池長の言葉である。
「橋の下で生活したのは、寒いから。あと捕まるのが怖いから。痛いし、怖い。でも、家よりいい。(父親は自分のことを)捜してくれなかった。邪魔だったと思う」
下水の臭いが漂う橋の下で、拾ってきた段ボールを敷いてベッドにし、布団替わりに汚れたタオルに身を包んだという。
池長は公園の水を飲んだり、コンビニのゴミ箱を漁ったりして飢えをしのいだ。風邪をひいたこともあっただろうが、そんなことに気づく余裕もなかったという。
驚くことに、ホームレス生活は3年に及んだ。もし池長が日本人であれば、このようなことは起きなかったはずだ。家庭が荒んでいても、学校や親戚が気づいて捜索願を出していただろうし、地元の人々も日本人が橋の下で寝泊まりしていれば手を差し伸べたはずだ。「外国人」だからこそ、人々の無関心の下でこうしたことが起きてしまうのである。
15歳の時、池長はようやくホームレス生活に終止符を打つことができた。建設業のオーナーに声を掛けられ、働かせてもらえることになったのだ。違法な児童労働であり、日当も低かった。だが、3年も橋の下で暮らしていた池長にしてみれば、天から下りてきた蜘蛛の糸のようなものだった。彼はその会社で働き、屋根の下で生きていくことができるようになった。