書きがあり、外国人たちがドラッグをやっていたり、酒を飲んで暴れていたりしていた。酔って刃物をふり回すような人たちもおり、日本の暴走族さえ近づかなかったという。
アチャは不登校になったことで、そういう若者や大人たちとつるむようになった。学校へ行けば先生から「日本語が下手」と言われ、同級生からは外国人ということでいじめにあう。居場所は団地の外国人の不良たちのたまり場にしかなかったのだ。
アチャは言う。
「本当は真面目にやりたかった。でも、日本の学校がそうさせてくれなかった。あの頃は団地にはそんな人たちがあふれ返っていて、学校へ行かなければ、そういう人たちの輪に入るしかなかった。外を歩けば声を掛けられて誘われるんだから仕方ないじゃん。
今考えれば、本当にスラムみたいな団地だったと思う。俺の住んでいる棟だって、うちの上と下の部屋に住んでいた人が自殺してる。社会に溶け込めなかったんだろうね。そんなふうに死ぬくらいなら、不良とつるんでいた方がずっとかっこよかった。それ以外に選べなかったんだよ」